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八咫烏は復活した太陽神だった。 (上賀茂神社 烏相撲) 

上賀茂神社 烏相撲  
●烏相撲

上賀茂神社の細殿前には砂で作った二基の円錐形が並んでいた。
立砂と言い、神様の寄代である。

立砂の前には土俵がつくられており、大勢の参拝者が土俵をとりまいていた。
まもなく式典が始まり、十二単姿の斎王代が登場して細殿の中に座り、白い褌をしめた子供力士たちが登場した。

烏帽子に白張姿の刀弥がピョンピョンと横飛びして弓矢や太刀を運び、立砂の前に置くしぐさがおもしろい。
その後、正座をして「カーカーカー」「コーコーコー」と3回鳴き、烏相撲が始まった。

●上賀茂神社と下鴨神社

『山城国風土記』の賀茂神社縁起に次のように記されている。

ある日川から丹塗りの矢が流れてきた。
玉依姫がこれを持ち帰り、枕元に置いて寝るとやがて妊娠した。
こうして産まれたのが上賀茂神社の御祭神・別雷命である。


上賀茂神社では別雷命を、下鴨神社では賀茂建角身命と玉依姫を祀っている。
玉依姫は別雷命の母神、賀茂建角身命は玉依姫の父神なので、別雷命にとっては祖父神ということになる。

賀茂建角身命は記紀神話に登場するヤタガラスのことである。
烏相撲では刀弥が烏の鳴きマネをするが、刀弥には八咫烏の神霊が乗り移っているということなのだろう。

●八咫烏は復活した太陽神である。

梅原猛氏は数字の八は復活を意味する数字だといっておられる。
『八角墳』や『八角堂』は死者の復活を願って作られたものではないかというのだ。
なるほど、八は復活を意味する数字と考えると辻褄のあう言葉がたくさんある。

『八咫鏡』とは死んで天岩戸に籠もった天照大神を岩戸から出して復活させるのに用いられた鏡。
『八所御霊』とはもともとは怨霊であった人たちのことで、慰霊されて神として復活した者たち。

そして『八咫烏』は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多く、復活した太陽神のことだと考えられる。

記紀は八咫烏は天孫・神武天皇を道案内した烏だとしているが、神代には『猿田彦神』という神が天孫・ニニギを葦原中国へ道案内したという話がある。
八咫烏と猿田彦神は同じ様に天孫を道案内しているので、同一神だと考えられる。

八咫烏=猿田彦神

猿田彦は高天原から葦原中国までを照らす神であると記されている。
それにぴったりくる名前を持つ神がいる。
照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)、つまり物部氏の祖とされるニギハヤヒのことである。

猿田彦神=ニギハヤヒ
八咫烏=猿田彦神
∴八咫烏=猿田彦神=ニギハヤヒ


そして天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊、という神名を持つこの神が本当の天照大神だという説がある。

天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)=天照大神

また記紀では鳥が葬儀を行ったり、死んだヤマトタケルが白鳥となって飛び立つ話などがあって、鳥は死んだ人の魂を表すものと考えられる。

ゆえに、八咫烏とは復活した天照大神=ニギハヤヒ=猿田彦神のことだと考えられる。

●物部王朝

神武天皇は東征に出立するにあたって、『東にはニギハヤヒが既に天の磐船を操って天下っている』と発言している
ここから神武以前に物部王朝があったとする説がある。

そしてニギハヤヒは別名を天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊というが、大神神社の御祭神・大物主神は別名を倭大物主櫛甕魂命という。
二神は「櫛」「玉(魂)」が同じなので同一神だとする説がある。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、ニギハヤヒと大物主が同一神だとすれば大物主もまた物部氏の神だということになる。

初代神武天皇は大物主神の娘を皇后としているが、これは神武が物部王朝に婿入りしたということだろう。
また、先ほども述べたように本当の天照大神は天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(ニギハヤヒ)だとする説があり、だとすれば、天照大神はもともとは物部氏の神だったということになる。

天照大神が天皇家の祖神とされているのは、神武が物部王朝に入り婿となったためだと考えられる。
神武が物部王朝の入り婿になったのであれば、天皇家の祖神が天照大神だといっても間違いではない。(母方の祖神)
天照大神が男神ではなく女神とされているのは、そのためではないだろうか。

そして陰陽道では『怨霊は神として祀りあげればご利益を与えてくれる和霊に転じる』と考える。
神武に政権を奪われたニギハヤヒは当然怨霊として恐れられただろう。
八咫烏は怨霊であるニギハヤヒが復活して和霊に転じた神なのだろう。

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[2014/09/09 20:00] 京都 | トラックバック(-) | コメント(-)

大原雑魚寝の習慣はなぜ生じたのか (江文神社 八朔踊) 


  
江文神社 八朔踊


※昔、ネガで撮影したものを安物のスキャナーで読み取ったものなので画質が悪くてすいません(汗)。
もうちょっとましなスキャナーを買おうかと検討中です。
おすすめなどありましたら教えてください!

