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流星と天狗(あまつきつね) 霊山寺 

霊山寺 干支祭2
霊山寺 干支祭(5月第3日曜日)


霊山寺・・・奈良県奈良市中町3879


鼻高仙人の正体 (霊山寺) よりつづく

前回、ご紹介した霊山寺の伝説をもう一度読んでみよう。

「小野富人(小野妹子の子であるという。)は壬申の乱に関与したため、672年に右大臣を辞して、登美山に住んだ。
684年、富人は熊野本宮大社に参篭した。
そのとき、薬師如来(熊野速玉大神の本地仏)が夢枕にあらわれて『薬湯を作り、病人をたすけよ』と告げた。
そこで富人は登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬湯を設けた。
人々は富人を登美仙人または鼻高仙人(びこうせんにん)と呼んで敬った。 」

そして私は次のようなことをお話しした。
①壬申の乱は、大友皇子(天智天皇の皇子)vs大海人皇子(天智天皇の弟)の争いで、大海人皇子が勝利した。
②小野富人は壬申の乱で大友皇子側についていたので、乱後、右大臣を辞したのだろう。
③ところが、歴代右大臣のリストの中には小野富人の名前がない。
④壬申の乱が起こったとき右大臣だったのは中臣金である。
⑤中臣 金は壬申の乱では大友皇子側について戦ったが、金は捕えられて処刑となり、金の子孫は流罪となった。
⑥中臣金が建立したと伝わる佐久奈度神社の宝物に鼻高面(天狗の面)がある。
⑦霊山寺の由来には「小野富人が672年に右大臣を辞して登美山にすみ、鼻高仙人と呼ばれた」とあるが、672年右大臣だったのは小野富人ではなく中臣金であった。
⑧中臣金が創建した佐久奈度神社に鼻高面がある。
 鼻高仙人と呼ばれた小野富人と中臣金は同一人物ではないか。
⑨小野富人が登美山に住んだというのは、死んだ小野富人の霊が登美山に住んだということではないか。
⑩小野富人が薬湯を設けたというのは、小野富人のご加護があって薬湯ができたということではないか。

さて、霊山寺の伝説には続きがあった。

「728年、流星が宮中に落下するという事件がおき、阿倍内親王(のちの孝謙天皇)がノイローゼとなった。
このとき、聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、湯屋の薬師如来に祈れば治るとのお告げがあった。
聖武天皇は行基に命じて登美山を参拝させた。
するとたちまち阿倍内親王の病は回復した。
そこで734年、聖武天皇は行基に命じて大堂を造らせ、736年にインドバラモン僧の菩提僊那が寺名を霊山寺と名づけた。 」

「728年、流星が宮中に落下するという事件がおき、阿倍内親王(のちの孝謙天皇)がノイローゼとなった。」とある。
現在では流星が流れて消えるまでの間に願い事を3回唱えることができればその願いは叶うなどといわれており、流星には希望のイメージがある。
しかし、古代には流星はまがまがしいものと考えられていたようである。

たとえば、日本書紀には637年、巨大な星が轟音を立てて東から西へ流れ、僧の旻が「流星ではない。これは天狗である。」と発言したと記されている。

小野富人が鼻高仙人と呼ばれていたことを思い出してほしい。
そして小野富人と同一人かもしれない中臣金が創建した佐久奈度神社には鼻高面があった。
鼻高面は鼻の高い天狗の面であった。
小野富人には天狗のイメージがある。

728年に宮中に落ちた流星とは、天狗=小野富人の霊だと考えられたのではないだろうか。
つまり、小野富人は怨霊で、宮中に流星が落ちたのは小野富人の怨霊の仕業だと考えられたのではないかと私は思うのである。


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[2014/05/20 18:12] 奈良 | トラックバック(-) | コメント(-)