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賽の河原の鬼(西院春日神社・高山寺)

春日神社 藤
西院春日神社 藤

西院春日神社・・・京都市右京区西院春日町61
高山寺・・・京都市右京区西院高山寺町18 


823年、淳和天皇は異母兄・嵯峨天皇より譲位を受けて即位し、嵯峨天皇皇女の正子内親王を皇后とした。
ふたりの間には恒貞親王がうまれた。

833年、淳和天皇は嵯峨天皇の第二皇子、仁明天皇(淳和天皇皇后・正子内親王の弟)に譲位した。
仁明天皇の皇太子には淳和天皇の第二皇子・恒貞親王がたてられた。
淳和天皇は退位して淳和院という離宮に移り住んだ。
その際、淳和院の守護社として創建されたのが西院春日神社である。

840年、淳和上皇は崩御した。
その後、藤原良房が仁明天皇と妹の藤原順子との間にできた道康親王を皇太子につけたいと考えているとの噂が流れた。
伴健岑と橘逸勢は恒貞親王の身を案じ、恒貞親王を東国へ移す計画を立て、その計画を安保親王(51代平城天皇の皇子)に相談した。
しかし安保親王はこの計画にのらず、逆に伴健岑・橘逸勢の計画を橘嘉智子に密告した。
驚いた橘嘉智子は、これを藤原良房に伝えた。
この結果、伴健岑と橘逸勢は捕らえられて流罪となった。
恒貞親王は廃太子となり、出家した。
そして仁明天皇と藤原順子(藤原冬嗣の娘・藤原良房の同母姉)の間にできた道康親王(のちの文徳天皇)が立太子した。
これを承和の変(842年)という。

恒貞親王の母親・正子内親王は仁明天皇の同母姉で、仁明天皇とは同年の生まれである。
ここから仁明天皇と正子内親王は双子ではないかと言われている。
姉弟は承和の変によって、運命が真逆になってしまったのである。
正子内親王は自分の母・橘嘉智子を激しく恨んだという。

春日神社から徒歩5分くらいのところに高山寺があり、門前に「淳和院跡」と刻まれた石碑が建てられている。

高山寺 淳和院跡
高山寺

淳和上皇が崩御したのち、淳和院は皇后・正子内親王の御所となった。
874年に焼失した後、尼寺となり淳和院は西院とも呼ばれるようになった。
西院という地名はこれにちなむとされる。

その後、淳和院跡に高山寺が創建された。
創建年代は不明だが、本堂の子安地蔵は足利尊氏が近江堅田にあったものをこの地に移したと伝えられている。

現在西院は『さいいん』と読まれているが、江戸時代には『さい』と読まれていた。
そして西院は語呂合わせから『賽の河原』だと考えられた。
『賽の河原』とはあの世にあるという河原のことである。

賽の河原地蔵和讃という歌がある。

これはこの世のことならず 死出の山路の裾野なる さいの河原の物語 聞くにつけても哀れなり
二つや三つや四つ五つ 十にも足らぬおさなごが 父恋し母恋し 
恋し恋しと泣く声は この世の声とは事変わり 悲しさ骨身を通すなり 
かのみどりごの所作として 河原の石をとり集め これにて回向の塔を組む
一重組んでは父のため 二重組んでは母のため 三重組んではふるさとの 兄弟我身と回向して
昼は独りで遊べども 日も入り相いのその頃は 地獄の鬼が現れて やれ汝らは何をする
娑婆に残りし父母は 追善供養の勤めなく ただ明け暮れの嘆きには 
酷や可哀や不憫やと 親の嘆きは汝らの 苦患を受くる種となる 
我を恨むる事なかれと くろがねの棒をのべ 積みたる塔を押し崩す 
その時能化の地蔵尊 ゆるぎ出てさせたまいつつ 
汝ら命短かくて 冥土の旅に来るなり 娑婆と冥土はほど遠し 我を冥土の父母と 思うて明け暮れ頼めよと
幼き者を御衣の もすその内にかき入れて 哀れみたまうぞ有難き 
いまだ歩まぬみどりごを 錫杖の柄に取り付かせ 忍辱慈悲の御肌へに 
いだきかかえなでさすり 哀れみたまうぞ有難き 南無延命地蔵大菩薩


親より先に亡くなった子供は、親の供養のため、賽の河原で石を積んで塔を作ると考えられていた。
ところが鬼がやってきて石積みの塔を壊してしまう。
そこへお地蔵様がやってきて救ってくださるという内容の歌である。

淳和天皇は死後、自分が鬼にならないように火葬して散骨するように遺言したと伝わっている。
なぜ淳和天皇は自分が鬼になることを恐れたのだろうか。

淳和天皇の皇子・恒貞親王は承和の変で廃太子となり、淳和天皇の血をひく者がその後皇位につくことはなかった。
承和の変がおこったのは淳和天皇の死後であるが、淳和天皇は生前に藤原良房の陰謀を察していたのかもしれない。
そして藤原良房を恨む心から、自らが鬼になることを恐れ、散骨を遺言したのかもしれない。

淳和天皇の陵は小塩山の山頂のパラボラアンテナの隣にあるが、現在の淳和天皇陵は幕末から明治にかけて修造されたものである。
もともとは小石を積み重ねた「経塚原」「経塚」「清塚」があっただけだったという。
小石を積み上げた塔がある風景を想像すると、それはまるで賽の河原である。

賽の河原で子供たちが積み上げた塔を壊す鬼とは、淳和天皇のことなのではないだろうか。

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