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日本人が成立してから、ネアンデルタール人と交配?日本ではネアンデルタール人の人骨は発見されていないのだが?


①武田先生は「弥生時代に渡来人が日本列島に渡ってきた」ことは認めている?

上記動画の中で、次の様な発言がある。

>0:47 この日本のこのルーツっていうのがですね、まあ言ってみれば騎馬民族説だとか
弥生人とか渡来人とかいうのは実はここ1000年とか2000年の間のことだけ言ってるんですね、まあ3000年とか。

武田先生は、騎馬民族説や弥生時代に渡来人が日本にやってきたということ自体はありえると考えておられるのだろうか。

ちなみに日本の時代区分は次のように分類されている。

旧石器時代 /?~ 紀元前14000年頃まで
縄文時代 /紀元前14000年頃 ~紀元前10世紀
弥生時代 /紀元前10世紀 – 3世紀中頃

⓶旧人も石器を作った。

旧石器時代を考えるとき、注意しなければならないのは、我々現生人類以外の化石人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)も石器をつくったということである。

たとえば世界最古の石器で検索すると、ケニアのトゥルカナ湖西岸で発見された約330万年前のものとでてくるが
これは猿人が作ったものと考えられている。

日本最古の石器で検索すると島根県砂原遺跡出土の石器がでてくる。
11万~12万年前のものであるとされる。
そしてこの砂原遺跡の石器はデニソワ人が作ったものではないかと考えられている。

砂原遺跡は現生人類が作ったものだとする説もある。

現在、現生人類はアフリカで誕生し、ここから世界中に広がっていったとするアフリカ単一起源説が有力視されている。
(人類はそれぞれの地域で原人から現生人類に進化したとする地域進化説もある。例えばネアンデルタール人がヨーロッパ人に、北京原人が中国人に、明石原人が日本人になったなど。)
※アフリカ単一起源説が有力視されている理由については後で述べる。

現生人類が誕生したのは約20万年前で、日本に到着したのは3万8000年ごろと考えられている。
3万8000年前というのは、次に述べる岩宿遺跡が約3万年前のものであるというところからくる。

しかし、アフリカ単一起源説を正しいとしても、砂原遺跡出土の石器が、絶対に現生人類によってつくられたものではないとも言い切れない。
3万8000年前よりももっと早い時代に日本に現生人類が到着していた可能性はなくはないからだ。

③岩宿遺跡は約3万年前。日本に人が住み始めた時期は5万年にまで遡れるか。

>しかし日本人が日本列島に住み出したっていうのは、どんなに短くても5万年前で
それも遺跡の数が一番以上あるって事はですね

ここで武田先生が「遺跡」とおっしゃっているのは、砂原遺跡ではなく、縄文時代以前の旧石器時代の遺跡、たとえば岩宿遺跡などのことだ。

かつて日本には旧石器時代はないと考えられていたので、そのころの地層の発掘調査は行われていなかったのだが
関東ローム層を掘ったところ約3万年前の地層から石器群が出土し、日本にも旧石器時代があったことが確認された。
その後も同時期の遺跡が続々と発見され、その遺跡の数は4000カ所以上とのこと。
https://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1000000000589/ こちらの記事では遺跡の数を1万ヵ所以上としている。)

発掘された遺跡の名前から、日本の旧石器時代は岩宿時代と呼ばれることもある。

武田先生がおっしゃっている石器は、岩宿時代のもののことで、これは現生人類が作ったものだろうが
年代は武田先生がおっしゃる5万年前ではなく約3万年前である。
約3万年前の石器があるということは、それよりもっと早い時点で日本に石器を作る人々がいたという可能性はあるが
5万年前まで遡れるかどうかは疑問である。

④渡来人が日本にやってきていないのであれば、日本人のほとんどがD系統(縄文系)のはず。しかしO系統が多い。

>1:15 もちろん未発見の遺跡って、その10倍ぐらいあるでしょうし非常に人口も多かったわけですね
それからナウマン像だとかヘラジカなんかと戦った跡ですね、まあそれの武器だとか
そういったものから見てもですね相当の戦闘能力を持ってた日本人独特の高度な技術もあったわけで
それが5万年前にあるのにですね
それから5万年経って簡単に大陸の方から大量に人が渡ってくるとかですね
もちろん海を越えて大量に人が渡ってくるってこと自体がですね、その今と違いますからないわけですね

