乱れた糸を括る女神(白山神社)
白山神社
浄瑠璃寺から歩いて岩船寺までやってきた。
途中、いくつも点在している石仏を拝みながら、30分ほどかかっただろうか。
雨が降ったり止んだりするぐずついた天気で、蒸し暑い。
岩船寺の山門に続く階段の脇に石風呂がある。
棺のようにも見えるが、底に水抜き穴があいているので棺ではない。
鎌倉時代に作られたもので、かつてはこの石風呂で身を清めてから岩船寺を参拝するのがしきたりだった。
岩船寺の門の右手に坂道が伸びており、その坂道を登っていくと割拝殿がある。
割拝殿をくぐると赤い社殿がふたつ並んで建っていた。
向かって左が白山神社で岩船寺の鎮守の社、向かって右は白山神社の摂社の春日神社である。
白山神社は729年に創建されたもので、岩船寺の鎮守として柿ノ本二丸が社殿を造り、行基がイザナミを勧請したと伝わる。
春日神社は、江戸時代に建立されたものである。
白山神社の総本社は石川県白山市の白山比咩神社で、御祭神は菊理媛神(くくりひめのおおかみ)・イザナギ・イザナミの三柱となっている。
岩船寺鎮守の白山神社の御祭神はイザナミだがが、白山神社という社名から、人々はこの社にククリヒメのイメージを重ねたことだろう。
ククリヒメは、日本書紀の一書にたった一度だけ登場する女神である。
イザナギは、イザナミを連れ戻すために黄泉の国へいく。
しかしイザナギは蛆がわいたイザナミの姿を見て恐ろしくなって逃げ出した。
イザナギは泉津平坂(黄泉比良坂)でイザナミに追いつかれ、口論となった。
そこに泉守道者が現れ、イザナミの言葉を取継いで『一緒に帰ることはできない』と言った。
ククリヒメが何かを言うと、イザナギはそれを褒め、帰って行った。
(日本書紀 一書)
ククリヒメの発言の内容については何も記されていない。
日本書紀に記されているのはこれだけだが、白山比咩神社をはじめ、全国の白山神社ではククリヒメは縁結びの神として信仰されている。
ククリヒメは乱れた糸をくくり整え、仲を取り持ち和す神であるというのである。
これは、ククリヒメの発言がイザナギとイザナミの仲を取り持ち和したということからくる信仰なのだろう。
『ククリヒメ』の『ククリ』は『括り』『括る(糸を紡ぐ)』『潜り(水神)』『聞き入れる』などが転じたものとする説がある。
『潜る』は『水の中にもぐる』あるいは『水につかる』という意味で平安時代ぐらいまでは『くくる』と発音されていた。
『水の中にもぐる』『水につかる』とは禊ぎをすることである。
岩船寺の門の前に石風呂がおかれてあったのを思い出してほしい。
昔、参拝者は石風呂で禊ぎをしてから岩船寺を参拝したということだった。
江戸時代までの日本では神仏は習合されていたので、白山神社を参拝するのも岩船寺を参拝するのも同じことであった。
『ククリヒメ』は『潜り姫』で禊ぎの神なのではないだろうか。
そして『潜り姫』は語呂合わせで『括り姫』となり、縁結びの神にもなったのではないかと想像する。
語呂合わせによって神の神格を変えるというのは珍しいことではない。
例えば本来は和歌の神であった柿本人麻呂は人丸とも呼ばれ、『火止まる』の語呂合わせから『防火の神』に、『人生まる』の語呂合わせから『安産の神』へと神格を広げている。
また七福神の一である恵比寿は本来は海の神であるが、『お足が出ない』の語呂合わせから商売繁盛の神としても信仰されるようになった。
逆の『括り姫』から『潜り姫』になったんじゃないか、という意見があるかもしれないが、私はそれはないと考える。
神はその現れ方によって三つに分類される。
神の本質のことを御霊、神の荒々しい側面のことを荒霊、神の和やかな側面のことを和霊という。
『括り姫』は縁結びの神、ご利益をもたらす神、和霊である。
また神と怨霊は同義語であったともいう。
怨霊は祀らなければ祟りをもたらすが、十分に祀ればご利益をもたらす神に転じると考えられていた。
『ククリヒメ』はもともとは怨霊だったと考えられる。
黄泉の国へ行って変わり果てた姿となり、イザナギを追いかけてきたイザナミがククリヒメのもともとの姿ではないだろうか。
行基がイザナミを勧請して白山神社としたのは、そのためだと思う。
イザナミが禊ぎ、すなわち潜りをしたので『潜り姫』となり、禊をした結果和霊に転じて縁結びの神『括り姫』となったのだと私は考える。
天邪鬼の叫び(岩船寺)へ続く。
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