人形の涙 市比賣神社 最終回 『私たちは天照大神を呪わされていた?』
人形の涙⑪ 加茂船屋 ひなまつり 『お雛様とお内裏さまは双子だった?』 よりつづく~
●三人官女=宗像三女神、五人囃子=勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘?
市比賣神社の創建は795年で、多紀理比賣命(たぎりひめ) 市寸嶋比賣命(いちきしまひめ) 多岐都比賣命(たぎつひめ)神大市比賣命(かみおおいちひめ)下光比賣命(したてるひめ)を祭っている。
私は三人官女とは多紀理比賣命・ 市寸嶋比賣命・多岐都比賣命(宗像三女神)、そして五人囃子は勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)・天之菩卑能命(あめのほひ)・天津日子根命(あまつひこね) ・活津日子根命(いくつひこね)・熊野久須毘(くまのくすび)ではないかと考えている。
この八柱の神々は天照大神とスサノオのうけいの子産みで生まれた神々である。
●古代流・濡れ場シーンの描写
記紀には次のように記されている。
天照大神はスサノオの刀を噛み砕き、ふっと息を吹き、ここから多紀理比賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命の三柱の女神が生まれた。
次にスサノオは天照大神の『みすまるの珠』を噛み砕き、ふっと息を吹き、ここからの五柱の男神、勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘が生まれた。
三柱の女神はスサノオの刀から生まれたのでスサノオの子、五柱の男神は天照大神の『みすまるの珠』から生まれたので天照大神の子とされた。
私はこの記述は古代流の濡れ場シーンの描写ではないか、と考えている。
刀は男性、珠は女性をあらわしているのではないだろうか。
市比賣神社のホームページにある系譜にもはっきりと、天照大神とスサノオは夫婦であると示されている。
http://ichihime.net/yuisho.html
●お雛様=天照大神、お内裏様=スサノオ?
三人官女が宗像三女神、五人囃子が勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘で
彼らが天照大神とスサノオのうけいの子産みで生まれた神々であるとすれば、お雛様は母神の天照大神、お内裏様は父神のスサノオなのではないか。
●宗像三女神=みたらし星、五柱の男神はすばる?
飛鳥昭夫さんも同じ指摘をされており、宗像三女神(多紀理比賣命・ 市寸嶋比賣命・多岐都比賣命)はみたらし星(オリオン座の三つ星)を神格化した神、勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘はすばるを神格化した神ではないかとおしゃっている。
宗像三女神がみたらし星を神格化したものだとする説は昔からある。
宗像大社は宗像市にある辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の神津宮の三社から成るのだが、この配置がみたらし星の配置に似ているというのがその理由である。
すばるはプレアデス星団の和名である。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/2c/Map_of_the_Pleiades.jpg
上記ウィキペディアの図を見ると、プレアデス星団はたくさんの星々から形成されるが、特に大きな星が5つある。
●スサノオは星の神?
オリオン座の三ツ星とすばるが天照大神とスサノオの子供だとすると、天照大神とスサノオも星の神なのではないか。
船場俊昭さんは「スサノオ(素戔嗚尊)とは輝ける(素)ものを失い(戔う/そこなう)て嘆き悲しむ(鳴/ああ)神(尊)」という意味で、はもとは星の神であったとしておられる。
イザナギが禊をし、左目を洗ったところ天照大神が、右目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオがうまれたと記紀には記述がある。
私はこの記述は陰陽思想の宇宙観に基づくものだと思う。
陰陽道の宇宙観では東(左)が太陽の定位置、西(右)が月の定位置、中央が星とするそうである。
(※地図では右が東で左が西だとおっしゃられるかもしれないが、正しくは向かって右が東、向かって左が西であり、地図の側に立てば左が東で右が西となる。)
イザナギの顔は宇宙に喩えられているのである。
するとイザナギの顔の真ん中にある鼻から生まれたスサノオは星の神となる。
●スサノオはアルタイル、天照大神はベガ?
天照大神は太陽の神のはずだが、うけいの子産みではスサノオと天照大神は天の安川を挟んで対峙している。
天の安川とは天の川ではないのか。
ということはスサノオは牽牛星(アルタイル)、天照大神は織女星(ベガ)ということになる。
●記紀は改竄されている?
なぜ太陽神である天照大神がベガという星の神なのか。
おそらく記紀は改竄されている。
そのため、このようにつじつまのあわないところがあるのだろう。
月の神である月読命が記紀の物語にほとんど登場しないのも改竄されているからだと思う。
陰陽思想で天体をみると太陽が陽、月が陰である。
性別では男性が陽、女性が陰なので、スサノオが太陽の神で天照大神が月の神であればつじつまがあう。
そして、太陽と月が結婚する(重なる)と日食で、日食になると昼なのに夜のように暗くなって星が見える。
太陽と月が結婚すると星の神になると考えられたのではないかと思う。
それで太陽神であるスサノオも、月神である天照大神もうけいの子産みをして(結婚をして)星の神(アルタイルとベガ)になったということではないだろうか。
●神大市比賣命は大市に葬られた姫?
