土蜘蛛の謎⑫ 蛙は髑髏をあらわしている?

①蛙飛行事
7月7日、吉野の金峯山寺・蔵王堂で蓮華会が行われる。
吉野の町を「えーらいやっちゃ、えーらいやっちゃ」という掛け声とともに、太鼓台が練り歩く。
太鼓台には蛙の着ぐるみを着た人が乗っていた。

その後、蔵王堂前に設置された通路の上を山伏さんたちや、蓮の花の入った桶を持つ人などが歩いていった。
この蓮は役行者が産湯をつかったと伝わる奥田の捨篠池で摘んだもので、金峯山寺の蔵王権現に供えられる。
そののち、蛙飛び行事が行われた。
蛙飛び行事は次のような伝説に基づくものである。
蔵王権現に暴言をはいた男を、大鷲がくわえて飛び立ち断崖絶壁の上に置き去りにした。
男は蔵王権現に暴言をはいたことを反省していたので、金峯山の高僧が法力で男を蛙に変えた。
蛙になった男は断崖絶壁から無事飛び降りることができ、蔵王権現の前で修法をして人間に戻された。
この伝説にちなみ、蛙の着ぐるみを着た人が四つん這いになってぴょんぴょんと跳ね、僧侶より法要を受けると着ぐるみの頭部をとって顔を出した。
これは男が蛙から人間に戻ったことを表しているのだろう。

②蛙飛行事と飛行するドクロ
私はこれを見て、蘇我入鹿・玄昉・平将門らの首(ドクロ)が飛んだという伝説を思い出した。
私は飛鳥の亀石は妖怪ぬらりひょんの頭部にそっくりだと思う。
上の写真は飛鳥の亀石と京都の大将軍商店街(妖怪ストリート)に置かれてあったぬらりひょんの人形だが、眉間に半月形の皺があるところまでそっくりである。
飛鳥の亀石は髑髏を表したものなのではないだろうか。
③平将門の飛んだ首伝説とガマの置物
飛んだ首(ドクロ)伝説でもっとも有名なのは、平将門だろう。
将門の首は京で晒されていたのだが、飛びあがり、故郷に戻って落ちたというのである。
将門の首が落ちたとされる場所は、将門の首塚がつくられており、ガマ(蛙)の置物が置かれている。

将門の首塚(東京都)
将門の首塚にはガマの置物を奉納する習慣があるという。
(私が参拝したときは管理者が設置したと思われるガマの置物があるのみだったが。おそらく奉納されたたくさんのガマの置物は撤去したのだろう。)
ガマが奉納されるのは将門の首が京から故郷へ戻ってきたという伝説にちなみ「無事帰る(蛙)」の語呂合わせからであると言われている。
しかし私はそうではなく、蛙とは髑髏を表しており、将門が髑髏の神であるところから蝦蟇の置物が奉納される習慣が生じたのではないかと思う。
飛鳥の亀石は亀ではなく蛙を象ったものではないかとも言われている。
私は飛鳥の亀石は髑髏を象ったものだと考えているが、蛙の手足をとるとドクロのようにも見える。
④蛙飛行事は飛行するドクロを表している?
蛙飛行事は飛行する髑髏を表したものなのではないだろうか。
将門の首は京から江戸まで飛行している。
それに対して蛙飛び行事ではぴょんぴょんと飛び跳ねているだけだ、といわれるかもしれない。
しかし、飛行する首には様々なバージョンがある。
玄昉の首は将門の首のように長距離を飛行しているが、蘇我入鹿の首は斉明天皇の御簾の前で斬られ、その後斉明天皇の御簾に食らいついたとされ、長距離を飛行していない。

多武峰縁起絵巻 複製(談山神社)刀を持っているのが中大兄皇子、首を斬られているのが蘇我入鹿。
⑤小野道風と蛙
小野道風にまつわる蛙の伝説がある。
蛙は柳に飛びつこうとして何度も失敗するが、偶然強い風が吹いて柳の枝が大きくしなり、ついに柳に飛びつくことができた。
これを見て道風はどんなことも努力すれば必ず叶うと悟ったといい、花札の絵柄にもなっている。
この蛙もまた髑髏を比喩したものであるのかもしれない。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/79/Ono_no_Tofu%2C_by_Suzuki_Harunobu%2C_Edo_period%2C_18th_century_-_Tokyo_National_Museum_-_DSC06242.JPG よりお借りしました。
作者 Daderot (投稿者自身による作品) [Public domain または CC0], ウィキメディア・コモンズ経由で
⑥脳天大神と狛蛙
蛙飛び行事を見たのち、付近をうろついていると、「脳天大神→」と記された道標を見つけた。
「脳天大神」という名前に興味を持った私は、脳天大神を参拝しようと→が示す方向へ向かっていった。
脳天大神は龍王院という金峯山寺の塔頭で、蔵王堂より谷へ下った場所にあった。
そしてそこにはなんと狛犬ならぬ狛蛙が置かれていたのである。

脳天大神は金峯山寺の塔頭で、昭和26年に開かれた。
終戦後、澄大僧上が女人の行場として金龍王の滝を開いた際、頭を割られ、目が飛び出した大蛇が死んでいるのを見つけ、その大蛇を祀ったのだという。
大蛇は「脳天大神としてまつられたし、首から上のいかなる難病苦難も救うべし。」と告げたといい、「首から上の守り神」として信仰されている。
⑦蛇の神を祀っているのに、なぜ狛蛙が置かれているのか?
蛇の神を祀っているのに、なぜ狛蛙が置かれているだろうか?

喜光寺 宇賀神
上の写真は喜光寺の宇賀神である。
私はこれを見て、「昔の人は、蛇とは胴体がなく頭に長い首がついた動物だと考えていたのではないか」と思った。
すると、蛙も蛇もドクロを表すものだと考えられる。
脳天大神が祀られるようになったのは、昭和26年と比較的新しいが、吉野山の蔵王堂では7月7日に伝統行事である蛙飛び行事を行っている。
このことは、吉野山において古くより蛙が神聖視されていたことを意味している。
そして脳天大神に祀られた大蛇は単なる動物霊ではなく、蔵王権現の化身であるとされる。
つまり蔵王権現とはドクロの神だったのである。
⑧浄蔵が水に落とした鉢
以前の記事 土蜘蛛の謎⑨ 清蔵、鉢を飛ばす において、私は京都の蔵王堂光福寺の創建説話をご紹介した。
浄蔵が吉野山大峰山での修行を終え帰る際に、蔵王権現が現れて「私を連れて帰ってほしい」とおっしゃった。
浄蔵が権現を背負うと権現は木像となった。
浄蔵は桂川の畔で持っていた鉢を水に落としてしまった。
その鉢は川を遡り、北に向い岸で止まった。
浄蔵が背負ってきた蔵王神像はこの地から動かなかった。
そこで浄蔵貴所はここに堂宇建て、霊像を安置し本尊とした。
蔵王堂光福寺という寺名は吉野の蔵王堂からとったものだと考えられる。
頭のことを鉢ということがあり、浄蔵が落とした鉢とは髑髏を比喩したものではないかと私は考えたのだが
首から上の守り神として信仰されている脳天大神が蔵王権現の化身であるということは、「鉢=頭を比喩したものである」という説を裏付けると思う。
金峯山寺蔵王堂・・・奈良県吉野郡吉野山
蓮華会・・・7月7日
脳天大神(龍王院)・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
蓮華会・・・7月7日
脳天大神(龍王院)・・・奈良県吉野郡吉野町吉野山2498
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