「日本列島に先住民である縄文人がいると、後から渡来人がやってこない」と武田先生はおっしゃっているのだが、
そんなことは言い切れない。

岩宿時代の遺跡が関東地方に多いことは、2023年6月8日のヒバリクラブで武田先生自身もおっしゃっていたが
縄文時代にも人は関東地方に多く住んでいたと考えられている。
つまり、九州地方にはあまり人が住んでいなかったのだ。
そこへ渡来人がやってくるということは普通に考えられる。

また弥生時代に渡来人がやってきたであろうことは、Y染色体ハプログループの研究からも裏付けられる。
縄文人のY染色体ハプログループはD系統である。
ところが現在の日本人でD系統は35%程度で、O系統のほうが多い。
そして、O系統は中国や朝鮮にも多い。
つまり、O系統の人々が縄文時代以降日本にやってきたと考えられる。
もし、渡来人が日本列島にやってきていないのであれば、日本人のほとんどがD系統のはずである。

もしかすると、日本列島にやってきた渡来人は少数であったかもしれない。
しかし、渡来人には子孫を増やす能力があったかもしれない。
その能力とは稲作技術である。稲作を行えば、狩猟採集よりも安定して子孫を増やすことができる。
とすれば、日本列島にやってきたあと、彼らは縄文人よりも子孫を増やした可能性がある。

⑤Y染色体ハプログループの研究は遺伝学、考古学、言語学が融合されている。

>2:09 歴史の方は文献を当たるだから紙があって文字がなきゃだめ
考古学の人は遺跡を掘り出してやっていくんですね
それからここで今日説明するのは言語学とか、それから遺伝学なんですけどもそれぞれ分かれてるんですね
こういった別れた学問を融合しなきゃいけないということはもうずいぶん前から今から50年ぐらい前から
ですね
●●●●(聞き取れず)とか融合しようとかいうことはずっと言われてるんですが

最近研究が進んでいるY染色体ハプログループの研究は
文字がない時代なので、文献を読みとくということはやっていないが

Y染色体の突然変異で変化した塩基配列のちがいからグループ分けし(遺伝学)、
これを遺跡の年代(考古学)にあてはめて、
アフリカで誕生した人物がどのように世界中に広がっていったのかを推測し(遺伝学と考古学の融合)
言語(言語学)とY染色体の変異の間の相関が密接であるとする研究(言語学と遺伝学の融合)から
父系言語仮説が唱えられている。

⑥父系言語仮説

>5:13 日本語っていう言語はですね、この図は英語テキストなんですが
世界の言語学をまとめたものですね。
言語同士の親戚関係なんかをまとめてるんですが残念ながらここにもちろんジャパニーズ・日本語はなくてですね

この図は「ヨーロッパのそれぞれの言語はどれぐらい似ているのか、の図」
https://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/2014/01/european-languages-lexical-distance-chart/
なので、日本語はなくて当然である。

>5:45 日本語の類似言語は原則としてはないんです

類似言語がないとされているのは、日本語だけではない。
朝鮮語、アイヌ語、キリヤーク語なども類似言語のない系統不明言語とされている。

ただし、ウィキ・ハプログループO (Y染色体)のところには、Y染色体ハプログループO1b2が弥生人(倭人)の言語と記されており、系統樹も示されている。

オーストリック大語族(中国南部から東南アジア、インド東部/Y染色体ハプログループはO1)があり
その下に、
・オーストロアジア語族(東南アジアからインド東部・バングラデシュ/Y染色体ハプログループはO1b1)
・弥生人(倭人 Y染色体ハプログループはO1b2)
となっている。

⓻日本語のルーツを考えるには、大和言葉を調査する必用がある。

>6:02 非常識とか常識の前に非をつけるとかですね、無というのをつけるとかですね
こういった否定語をつける言語の多さという点では、ここの言語は似ているというような言語はないじゃないんですけども

