小野小町は男だった⑥ 小野小町は衣通姫の流なり 『小野小町は和魂だった?』※書き直しました。
※考えに誤りがあったことに気が付いたので、記事を大幅に書き直しました。すいませーん。
①手をつなぎあう男女双体の神
道祖神は手を繋ぎ合う男女双体の神像として作られたり、また陰陽石で表されることもあった。
陰陽石とは男女のシンボルを象った石のことである。

多気山不動尊 道祖神

飛鳥坐神社 むすびの神石
飛鳥坐神社には上の写真のような陰陽石がたくさんある。
「むすびの神石」と呼ばれているが、これは道祖神と言ってもいいだろう。
関西にはどういうわけか男女の神像をした道祖神はあまり見かけない。

川治温泉 おなで石(おなで石は祠の中の石ではなく、祠の手前にある四角い石)
川治温泉(栃木県日光市)にはおなで石と呼ばれる女性のシンボルを象った石があり、その周囲には男性のシンボルを象った石もいくつか並べられていた。
また温泉街のあちこちに神像タイプの道祖神も置かれていた。
道祖神とはもともとは中国の神であったのが日本に伝わり、日本では猿田彦と天鈿女の男女双体の神として信仰された。
中国には伏羲&女媧という男女双体の神もいる。
伏羲&女媧は兄妹または夫婦とされ、伏羲の右手と女媧の左手はつながっている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AAnonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg よりお借りしました。
作者 匿名 [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
手のつながった伏羲&女媧の姿は、男女の神が手をつなぎあう姿をした道祖神を思わせる。
おそらく伏羲&女媧と道祖神は習合されているのだろう。

川治温泉 如意輪観音(向かって右)と道祖神(向かって左)
②女神が男神の足を踏みつける神
大聖歓喜天という仏教の神がある。
大聖歓喜天はもともとはヒンズー教の神であったのが、のちの仏教にとりいれられて仏法守護の神とされた。
大聖歓喜天のお姿は道祖神や伏羲&女媧と同じく男女の神が抱きあう姿で表され、次のような伝説がある。
鬼王ビナヤキャの祟りで国中に不幸な出来事がおこった。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。
双身歓喜天像の相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音菩薩の化身ビナヤキャ女紳とされる。
動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。
③猿田彦神は天照大神だった?
道祖神は日本では猿田彦神と天鈿女の男女双体の神だとされているということはすでに述べたとおりだが、猿田彦神と天鈿女は記紀神話の天孫降臨のシーンに登場する。
天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神があった。
天照大神と高木神は天鈿女に命じて、神の名前を尋ねさせた。
天鈿女は神の前にたち、胸をあらわにし、腰ひもをずらし、神に名を訪ねた。
すると『私は国津神で猿田彦神と申します。ニニギを葦原中国まで道案内しようと思い参りました』と答えた。
ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。(古事記)
猿田彦神は「高天原から葦原中国までを照らす神」だと記述があるが、これにぴったりな神名を持つ神様がいる。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)である。
高天原は天、葦原中国は国といってもよく、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊はまさしく「高天原から葦原中国までを照らす神」という神名ではないか。
天火明櫛玉饒速日尊という神名は先代旧事本紀による記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっている。
猿田彦神とニギハヤヒは同一神だと考えられる。
記紀には天照大神は女神であると明記されているが、天照大神は男神であるという伝承は各地に伝わってる。
天照大神は天岩戸に隠れるが、天鈿女のストリップに興味を持って外に出てきた。
女性のストリップを喜ぶのは男だ、よって本当の天照大神は男神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒではないかとする説もある。
ニギハヤヒは初代神武天皇よりも早く畿内に天下っていた神である。
のちに日向から神武が東征してきて畿内入りしたとき、神武はナガスネヒコという地元の豪族と争った。
ナガスネヒコはニギハヤヒを神として奉じており、ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間にはウマシマジノミコトという御子もあった。
ニギハヤヒやウマシマジノミコトは物部氏の祖神とされる。
ところがニギハヤヒは神武に服し、自分を神として崇めていたナガスネヒコを殺したと記紀には記述がある。
こうして神武天皇は初代天皇として大和で即位する。
この記述から、畿内には神武以前に物部王朝があったとする説がある。

