カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? よりつづく~ 大阪府交野市 交野妙見宮 星田妙見宮①星の町・交野ヶ原大阪府枚方市・交野市あたりは古には交野ヶ原と呼ばれており、平安時代の歌人・在原業平がこんな歌を詠んでいる。 狩りくらし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に われは来にけり (狩りをしていてすっかり日が暮れてしまった。今夜は織女姫に宿を借りることにしよう。我々は天の川の河原にやってきたのだから。)
この歌は在原業平が惟喬親王の狩りのお供をして、渚の院(大阪府枚方市)で詠んだ歌とされる。 京阪御殿山駅の東北に渚の院跡があり、その1kmほど南に天野川という川が流れている。 天野川をはさんで中山観音寺跡(観音山公園)と機物(はたもの)神社があり、中山観音寺跡はアルタイル(牽牛星・彦星)、機物神社はベガ(織姫星)を表しているとされる。 中山観音寺跡近くにて上の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側香里ヶ丘中央公園の南あたりに観音山公園がある。 郡津駅の西側を南北に流れる川は天野川。
機物神社 中山観音寺跡また天野川をずっと遡っていくと磐船神社があり、物部氏の祖神・ニギハヤヒが降臨した場所だとされているが『雲陽誌』には『ニギハヤヒは星の神である』と記されている。 星田・星が丘など星の字のつく地名も多く、星田神社・天田神社・星の森などもある。 今日、お話しする星田妙見宮もここにある。 星田妙見宮 絵馬堂 ②2組あったアルタイルとベガに模した寺社
妙見山の頂上近くに星田妙見宮の拝殿があり、その奥に織女石が祀られている。 本殿はない。たぶんこの織女石が御神体なのだろう。 星田妙見宮 織女石(たなばたいし)星田妙見宮から天野川を挟んだ対岸には天田神社があり、天田(豊に実る田)の神を祀っている。 そして、この天田は牽牛が耕す田で、対岸の織女石は織姫であると考えられたという。 天田神社 天田神社付近の田圃最近の田おこしは耕運機で行うことがほとんどだが、昔は牛に犂(すき)をひかせて行っていた。 牽牛とは牛を牽いて田を耕す神というわけだ。
飛鳥坐神社 おんだ祭 天狗が牛に犂をひかせて田を耕すシーンつまり、交野ケ原には2組のアルタイルとベガに模した寺社があったということである。 (中山観音寺&織物神社、天田神社&星田妙見宮) ③隕石が落下した山 816年、ここに隕石が落ちたことで山が吹き飛ばされ、馬蹄形になっていると説明版に記されている。 落ちたのはペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タッフル彗星からの隕石だと考えられているようだが、 これは星田妙見宮に伝わっていることで、正史に記録があるというわけではなさそうである。 星田妙見宮 登龍の滝 (わかりづらいですが、写真向かって左の黒っぽく見える縦の筋あたりに水が流れ落ちています。)ちなみに星田妙見宮には隕石が落ちてきたという伝説はあっても、本物の隕石が存在しているわけではないようである。 ④古の人々は巨石を空から落ちてきた星だと考えた?『雲陽誌』には『星降って石となる』という古語があると記されている。 それが隕石であるかどうかは別にして、古の人は巨岩を空から落ちてきた星だと考えたのではないだろうか。  上の写真は①でご紹介した磐船神社の御神体・天の磐船である。 磐船神社の御祭神はニギハヤヒという物部氏の祖神で、ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったとされる。 この石は隕石ではないが、古の人は巨石を空から落ちてきた星であると考え、 「ニギハヤヒがこの天の磐船を操って地上に天下った」という物語を創作したのではないだろうか。 ⑤物部氏は製鉄鍛冶技術に長けていた?
古事記には天津麻羅(あまつまら)という神が登場する。 先代旧事本紀には次のように記されている。 「倭の鍛師(かなち)等の祖、天津真浦(あまつまうら)」 「物部造等の祖、天津麻良(あまつまら)、阿刀造等の祖、天麻良(あめのまら)」 阿刀氏はニギハヤヒの子のウマシマジノミコトを祖神とする氏族である。 物部氏はニギハヤヒを祖神としているので、同族と考えていいだろう。 鍛師は鍛冶師のことだと思う。 ここから物部氏は製鉄や鍛冶の技術に長けた氏族だったのではないかと想像される。 上はたたら吹きの様子を撮影した動画です。(動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。) 映像が大変美しいです。この動画を見るとわかるようにたたら製鉄は燃えあがる炎の中で行われる。 このたたら製鉄の様子が、夜空に光る星に喩えられたのではないかという説がある。 そして交野ヶ原のあたりには肩野物部氏が住んでいた。 肩野物部氏がたたら製鉄を行っていたため、交野ケ原は星の字のつく地名がたくさん残されているのではないだろうか。 ⑥妙見大菩薩はたたら製鉄の神だった?