言葉は時代とともに変化するので、言語のルーツを考える場合、古い言葉を調査する必用がある。

非常識とか常識という言葉もそうだが、もともとは中国語であって、それを日本流に発音した言葉ではないだろうか。
そうではなくて、日本にもともとある古い言葉、大和言葉と他言語の比較を行わなければならない。

例えば現在の日本に「ラジオ」「テレビ」などの言葉があり、英語のradio,televisionなどの言葉に似ているから、
日本語のルーツは英語だ、などというのがおかしな論だということは、ご理解いただけると思う。

⑧日本人とネアンデルタール人はどこで交配したのか

>8:55 日本でたどり着いた人がいたか、それとも生粋に日本列島の中で日本人という新種が誕生したかどっちかであって

前者は単一起源説、
後者は多地域進化説(例えば北京人から中国人へ、明石原人から日本人へと進化したというような説)
である。

現在、Y染色体ハプログループの研究が進み、その結果、人類はアフリカで誕生し、Y染色体の塩基配列を少しづつ変化させながら世界中へ広まったとする説が支持されている。

そして、塩基配列の変化によってA、B、C、Dなどのようにグループ分けされ、系統樹もつくられている。
当然、似たような塩基配列のグループは、系統樹の近いところに配置され、異なる塩基配列のグループは系統樹の離れたところに配置されることになるのだろう。

このような系統順は、順序が逆ではないかという疑問をもってしまうが、
最古級の現生人類の人骨が発見されているのはアフリカで、30万年前とか、20万年前のものが見つかっていることもあり、アフリカ起源とするのは妥当だと思う。

ときどき、日本人は明石原人から進化したといいながら
日本人のY染色体ハプログループD1a2a は日本人特有のもので、優秀な遺伝子である、などという人がいる。

そういう人には、そのY染色体ハプログループの研究がアフリカ単一起源説の正しさを示していると思われるが、
なぜY染色体ハプログループをもちだしながら、多地域進化説を支持しているのか、ぜひ理由を説明していただきたい。

>9:18
もちろん日本人の遺伝子の中にはネアンデルタール人の遺伝子の比率が1.8%

全ての日本人がネアンデルタール人の遺伝子をもっているわけではなく、30%程度だ。
また日本人だけがネアンデルタール人の遺伝子をもっているわけでもなく、アフリカ以外の人の50%程度はネアンデルタール人の遺伝子をもっているという。

>9:28
日本人ができてからネアンデルタール人とのわずかな交配があったということを示しているんではないか

ネアンデルタール人の人骨はヨーロッパで発見されている。日本人とどこで交配したのだろうか。
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「穢多・非人を通常の社会に入れると殺される」のはそこに差別意識があるから。



武田氏発言まとめ

①穢多・非人は国の中の特殊身分制度。士農工商には入っていない。
⓶日本人は差別しなかったが、ユダヤ人が外国から入ってきた時に日本人はどういう風に扱ったか。
このような問題はもう無限にある。
③アイヌもそうだが、そういう外国との折衝もある。
④なかなか普通の人間として生活できないような人もいる。
⑤人数的に例外的である人を、どう扱うかというのは難しい問題。
⑥現在の社会では、希な人を正常な人と一緒に取り扱おうというのが正しいという社会。
⑦⑥が正しいかどうかについては議論されていない。
⑧知能が遅れている人を特殊学校に入れるのは正しい。
⑨知能が遅れている人を普通の小学校に入れて、みんながいじめるのがいいのか。
⓾足の悪い人、病気がちな人に合わせたことをやるという考え方もある。
⑪穢多・非人の人を通常の士農工商の中にいれると、すぐ殺されるといようなことになったと思う。
⑫それはやはり社会が別に保護しなきゃいけない
⑬穢多・非人は別の所に集団で住まわせるしかないという状態だった。
⑭スポーツは男女わけてやるが、穢多・非人を分けるのはそれと同じ。
⑮実質平等、実質人間の尊厳を認めるということ。