磐船神社(大阪府交野市)
写真は御神体の天の磐船。
ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったと伝わる。
⑧神武は物部王朝の入り婿になった?
初代神武天皇と10代崇神天皇はどちらも和風諡号を「ハツクニシラス」という。
「ハツクニシラス」が二人いるのはおかしい。
そのため、神武と崇神は同一人物ではないかとする説がある。
そして崇神天皇には「ミマキイリビコイニエ」という和風諡号もある。
11代垂仁天皇は和風諡号を「イクメイリビコイサチ」といい、諡号に「イリ」とあるため「イリ王朝」と呼ばれることもある。
この「イリ」とは「入り婿」の「イリ」だとする説がある。
記紀神話には葦原中国に天下ったニニギがオオヤマツミの娘・コノハナサクヤヒメと結婚したり
ホオリが竜宮に行って海神の娘・トヨタマヒメと結婚するなど、入り婿になる話が多いのは、史実を反映したものなのかもしれない。
つまり、崇神=神武は物部王朝に婿入りし、物部氏から政権を奪ったのではないかということである。
天照大神は物部氏の祖神・天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)=ニギハヤヒであり、代々、ニギハヤヒの血を引く者が天照大神(天皇)となって大和の国を統治するというルールがあったのではないだろうか。
そこで、神武=崇神は自分の妻である物部氏の女性を天照大神としたのだと思う。
そうすれば、神武=崇神の子孫が天照大神の子孫を名乗っても嘘とはいえない。(天皇家の祖神は天照大神とされる。)
しかし神武=崇神は自分の血をひく者しか天皇になれないように、皇位継承は男系に限っている。
④道祖神はなぜ手をつなぎあっているのか。
ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国へ天下ったのち、天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り、彼の名前を伝えて仕え祭れ』と命じている。
ニニギは天鈿女に『猿田彦神に仕え祭れ』と命じているが、『仕える』というのは『性的に奉仕する』ということだと思う。
天鈿女は天照大神が天岩戸に隠れたときにはストリップをして神々を笑わせている。
また猿田彦神に出会ったときにも胸を開き、腰ひもをずらして誘惑している。
天鈿女は性の女神なのである。
日本では政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人は死後怨霊となって疫病や天災をもたらすと考えられていた。
政権を奪われ、太陽神という神格も奪われたニギハヤヒは怨霊になったことだろう。
『猿田彦神に仕え祭れ』の『祭れ』とは、『祟り神である猿田彦神を神として祀り上げることで守護神に転じよ』ということだと思う。
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。
貝は女性器の比喩だろう。
つまり、猿田彦は天鈿女の女性器に手を挟まれて抜けなくなり、愛欲に溺れて死んだという意味だと思う。
既に述べたように道祖神は猿田彦神と天鈿女の男女双体の神像とされる。
道祖神は男神と女神が手を繋ぎあっているが、実は手を繋ぎ合っているのではなく、天鈿女の女性器に猿田彦神の手が挟まれて死んだ状態を表しているのではないだろうか。
歓喜天は女神が男神の足を踏みつけているが、中国の伏羲&女媧や道祖神は足のかわりに手を押さえつけた姿で表されているのだ。
猿田彦神は伊勢が故郷であるが、伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮がある。
天照大神を祀る伊勢神宮が猿田彦神の故郷ということなのだろう。

河治温泉 道祖神
⑤御霊・和霊・荒霊と男神・女神
神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊の3つに分けられるという。
御霊とは神の本質、和霊とは神の和やかな側面、荒霊とは神の荒々しい側面のことである。
御霊・・・・・神の本質
和霊・・・・・神の和やかな側面
荒霊・・・・・神の荒々しい側面
そして神には性別があるが、男神は荒霊を、女神は和霊を表すとする説がある。
とすれば、神の本質である御霊は男女双体になると思う。
御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・・男女双体
和魂・・・・・神の和やかな側面・・・・・女神
荒魂・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神
大聖歓喜天や猿田彦&天鈿女の説話は、和霊=女神、荒霊=男神とする観念をうまく表している。
御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・・男女双体・・・・・大聖歓喜天・・・・・・道祖神
和魂・・・・・神の和やかな側面・・・・・女神・・・・・・・ビナヤキャ女神・・・・天鈿女
荒魂・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神・・・・・・・鬼王・ビナヤキャ・・・猿田彦神
御霊・和霊・荒霊という日本神道の観念は、大聖歓喜天の信仰の影響を受けたものではないだろうか。