星田妙見宮の御祭神はアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビだが、星田妙見宮の栞によるとこれらの神々は、「仏教では北辰妙見大菩薩、道教では太上神仙鎮宅霊符神という」と書いてある。 http://www.raifuku.net/special/wolf/details/myoken1.htm↑ こちらに妙見星神の図像が掲載されている。 妙見星神の上に描かれている星を描いてみた。↓ 上の三つ星は婁(たたらほし/ おひつじ座β星)下の七つ星は北斗七星だと思う。 二十八宿 ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Twenty-eight_mansions.jpg?uselang=ja )よりお借りしました。たたらというのは古代の製鉄にもちいる鞴(ふいご)のことで、たたら製鉄という言葉もここからくる。  ウィキペディアよりお借りした鞴(たたら)の図です。 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bellows_2_(PSF)_generalized.png?uselang=ja作者は Pearson Scott Foresmanさんです。ありがとうございます。 鞴はこのように三角形の構造になっているので、それに似ているということで「たたらほし」というのではないかと思う。 頭上にたたらぼしを戴く妙見星神(妙見大菩薩)はたたら製鉄の神なのではないだろうか? ②北斗七星の形に配置されない北斗七星の神々大阪府交野市の星田妙見宮にはみほとけのお姿をした 貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が境内の七か所に置かれていた。 星田妙見宮 禄在星の像この貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星は北斗七星を形成する星々であるが、北斗七星の形にはなっていなかった。 どうやら、北斗七星は変形されることがあるらしい? 星田妙見宮 境内図 (案内板より)⑥形を変えられた北斗七星? 星田妙見宮 旗のデザイン 上の写真は星田妙見宮にあった旗に描かれていたイラストを撮影したものである。 亀に蛇が巻き付いているのは、北方守護の聖獣・玄武の特徴である。(南は朱雀・東は青龍・西は白虎) 
新日吉神社 神幸祭の際、撮影した玄武。矛の飾り布についていたものです。そして、その玄武の上に渦を巻く七つの星が描かれてる。 妙見信仰にはしばしば北極星だけでなく、北斗七星に対する信仰も含まれる。 星田妙見宮にも北斗七星の神・貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が置かれており、ここに北斗七星信仰があったことがうかがえる。 すると上のイラストに描かれた渦を巻く七つの星は、形は違っているが北斗七星なのではないだろうか。 玄武(亀+蛇)の亀の部分は北極星を、玄武(亀+蛇)の蛇の部分は、北斗七星を表しているのではないだろうか。 とすれば北斗七星は変形させた形で描かれたということになるが、これはなぜだろうか。 北斗七星は北極星の周囲をまわる。 そのため、亀になぞらえた北極星の周囲を蛇がとりまくという形に変形されたのではないかと思ったりする。
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 よりつづく~ 京都市右京区 龍安寺 ①龍安寺石庭 四つの謎龍安寺の石庭には四つの謎があるといわれている。 い.刻印の謎。石の裏側に文字が彫られている。 ろ.15個の石の構成の謎。『虎の子渡しの庭』『七五三の庭』などとも呼ばれている。 は.遠近の謎。塀が奥に向かって低くなっているので、庭が広く見える。 に.油土塀の謎。塀の内側にある石庭は、塀の外よりも80cmほど高くなっている。 ②虎の子渡しの庭
虎の子渡しの庭と呼ばれるのは、次のような説話からくる。 3匹の子虎がいて、その中の1匹がどう猛だった。 そのため、母虎は常にその獰猛な子虎を見張っていないと、他の子虎を食ってしまいかねない。。 虎の親子はどうしても大河を渡る必要があるが、母虎は一匹づつしかくわえて渡れない。 母虎はまず獰猛な子虎を向こう岸に渡して引き返した。 次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に渡し、どう猛な子虎を連れて引き返した。 次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡り、二匹を残して引き返し、最後に獰猛な子虎を渡した。 石庭はこの様子を表したものだというのだ。 石の塊は向かって左前から5個、2個、3個、2個、3個だが、これがなぜ虎の子渡しの物語を表しているといえるのだろうか? 私には全く理解できない。
③七五三の庭
『七五三の庭』と呼ばれるのは、15の石が東から7・5・3で構成されているだという。
手前のふたつの塊を足すと5+2=7 三つ目と四つ目の塊を足すと3+2=5 残る五つめの塊が3となる。
『虎の子渡しの庭』よりはだいぶましだが、やはりこじつけた感はいなめない。
④龍安寺石庭はカシオペア座を表している?