①穢多・非人は国の中の特殊身分制度。士農工商には入っていない。
そのとおりであるが、
最近の歴史教科書では「士農工商」と言う言葉は書かれていないらしい。
昔の歴史教科書には江戸時代の身分制度として「士農工商」と明記されていたが、数年前に廃止になった。
士農工商とはもともとは「国中のすべての人びと」という意味で儒学からくる言葉である。
近代、士農工商は江戸時代の身分制度を意味すると考えられるようになって、教科書にも掲載されていたのだが
研究が進んだ結果、江戸時代の身分制度を身分が高いものから順に、士農工商とするのは誤まりであったことがわかり、訂正されたのである。

士農工商の言葉が教科書からはずされた理由は主に
a. 武士が上で農工商に身分の上下はない。農工商は単なる職業区分=武士・平人・賤民の三つの身分が存在していた。
b.僧侶・神官など士農工商に分類できない職業もある。
という2点だった。

しかし、これを士農工商は単なる職業区分だったと勘違いした人が大勢いたようで、ブログ記事などにそのように書いている人もいた。

武田氏も勘違いをされており、ご自身のブログで「士農工商は単なる職業区分」とおっしゃっていたと思う。

武田氏はよく「日本には身分制度はなかった」「日本には階級制がなかった」とおっしゃっているが
それは武田氏の「士農工商は単なる職業区分」という勘違いからくる発言である。

正しくは、「士が上で、農工商が下」「武士・平人・賤民の三つの身分が存在していた。」である。

⓶日本人は差別しなかったが、ユダヤ人が外国から入ってきた時に日本人はどういう風に扱ったか。
このような問題はもう無限にある。

①で述べたように日本の身分制度は、「武士・平人・賤民の三つの身分が存在していた。」といえるが
身分制があることと、差別が存在することは微妙に異なるだろう。
「日本人は差別しなかった」かどうか。これについては、のちほど考えることにしよう。

「ユダヤ人が外国から入ってきた時に日本人はどういう風に扱ったか。」という発言について
5世紀ごろ日本にやってきたとされる秦氏はユダヤ人ではないかという説があるそうだが、これについておっしゃっているのだろうか?

そうかもしれないが、武田氏のこの発言だけでは、何のことなのかわからないというしかない。

③アイヌもそうだが、そういう外国との折衝もある。

これも意味がわからない。アイヌは外国だといっているのだろうか?

④なかなか普通の人間として生活できないような人もいる。

障害のある人はサポートが必用だろうが、穢多・非人は障害者ではない。

⑤人数的に例外的である人を、どう扱うかというのは難しい問題。

たとえばアイヌのような少数民族は、例外的といえるかもしれない。
言語や文化が異なるからだ。
例えばアイヌは、土地を所有するという概念がなく、契約という概念も持ち合わせていなかったため
ある程度保護をしないと、騙されて土地から何から取り上げられてしまうというようなことが起こってしまう。
現在はそのようなことはないだろうが、昔はそのようなことが実際にあったと聞いた記憶がある。

しかし、穢多・非人は異民族ではなく、日本民族である。
言葉の障害、文化の障害はない。
非人は神事に深くかかわるなど、どちらかといえば文化を牽引してきた人々であるとさえいえる。

穢多・非人は、武士・平人と何がちがうのだろうか。
武田氏は肝心のそれを一切説明していない。

⑥現在の社会では、希な人を正常な人と一緒に取り扱おうというのが正しいという社会。
⑦⑥が正しいかどうかについては議論されていない。

ノーマライゼーションという言葉がある。
その意味は、社会的な弱者の環境整備を整え、普通の生活が送れるような社会にすることである。
例えば、足の不自由な人でも苦労することなく通勤できたり、買い物できたりする社会。
知的障害がある人については、彼らが自立して生活できるよう、サポートが受けられる社会、というような意味だろう。

足が悪い人を足の悪くない人と同様に扱って通勤・買い物で苦労させたり
知的障害のある人に何の手助けもせず、一般的な社会に放りだすというような社会を、われわれは目指してはいない。