●江文神社の八朔祭

すっかり日が暮れたころ、氏子さんたちが列をつくり、町名を書いた高張提灯(たかはりちょうちん)を掲げは伊勢音頭を歌いながら石段をあがってきた。
その後、氏子さんたちは輪をつくり、古風な踊を踊り始めた。
この踊は八朔踊といわれ、毎年9月1日に行われている。 

地域の氏神の祭祀に携わる村落内の組織のことを宮座というが、八朔踊は宮座行事のひとつである。

江文神社の宮座には長男は15歳、次男以下は17歳で加入するのがしきたりで、八朔踊は主にそういった若い青年たちによって踊られる。
曲は道念音頭といって楽器を用いない独特のものである。

江文神社では倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)を祀っている。。
『ウカ』は穀物・食物を意味し、ウガノミタマは穀物神とされている。

そして八朔とは旧暦の8月1日のことで、早稲の穂が実るころである。
初穂=田の実ということで、『田の実の節句』ともいわれていた。
江文神社で八朔祭が行われるようになったのは、穀物神である倉稲魂命を祀っていためかもしれない。


●江文神社ではなぜ伊勢音頭を歌うのか。

氏子さんたちは伊勢音頭を歌いながら階段を登ってきたが、なぜ伊勢音頭を歌うのだろうか。

伊勢音頭は『荷物にならない伊勢土産』といわれ、伊勢参りをした人々や伊勢御師(特定の寺社に所属して、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をした人のこと。)によって全国的に広まったとされる。

また江文神社の御祭神・ウガノミタマは天照大神と関係の深い神である。
伊勢神宮外宮の社伝によれば雄略天皇の夢枕に天照大神が現れて次のように言ったという。
『一人では安らかに食事がにできないので、丹波国にいる御饌の神・等由気大神(豊受大神)を呼び寄せるように。』と。
そして二見興玉神社ではウガノミタマは伊勢神宮外宮の豊受大神の別名であるとしている。
二見興玉神社の伝が正しければ、ウガノミタマと豊受大神は同一神であり、天照大神が伊勢に呼び寄せたのは、ウガノミタマだったということになる。

さらに『古事記』によれば、ウガノミタマはスサノオと神大市姫命(オオヤマツミの娘)との間に生まれたとある。
海部氏系図にこの神大市姫の名前が記されているが、それによれば、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫・、日女命(ひめのみこと)の別名である。
つまり、日女命と神大市姫は同一神と考えられる。
さらに日女命とは天照大神のことだと考えられるので、神大市姫命の子であるウガノミタマは天照大神の子だということになる。

神が子を生むというのは神が分身をつくるということだ、とする説がある。
とすればウガノミタマは天照大神の分身である。

昔の人はそういうことがわかっていて、それで江文神社の氏子さんたちは祭に伊勢音頭をとりいれたのかもしれない。

●天照大神は男女双体の神?

私は天照大神とはサルタヒコとアメノウズメの男女双体の神で、仏教の神・歓喜天と習合されていると思う。

歓喜天は大抵秘仏とされていてめったにお目にかかる機会がないが、像の頭を持った二体の仏が抱き合う姿で表現されることが多い。

歓喜天には次のような説話がある。

国中に不幸なできごとが蔓延し、それらは鬼王ビナヤキャの祟りであるとされた。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。


双身歓喜天像の相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音菩薩の化身ビナヤキャ女紳とされる。 (参照→ 

そして道祖神は猿田彦神と天鈿女の男女双体の神とされており、次のような神話がある。

天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神があった。
天鈿女が名を尋ねると
『私は国津神で猿田彦神と申します。ニニギを葦原中国まで道案内しようと思い参りました』
と答えた。
こうしてニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に
『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』
と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。(古事記)


猿田彦神は高天原から葦原中国までを照らす神であったと記されているが、これにぴったりな神名を持つ神がある。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)、ニギハヤヒである。

初代神武天皇は日向に住んでいたのだが、あまりに国の端だということで、東征をめざす。
その際、塩土の翁が『東にはニギハヤヒが天の磐船を操って既に天下っている』と発言している。
ここから、初代神武以前に物部王朝があったという説がある。

そして、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊が本当の天照大神ではないか、という説がある。
ニギハヤヒとナガスネヒコの妹・トミヤスヒメの間にできたウマシマジノミコトは物部氏の祖神とされている。
ここから、初代神武以前に物部王朝があったという説もある。

ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国へ天下ったのち、天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り、彼の名前を伝えて仕え祭れ』と命じている。

『彼の名前を伝えて仕え祭れ』というのは、ニニギは天鈿女に『猿田彦と結婚せよ』と命じたということだろう。

次にニニギは天鈿女に『猿田彦神に仕え祭れ』と命じているが、『仕える』というのは『性的に奉仕する』ということだと思う。
天鈿女は天照大神が天岩戸に隠れたときにはストリップをして神々を笑わせた。
また猿田彦神に出会ったときにも胸を開き、帯をずらして誘惑するような行動を取っている。
天鈿女は性の女神なのである。