明石散人さんが龍安寺の石庭とはカシオペア座を表したものではないか、という説を説いておられるそうだ。(龍安寺石庭の謎/講談社文庫) まだ読んでいないのだが、龍安寺石庭がカシオペア座を表したものだというのは、なるほど、と思う。
カシオペア座は天の川の中にある。 石庭の砂につけられた筋は天の川の流れを表しているのだろう。  そしてできるだけ広大な天の川のイメージに近づけるため、塀を奥に向かって低くなるように設計した(は.遠近の謎)のではないだろうか。 ⑤石庭とカシオペア座の向きが左右逆転している理由石庭もカシオペア座もアルファベットのМの形をしているが、石庭は向かって左側が広いのに対し、カシオペア座は向かって右側が広くなっている。 しかしそれは地球上から人間がカシオペア座を見た場合だ。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 上の記事で書いたように、古の人々は、自分本位に左右を考えるのではなく、薬師如来の立場になって左右を考えた。 それゆえ、薬師如来の左手側に日光菩薩、右手側に月光菩薩を配したのだ。(参拝者から見れば向かって右が日光菩薩、向かって左が月光菩薩)
天球(地球を中心としその上に広がる空を球と見立てたもの。惑星や恒星は天球上にはりついていると考える。)の上に神様がいるとして、神様が天球の上からカシオペアを見たとすると、私たちが地球上から眺めるのとは左右逆転したカシオペア座(向かって右側が広い)が見えるはずだ。
⑥石庭は天球、石庭を見下ろす広縁は天上『石庭の謎 に』は『塀の内側にある石庭は、塀の外よりも80cmほど高くなっている。』だった。 塀の外を地上、石庭は天球をあらわすため、石庭を塀の外よりも高くしたのではないかと思う。 もしも塀の外から透視して石庭を見上げることができるとすれば、石庭はカシオペアと同じ様に、向かって右側が広いM字型に見えるでだろう。 拝観者石庭を眺める広縁はカシオペア座や天の川よりもさらに高い位置にあり、天上をあらわしているのではないだろうか。 つまり広縁に立つものは、天上人というわけである。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑦ 変形される北斗七星 につづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術④ 鳴門の渦潮 『国生みは鳴門の渦潮で行われた?』 よりつづく~ 奈良市西ノ京町 薬師寺 薬師三尊像(薬師寺) https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ATriad_of_Yakushi_Nyorai.JPG https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Triad_of_Yakushi_Nyorai.JPG よりお借りしました。 作者 日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で①薬師三尊像仏像の安置形式に薬師三尊像がある。 中央に薬師如来を置き、薬師如来の左は日光菩薩、薬師如来の右には月光菩薩を配置するものである。 薬師如来は南向きに安置されている。 従って薬師如来の左にある月光菩薩は東に、薬師如来の右にある月光菩薩は西に安置されていることになる。  ②『左』と『向かって左』の違い。もしかすると、こんな風に思われる方がいるかもしれない。 「地図では東は右で、西は左だ。薬師如来の左が日光菩薩で右が月光菩薩というのは間違いではないのか。」と。 しかし、「東は右で、西は左」というのは正確には「向かって東が右で、向かって西が左」なのだ。 私たちは自分本位に自分の右手の側にあるものを右、左手の側にあるものを左と言いがちだが、 古の人々は、自分本位に左右を考えるのではなく、薬師如来の立場になって左右を考えた。 私たちと薬師如来は対面しているので左右が逆になる。 地図を見る場合にも私たちと地図は対面する形になる。 地図の側に立てば、東は左で、西は右となる。 ③薬師三尊像は陰陽道の宇宙観に基づいて配置されている? 左(東) | 太陽 | 日光菩薩 | 中央 | 星 | 薬師如来 | 右(西) | 月 | 月光菩薩 |
陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置・西を月の定位置・中央を星とするそうである。 もしかすると薬師三尊像はこの陰陽道の宇宙観に基づいて配置されているのではないか。 とすれば、中尊の薬師如来は星の神ということになる。 ④イザナギは宇宙を神格化した神だった。
日本書記や古事記に次のような話がある。 黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしたとき、左目を洗うと天照大神が、右目を洗うとから月読命が、鼻を洗うとスサノオが生まれた。この記述もまた、陰陽道の宇宙観に基づくものではないだろうか。 イザナギの顔が宇宙なのだ。 ⑤スサノオは星の神だった。
