陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 ※一部書き直しました。

下鴨神社 追儺弓神事
陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル よりつづく~。
※読み直してみるとわかりにくい文章だったので、一部書き直しました。すいません~。
①節分とは何か
節分とは何か。
それを説明するためには、まず旧暦(太陽太陰暦)と二十四節気の話をしなければならない。
旧暦(太陽太陰暦)は月の周期を一か月とする。
月の周期は29.5日なので、1年=29.5×12か月=354日。
地球が太陽の周囲を一周する周期=365日とは11日もずれてしまう。
3年では約1か月ものずれになる。
これを解消するため、3年に1度閏月を設けて調整していた。
太陽太陰暦は月齢がカレンダーがわかりになるので、紙が貴重品だった時代には大変便利な暦だった。
しかし実際の暦とはずれるので農耕作業などに支障がでる。
そこで、日本では江戸時代まで太陽太陰暦と二十四節気というふたつの暦を併用していた。
二十四節気とは一太陽年(地球が太陽の周囲を一周する期間。約365日)を24等分し、その分割点を含む日に冬至・立春・春分などの名前をつけた暦である。
節分とは本来は二十四節気の季節の変わり目ともいえる立春・立夏・立秋・立冬の前日を刺す言葉だった。
しかし、節分は、しだいに1年の変わり目でもある立春の前日を意味する言葉へと変化していった。
つまり節分とは暦法二十四節気における大晦日なのだ。
②追儺式は大晦日の行事だった。
延暦寺のお坊様が「もともと追儺式とは旧暦(太陽太陰暦)の大晦日に行う行事であった」と話しておられた。
牛は干支の丑で12月、虎は干支の寅で1月をあらわす。
鬼は牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいており、牛=丑、虎=虎なので、鬼は丑寅=1年の変わり目をあらわすとする説がある。
鬼に豆を投げつけて退散させることは、丑寅=1年の変わり目を退散させていることを意味し、目には見えない1年の移り変わりを視覚化したものだといえるだろう。
旧暦の大晦日と節分は年によってことなるものの、ほぼ同時期である。
そういった理由から、追儺式は大晦日の行事から節分の行事へと変化したのではないだろうか。
③追儺弓神事
下鴨神社の節分祭では追儺式は行わず、かわりに追儺弓神事を行っている。
追儺弓神事は12人の射手たちが次々に的を射るというもので、的は長方形で、赤地に黒の丸が描かれていた。
12の的は過ぎ去った過去の1年12か月をあらわし、これを射ることで去年を葬り去り、新しい年を迎えるという意図があるのではないだろうか。
以前、テレビで同様の神事を見たことがある。
その神事ではいったん的に『鬼』という文字を書き、その文字を塗りつぶすようにして黒丸を描いていた。
私は矢があたってくだける的を見て、下鴨神社の的の黒丸の下にも鬼という文字が隠されているかもしれないと思った。

下鴨神社 追儺弓神事
②ヤタガラスを射る。
関東地方などで同様の神事がさかんに行われていて、鬼射 (おびしゃ)・備射(びしゃ)・飛射(むしゃ)・奉射(ほうしゃ)などと呼ばれている
中にはヤタガラスを描いた的もあるそうである。
おびしゃの的は陰陽になっていると書いてある記事もあったが、具体的に的が陰陽になっているとはどういうことなのか、よくわからない。
表にウサギ、裏にヤタガラスが描かれているということなのだろうか?(詳しい方、教えてください~!)
ヤタガラスとは記紀神話に登場する三本足の大きなカラスで、初代神武天皇を熊野から大和へ道案内したとされる。
そしてヤタガラスはここ下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされている。

ヤタガラスが描かれた提灯
ヤタガラスが下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命の化身だということに注意してほしい。
神の化身であるヤタガラスを矢で射るとは、なんと罰当たりな!
③ヤタガラスは鬼だった?
①で的の黒丸は鬼をあらわすのではないかと書いた。
そして同様の神事であるおびしゃでは的にヤタガラスを描いたものもあるとのことだが、的に描かれたヤタガラスも鬼なのか?
すると、ヤタガラスを化身とする賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)も鬼だということにならないだろうか?
下鴨神社は鬼を祀る神社なのだろうか?

下鴨神社 追儺弓神事
④昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えた?
古事記には死んだヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという記述があり
鳥たちがアメノワカヒコの葬儀を執り行うという記述もあって、鳥は死のイメージが強い。
またササキという鳥がいるが、これに御をつけるとミササギ(陵)となる。
仁徳天皇陵のような巨大な前方後円墳は人間が地上から見てもその形が認識できないが、空飛ぶ鳥の目線からであれば容易にその形を認識することができるだろう。
昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えたのではないだろうか。
すると三本脚のヤタガラスも死んだ人の魂なのか?
⑥数字の8は復活を意味している?
八咫烏の正体について、もっと詳しく考察してみよう。
梅原猛さんは数字の8は復活を意味する数字だとしておられる。
八咫鏡は死んだ天照大神を復活させた鏡、
八角墳や八角堂は死んだ人の魂の復活を願って作られたものであるというのだ。
すると八咫烏もいったん死んで復活した人の魂を神格化したものなのか?

八角堂 (法隆寺 夢殿)
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作者 663highland (投稿者自身による作品) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html), CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/) または CC BY 2.5 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.5)], ウィキメディア・コモンズ経由で
⑦八咫烏は復活した天照大神?
八咫烏は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多く、復活した太陽神だと考えられる。
太陽神といえば天照大神だが、天照大神は天岩戸に籠ったのち、アメノウズメのストリップダンスを見た神々が笑うのを不思議に思って外に出てきている。
天岩戸とは古墳の石室のイメージである。
天照大神は死んで石室に埋葬されていたのだが、生き返って石室の外に出て来たという話なのではないだろうか。
天照大神は復活した太陽神である。そして八咫烏も復活した太陽神だと考えられる。
つまり八咫烏とは復活した天照大神?

