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建築の神が住む町⑪ 大報恩寺 おかめ節分 『大報恩寺に残る聖徳太子信仰?』

建築の神が住む町⑩ 北野追儺狂言 『福部の神は瓢の神で、丑を牽いて去る神だった?』 よりつづく~



①おかめ節分会


北野天満宮で北野追儺狂言を見たのち、歩いて大報恩寺(千本釈迦堂)へと向かう。
北野天満宮から大報恩寺までは直線距離で約450m。10分ほどで到着する。
この日は節分で、北野天満宮では北野追儺狂言が、大報恩寺ではおかめ節分会が行われる。
北野追儺狂言は午後1時から、大報恩寺のおかめ節分会は午後3時からなので、節分会のはしごができるのだ。

大報恩寺境内にあるおかめ像はこの日は特別に赤い傘をさし、山吹色の着物を着ておめかしをしていた。

大報恩寺 おかめ像 

大報恩寺になぜおかめの像があるのか。
それはここに大工の棟梁とおかめの伝説が伝えられているためである。
参照/建築の神が住む町⑤ 『大報恩寺の大根焚と男女双体の神』


千本釈迦堂の本堂を建てるとき、長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)という大工の棟梁が謝って柱を短く切ってしまった。
棟梁はどうしたものかと困り果てていたが、妻の阿亀(おかめ)が、全ての柱を短く切って升型の受けを作ってはどうかと助言した。
棟梁はおかめの助言に従って無事本堂を完成させることができた。
妻のおかめは夫の失敗が人に知れないようにと、本堂の完成を待たずに自殺した。

大報恩寺 柱の升組
  
大報恩寺本堂 矢印が示す場所に升受けがある。

本堂の大柱を見ると、たしかに枡受けがある。
このような伝説があるので、大報恩寺の節分会は『おかめ節分会』と呼ばれているのだろう。

②応仁の乱の戦火をまぬがれた寺

大報恩寺は1223年、義空上人が釈迦念仏道場として開いた寺である。
この付近は西陣と呼ばれるが、それは『応仁の乱(1467-1477)』において西軍の陣が置かれたことに由来する。
このとき千本釈迦堂にも兵火が及んだが、奇跡的にも焼失をまぬがれた。
応仁の乱で焼けなかったのはおかめのご利益にちがいないと、人々は噂したことだろう。

③飛騨守が大工?

しかし、このおかめ伝説、ちょっと気にかかることがある。
それはおかめの夫の大工の棟梁、長井飛騨守高次についてである。
飛騨守とは役職名だ。
古代から中世にかけて、朝廷は各地に国司という行政官を派遣していた。
その国司には、守(かみ)・介(すけ)・掾(じょう)・目(さかん)などの役職があった。
つまり、長井飛騨守高次とは、飛騨守という役職で、名前が長井高次なのだ。

飛騨守という役職についている役人が兼業で大工の棟梁をやっているとはちょっと考えられないのだが。

飛騨は過疎地帯であったため、租庸調(税金)のうち庸調が免除されていた。
そのかわり、飛騨の人々は大工として挑発された。
こういう事情があって飛騨では大工業が発達した。

おかめ伝説に登場する大工の長井飛騨守高次とは架空の人物なのではないか。
いや、おかめは神なので、おかめの夫の長井飛騨守高次も神なのではないか。
その大工の神を飛騨守としたのは、飛騨が大工業が発達した地域だからではないか?