左目(東) | 太陽 | 天照大神 | 日光菩薩 | 鼻(中央) | 星 | スサノオ | 薬師如来 | 右目(西) | 月 | 月読命 | 月光菩薩 |
とすればイザナギの顔(=宇宙)の中心にある鼻から生まれたスサノオは星の神だということになる。 船場俊昭さんは、「素戔鳴尊(スサノオノミコト)は、これは輝ける(素)ものを失って(戔)ああ(鳴)と嘆き悲しむ神(尊)という意味で、スサノオはもともとは星の神だったのが、のちに星の神という神格を奪われたのてはないか。」とおっしゃっている。 また日本では神仏は習合されていたので、天照大神は日光菩薩と同体、月読命は月光菩薩と同体、スサノオは薬師如来と同体と考えられていたのではないかと思う。 星の神・スサノオは太陽神・天照大神よりも上位の神だったのだ。 ⑥イザナギは天の神、イザナミは地を神格化した神⑤で私はイザナギは宇宙を神格化した神だと書いたが、この宇宙という言葉は天という言葉に置き換えてもいいだろう。 そして、 渦巻きの呪術④ 鳴門の渦潮 『国生みは鳴門の渦潮で行われた?』 でお話ししたように、鳴門の渦潮はイザナミの女陰だと考えられるので、イザナミは地(地球)の神だということになる。 また陰陽思想では天や男は陽、地や女は陰と考える。 陰陽思想から考えても、イザナギを天の神・イザナミを地の神と考えるのは辻褄があっているように思える。 陽 | イザナギ | 天 | 天=宇宙 | 陰 | イザナミ | 地 | 鳴門の渦巻きはイザナミの女陰 |

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』 よりつづく~
徳島県鳴門市 渦潮
①大鳴門橋淡路島と四国をつなぐ大鳴門橋。 大鳴門橋の手前が四国の徳島県鳴門市、橋の向う側が淡路島である。 橋の下には鳴門の渦潮が渦巻いているはずだったのだが、風が強い日だったせいか、きれいな渦潮を見ることができなかった。 ②仁徳天皇、淡路島で歌を詠む。淡路島で仁徳天皇がこんな歌を詠んでいる。
天皇、その黒日売を恋ひたまひて、大后を欺 かして、淡道島を見たまはむとのりたまひて、幸でませる時に、淡道島に坐して遥(はろばろ)に望む(みさ)けまして歌ひたまはく おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 淡島 ・自凝(おのごろ)島 ・檳榔(あじまさ)の島も見ゆ 放つ島見ゆ
仁徳天皇は黒姫を恋い、大后を欺いて「淡路島を見ようと思う」と言い、行幸されたとき、淡路島に座って遥かを望み、歌いなされた。
難波の崎から、船出して、わが国を見ると、淡島 ・自凝(おのごろ)島 ・檳榔(あじまさ)の島も見える。放つ島も見える。
「おしてるや」は難波の枕詞、「自凝島」はイザナギとイザナミが天の浮橋で矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってできたとされる島だ。 この自凝島でイザナギとイザナミは国生みをしたという。
淡島はイザナギとイザナミが国生みをした際、蛭子の次に産んだ島。 檳榔(あじまさ/ビロウ)は蒲葵(ほき/シュロに似た木)の古名。 檳榔の島とは、この蒲葵が多く生い茂っている島のことだろうか。 放つ島は離れ島とされる。

ビロウ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%83%93%E3%83%AD%E3%82%A6.jpg よりお借りしました。
③淡島は友ヶ島?
淡島は和歌山県加太市の淡嶋神社の沖にある友ヶ島ではないだろうか。
神功皇后はこの友ヶ島に祀られていた少彦名命と大己貴命の御加護を得て海難事故を免れたという。 その後、神功皇后の孫の仁徳天皇が友ヶ島から対岸の加太に社を移したのが加太の淡嶋神社だといわれている。
下の地図に沖ノ島とあり、その北に小さな丸い島がある。 拡大してみると、神島(友ヶ島)と島の名前が明記されている。 おそらくこれが友ヶ島だと思う。
神島の西には淡路島があり、淡路島から神島を望むことができそうである。
アジマサの島、離つ島はどの島のことなのか、私にはわからない。

淡嶋神社
④おのごろ島は鳴門の渦潮の近くにある島?
自凝島=おのごろ島は淡路島であるなどと言われることがある。 しかし、イザナギ・イザナミがおのごろ島で交わって、蛭子・淡島の次に産んだのが淡路島だとされているので、おのごろ島が淡路島であるというのは矛盾している。
私はおのごろ島は鳴門の渦潮の近くにある島のことではないかと思う。
②で私は次のように書いた。 自凝島(おのごろ島)はイザナギとイザナミが天の浮橋で矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってできたとされる島であると。
この「こおろこおろと海をかきまぜた」という表現は、鳴門の渦潮が回転するようすを比喩的に表したものなのではないだろうか?