そして『祭る』というのは言うまでもなく『神として崇める』という意味だが、かつて神と怨霊は同義語であった。
というのは、陰陽道では荒ぶる怨霊は十分に祀ればご利益を与えてくださる神に転じると考えられていたからである。

怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病の流行や天災は怨霊の祟りだと考えられていた。
そこで怨霊を神として祭り、祟りを鎮めるだけでなく、新たなご利益までも神に祈ったのである。
なんとも自分勝手な考え方ではある。
つまり「猿田彦は怨霊で祟る神であったため、神として祭りあげることでご利益を与えてくださる神にせよ」とニニギはアメノウズメに命じたということだろう。

猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市))の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んでいる。
比良夫貝とはシャコ貝のことであるとか、月日貝のことであると言われている。
女性器のことを鮑に喩えることがあるが、シャコ貝は二枚貝なのでぴったり割れ目が塞がっている。
猿田彦神はシャコ貝のような女性器に手を挟まれて抜けなくなり、愛欲に溺れて死んだのだろう。

道祖神は猿田彦神と天鈿女が手を繋ぎ合う姿で表されることが多い。
しかし道祖神は手を繋ぎあっているのではなく、天鈿女によって猿田彦神の手がおさえつけられ、身動きできなくなった状態を表しているのではないだろうか。
歓喜天はビナヤキャがビナヤキャ女神に足をふみつけられているが、道祖神は足のかわりに手がおさえつけられているというわけである。

記紀には天照大神は女神であると明記されている。
しかし、天照大神は男神であるという伝承は各地に伝わっている。
私は天照大神とは男女双体の神だと思う。
それゆえ、天照大神はスサノオの姉として登場したり、ストリップに興味を持つ男性として登場したりするのだろう。

ということは、天照大神は天皇家の祖神とされるが、本当は物部氏の祖神だということになる。
天皇家が天照大神の子孫だと名乗っているのは、本当は男女双体の神である天照大神を女神として細工をしたためだと思う。
初代神武天皇は大物主神の娘のヒメタタライスズヒメを皇后としているが、大物主神は正式名称を倭大物主命(ヤマトオオモノヌシクシミカタマノミコト)という。
そして天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒと櫛・魂(玉)が同じなので、二神は同一神ではないかともいわれている。

ニギハヤヒは物部氏の祖である。
神武は物部王朝に婿入りすることで政権を乗っ取り、ヒメタタライスズヒメを天照大神としたのだろう。
ヒメタタライスズヒメを天照大神とするということは、天照大神を女神にしたてあげたということである。
すると、神武の子孫は天照大神の子孫を称しても間違いではないということになる。

●大原雑魚寝

かつて江文神社には節分の夜に雑魚寝する習慣があり、て大原雑魚寝と呼ばれていた。

むかし井出(かつて江文神社のあたりの地名を井出といった)の大淵に大蛇が人を食べるので、村中の男女は節分の日に江文神社の拝殿に参籠した。
そして、この夜にどのような情事があっても見逃したという。
この習慣は明治以前に禁止になった。

さて、なぜ江文神社では節分の日に雑魚寝する習慣があったのだろうか。
私はこのフリーセックスの習慣は一種の神事であり、先に述べた猿田彦とアメノウズメの説話に基づくものだと思う。

神はその表れ方によって、御霊・和霊・荒霊の3つに分けられるという。
そして男神は荒霊、女神は和霊をあらわすとする説がある。

御霊・・・・・神の本質・・・・・・・・・男女双神
和霊・・・・・神の和やかな側面・・・・・女神
荒霊・・・・・神の荒々しい側面・・・・・男神


歓喜天や猿田彦&アメノウズメの説話はこれをうまく言い表していると思う。

節分の日には鬼が出ると考えられていた。
鬼とは荒霊である。
そのため、男女和合によって荒霊を御霊とする呪術が、大原雑魚寝ではないだろうか。

またかつて真言立川流という仏教の宗派があったが、立川流では髑髏本尊をつくってその前で美女と性交をするという修法が行われていた。
江戸時代に邪教として迫害されて現在立川流は消滅したとされているが、かつてはたいへん流行った宗派であったという。

美女と性交をするというのは異様な修法のようにも思えるが、御霊・和霊・荒霊という陰陽道的な考え方に基づくものだと考えると、なるほどと納得がいくのではないだろうか。

そして立川流では髑髏本尊を7年間抱いて寝ると、8年目に髑髏は命を持って話し出すと考えていたそうである。

梅原猛さんによれば数字の8は復活を意味する数字ではないかという。
八角堂や八角墳は死者の復活を願って作られたものではないかというのである。

節分は暦法・二十四節気における元旦であった。
この日、雑魚寝することによって男女和合させた鬼は、八朔(8月1日)に神として復活し、その神のご利益で稲が実ることを祝うのが、江文神社の八朔祭なのではないだろうか。
江文神社・・・京都市左京区大原野村町643
八朔踊・・・9月4日 19時ごろより(確認をお願いします。)

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[2014/09/02 20:00] 京都の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)