長井高次という名前は「長い高継ぎ」という意味ではないだろうか。
「高接ぎ」とは果樹などを接ぎ木する際に、台木(接ぎ木をするとき上部にする植物体を穂木、下部にする植物体を台木という)の高い位置に接ぐ方法のことである。

本堂の柱を植物の木に喩えたのではないだろうか。
升受けは柱の高い位置についており、まるで接ぎ木の高接ぎのようではないか。
さらに柱はとても長い。
それで、大工の神の名前を「長い高接ぎ」から「長井高次」としたのではないだろうか。

大報恩寺 おかめ節分会 木遣音頭


④木遣音頭


そんなことを考えていると、鬼とおかめが行列を作ってやってきて、おかめの像の前で法要が行われた。
法要が終わると番匠保存会による木遣音頭が奉納された。

これと同じものを以前、聞いた記憶がある。
そう、確か広隆寺で1月2日に行われている「釿(ちょうな)始め」で木遣音頭を聞いた。

かつて元旦は年神様を迎える日で、仕事をしてはいけないとされていた。
そして元旦の翌日の1月2日が仕事はじめの日とされていた。
大工たちはこの日、仕事始めの儀式として「釿始め」を行っていた。
「釿始め」は大工たちが木遣音頭を歌いながら大きな木材を運び込び、釿という日本独自の道具を用いて粗削りをするというもので、
昭和になって廃れてしまった習慣を、広隆寺において復活させたのだという。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

④建築の神・聖徳太子

なぜ広隆寺で釿始めの儀式が行われているのか。
それは広隆寺の御本尊・聖徳太子が建築の神として信仰されているからだろう。

世界最古の企業は大阪にある金剛組だといわれている。
創業はなんと飛鳥時代の578年で、四天王寺からほど近い場所にある。

四天王寺 夕景 合成

四天王寺

聖徳太子は四天王寺を創建するために百済より3人の宮大工を招いた。
そのうちのひとり、金剛重光(柳重光)によって金剛組は創業された。
593年、金剛組によって四天王寺が建てられた。
607年に創建された法隆寺も金剛組によって建てられたものである。

法隆寺 夕景 
法隆寺

金剛組は現在、100人以上の宮大工を抱えているという。

以前、テレビで金剛組の朝礼風景を見たことがある。
事務所には厨子が置いてあって、中に聖徳太子像が安置されていた。
社員たちは厨子の前に並び、まず聖徳太子に合掌してから朝礼を始めるのだ。
金剛組の朝礼風景は、今でも聖徳太子が建築の神として信仰されていることを示すものだといえるだろう。

大報恩寺は大工の棟梁とその妻・阿亀の伝説が伝わっている。
そのため、木遣音頭が奉納されているのだろう。

⑤北野追儺狂言とおかめ節分会の共通点

木遣音頭の奉納ののち、いよいよ古式鬼追いの儀(狂言)が行われた。

大報恩寺 おかめ節分会 狂言2

本堂では太郎冠者・次郎冠者らが豆を撒き、暴れる鬼を退散させようとしていた。
しかし、鬼は豆を撒かれたくらいでは退散せず、逆に太郎冠者・次郎冠者らは鬼に倒されてしまう。

大報恩寺 おかめ節分会 狂言 
ここへおかめが登場した。

千本釈迦堂 おかめ節分会 おかめと鬼2 

おかめは何をするでもなくただ笑顔を浮かべているだけ(といっても面が笑顔に作られているのだが)なのだが、鬼たちはおかめが登場するや、平伏し、手に持っていた打ち出の小づちをおかめに渡した。

千本釈迦堂 おかめ節分会 おかめと鬼 

こうして狂言は終わった。

大報恩寺の古式鬼追いの儀では先ほど見た北野追儺狂言のような鉢叩きはなかった。

北野追儺狂言 鉢叩き2

北野追儺狂言 鉢叩き

しかし、おかめ(お多福)が登場し、おかめが何をするわけでもないのに鬼が調服されてしまうというのは同じである。
これは、この付近の地域でー西陣と呼ばれるこあたりでお多福(おかめ)が厚く信仰されていたということを物語るものだろう。

北野追儺狂言 福の神

北野追儺狂言 おかめに調服される鬼

ただし、北野追儺狂言のお多福は烏帽子をかぶっている。
また福部社の神が鬼を祓う狂言だとされるが、福部社の御祭神は十川能福という菅原道真の舎人である。
北野追儺狂言のお多福は男神だと考えられる。