鳴門の渦潮が発生するちょうど真上あたりに大鳴門橋があり、まるで大鳴門橋は天の浮橋のように感じられる。
この大鳴門橋の真下に小さな島があるが、もしかするとこの小さな島がおのごろ島なのかもしれない。
⑤鳴門の渦潮はイザナミの女陰?
鳴門の渦潮を見ながら、私は璉珹寺の庭に描かれた渦巻きを思い出していた。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』


裸形のみほとけの股間には、うずまき形の馬陰相または蓮花形の蓮花相をつけるのが一般的なようである。
http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html 上記リンク先、奈良国物博物館所蔵の阿弥陀如来は拡大して見ると、股間に蓮の花のようなものが見える。 これが蓮花相だろう。 (写真をクリックし、右上に表示されている+マークを数回クリックすると拡大します。) 馬陰相のみほとけの写真はネット上に見つけることができなかった。
新薬師寺のおたま地蔵は男根を思わせる蓮のつぼみ、鎌倉市・延命寺の身代わり地蔵はリアルな女陰など例外もあるが。
璉珹寺には女人裸形の阿弥陀如来があるのだが、胸はふくらんでいない。 http://naratour.blog.jp/archives/1028868554.html ←こちらのサイトに写真があります。
とすると、身に着けた袴の下に女性であることをしめす相があるのではないか。 そして、庭に描かれた渦巻きは馬陰相であり、女人裸形の阿弥陀如来の股間にこのような渦巻きが描かれているのではないかと私は考えた。 袴をめくって確認することはできないので、推測するしかないのだが。
つまり、一般的には馬陰相や蓮花相は性の違いを表すものであるとは考えられていないが、 渦巻きを描く馬陰相は女性を、蓮花を描く蓮花相は男性を表しているのではないかと私は考えているのだ。
あるいは延命寺の身代わり地蔵のように、璉珹寺の女人裸形の阿弥陀如来の股間は盛上げ(写実的に女陰を描いたもの)になっているのかもしれないが 右回りの渦巻きは女性を表すとして、庭に渦巻きを描いているのかもしれない。 すると、巨大な渦巻き・鳴門の渦潮は女神イザナミの女陰になぞらえられているのではないだろうか。 子供は生まれるとき、ほとんど右回りに回って産道から出てくるが、鳴門の渦潮はほとんど右回りだという。 (私が訪れたときは左回りの渦潮も結構たくさん発生していたが。) カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 よりつづく~ 奈良市西紀寺町 璉珹寺 ①女人裸形の阿弥陀如来初夏の日差しの中、可憐な薄紫色の花が咲いていた。茉莉花である。 その薄紫色に誘われるように私は寺門をくぐった。 寺の名前は璉珹寺。 紀寺の跡とも言われ、女人裸形の阿弥陀如来立像を御本尊としている。 伝香寺の「はだか地蔵」、新薬師寺の「おたま地蔵」と同じく裸形のみほとけで、布で作った袴をはかせてあるのだ。 50年に1度、独身の女性によって袴が取り換えられるのだという。 http://naratour.blog.jp/archives/1028868554.html ←こちらのサイトに写真があります。 清楚な印象のみほとけで、門前の茉莉花とイメージがだぶる。 ②璉珹寺の阿弥陀如来の袴の下はどうなっているのか。
璉珹寺の阿弥陀如来はなぜ女人とされているのか。 江の島の 江島神社・妙音弁財天像にはセクシーな胸のふくらみがあるが、璉珹寺の阿弥陀如来には胸のふくらみはない。 とすれば、身に着けておられる袴の下、つまり股間にこの仏さまが女人であることを示すものがあるのではないか。 伝香寺 はだか地蔵伝香寺のはだか地蔵には陰蔵相(体内に男性のシンボルが納められている。)がついているということだった。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 新薬師寺のおたま地蔵の股間にははっきりと男性のシンボルをあらわしたものとわかる蓮のつぼみがついてた。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 それでは璉珹寺の阿弥陀如来の股間はどうなっているのだろうか。 もちろん袴をめくってみることはできないので、確認ができない。 ③盛上げ鎌倉市・延命寺に「身代わり地蔵」と呼ばれる像がある。 http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=3 (サイト中ほど) 上記サイトはこの「身代わり地蔵」について、次のように記している。 い・堀口蘇山はこの像を北条政子像としている。 ろ・この像は関東大震災で破損し、その翌年、明珍恒男が修繕した。 は・修繕前の股間は「盛上げ」だった。 に・明珍恒男は「盛上げ」を再現せず、裸形の仏像によくある陰相も蓮花相にもせず、その部分に粘土をちびっとつけた。 文章の中でこの像には『人間的な女陰」があったと記されているので、「盛上げ」とは女陰をリアルに表現したものだと考えられる。 