⑧知能が遅れている人を特殊学校に入れるのは正しい。

上の記事に体験談などが掲載されていて参考になる。

程度や個別の状況によって、特別支援学級に入れた方がよいケース、通常学級に入れた方がよいケースがあるようで
一概には言えないのかなと思った。

⑨知能が遅れている人を普通の小学校に入れて、みんながいじめるのがいいのか。

知能が遅れている同級生をいじめるのは、差別である。
知能が遅れている同級生がいてもいじめず、仲良くできるのが望ましい。
「知能が遅れている人を普通の小学校にいれると、同級生がいじめる」という発言は、日本に差別があることを前提としているものと思われる。
差別のない社会であれば、知能が遅れている人があっても、いじめたりせず、仲間としてうけいれるはずである。

⑪穢多・非人の人を通常の士農工商の中にいれると、すぐ殺されるといようなことになったと思う。
⑫それはやはり社会が別に保護しなきゃいけない
⑬穢多・非人は別の所に集団で住まわせるしかないという状態だった。

これも⑨と同じ。
日本人に差別意識がなければ、穢多・非人が同じ社会にいても、殺されるなどということは生じないだろう。
つまり、このように発言すること自体、武田氏は「日本人には差別意識があった」といっていることになる。

⑭スポーツは男女わけてやるが、穢多・非人を分けるのはそれと同じ。

男女は体のつくりが異なるが、穢多・非人の男性は他の男性と、穢多・非人の女性は他の女性と変わるところはない。

⑮実質平等、実質人間の尊厳を認めるということ。

上に説明したように、穢多・非人の存在は、日本に差別があったことを物語るものであり
武田氏が導く結論は誤まったものだと言わざるをえない。

もう少し補足しておこう。
武田氏は、穢多・非人は稀な人、といっているが、どう稀であるかの説明をしていない。
穢多・非人はアイヌのような少数民族ではなく、身体に障害のある人々でもない。
異なるのは、その職業と身分である。

武田氏は彼らの職業と身分を理由に、稀な人であるので、一般社会にいれると殺されるから保護したというのだが
職業や身分を理由に殺されるのは、日本に差別があったということになる。

また1856年渋染一揆がおこっている。

池田慶政が「御倹約御触書」を出した。
その内容は
・被差別部落民の着物は無紋・渋染・藍染に限る。
・雨天の際や仲間の家に行く時は栗下駄を許すが、顔見知りの百姓に出会ったら下駄を脱ぐべし
・他村へ行く時は下駄をはいてはいけない

これに備前国岡山藩の被差別部落住民が反発して、強訴した。

強訴の罪によって12人が牢屋にいれられて、6人が獄死している。

これのどこが保護なのだろうか。

歴史は実際にどのようなことがおこったか、で判断するべきものである。
武田氏の語る歴史は、差別を保護と言い換えた、単なる言葉遊びのようなものである。
しかし、単なる言葉遊びであるから矛盾が生じてしまっている。

繰り返しになるが
「穢多・非人の人を一般社会にいれると、すぐ殺される」から保護したというが
「穢多・非人の人を一般社会にいれると、すぐ殺される」ような社会は、差別のある社会である。
よって武田氏の理屈では「日本には差別があった」ということになるのである。



ノーベル賞受賞者とY染色体ハプログループは関係がない。2022年4月18日 追記あり


「日本列島の古代史 日本人の遺伝子」 という記事があり、間違った内容なので、指摘しておきたい。

1⃣現世人類はアフリカで誕生して世界中に拡散したので、日本列島にはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわない。

氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかったため、日本独自の歴史を歩みました。
約 200 万年前には日本固有の明石象が、日本国内に広く生息していたことが分かっています。


「氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかったため、日本独自の歴史を歩みました。」と記したあとに、
「約 200 万年前には日本固有の明石象が、日本国内に広く生息していたことが分かっています。」と続いているので、
混乱するが、
現在、現生人類は10数万年前ごろ、アフリカで誕生したという説が有力視されているので、
現生人類が経験した氷期はヴュルム氷期(7万年前~1万年前)ということになる。

(砂原遺跡から11万~12万年前の石器が発見されているが、これは現生人類ではなくデニソワ人などの旧人と考えられている。)

「氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかった」とあるが、
上記リンク先の地図では津軽海峡、対馬海峡、北海道、樺太も大陸とつながっている。

画像検索すると、津軽海峡・対馬海峡が繋がっていない地図もあるが、海を渡ってやってくることは可能だろう。

いずれにしても、現生人類は10数万年前ごろ、アフリカで誕生し、そこから世界中に広がったと考えられているので、
日本列島へはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわなくなる。

