土蜘蛛の謎⑱ 「空也が十一面観音を刻んだ」ということの意味
①菅原道真は十一面観音の生まれ変わり
かつて北野天満宮の神宮寺だった東向観音寺の門前に「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」と記された石碑が建てられている。

天満宮とは北野天満宮の御祭神の菅原道真のことである。
御本地仏とは本地垂迹説に基づく言葉である。
本地垂迹説とは日本古来の神々は仏教の神々(みほとけ)が仮に衆上を救うためにこの世に現れたものであるとする考え方のことで、神仏習合のベースとなった。
日本古来の神々のもともとの正体である仏教の神々のことを本地仏、仏教の神々が仮に衆上を救うためにこの世に現れた日本古来の神々のことを化身とか権現などという。
つまり「天満宮御本地仏 十一面観世音菩薩」とは、「天満宮=菅原道真の正体である十一面観音をお祀りしています。」というような意味である。
「菅原道真は十一面観音の生まれ変わりである」と信仰されていたと言ってもいいだろう。
②菅原道真が自ら十一面観音を刻んだ
東向観音寺ではご本尊の十一面観音は菅原道真が自ら刻んだものだと伝えている。
菅原道真は藤原時平の讒言によって大宰府に流罪となり、数年後に失意のうちに亡くなった。
その後、都では疫病が流行り、天変地異が相次ぐなどし、それらは道真の怨霊の仕業であると当時の人々は考えた。
そして祟り神(怨霊)は神として祀り上げると守護神に転じると考えられていた。
怨霊・菅原道真は守護神に転じさせるために北野天満宮などの神社の御祭神として祀られたわけである。

大阪天満宮に展示されている菅原道真の人形
③成仏してください
今でも人が亡くなると「成仏してください」と言うが、なぜ死んだ人に対して「成仏してください」と言うのだろうか。
それは「この世に未練を残して人々に祟ったりすることなく、悟りを開いて恨みをすて、人々にご利益を与える存在であるみほとけになってください」という意味で「成仏してください」というのではないだろうか。
すると、「菅原道真が自ら十一面観音を刻んだ」というのは言葉通りの意味ではなくて「菅原道真が成仏した(悟りを開いて恨みを捨て、人々にご利益を与える十一面観音になった)」という意味なのではないかと思えてくる。
もちろん、それはそうあってほしいという人々の願望であり、道真が本当に成仏したという意味ではない。
④空也は成仏して十一面観音になった?
六波羅蜜寺の秘仏となっている十一面観音は空也が自ら刻んだものだと伝わっている。

東向観音寺と同様に考えれば、「空也が自ら十一面観音を刻んだ」ということは、「空也は成仏して十一面観音になった」という意味なのではないだろうか。
951年、京の町に疫病が流行った際、空也は自ら十一面観音を刻んで市中を引き回し、病人にはお茶を飲ませたという。

六波羅蜜寺 皇服茶 現在でも六波羅蜜寺では正月の三が日、参拝者に皇服茶を授与している。
この951年の疫病の流行は空也の怨霊の仕業であると考えられたのではないか。
そして怨霊であった空也は成仏して十一面観音になったということを、「空也が自ら十一面観音を刻んだ」と言っているのではないか。
また空也が病人にお茶を飲ませたということは、お茶の薬効が、成仏して十一面観音になった空也のご利益であると考えられたということではないか。
もちろん、空也とは土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門の髑髏 と 東国へ旅立った空也、土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか? で述べたように平の将門を聖人化した架空の人物のことである。
このように考えると、六波羅蜜寺の十一面観音と空也堂の空也像はどちらも空也が刻んだと伝わっているが、同じ人物の作品だとは思えないほど作風がちがっている理由がわかる。
そして六波羅蜜寺の十一面観音と空也堂の空也像を刻んだ仏師は別人なので作風が違っていて当然である。
そしてどちらの像を刻んだ仏師も空也ではない。
なぜならば「空也が自ら仏像を刻んだ」とは「空也が成仏した」という意味だと考えられるからである。

③成仏してください
今でも人が亡くなると「成仏してください」と言うが、なぜ死んだ人に対して「成仏してください」と言うのだろうか。
それは「この世に未練を残して人々に祟ったりすることなく、悟りを開いて恨みをすて、人々にご利益を与える存在であるみほとけになってください」という意味で「成仏してください」というのではないだろうか。
すると、「菅原道真が自ら十一面観音を刻んだ」というのは言葉通りの意味ではなくて「菅原道真が成仏した(悟りを開いて恨みを捨て、人々にご利益を与える十一面観音になった)」という意味なのではないかと思えてくる。
もちろん、それはそうあってほしいという人々の願望であり、道真が本当に成仏したという意味ではない。
④空也は成仏して十一面観音になった?
六波羅蜜寺の秘仏となっている十一面観音は空也が自ら刻んだものだと伝わっている。

東向観音寺と同様に考えれば、「空也が自ら十一面観音を刻んだ」ということは、「空也は成仏して十一面観音になった」という意味なのではないだろうか。
951年、京の町に疫病が流行った際、空也は自ら十一面観音を刻んで市中を引き回し、病人にはお茶を飲ませたという。

六波羅蜜寺 皇服茶 現在でも六波羅蜜寺では正月の三が日、参拝者に皇服茶を授与している。
この951年の疫病の流行は空也の怨霊の仕業であると考えられたのではないか。
そして怨霊であった空也は成仏して十一面観音になったということを、「空也が自ら十一面観音を刻んだ」と言っているのではないか。
また空也が病人にお茶を飲ませたということは、お茶の薬効が、成仏して十一面観音になった空也のご利益であると考えられたということではないか。
もちろん、空也とは土蜘蛛の謎⑯ 東国に飛び立った将門の髑髏 と 東国へ旅立った空也、土蜘蛛の謎⑰ 空也搭はなぜ首桶の形をしているのか? で述べたように平の将門を聖人化した架空の人物のことである。
このように考えると、六波羅蜜寺の十一面観音と空也堂の空也像はどちらも空也が刻んだと伝わっているが、同じ人物の作品だとは思えないほど作風がちがっている理由がわかる。
そして六波羅蜜寺の十一面観音と空也堂の空也像を刻んだ仏師は別人なので作風が違っていて当然である。
そしてどちらの像を刻んだ仏師も空也ではない。
なぜならば「空也が自ら仏像を刻んだ」とは「空也が成仏した」という意味だと考えられるからである。

東向観音寺・・・京都市上京区今小路通御前通西入上る観音寺門前町 863
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