璉珹寺の阿弥陀如来の股間にも延命寺と同様の「盛上げ」つまり女陰をリアルに表現したものがついているのだろうか? ④渦巻きを巻くのが馬陰相、蓮花がついているのが蓮花相また「他の裸形地蔵像のように股間に渦巻きを描く 馬陰相にするか、蓮花をくっつけた蓮花相にするかで迷ったのだが、( http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=3 より引用)」とある。 http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html上記リンク先、奈良国物博物館所蔵の阿弥陀如来は拡大して見ると、股間に蓮の花のようなものが見える。 これが蓮花相だろう。 (写真をクリックし、右上に表示されている+マークを数回クリックすると拡大します。) また残念ながら今ぐぐってみても見つからないのだが、股間に渦巻きを描いた仏像を見た記憶もある。こちらが馬隠相だろう。 http://cotoba.sijisuru.com/Knowledges/disp?accept_lang=jp&Request=3&Select_Str=%E9%99%B0%E9%A6%AC%E8%94%B5&Select_Pos=0&Select_Cat=%E8%A8%80%E8%91%89&Select_Lang=jpn&Select_LG=0&PageNum=1上のサイトには陰馬蔵(オンメゾウ)について「仏像などでは渦巻き状の模様が描かれている。」と説明があり、 「陰蔵(オンゾウ)」,「陰蔵相(ソウ)」,「陰馬蔵相」,「陰蔵如馬王(ニョメオウ)」とも呼ぶ。」とも記されている。 馬陰相という言葉は出てこないが、どちらも渦巻きを描くというので、たぶん同じものだと思う。 (御存知の方、教えてください!) ⑤馬陰相が描かれた庭そんなことを考えながら門を出ると、門にこんな張り紙が張られてあるのに気がついた。↓  張り紙に描かれているようなうず巻きがお庭の砂にも描かれていた。 これは馬隠相ではないのか? ●馬隠相は女形をあらわしている?庭の渦巻きは右回りだった。 そして、赤ちゃんは生まれてくるとき、右回りに回って産道をおりてくる。 裸形の仏像の股間に描かれる渦巻(馬陰相)は女形なのではないだろうか。 そして蓮花をつけた蓮花相は男形なのでは? 璉珹寺の庭に渦巻きが描かれているのは、御本尊の女形の阿弥陀如来像の股間にこのような渦巻きがついているからではないか? あるいは延命寺の身代わり地蔵のように、盛上げ(写実的に女陰を描いたもの?)になっているのかもしれないが 右回りの渦巻きは女性を表すとして、庭に渦巻きを描いているのかもしれない。 新薬師寺のおたま地蔵の股間には男根を思わせる蓮のつぼみがついていたが、これはを体内にしまい込まれていた蓮花(蓮花相)をひっぱりだした形ということで、そういう形に作られているのではないだろうか。
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 よりつづく~
奈良市高畑町 新薬師寺
①眼病治癒に霊験のある寺
4月8日はお釈迦様の誕生日で、各地の寺院でお釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」が行われる。 新薬師寺の境内では菊桃の花が満開で、まるで「花まつり」のお供えのようだった。 本堂中央には御本尊の瞳の大きな薬師如来が鎮座されている。  新薬師寺 薬師如来坐像 https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ABhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/Bhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg よりお借りしました。 作者 撮影・小川一真 (http://webarchives.tnm.jp/archives/cat/database) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由新薬師寺は745年に聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して建立されたという伝承があり、眼病治癒に霊験あらたかとされてきた。 そういったところから、瞳の大きな薬師如来が作られたのだろう。 薬師如来の周囲を「東洋のギリシャ」と称される十二神将が囲んでいる。 十二神将は躍動感にあふれ、今にも動き出しそうだ。 新薬師寺の伐折羅大将(迷企羅大将)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ABasara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/Basara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG よりお借りしました。 作者 日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で②景清地蔵とおたま地蔵本堂を出て香薬師堂に入ると、二体の地蔵菩薩が並んでいた。 この地蔵菩薩が今日の話の主人公、景清地蔵とおたま地蔵である。 景清地蔵と呼ばれているのは、次のような伝説によるものである。 悪七兵衛影清(藤原景清)は大仏開眼供養に参列するため奈良にやって来た源頼朝を殺そうと企て、東大寺大仏殿に潜んでいたが頼朝を殺すことができなかった。 景清は等身大の地蔵を刻み、自分の身代わりにと母親に渡し、自分は目をついて死んだ。この地蔵菩薩はもともと新薬師寺にあったものではなく、1869年に近くの地蔵堂から移されたものだという。  新薬師寺 修二会の松明