2⃣新生人類が10数万年前ごろアフリカで誕生したと考えられている理由

ここで現生人類が10数年前ごろアフリカで誕生したと考えられている理由について簡単に述べておきたいと思う。

現在、Y染色体ハプログループの研究が盛んにおこなわれている。
遺伝子は突然変異によってその塩基配列が変化する。
Y染色体の、変化した塩基配列のタイプによってグループ分けしたものがY染色体ハプログループと呼ばれるもので
A、B、C、Dなどの系統がある。
またこれらのハプログループは系統樹も作られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
ハプログループごとの塩基配列がどうなっているのかは知らないが
系統樹を作る時、似たような塩基配列であれば近い場所に置き、違いの大きい塩基配列のものは遠い場所に配置するなどして系統樹を作ったものと思われる。
そのような作業を行ったところ、人類共通の先祖としてアフリカの男性(Y染色体アダムと呼ばれる)にいきつくというのである。

また現生人類の最古級の人骨はほとんどアフリカで見つかっている。

かつては「多地域進化説」が主流だったが、DNA分析とその比較によって、アフリカ単一起源説がただしいらしい、ということがわかってきたそうである。

また年代測定技術の進化によって、ホモサピエンスの化石の一部が、旧人のネアンデルタール人よりも古いことがわかり、ネアンデルタール人がヨーロッパや中近東の人々の祖先であるといえなくなったということである。

(参考「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」溝口優司 ソフトバンク新書 p70)

3⃣旧石器時代について


旧石器時代について、ウィキは次のように記している。
「ホモ・ハビリスなどヒト属による石器(打製石器)の使用が始まった時代」

ホモ・ハビリスとはすでに絶滅したヒト属である。

前期旧石器時代・・・約260万年前 - 約30万年前
中期旧石器時代・・・約30万年前 - 約3万年前
後期旧石器時代・・・約3万年前 - 約1万年前

中期旧石器時代のムスティエ文化は主にネアンデルタール人による文化と考えられているが、
中期旧石器時代は現生人類による文化も含まれているものと思われる。
その理由は人類が10数万年前に誕生しているからだ。
後期旧石器時代のオーリニャック文化は現生人類による文化である。

つまり、10数万年前から約1万年前ぐらいまでが、現生人類による旧石器時代と考えられるだろう。

4⃣地層が「12 万年~5 万年前」だと、原人の可能性も、現生人類の可能性もある。

「12 万年~5 万年前の旧石器時代に、最古の日本民族と言われる明石原人ニッポナントロプス・アカシエンスの化石と石器・加工木製品が出土しました。その人骨化石を巡って、原人かヒトかの論争が続きましたが、その化石が戦災で焼失したため、遺伝子検査は不可能となりました。」


単なる書き損じかもしれないが、この書き方だと、「12 万年~5 万年前の旧石器時代に、明石原人の化石が出土した」となってしまう。
「12 万年~5 万年前の旧石器時代の地層から、最古の日本民族と言われる明石原人ニッポナントロプス・アカシエンスの化石と石器・加工木製品が出土しました。」と書きたかったのだと思われる。

直良信夫が明石屏風ヶ浦で人の腰骨を発見。崩れ落ちた土の中にあったが、骨に青い土が付着していることから「西八木層」と判断。
「西八木層」は当時、中期更新世の地層と考えられていた。現在では、年代測定によって12万年前~5万年前とされている。
~略~
明石人骨が発見された地層の堆積当時(12万年前~5万年前)、明石に人類がいたことは加工木材片や石器の出土から確実と思われる。しかし、その人類がどのような位置づけになるのか依然として「謎」は残されている。


地層は「12 万年~5 万年前」とされているようである。
「その人類がどのような位置づけになるのか」というのは、原人なのか、新生人類なのかという意味だと思う。

現生人類誕生がアフリカで十数年前で、そこから人類が世界中に拡散したとされているので、
地層が「12 万年~5 万年前」だと、原人の可能性も、現生人類の可能性もあるが、明石原人の骨は消失しているので、遺伝子検査ができず不明ということではないかと思う。

