交野天神社の拝殿前には茅の輪がもうけられており、私は次のように唱えながら3回茅の輪をくぐった。
水無月の 夏越の祓ひ する人は、千歳の命 延ぶといふなり (1回目/左回り)
思ふこと みなつきねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな(2回目/右回り)
蘇民将来 蘇民将来(3回目/左回り)
水無月(6月)の晦日(月の最終日のこと。)に茅の輪潜りをする習慣は全国にあるが、これは次の故事に基づくものである。
「神代の昔、蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟があった。
蘇民将来は貧乏で巨旦将来は金持ちだった。
しかし貧乏ではあったが蘇民将来は武塔神(素戔嗚尊)に宿をかし、巨旦将来はこれを断った。
後に疫病が流行ったとき、武塔神は蘇民将来の子孫には茅の輪をつけて疫病から守ったが、茅の輪をつけない者はすべて死んだ。(備後国風土記) 」
私の友人はこんなことを言っていた。
「苗字が将来で、名前が蘇民と巨旦ということは、彼らは日本人ではないのではないか。
朝鮮や中国も苗字のあとに名前がくる。
名前のあとに苗字がくるのは西洋人である。
彼らは西洋人なのではないか。」と。
蘇民将来や武塔神という神の起原はよくわかっていない。
密教の神「武答天神王」を起原とする説、朝鮮系の神とする説などがあるが、そのルーツはもっと西にあるのではないかとする説もある。
琉球地方に『シマクサラシ(疫祓いの意)』という風習がある。
牛を屠り、その血にススキの穂や桑の葉を浸し、家の門口や四隅に塗っておく。
こうしておくと、悪霊が入ってこないと言い伝えられ、旧暦の2月に行われることが多い。
同じような話が旧約聖書の『出エジプト記』の『過ぎ越しの物語』にある。
「モーゼはすべての長老を呼び次のように言った。
『羊を過越の犠牲として屠りなさい。そしてその血にヒソプ(ハッカ科の植物)を浸し、鴨居と入り口の二本の柱に血を塗りなさい。そして夜があけるまで外に出ず、家の中に籠もっておくように。』と。
神ヤーベはエジプト人の家で生まれた初子を全て殺した。
その際、戸口に羊の血が塗られたユダヤ人の家には立ち寄らなかった。」
この話にちなんでユダヤでは毎年、太陽暦の3月末から4月初めころ、過越祭が行われている。
琉球の『シマクサラシ』とユダヤの『過越祭』は日本の蘇民将来伝説に似ている。
血と茅は音が同じであるところから、日本では血のかわりに茅を使うのだろうか、などと思ったりもする。
スサノオを祭る神社では『蘇民将来子孫也』と書いた護符を授与しており、人々はそれを求めて玄関に貼って魔よけにする。
同じ様にユダヤ人はメズサという神の言葉を書いた護符を家の門口につける。
蘇民将来は『将来蘇る民』と読める。
聖書には『終末にメシヤが到来し、死者は墓から蘇る』とある。
メシヤが蘇させるのはユダヤ人であって、エジプト人ではないだろう。
蘇民将来はユダヤ人、巨旦将来はエジプト人のイメージと重なる。
蘇民将来がもてなした武塔神はスサノオと同一視されている。
またスサノオは牛頭天王と習合されている。
牛頭天王に対する信仰が日本に伝わってスサノオになったという説もある。
牛頭天王像は牛を頭に載せた姿のものもあるが、角の生えた姿で作られているものもある。
ミケランジェロが刻んだモーゼにもまた角がある。
ヘブライ語で光のことをkornと記す。
角もまたkornであり、ミケランジェロは光と角を間違えたのだろうとされている。
スサノオはモーゼをモデルとして作られた日本の神様なのかもしれない。
佐伯好郎氏は論文『太秦を論ず」の中で次のように述べておられる。
「中国ではローマを『大秦』、景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院のことを『大秦寺』と言った。
渡来人であった秦氏は京都市右京区の太秦を本拠地としていたが『太秦』と『大秦』は点ひとつの違いである。
そして広隆寺は別名『太秦寺』とも呼ばれていた。
さらに広隆寺の弥勒菩薩半迦思惟像の手の印は、壁画に描かれた景教徒の手の印と全く同じである。
秦氏は『秦の始皇帝の子孫である』と称しており、日本書紀は秦氏は百済より渡来したと記している。
しかし、秦氏が住んでいた地域から発掘される瓦のほとんどは新羅系であり、また新羅地方で広隆寺の弥勒菩薩像とそっくりな像が見つかっており、新羅系であるという説が有力である。
また朝鮮半島の南に伽耶という国があり、国力が弱く新羅や百済の影響を受けやすかった。
この伽耶が秦氏の故郷だとする説もある。
日本書紀には応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ/秦氏の先祖とされる。新撰姓氏録では融通王となっている。)が民を率いて日本にやってきたと記されている。
秦氏のルーツは中央アジアのバルバシ湖の南にあった『弓月王国』というキリスト教国ではないか。」と。
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[ 2014/06/26 ]
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