市比賣神社の御祭神は多紀理比賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命・神大市比賣命・下光比賣命で、市比賣神社という神社名は神大市比賣命からくるものと考えられる。
古事記によれば、神大市比賣命は素戔嗚尊の妻であると記されており、市比賣神社の系譜でもそうなっている。
この神大市比賣命の『大市』という言葉には聞き覚えがある。
日本書紀に次のように記されている。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となったが、大物主神は昼は姿を見せず、夜になるとやって来た。
倭迹迹日百襲姫命は次のように言った。
『あなたは夜にしかいらっしゃらないので、お顔を見ることができません。今日はもうちょっと留まってお顔を見せて下さい。』
大物主神は『明日の朝はあなたの櫛函に入っていよう。しかし私の形を見て驚かないように。』といった。
朝になって、倭迹迹日百襲姫命は函を開けた。そこには麗しい小蛇がいた。
倭迹迹日百襲姫命は驚いて叫んだ。
大物主神は、『驚くなと言ったのに、私に恥をかかせたな。今度はお前に恥をかかしてやる。』と言って、大物主神は空を舞い三輪山を登っていった。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神が去る姿を仰ぎ見て悔い、座り込んだ拍子に、箸で陰部をついて死んでしまった。
こうして倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られ、墓は箸墓と呼ばれている。
倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られている。
神大市比賣命とは大市に葬らた神という意味ではないだろうか。
とすれば神大市比賣命とは倭迹迹日百襲姫命のことだということになる。
また、籠神社で発見された系図に、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』、『またの名を神大市姫命』、『日神ともいう』と記されていた。
籠神社の系図も神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命となって整合性がとれる。
そして籠神社の系図に記されている、日女命・日神とは天照大神のことだと思われる。
神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命=日女命=天照大神
●初代神武以前、畿内には物部王朝があった?
倭迹迹日百襲姫命は大物主命の妻であるが、大物主神は昼は姿を見せず、夜になるとやって来る神だった。
ということは大物主神は星の神なのだろう。
一方、船場俊昭氏は「スサノオ(素戔嗚尊)とは輝ける(素)ものを失い(戔う/そこなう)て嘆き悲しむ(鳴/ああ)神(尊)」という意味で、はもとは星の神であったとしておられる。
スサノオとは大物主神のことなのではないだろうか。
大物主神の正式名称は倭大物主櫛甕魂命という。
物部氏の祖神はニギハヤヒというが、この神名は『古事記』『日本書紀』によるもので、『先代旧事本書紀』天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまの ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)となっている。
櫛と魂(玉)が共通するところから、二神は同一神だとする説もがある。
天照國照彦天火明櫛饒速日尊=ニギハヤヒこそが本当の天照大神であるともいう。
初代神武は東征して畿内入りするにあたり「東にはニギハヤヒが既に天下っている。」と発言している。
ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれたウマシマジノミコトが物部氏の祖神だとされている。
ここから初代神武以前に物部王朝があったとする説がある。
神武が畿内入りしたのち、ニギハヤヒは神武に服している。
スサノオ=大物主神=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)
なのでスサノオとは物部氏の神だと考えられるが、天照大神もまた物部氏の神であると私は考えている。
●天照大神は天皇家ではなく物部氏の神だった?
籠神社の系図にある始祖の彦火明命は『先代旧事本紀』では、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神であるとしている。
彦火明命≒天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)
とすれば、彦火明命(=天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒ)の9代目の孫にあたる日女命(=天照大神=倭迹迹日百襲姫命=神大市比賣命)は物部氏の神だといえる。
第11 代垂仁天皇の第4皇女である倭姫命は天照大神を祀るのにふさわしい土地を求めて各地を転々としたが、伊勢についたとき天照大神が『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰(よ)する国なり、かた国の【うまし国】なり、この国に居(お)らむとおもう』と託宣している。
【うまし国】という表現は、物部氏の祖神である『ウマシマジノミコト』を思わせる。
※便宜上、スサノオ=大物主神=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)と記したが、スサノオは日女命の弟なので、正しくはニギハヤヒの子孫で大物主神と同一神だということになる。
●神武の物部王朝乗っ取り計画と女性の太陽神
天皇家の祖神・天照大神は女神だが、太陽神が女神というのは珍しい。
しかし日本でも本来の太陽神は男神の天照國照彦天火明櫛饒速日尊=ニギハヤヒで男神だったのだろう。
そして代々ニギハヤヒの子孫が天照大神として皇位につく習わしだったのだと思う。
そこへ、日向から初代天皇の神武がやってきたが、皇位につくことができるのは天照大神=ニギハヤヒの血を引くものだけだというルールがあったのではないだろうか。
神武はひらめいたのだろう。「女性を天照大神にすればいいのだ。そして私が天照大神と結婚し、今後は私のy遺伝子をひきつぐ男子のみに皇位継承させればいい。こうして私は物部王朝を乗っ取ることができるのだ!」
●私たちは天照大神を呪わされていた?
もともと雛祭りとは息を吹きかけて穢れを移し、人形を川や海に流すものだった。
その身代りとしての役割を担うのに、物部王朝の姉弟はぴったりではないか。
私たちは夏越の祓や雛流しにおいて、みながそうするのにならって、人形に息を吹きかけて川や海に流す。
しかし、その人形とは実は物部王朝の姉弟である天照大神とスサノオなのではないか。
私たちは人形流しをすることで、スサノオだけでなく天照大神を呪わされていたのではないだろうか?
ながながとお付き合いくださいまして、ありがとうございました。
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