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生島大神・足島大神と十種神宝 (生國魂神社) 

いくたまなつまつり みこし


●生玉・足玉と生島大神・足島大神

生國魂神社(大阪市天王寺区)は神武東征の際、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀り、国家安泰を祈願したことに始まるとされる。
主祭神はもちろん生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神で、相殿に大物主大神を合祀している。

相殿の大物主大神とは前回お話した大神神社の御祭神であるが、生島大神・足島大神という神名はあまり馴染みがない。
いったい、どのような神様なのだろうか。

生國魂神社は生玉神社とも記すが、生玉とは十種神宝のひとつである。

十種神宝とは天照大神がニギハヤヒに与えたとされる十個の宝のことである。
※十種神宝・・・沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉(まかるかへしのたま)足玉(たるたま)・道返玉(ちかへしのたま)・蛇比礼(おろちのひれ)・蜂比礼(はちのひれ)・品物之比礼(くさぐさのもののひれ)
これらを用いて死者を生き返らせることもできるとされるが、現在、十種神宝の所在は不明である。

この十種神宝の中に足玉なるものも含まれている。

十種神宝の生玉は生島大神、足玉は足島大神と関係があるのではないだろうか。

weblio辞書 には、生玉とは「持つ人を長生きさせる玉」であると、こちらのサイトには説明がある。

十種の神宝 ← こちらのサイトでは生玉とは「生き生きした活動をもたらすもの」、足玉とは「その形体を具足させるもの」となっている。

ウィキペディア生國魂神社には「二柱は日本列島そのものの神」であると記されている。

また、長野県上田市にはこの生島大神・足島大神を祀る生島足島神社があり、ウィキペディア 生島足島神社 には、「生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神」と説明がある。

なるほど、足島大神の「足」は「満たす」「足す」という意味だったのだ。

また、足と葦は音が同じなので、足島大神という神名から、私は葦原中国を思い出す。
足島とは葦島=葦原中国のことで、足島大神とは葦原中国を神格化した神なのではないだろうか。
だとすれば、ウィキペディア生國魂神社に記載された「日本列島そのものの神」であるということとも合致する。

●生島大神・足島大神は長野の神?

生島足島神社の伝説によれば、「建御名方富命(摂社・諏訪神社祭神)が諏訪へ向かう途中、この地で生島大神・足島大神に米粥を献じたという。
この伝説から一般に、生島大神・足島大神はこの土地の地主神だと考えられている。

しかし、生島大神・足島大神を長野県上田市の神だとすると、辻褄のあわないことがいくつか生じる。

生國魂神社では「神武天皇が東征して畿内入りする際、難波先(現在の上町大地)のの先端に生島大神・足島大神を祀って国家安泰を祈願した。」としている。
神武東征のルートは、日向・高千穂→筑紫→豊国・宇沙(現 宇佐市)→阿岐国→吉備国→浪速国→紀国→熊野→大和・宇陀→忍坂となっていて、長野辺りには行っていない。
それなのに、なぜ長野県の神を難波国の上町台地に祀るのか。

また生島大神・足島大神は宮中においても生島巫(いくしまのみかんなぎ)によって祀られていた。
そして天皇即位の際には二神を祀る八十島(やそしま)祭が行われていた。
朝廷が天皇即位の際に長野の神を祀るというのもおかしな話である。

また古代、難波の地は淀川や大和川が運ぶ土砂によって多くの島が形成され、難波八十島と呼ばれていた。
生國魂神社の祭においても、氏子さんが「難波八十島に鎮座する生島大神・足島大神」というような意味の長歌を読み上げていた。
八十島祭という祭の名前は、難波八十島からくるものだと考えられる。

●神武、物部王朝の神を祀る。

十種神宝は物部氏の祖先であるニギハヤヒが天照大神より授けられたものとされているが、生國魂神社のある大阪は物部氏の本拠地であった。

日向より東征してやってきた神武天皇は河内湾(河内湖/現在は陸地となっているが、かつて内海が形成されていた。)に侵入し、東大阪付近で上陸している。
前回、お話したように神武東征以前、物部氏の祖・ニギハヤヒという神が天の磐船を操って大阪府交野市付近に天下っていた。
ここから神武以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

上陸した神武はニギハヤヒを神と奉じるナガスネヒコと激しく戦ったが、ナガスネヒコ軍に圧され気味で、いったん退いた。
そして迂回して紀州より畿内入りを果たすのである。
ニギハヤヒは神武に服し、ナガスネヒコは自分が神と奉じるニギハヤヒに殺されたと記紀には記されている。

生國魂神社は神武天皇が神武東征の際に生島大神・足島大神を祀ったというが、生島大神・足島大神は物部氏の神である可能性が高い。

陰陽道では「怨霊は神として祀り上げればご利益を与えてくださる神に転じる」と考えるそうだが、神武にとって物部氏の神は怨霊そのものであったことだろう。
そして怨霊を神に転じさせるために祀ったのが生國魂神社ではないだろうか。

生國魂神社・・・大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9 
生玉夏祭・・・7月11日、12日


 
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[2014/07/17 21:00] 大阪の祭 | トラックバック(-) | コメント(-)