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皇位継承の糸を括る女神(岩船寺) 

がんせんじ じゅうさんじゅうのとう
岩船寺 十三重石塔

岩船寺は729年、聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝わっているが、この年『長屋王の変』が起こっている。
その後、岩船寺には次々と堂塔が建立されているが、それぞれ天皇の誕生年、もしくは即位年と重なっている。

①806年、空海の甥・智泉大徳が伝法灌頂(密教の儀式)の道場として報恩院を建立・・・806年、平城天皇が即位。

②813年、嵯峨天皇が堂塔伽藍を整備・・・810年 嵯峨天皇の第二皇子・仁明天皇が誕生。
※813年の堂塔伽藍の整備は、嵯峨天皇が仁明天皇の誕生を感謝して行ったものだと寺伝にはっきりと明記されている。

③承和年間(834~847) 仁明天皇が智泉大徳を偲んで三重の塔を建立・・・833年 仁明天皇即位。

④946年 阿弥陀如来像が作られる・・・946年、村上天皇が即位。

私は前回の記事「天邪鬼の叫び(岩船寺」)において、岩船寺は長屋王の怨霊を鎮めるために創建された寺ではないかと述べた。
岩船寺は729年、聖武天皇の勅願により行基が創建したと伝わっているが、この年『長屋王の変』が起こっているからだ。

『長屋王の王の変』は藤原氏の陰謀によるものと考えられている。
その後737年に藤原四兄弟は天然痘にかかって相次いで死亡し、長屋王の怨霊の祟りであると噂された。
長屋王は怨霊として畏れられていたのである。

長屋王の邸宅は現在のイトーヨーカ堂奈良店のあたりにあった。
イトーヨーカ堂になるまえはそごう奈良店だったのだが、そごうは倒産したため、イトウヨーカ堂が出店したのだ。
そごうが倒産して閉店となったとき、「そごうが倒産したのは長屋王の祟りである。」という噂が流れた。
死後、1000年以上たっても祟るとは、長屋王の怨霊、恐るべし。

荒ぶる怨霊は神として祭り上げればご利益を与えてくださる和霊に転じるという、なんとも身勝手な信仰がかつての日本にはあった。

平城天皇、仁明天皇、村上天皇らは長屋王に皇位継承祈願をし、それがかなえられたとして岩船寺に堂塔を建てたのではないだろうか。

さてそごうデパートを建設するにあたり、建設予定地で奈良文化財研究所による発掘調査が行われた。
ここから大量の木簡群(長屋王家木簡)が発見されたのだが、その木簡の中に「長屋王」ではなく「長屋親王」と記されたものがある。
ここから、長屋王は実際には長屋親王であり、皇位継承権があったとする説がある。
皇位継承祈願には皇位継承に敗れた人物に祈願するのが最も効果があると考えられていたのかもしれない。

本堂を出て、私はもう一度白山神社を参拝することにした。
私は「乱れた糸を括る女神(白山神社)」において、次のように述べた。

①白山神社は729年に創建されたもので、岩船寺の鎮守として柿ノ本二丸が社殿を造り、行基がイザナミを勧請した。
②白山神社の御祭神はイザナミだが、全国のほかの白山神社はククリヒメを御祭神としている。
③イザナミとククリヒメは同一視されたものと考えられる。
④ククリヒメは乱れた糸をくくり整え、仲を取り持ち和す神であると信仰されている。

白山神社が創建された729年は岩船寺の創建年と同じで、この年、長屋王が自殺している。

そして、女神は和霊を、男神は荒霊を表すとする説がある。
とすればイザナミ=ククリヒメは長屋王の和霊である。
ククリヒメは乱れた糸をくくり整えるというが、その糸とは皇位継承の糸なのだろう。

がんせんじ ふどうみょうおう あじさい
岩船寺 石室(不動明王立像)
岩船寺・・・京都府木津川市加茂町岩船上ノ門43


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[2014/06/14 21:00] 奈良 | トラックバック(-) | コメント(-)