土蜘蛛の謎④ 興福寺の阿修羅は土蜘蛛だった。
①興福寺の阿修羅は土蜘蛛を表している?
興福寺の国宝館に八部衆の像が安置されている。 (八部衆の写真はこちら→☆)
五部浄像(ごぶじょうぞう)は像の冠をかぶっている。
乾闥婆像(けんだつばぞう)は獅子の冠をかぶっている。
緊那羅像(きんならぞう)は一本の角と三つの目を持っている。角が生えているのは動物だといえるかもしれない。
迦楼羅像(かるらぞう)は頭が鳥で体が人間である。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Karura_of_Kofukuji.jpg?uselang=ja よりお借りしました。
作者 撮影・小川一真(「彫刻写真帖」) (http://webarchives.tnm.jp/archives/cat/database) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
畢婆迦羅像(ひばからぞう)はニシキヘビを神格化した神である。
沙羯羅像(さからぞう)は頭に蛇を巻いている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Statues_of_Tianlong_babu.jpg?uselang=ja よりお借りしました。
作者 撮影・工藤利三(「社寺建築写真帖3」) (http://webarchives.tnm.jp/archives/cat/database) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像(興福寺)
鳩槃荼像(くばんだぞう)は夜叉であり、特別、動物のイメージはないように思われるが、八部衆のうち五部浄像・沙羯
迦像・乾闥婆像・楼羅像・畢婆迦羅像には明確に動物のイメージがある。
興福寺の八部衆の中でもっとも有名な阿修羅はどうだろうか。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ASURA_Kohfukuji.jpg?uselang=ja よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘 English: OGAWA SEIYOU [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
私は阿修羅の細長い、筋肉のついていない腕を見て、これは昆虫の足に似ていると思った。
蜘蛛に似ていると思うがどうだろうか。

現在の阿修羅は胸前で合掌しているが、もともとは合掌していなかったという。
阿修羅の合掌する腕の肘から下を下にむければますます蜘蛛に似ている。
蜘蛛の脚は8本である。
阿修羅の腕は6本で2本足りないが、脚の2本を足すと蜘蛛と同じ8本になる。
古事記・日本書紀・風土記などに『土蜘蛛』と呼ばれる人々についての記述がある。
土蜘蛛とは朝廷にまつろわぬ民のことで、穴の中に住み、身体的特徴として『背が低くて手足が長い』と記されている。
阿修羅像の像高は台座の部分を含めて153.4cmと小柄で、脚の長さはそうでもないが、腕は異常に長い。
②隻眼の神
また阿修羅像の左目は、いったん白でキャッチライトを入れたあと、墨で塗りつぶされている。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:ASURA_detail_Kohfukuji.JPG?uselang=ja よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
阿修羅は隻眼なのである。
③隻眼はたたら製鉄の神
隻眼はたたら製鉄に携わる人の職業病である。
たたら製鉄では鉄の温度を見るために片目で火を見るため、片目を失明することが多かったという。

興福寺 藤
④土蜘蛛は坑道の中に棲んでいた?
日本書紀・風土記などに『土蜘蛛は穴の中に住む』と記述があるところから、土蜘蛛とは未開の民族だと考えられているが、私はそうではないと思う。
『穴の中にすむ』とは『坑道の中に住む』という意味で、『鉱山の神』を意味しているのではないだろうか。
阿修羅をはじめとする八部衆像はもともとは西金堂に安置されていた。
西金堂は734年に光明皇后が亡母・橘三千代のために建立したものだが、現存していない。

⑤阿修羅は阿部内親王16歳像?
西金堂が建立された734年、聖武天皇と光明皇后の間に生まれた阿部内親王は16歳であり、阿修羅像は阿部内親王16歳の姿をうつした像ではないか、という説がある。
阿部内親王は女性として初めて皇太子に立てられた人物で、749年に即位して孝謙天皇となった。
758年には淳仁天皇に譲位したが、764年に重祚(再び天皇になること)し、称徳天皇となっている。
淳仁天皇から皇位を取り上げると宣言して重祚したり、藤原仲麻呂の乱を平定したりとなかなかの女傑だったようである。

采女祭 後方に見えているのは興福寺五重塔
⑥称徳天皇は蝦夷だった?
『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』には、称徳天皇は蝦夷の安倍一族の出身であると記されている。
当時、日本の東国には蝦夷と呼ばれるまつろわぬ民が住んでおり、朝廷はたびたび蝦夷征伐の軍を送っていた。
あるとき、大野東人が率いる朝廷軍が蝦夷軍に大敗し、それによって蝦夷の安倍氏の血を引く彼女が次期天皇になると取り決められたというのである。
また東大寺の大仏建立に用いられた黄金は、称徳天皇が蝦夷で東国出身であった関係で、奥州から送られたと記されている。
『東日流外三郡誌』は後世の偽書であるとされているが、なかなか興味深い記事である。
もしも『東日流外三郡誌』がいうように、称徳天皇が安倍氏の血をひいており、阿修羅像が阿部内親王16歳像であるとすれば、阿修羅が蜘蛛の姿をしていること、隻眼であることの理由がわかる。
安倍氏は朝廷に服しない蝦夷であった。
安倍氏は土蜘蛛というにふさわしい。
また奥州では金が採掘されているため、鉱山の神は隻眼だということで、阿修羅は片目が潰されて隻眼にされたのではないだろうか。

興福寺 夜景
土蜘蛛の謎⑤ 蜘蛛の巣に住む観音へつづく~
トップページはこちら→土蜘蛛の謎① 亀石伝説