下呂温泉 道祖神
⑥太陽(猿田彦)と月(天鈿女)が結婚すると星の神になる。
陰陽思想では男は陽で女は陰、太陽(日)は陽で月は陰とする。
天体 | 性別 | |
陽 | 太陽(日) | 男 |
陰 | 月 | 女 |
記紀神話では天照大神は女神だとしているが、世界的に見ても太陽神が女神というのは珍しい。
やはり、太陽の神・天照大神とは照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)=ニギハヤヒ=猿田彦だろう。
そして猿田彦の手を押さえつけている天鈿女は月の神だと考えられる。
太陽と月が重なり合う(結婚する)ということは日食を意味する。
詳しくはこちらの記事をお読み下さい。→ 「太陽と月が結婚すると星が生まれる?」
日食になると闇になって昼間は見えないはずの星が見える。
もしかすると昔の人々は日と月が重なり合った結果、光がくだけちって星になると考えたのかもしれない。
御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・・男女双体・・・・・大聖歓喜天・・・・・・道祖神・・・・星の神
和魂・・・・・神の和やかな側面・・・・・女神・・・・・・・ビナヤキャ女神・・・・天鈿女・・・・月の神
荒魂・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神・・・・・・・鬼王・ビナヤキャ・・・猿田彦神・・・日の神
このように考えると、太陽神・天照大神の子孫なのに、天皇という称号を名乗っていることの理由もとける。
天皇とは道教で北極星を司る神のことである。
太陽神・天照大神の子孫である天皇家の男子は、即位する際、月の神と契って男女双体の御霊となると考えらえたのでははないだろうか。
月の神と契った太陽の神は星の神になる。
それで天皇という称号を用いているのではないかと思う。
⑦衣通姫は和霊だった。
長々と説明してきたが、ようやくここで本題に戻ることができる。
古今和歌集仮名書には「小野小町は古の衣通姫の流なり」と記されているが、この衣通姫は住吉明神・柿本人麻呂らとともに和歌三神の一柱とされている。
柿本人麻呂は男神、衣通姫は女神である。
そして住吉明神とは底筒男命、中筒男命、表筒男命、息長足姫命の総称である。
その名前から考えて底筒男命、中筒男命、表筒男命は男神である。
そして息長足姫命とは神宮皇后のことで女神である。
つまり、住吉明神とは三柱の男神と一柱の女神からなる神なのである。
女神が一柱であるのに対し、男神が三柱あるのは一柱の男神をさらに御霊・荒霊・和霊とわけたのだろうか。
ともあれ、住吉明神は男女双体の神だといえる。
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・・・住吉明神(底筒男命、中筒男命、表筒男命+息長足姫命)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・・・衣通姫
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・・・柿本人麻呂

↑ 住吉大社の神殿の並びは上の図のようになっている。
これはオリオン座の三つ星の並びとよく似ており、住吉明神はオリオン座の三つ星(みたらし星)を表した神だと考えられる。
現在、住吉明神に星の神という神格はなく海の神として信仰されている。
オリオン座の三ツ星は航海の指標とされており、住吉明神を海の神とするのは星の神の二次的な神格だといえるだろう。
住吉明神は星の神という神格を奪われ、二次的な神格である海の神へと神格を変えられたのだろう。
御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・・・住吉明神(底筒男命、中筒男命、表筒男命+息長足姫命)・・・星の神
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・・・衣通姫・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・月の神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・・・柿本人麻呂・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日の神
「小野小町は衣通姫の流なり」とあるのは、小野小町も衣通姫のような和霊であり、月の神という意味だと私は思う。

髄心院に展示されていた小野小町像
小野小町は男だった⑦ 妙性寺縁起 『語呂合わせで神格が変わる神』 へつづく~
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