③景清地蔵とおたま地蔵はもともとは1体だった。現在、香薬師堂には2体の地蔵菩薩像が並べて安置されているが、もともとこの2体は1体の地蔵菩薩だった。 1983年にこの地蔵菩薩の解体修理を行った際、像内部から体部が発見された。 つまり、もともとは裸形の地蔵菩薩でその上に着物を着せていたのを、後になってその像の上に木で作った着物を被せたものだということが判明したのだ。 胎内からは文書が発見され、これにより、興福寺別当・実尊の追善を目的として弟子の尊遍が造らせたものであることがわかった。 そしてこの地蔵菩薩から、体部をとりだし、頭部などをおぎなって2体の地蔵菩薩としたのである。 着物を着た地蔵菩薩はそれまでどおり景清地蔵、景清地蔵の内部からとりだした裸形の地蔵菩薩はおたま地蔵と呼ばれている。 ④おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!裸形のおたま地蔵のほうには股間に蓮のつぼみがついていた。 http://www.webchikuma.jp/articles/-/439 http://chabashira.sowzow.com/juumin/19usagi/usagi_024.html(←こちらのサイトに写真が掲載されています。) ⑤木造の着物を貼りつけておたま地蔵の蓮のつぼみを隠した尊遍「もともと裸形で着物を着せていたのが、いつしか着せ替える人がいなくなり、木の衣を作って着せたのではないか。」 薬師寺で私はそのような説明を受けた。 http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=2↑ こちらのサイトでは「おたま地蔵は実尊の姿を映したものであり、この像を作った尊遍は、自分の死後に、この丸裸の像を丸裸で残すことを心配して木造の着物を貼りつけたのではないか」とする水野敬三郎氏の説を紹介している。 私は水野敬三郎さんの説のほうを支持する。 仏さまの陰蔵相は、男根が馬のように体内におさめられた相とされている。 伝香寺のはだか地蔵もそのような形につくられているものと考えられる。 しかしおたま地蔵の股間についた蓮のつぼみは、体内におさめられていない。 このような裸形のみほとけは珍しいと思う。 おたま地蔵は異例の像だといえるのではないか。 あるいは、おたま地蔵は禁断の像であるといってもいいかもしれない。 尊遍はどのような目的でこの禁断の像を作ったのか。 http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=2 ↑ こちらのサイトがいうように、実尊と尊遍はBLの関係にあったのかもしれないし、 BLとは関係なく何か呪術的な目的でこのような像を作ったのかもしれない。 いずれにせよ、あまり人に見せたくないものであったので、木造の着物を貼り付けて隠したのではないだろうか。 日が暮れると、修二会のお松明の行事が行われた。 勢いよく燃える炎をながめながら私はそんなことを考えていた。  渦巻きの呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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奈良市小川町 伝香寺
①散り椿
伝香寺中門を潜り、狭い通路を歩いていくと通路の脇に椿の大木がある。 椿は通路の苔の上にそのピンク色の花びらを散らせていた。 椿の花は花弁が基部でつながっており、花びらがばらばらにならず、繫がったままでぼとりと落ちるものが多い。 伝香寺の椿は花びらが1枚1枚散る珍しいもので、「散り椿」と呼ばれている。 ②戦国大名・筒井氏の菩提所伝香寺はもとは鑑真の弟子・思託が創建した実円寺があったところで、 1585年に戦国大名の筒井順慶の母・ 芳秀尼が順慶の菩提を弔うために実円寺を再興し、伝香寺と号したと伝わる。 筒井順慶は織田信長・豊臣秀吉に仕え、大和筒井城主、大和郡山城主をつとめたが、36歳の若さで亡くなっている。 郡山城 桜椿の花は花がそのままぼとりと落ちるところが、首が落ちるのを思わせるとして忌まれた。 伝香寺に花びらが1枚1枚散る「散り椿」が植えられたのは、筒井氏が武家のため、斬首を思わせる通常の椿を嫌ったためかもしれない。 この「散り椿」は別名を「武士椿」ともいう。 ③裸形・着衣の地蔵菩薩散り椿の花を見ながら狭い通路を右に折れると小さな地蔵堂がある。 お寺の方が地蔵堂の鍵をあけ、扉を開けてくださった。 どうやら参拝者がくるたびに開扉しているらしい。 できるだけ仏さまの劣化を防ぎつつ、参拝者にも楽しんでもらおうという伝香寺さんの配慮なのだろう。 地蔵堂の周囲にめぐらした柵の向こう側はいさがわ幼稚園のグラウンドになっている。 子供たちが走り回って歓声をあげる光景は、「寺らしくない」「風情がない」といえばそのとおりかもしれない。 しかし、私は子供たちの声をほほえましく聞いた。 