これに対し、大報恩寺のおかめ節分会の狂言に登場するおかめは女神だと考えられる。
なぜかというと、大報恩寺には先ほど紹介した大工の棟梁の妻・阿亀の伝説が伝えられているからである。
おかめ節分会の狂言に登場するおかめは大工の棟梁の妻・阿亀だと考えられる。

しかし奈良県の宝山寺で護摩供を行っていた修験者が、おかめと同じように白い布を巻いていた。

宝山寺 修験者

伝説に登場する阿亀は女性だが、狂言に登場するおかめは男神であるかもしれない。

とにかく日本の神は性別がルーズで、親鸞の夢枕に聖徳太子が現れて「女に生まれ変わってあなたの妻になろう」と言ったという伝説もある。

まあ、これについては今後の宿題としておこう。

⑥おかめは安産の神、ひょっとこは防火の神

おかめとペアになっている神様といえばひょっとこである。
六斎念仏の演目である祇園囃子にはおかめとひょっとこの面を被った人が登場することが多い。

梅津六斎 祇園囃子 おかめ

梅津六斎 祇園囃子 ひょっとこ

梅宮大社 梅津六斎 祇園囃子に登場するおかめとひょっとこ

おかめは妊婦さんで、ひょっとこは「火の用心」と書いた巻物を持っている。

これは柿本人麻呂を思い出させて興味深い。
柿本人麻呂は人丸と記されることもあり、語呂合わせで「ひとまる→人産まる」となり安産の神に、「ひとまる→火止まる」で防火の神になったというのである。

⑦お多福・おかめの語源

『お多福』の語源には次のような説がある。

a.福が多いと言う意味。
b.膨らんだ河豚からくる。
c。狂言面の『乙』『乙御前』が訛った。(乙御前は末娘という意味)

また『おかめ』の語源にも諸説ある。

d.顔の形が瓶ににている。
e.室町時代の巫女の名前からくる。

「おかめ」については「亀石」と関係があるのではないかと私は考えている。

亀石とは飛鳥や一言主神社にある謎の石のことだが、私は亀石は頭蓋骨をあらわしているのではないかと思う。
というのは、飛鳥の亀石は妖怪ぬらりひょんにそっくりなのである。

亀石 
飛鳥の亀石


妖怪ストリート ぬらりひょん

京都の大将軍商店街(妖怪ストリート)に置かれてあったぬらりひょんの人形。

亀石とぬらりひょんは眉間に半月形の皺があるところまでそっくりである。

亀は頭蓋骨を表しているのではないだろうか。

詳しく説明すると長くなるので、下記記事を読んでほしい。
参照/土蜘蛛の謎⑦ 妖怪ぬらりひょんと亀石と土蜘蛛 

そして、滋賀県・西明寺にあった福禄寿の像は瓢箪型の頭部をしていた。
福禄寿と寿老人はどちらも南極老人星の化身で同一神であるともいわれる。
福禄寿と寿老人の頭部はどちらも長いが、もともと二柱の頭部は瓢箪型だったのかもしれない。
福禄寿と寿老人の長い頭部は福禄寿+寿老人の二柱の神の頭蓋骨が合体していることをあらわしているのではないだろうか。

寝屋川戎神社 寿老人・布袋・弁才天・毘沙門天・福禄寿

そして北野追儺狂言やおかめ節分会に登場するおかめ(お多福)の顔は瓢箪型をしている。
おかめ(お多福)はふたつの頭蓋骨がくっついた神なのではないか。

⑧お多福はお福と布袋のドクロが合体した神?

