翁の謎⑰ 勝尾寺 『勝尾寺は鰹寺だった?』 より続きます~
●ライチョウに会いに、立山へ。扇沢駅前の無料駐車場に車をとめ、コートを着込む。
5月になるが、雪が厚く積もっており、風も冷たい。
扇沢駅から黒部ダム駅まで電気で関電トンネルトロリーバスでトンネル内を走り黒部ダム駅へ。
関電トンネルは黒部ダム建設用資材運搬用トンネルとして、1958年に開通した。
トンネル開通工事は大変な難工事で工事中、171人もの死者を出したという。
今このような事件がおこると大問題となるが、当時はそんなことはなかったのだろうか?
黒部ダム
黒部湖
関電トンネルトロリーバスさらに黒部ケーブルカー、立山ロープウェイ、立山トンネルトロリーバスと乗り継いでで室堂駅に到着した。
雪の大谷雪を切り開いて作った雪の大谷は観光客でごった返し、まるで繁華街のよう。
しかし、雪の大谷とは逆方向のみくりが池に向かう人はごくわずかだった。
みくりが池では雷鳥のつがいが私を迎えてくれた。
ニホンライチョウのオス
ニホンライチョウのメス雷鳥は冬はほとんど飛ばないそうだ。。
私が訪れたのはゴールデンウィーク期間中だったが、雷鳥はほとんど飛ばなかった。
また雷鳥としては珍しくニホンライチョウは人を怖がらないそうで、写真を撮っても逃げない。
●らいの鳥ライチョウは約2万年前の氷河期に日本にやってきたと考えられている。
氷河期が終わると多くのライチョウは北の地へ戻ったが、一部は高山の寒冷地り、進化してニホンライチョウとなったとされる。
現在の日本にはわずか2000羽が棲息するのみであるという。
平安時代にはライチョウは「らいの鳥」と呼ばれていた。
江戸時代には『鶆(らい)』と記された文献があるそうだ。
「らいの鳥」とは「癩(らい)病の鳥」という意味ではないだろうか。
ライ病は差別的な言葉であるとして現在ではハンセン病と言われているが。
http://www3.famille.ne.jp/~ochi/rai6.html↑ こちらのサイトにライチョウの換羽(衣がえ)の写真がある。
ライチョウは季節によって姿を変える。
上記サイトを見ると月ごろのライチョウには斑点があるが、1月2月ごろのライチョウは白い。
説明文を読むと、春ごろより斑点模様がでてくるようである。
ハンセン病には様々な症状があるが、顔面や手足に潰瘍ができるというケースもある。
斑点模様が、ハンセン病患者を思わせることから、「ライチョウ」という名前がついたのではないかと思ったりする。
奈良豆比古神社では、志貴皇子がハンセン病を患ったが、あるとき翁の面に病が移りもとの美しい顔になっていた、と伝えている。
奈良豆比古神社 翁舞 『道鏡の父親は志貴皇子だった?』 斑点のある姿から真っ白な美しい姿に変化するライチョウは、まるで志貴皇子のようではないか。