下鴨神社 古神符焼納神事
⑧本当の天照大神とは男神で物部氏の祖神のニギハヤヒだった?
初代神武天皇より早く、ニギハヤヒという神が天下っていたと記紀には記されている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、神武以前、畿内には物部王朝があったのではないかとする説がある。
そして先代旧事本紀ではニギハヤヒは天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説があって、私はこれを支持している。

磐船神社 ご神体 天の磐船 (ニギハヤヒはこの船を操ってここに天下ったとさる。)
ニギハヤヒは男神である。
天照大神は女神とされているが、怪しい。
というのは、天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメという女神のストリップダンスに興味を持って天岩戸から出て来たのである。
女神のストリップに興味を持つのは男神だ、よって天照大神は男神だとする説がある。
⑨天皇家の祖神・天照大神はなぜ女神なのか。
天皇家の祖神の天照大神は女神とされているが、太陽神を女神とするのは世界的に見ても大変珍しい。
このことを持って、日本では男女差別はなかったとか、女性が尊重されていたと説く人もいる。
しかし、私の考えはこれとは違う。
神武が東征して畿内入りするよりも前に、畿内には物部氏の祖神であるニギハヤヒが天下っていて物部王朝があったのだと思う。
ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だったのだろう。
そこへあとから神武が東征してやってきた。
神武は畿内の人々を大量虐殺して大和の王になるのではなく、物部王朝をのっとって大和の王になることを選んだのだと思う。
記紀を読むと神武の東征軍は大軍であったとは思われないし、国が豊かに栄えるには多くの人民が必要なので、神武の判断は賢明であったといえる。
神武が物部王朝をのっとるにはどうしたらいいか。
物部王朝の王=天照大神を女性とし、自分がその女性と結婚して入り婿になればいいのだ。
記紀神話には入り婿になる話が多い。
天照大神の孫のニニギは葦原中国に天下ってオオヤマツミの娘のコノハナサクヤヒメと結婚しているし
ニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれたホオリ(山幸彦)は竜宮に行き、海神の娘・トヨタマヒメと結婚している。
これは神武が物部王朝に入り婿になったことを、神代に舞台をおきかえて創作したものではないだろうか。
こんなストーリーが思い浮かぶ。
物部王朝の王はだいだい天照大神としてあがめられる習慣があった。
九州から東征してやってきた神武は巧妙な手口で物部王朝の王を女性にした。
こうして天照大神は女神となった。
神武は天照大神とあがめられる物部王朝の女王と結婚し、入り婿となることで政権を物部氏より奪い取った。
天照大神が物部王朝の神で男神であるとすれば、男性の神武は同性の天照大神と結婚することができない。
当然、神武の子孫は天照大神の血をひいていないので、天照大神の子孫を名乗ることができない。
だが天照大神を女神とし、神武がその女性と結婚したとしよう。
神武の子孫の母親は天照大神なので、神武の子孫が天照大神の子孫と称してもウソではないということになる。
⑩邪馬台国は物部王朝?
邪馬台国を思い出す。
邪馬台国の女王・卑弥呼には男弟があり、本来ならばこの男弟が王となるべきだったのだろうが、卑弥呼が王となっている。
魏志倭人伝は女王は独身だと伝えるが、その一方で卑弥呼には宗女・トヨがいるとしている。
宗女・トヨがいるということは女王は結婚して子供があり、それがトヨなのではないか。
そして女王卑弥呼の夫が神武なのではないかと思う。
つまり邪馬台国とは物部王朝であったのではないかということである。
籠神社で発見された日本最古の系図では始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』と記されていた。
籠神社では始祖の彦火明命の別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも伝えている。
先代旧事本紀は天火明命とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと/ニギハヤヒ)と同一神としている。
つまり籠神社の系図は物部王朝の系図なのだ。
そして卑弥呼とは9代目の孫の日女命(ひめのみこと)に漢字を当てたものではないかと言われている。
日女命の別名は倭迹迹日百襲姫命とあるが、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓は魏志倭人伝に記された卑弥呼の墓と大きさが一致し、卑弥呼の墓ではないかともいわれている。
魏志倭人伝では卑弥呼の墓は円墳と記すが、箸墓は前方後円墳である。
しかし、箸墓と同時期の古墳で、あとから前方部を付け足したと思われるあとが見つかっており、箸墓も同様にあとから前方部を付け足した可能性が浮上している。
⑪復活した天照大神が八咫烏(黒鳥)、死んだヤマトタケルが白鳥?逆では?
話をもとにもどそう。
陰陽を表す対極図は陽を白、陰を黒であらわす。

太極図
ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。
さて、前回私は死んだヤマトタケルが白鳥になったという話をしたが、陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル
白鳥と黒鳥(八咫烏)は陰陽で対になっているように思える。
白は陽なので白鳥が陽、黒は陰なので黒鳥が陰だろう。
白鳥・・・・・・・・陽・・・死んだヤマトタケル
黒鳥’(八咫烏)・・・陰・・・死んで復活した天照大神
しかしなぜ死ぬと白で、死んだものが復活すると黒なのか?
陰陽表で生死の項目を見ると、生が陽なので白、死が陰なので黒となっている。
死んで復活すると生=陽=白となるように思えるのだが、
なぜ復活した八咫烏が黒で、死んだヤマトタケルが白なのか。
逆のように思えるのだが。
うーん?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD より引用

陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? へつづく~
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