おかめ(お多福)は「お福」と言われることもあり、1712年の『七福神戯遊之図』には、七福神ともうひとり女神が描かれているそうである。
説明書によればこの女神は「お福」または「乙御前」とあり、布袋に酌をしているとのこと。
「お福」「乙御前」とはお多福、おかめのことである。

そういえば、大報恩寺には他の七福神像はないが、布袋像は境内の片隅のめだたないところにある。
その布袋像が手にした長細い袋は、中にちょうど二つの髑髏が入っていそうな大きさと形をしている。

千本釈迦堂 布袋像

大報恩寺 布袋像

おかめ(お多福)はお福のドクロと布袋のドクロが結合した神なのではないか。
もしかしたら、お福+布袋(福神)で、福が重なる神なので、お多福という名前がつけられたのかもしれない。

⑨ひょっとこの語源

③で述べたように、おかめの夫の大工の棟梁・長井飛騨守高次は実在した人物だとは思えず、大工の神であるように思える。
そして⑥で見たように、おかめとペアになっている神といえばひょっとこである。
長井飛騨守高次とはひょっとこのことではないかと思う。

このひょっとこの語源についても見ておこう。
こちらもいくつかの説がある。

a.竈(かまど)の火を竹筒で吹く『火男』が訛った。
b.口が徳利のようであることから『非徳利』からくる。
c.岩手県奥州氏の江刺地方の民話に登場するヘソから金を生む奇妙な顔をした子供の名前『ヒョウトク』が訛った。

aの『火男』からくるという説は、⑥で述べた六斎念仏の演目『祇園囃子』に登場するひょっとこが『火の用心』と書いた巻物を持って登場するのを思い出させて興味深い。

ひょっとこはもともとは火男であった。
男子の名前の後ろには男のほか、彦、麿、丸などをつけることもある。
そこで火男は火丸となり、そこからさらに人丸と転じ、語呂合わせで「ひとまる→火止まる」となり、防火の神に転じたとも考えられる。


⑩ひょうとくは聖徳太子?

cの民話とは次のような物語である。

強欲な婆さんがヒョウトクのへそを火箸でぐりぐりといじったためにヒョウトクは死んでしまった。
ヒョウトクをかわいがっていた爺さんはヒョウトクの死をそれは悲しんだ。
そんな爺さんの夢枕にヒョウトクが立ち、『自分の顔の面を竈の前の柱にかけておけば裕福になるだろう』と告げた。
そのとおりにしたところ、爺さんは大金持ちになった。


ヒョウトクという名前は聖徳(ショウトク)に似ている。
もしかして、ヒョウトクとは聖徳太子のことではないか?

③で述べたように、聖徳太子は建築の神でもあった。。
世界最古の企業・金剛組の朝礼風景についてはすでに述べたが、このほかにも、太子の忌日である2月22日には木匠の間で講が営まれているともきく。

大報恩寺の伝説に伝わる大工の棟梁とはひょっとこ=ひょうとく=聖徳太子のことなのではないだろうか。

⑪大報恩寺の太子堂

大報恩寺を出ようと門の方へ向かって歩いていくと、門の手前に小さなお堂があった。
お堂の上部には、なんと太子堂と記した額がかけられているではないか。
『ひょっとこ=ひょうとく=聖徳太子』という推理はそうトンデモ説ではないかもしれない。

お堂の前には、下の写真のような説明板が建てられていた。

大報恩寺 太子堂 説明板 

お堂の額には太子堂とあるが、説明板は「北野経王堂 願成就寺」となっている。
説明板には次のような内容が記されている。

1391年、明徳の乱がおこった。
1392年、足利義満は明徳の乱の戦没者を悼んで北野経王堂 願成就寺という大寺を建てた。
北野経王寺 願成就寺では、毎年10月、10日間に渡って万部経会を行って戦没者を供養していた。
江戸時代に荒廃し、1671年に解体縮小されて小堂となったのがこのお堂である。

説明板には、このお堂になぜ太子堂という額がかけられているのかの説明はないが、太子堂の太子とは聖徳太子のことではないだろうか。
太子と呼ばれて信仰されている人物は聖徳太子以外に思い浮かばないのだが、もし他に太子と呼ばれて信仰されている人物がいれば教えていただきたい。

そして、この太子堂にはおかめ御幣がたくさん置かれてあった。
おかめ御幣は関西では上棟式などに用いられるもので、明徳の乱の戦没者のほか、建築の神を祀っていることを物語っているかのようである。

大報恩寺 太子堂 おかめ御幣

⑨広隆寺の弥勒菩薩は聖徳太子の本地仏?

