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翁の謎⑰ 勝尾寺  『勝尾寺は鰹寺だった?』


翁の謎⑯ 祇園祭 黒主山 『白い神から黒い神に転じた大伴家持』 よりつづきます~

勝尾寺 仁王門 紅葉

●開成皇子と開成皇子

今、前田速男さんの「白山信仰の謎と被差別部落」という本を読んでいるのだが、その中に興味深いことが書いてあった。

静岡県磐田市の白山神社には次のような伝説が残されているそうだ。

①桓武天皇の第四皇子の海上皇子(戒成皇子)は従者とともにこの地にやってきて、地元の人々の食べ物を乞うようになった。
その原因は、飼っていた雀が戸から飛び出し南殿の白砂にとまったのを追って、裸足で大地を踏んだので鬼神の怒りにふれ、癩者のになったためである。


勝尾寺の創建説話に光仁天皇の皇子・開成皇子が登場する。
勝尾寺は727年に双子の兄弟、善仲と善算(藤原致房の子)がここに草庵を築いたのを始まりとし
765年に開成(光仁天皇の皇子・桓武天皇の異母兄)が善仲、善算に弟子入りたというのである。

前田速男さんはこの勝尾寺の創建説話に登場する開成皇子と、磐田市・白山神社の伝説に登場する海上皇子には関係があるのではないかと指摘されている。

というのは、愛知県新城市の白山神社には後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子についての、次のような文書が残されているというのである。

②御殿において白雀を飼はせらる
まさに餌をやらんとすれば飛び放る
再び捕へんとして穢れし大地を踏まる
悪病にかかりて殿を出で
漂泊 旅して東原に至る


①は桓武天皇の第四皇子の海上皇子(戒成皇子)、②は後醍醐天皇の第3皇子・開成皇子となっているが、内容は全く同じだ。

ここから、海上皇子(戒成皇子)と開成皇子には関係があると考えられる。

勝尾寺の伝説に登場する開成皇子と海上皇子は同一人物ではないだろうか。
勝尾寺の伝説に登場する開成皇子は光仁天皇の皇子、静岡県磐田市・白山神社の伝説に登場する海上皇子は桓武天皇の皇子となっている。

桓武天皇は光仁天皇の子なので、勝尾寺の開成皇子は光仁天皇の兄弟、開成皇子と海上皇子は伯父・甥の関係ということになる。
しかし私たちはすでに、志貴皇子とその子とされる春日王がどうやら同一人物であるらしいことを見てきた。
(参照/翁の旅⑪ 奈良豆比古神社 翁舞 『志貴皇子と春日王は同一人物だった?』

奈良の奈良豆比古神社には志貴皇子の子の春日王がハンセン病を患ったという伝説がある。
ところが地元ではハンセン病を患ったのは志貴皇子であるという語りが伝承されているのだ。
また、春日王は田原皇子、志貴皇子は春日宮天皇または田原天皇とも呼ばれており、ふたりは同じ名前で呼ばれていたということになります。
皇室において父子が同じ名前で呼ばれていたというケースはないと思う。
そこから私は春日王と志貴皇子は同一人物ではないかと考えたのだ。

これと同様、海上皇子は桓武天皇の第四皇子、開成皇子は光仁天皇の皇子、となっているが、実は同一人物なのではないか。

●志貴皇子の子に海上女王または海上王の名前が。

光仁天皇は志貴皇子の皇子である。
志貴皇子ー光仁天皇ー桓武天皇と血筋がつながっているのだ。
そして志貴皇子の子には光仁天皇・春日王のほか、海上女王または海上王の名前がある。
つまり、志貴皇子・光仁天皇・桓武天皇の3代にわたり、それぞれ海上または開成という名の子があったということになる。
しかも血のつながりのある志貴皇子・春日王・海上(開成)皇子がいずれもハンセン病をっ患ったという伝説が残されているのだ。

勝尾寺 多宝塔 二階堂 紅葉

●勝尾寺には白山信仰があった?

勝尾寺の三宝荒神社には、1677年、旗本菅沼隠越中守の娘がこの荒神さまに祈願したところ、白髪が黒髪になったという伝説がある。
(参照/勝尾寺 雨 紫陽花 『白い神と黒い神』 

白髪の娘は白山の神をイメージして創作されたものではないだろうか。

また、白髪だったのは菅沼隠越中守の娘とされているが、越中とは現在の富山県だ。
富山県五箇村には菅沼集落があり、菅沼隠越中守はこの菅沼集落と関係の深い人物のように思えるが、五箇村は古より白山信仰が根付いていた地域だった。

 五箇山 菅沼集落 
五箇村菅沼集落

東国の被差別部落の多くが白山神を祀っている そうだ。

関八州のエタ頭浅草の弾左衛門の一子が天然痘(疱瘡)を患ったとき、加賀の白山に祈願したところ快癒した。
そこで弾左衛門は白山神に感謝して、自邸に勧請した。
各地の被差別部落もそれにならって白山神を勧請したと言われている。

しかし、弾左衛門の支配下以外の、信州・東海・近畿・四国・九州などでも白神を鎮守にする被差別部落は数多くあるのだという。

勝尾寺は勝王寺という寺名を賜ったが「王に勝つ」では畏れ多いとして「勝尾寺」としたとしているが、
鰹寺を転じて勝尾寺としたのではないかと思ったりもする。
山中で海からは遠いのに鰹寺というのは変なようにも思えるが、開成皇子の別名が海上皇子だとすれば、鰹寺というネーミングはぐっと近づいてくる。

弾左衛門の一子が患ったのは天然痘ということだが、白山信仰は静岡県磐田市の白山神社や愛知県新城市の白山神社では海上皇子(開成皇子)がハンセン病を患ったという伝説がつたわっており、
白山神社は天然痘よりもハンセン病と関係が深いのではないかと思う。

そしてハンセン病と被差別部落は関係が深い。
かつてハンセン病患者は夙に捨てられることが多かったのだ。

ハンセン病は古にはらい病、ナリンボ、ドス、カタヰ(カタイ)などとも言ったそうである。
魚偏に堅いと書けば鰹となる。

勝尾寺とはもともとは鰹寺であり、勝尾寺の創建説話に登場する開成皇子とは春日王や志貴皇子と同じくハンセン病の神として信仰されていたのではないだろうか。

●ハンセン病はなぜ海と結び付けられたのか

日本書紀に次のような話がある。

612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。


ハンセン病には様々な症状があるが、その中に体の一部または数か所の皮膚が斑紋状に白くなるというのがあり、白癩(びゃくらい)と呼ばれていた。
白斑のある男はこの白癩の症状であったのかもしれない。

なるほど、ハンセン病を患った皇子の名前が海上皇子という理由がわかった。
この612年の日本書紀の記事で、白斑を持つ男を海中の小島に置き去りにしようとしたという故事から、ハンセン病の皇子のことを海上皇子と呼んだのだろう。

勝尾寺・・・大阪府箕面市粟生間谷2914-1

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[ 2017/01/21 ] 翁の謎 | TB(-) | CM(-)