春先の柔らかい陽射しに照らされたお地蔵さまも、子供たちの声を聴いて心なしか微笑んでおられるように見える。 地蔵菩薩は子供を守ってくださるみほとけ、子供が大好きなほとけさまなのだ。 この地蔵菩薩は「はだか地蔵」とよばれ、裸形の上に着物を召しておられる。 鎌倉時代にはこのような着せ替え人形のような仏像が流行った。 毎年7月23日に御更衣法要が行われ、新しい着物に着せ替えられるとのことである。 ④陰蔵相の地蔵菩薩伝香寺の裸形の地蔵菩薩は陰蔵相(おんぞうそう)といって、男根が体内に密蔵されているそうである。 ほとけさまは中性だと言われるので、そのような形になっているのだろうか。 馬は男性のシンボルが体内に隠されているところから、陰蔵相のことを馬陰蔵相ともいう。 このお地蔵様はもちろん文化財であるので拝観者が手を触れることは許されない。 なので着物をめくって確認することなど当然できないのだが 伝香寺の地蔵菩薩の股間には円相が描かれていると記されたサイトもあった。 円相とは禅の書画で一筆で円を描いたもののことである。 つまり、伝香寺の地蔵菩薩の股間には円が描かれており、 陰蔵相(馬陰蔵相)と呼ばれるものはこの円のことなのだろうか? 7月23日の御更衣法要に参加すれば確認できるかもしれないので、機会があれば参加してみたいと思う。 ⑤奈良国立博物館所蔵の阿弥陀如来の蓮華形奈良国立博物館所蔵の阿弥陀如来立像も裸形である。 http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html拡大してみると、股間に円形が描かれ、周囲に花びらのようなものがついている。 調べてみたところ、股間についているのは蓮華形とのことである。 また、ネットで股間に渦巻きのついた仏像を見たことがある。 陰馬蔵というそうである。 http://cotoba.sijisuru.com/Knowledges/disp?accept_lang=jp&Request=3&Select_Str=%E9%99%B0%E9%A6%AC%E8%94%B5&Select_Pos=0&Select_Cat=%E8%A8%80%E8%91%89&Select_Lang=jpn&Select_LG=0&PageNum=1伝香寺の地蔵菩薩は陰蔵相で、陰蔵相は別名を馬陰蔵相というと、④に書いた。 陰蔵相(馬陰蔵相)と陰馬蔵が同じものなのかどうかわからない。 (詳しい方、教えてください!)
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 につづく~
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 ある女性市議が赤ちゃんを連れて議場に入ったというニュースがありました。 ああいうニュースは「ほのぼのニュース」として報じられてもいいような事だと思ったなあ~。 たとえば、議員さんたちがじゅんぐりで赤ちゃんを抱っこしたりとか いつもは眉間にしわをよせてるようなおじさん議員が、「べろべろばあ~」とオモシロイ顔をしているとか。 泣いてる赤ちゃんを男性議員たちが懸命にあやしてるとか。 ところが、実際にはひとりの女性を大勢の男性がとり囲んで嫌~な雰囲気。 ニュース番組もまじめーーな報じ方で、多くの人が女性市議をバッシング! 何が何でも「子連れ議会をみとめろ」と言っているわけじゃないんです。 ただ、子供を連れて議場に入るの事が禁止されていて、よくないことではないとしても 彼女のやったことはそんなに大した問題ではないということです。 わいろ受けとったとか、政治資金を個人的なことに使って嘘の報告書書くとか、 そういう犯罪のようなことをしたわけではない。 なので、もう少し包容力をもって暖かく女性市議のことを見てあげてほしいと思うんです。 カリカリと女性市議をバッシングしている人はユーモア欠乏症なんじゃないかと思っちゃう~。 結構、同性である女性からのバッシングが多かったみたいですね。 女性が女性に厳しいというのは、それだけ女性が苦労しているということだと思います。 出産を機に会社を辞めざるを得なかった・・・・とか。 仕事を続けたいので子供をあきらめている・・・とか。 会社に子供を連れていくわけにいかないので、やむなくベビーシッターを頼んでいるがそのための出費がかさむ・・・とか。 気持ちはわかります。 でも、けしからん!とバッシングするより、 「私も子供産みたい!」 「私も会社に子供連れていきたい!」 と考えたほうがよくないですか? 自分より恵まれた状況にいる女性をバッシングすることは、 自分の置かれている状況をさらに悪化させることにつながると思うんです。 出産しても仕事をやめなくてすむ世の中のほうがいいと思いますし、 子供も職場に連れていくことができれば、安心できるでしょう? とかく日本では大きな問題をスルーして、細かくどうでもいいようなことを深刻に受け止めるという傾向があると思います。 もう少しユーモア心を持ったほうが人生楽しくなるかも? ※まとめサイトなどへ無断で転載することはおやめください。
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[2017/12/04 12:19]
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