そういえば境内の片隅には布袋像があったが、布袋は弥勒菩薩の化身とされている。
そして太秦の広隆寺は聖徳太子から授かった仏像を祀るため、秦河勝が建てたとされるが、広隆寺には有名な弥勒菩薩像がある。
聖徳太子から授かった仏像とはこの弥勒菩薩像だろうか。

広隆寺 
広隆寺

File:Maitreya Koryuji.JPG

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMaitreya_Koryuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。

作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭 English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


私は「秦河勝が聖徳太子から授かった仏像を祀る寺をたてた」という言葉の意味は、「秦河勝が聖徳太子の本地仏を祀る寺をたてた」という意味ではないかと思う。

かつての日本では日本古来の神々は、衆上を救うため仏教の神々が仮に姿をあらわしたものであるとする本地垂迹説が信仰されていた。

本地垂迹説では仏教の神々が日本古来の神として仮に姿をあらわしたもののことを権現、日本古来の神々のもともとの姿である仏教の神々のことを本地仏といった。

東向観音寺 舞妓

上の写真は北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺で、門前に「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられている。

天満宮とは天満宮の御祭神・菅原道真のことで、「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは「菅原道真は十一面観音の化身である。」「菅原道真の本地仏である十一面観音をお祀りしています。」というような意味だ。

東向観音寺では「本尊は菅原道真が刻んだ十一面観音」だととしている。
また道明寺でも菅原道真が刻んだ国宝の十一面観音を御本尊としている。

残念ながら東向観音寺の十一面観音は拝観することができなかったのだが、道明寺の十一面観音はウィキペディアに写真が掲載されていた。

ElevenFaced Kannon Domyoji

十一面観音像 〈道明寺)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AElevenFaced_Kannon_Domyoji.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/eb/ElevenFaced_Kannon_Domyoji.jpg よりお借りしました。
作者 OGAWA SEIYOU(1894-1960) a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


とても政治家が片手間に刻んだものとは思えない素晴らしい観音像ではないか。
こういう観音像は何年も仏師としての修行を積まなくては作れないのではないだろうか。

そういうわけで、私は実際に菅原道真が十一面観音を刻んだわけではないと想う。
実際には、菅原道真の本地仏として仏師が刻んだ仏像であるのを、菅原道真の霊が仏師に乗り移り、自らが成仏したことのあかしとして十一面観音を刻んだと考え、「本尊は菅原道真が刻んだ十一面観音」だと言っているのではないだろうか。

参照/
建築の神が住む町⑦ 東向観音寺 『菅原道真が刻んだ観音』 

広隆寺の弥勒菩薩も、聖徳太子の本地仏として仏師が刻んだ仏像であるのを、聖徳太子の霊が仏師に乗り移り、自らのが成仏したことのあかしとっして弥勒菩薩像を刻んだと考えたのではないだろうか。

これと同様、秦河勝が聖徳太子から授かった弥勒菩薩とは聖徳太子の霊のことなのではないか。
すると、弥勒菩薩の化身とされる布袋もまた聖徳太子だということになる。

そして大報恩寺に布袋の石像があるのは、
聖徳太子=弥勒菩薩=布袋で、布袋は聖徳太子を表しているのではないかと思うのである。


建築の神が住む町⑫ 釘抜地蔵 『またしても建築の神!』 につづく~
建築の神が住む町① 北野廃寺『北野廃寺は蜂岡寺跡?それとも野寺跡?』  ← トップページはこちら





毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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