5⃣日本人男性の約半数が中国・朝鮮と同じ遺伝子(O1b2・O2)をもっている。

「アリゾナ大学の研究の結果によれば、日本人男性 62.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%という固有の遺伝子を持ち、他国には見られない特殊な遺伝子であることから、大陸や南の島々からから渡来した民族ではなく、日本固有の民族だと考えられます。」


「大陸や南の島々からから渡来した民族ではなく、日本固有の民族だと考えられます。」

というのがまちがいであることはすでにのべたように、
現生人類は10数万年前にアフリカで誕生したと考えられているので、日本へはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわないのだ。

「日本人男性 62.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%」というのは、
「日本人男性61.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%」の間違いだと思う。
34.7%+22%+4.4%=61.1%となる。

まあこれは大した問題ではない。

Y染色体ハプログループD1bは、現在でははD1a2aと名称が変わっている。
ややこしくなるので、現在の名称で書くが

日本固有のY染色体ハプログループはD1a2aで、アイヌの80%以上 本土日本人の35%がD1a2aをもっている。
O1b2系統は、日本列島(30%)の他、満州(34%)、朝鮮(30%)にもある。
O2系統は日本(20%)、中国(55%)、朝鮮(50%)、ベトナムにもある。(※数字は全て約)

「他国にはない特殊な遺伝子」はD1a2aのみで、それを持っている日本人は35%程度。これはまあ特殊な遺伝子といっていいかもしれない。
O系統は、O1b2が30%、O2が20%、合計50%となり、これは中国・朝鮮にもあるので、日本だけにある特殊な遺伝子とはいえない。

中国人、韓国人の遺伝子には全く近似点はありません。


というのもまちがいだ。

6⃣ノーベル賞受賞者とY染色体ハプログループは関係がない。

世界のノーベル賞受賞者の遺伝子検査の結果、Y 遺伝子 D1b が大きく関与していることが分かりました。
日本人のノーベル賞受賞者が極めて多く、Y 遺伝子 D1b を持たない朝鮮人がノーベル賞皆無である事実がこれを証明しています。


これもまちがいである。

2021年時点でのノーベル賞受賞者は

1位 アメリカ 388人
2位 イギリス 133人
3位 ドイツ  109人
7位 日本     28人

D1a2a(旧D1b)は日本固有のY染色体ハプログループなので、アメリカ・イギリス・ドイツ人は持っていない。
数の多さだけでなく、人口を考える必要があるかもしれないが

アメリカ 3億3290万人    
イギリス    6820万人   
ドイツ    8390万人   
日本   1億2610万人

残念ながら日本は人口はイギリス・ドイツより多いが、ノーベル賞受賞者はイギリス・ドイツよりもかなり少ないといわざるをえない。

そして、日本人は28人だが、このうちD1a2aは何人いるのか。
調べた結果があるのならば出してほしい。


【追記】
新生人類が10数万年前にアフリカで誕生し、世界中に拡散したとするならば、
日本列島にはどこからか人類がやってこないと辻褄があわない。
それなのになぜ、Y染色体ハプログループD1a2aは日本だけにあるのかについての説明を忘れていた。

Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBなどのような系統に分化した。
このハプログループBから一塩基多型の変異(YAP)が生じ、ハプログループDEとなった。
ここから、ハプログループD、ハプログループEにわかれた。

ハプログループD1a2aはこのハプログループDのサブクレードで、ハプログループD系統の人類が日本にやってきたのち、日本列島でD1a2aが成立したと考えられている。

チベットにはハプログループDのサブクレードD1a1が多い。

Y染色体ハプログループ の系統樹を参照してほしい。

なぜ、チベットと日本にハプログループDがあって、その他の地域には少ないのか。
これについて、ウィキペディアは次のように説明している。

東南アジアにO系統が広く流入した為、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。





YAP遺伝子は親切遺伝子、神の遺伝子は都市伝説


1⃣YAP遺伝子?

ある有名な元大学教授がこんなことを言っておられた。

「遺伝子のタイプもそれぞれ違うタイプの人間がアフリカから出てきた。
その遺伝子を持ってる人間はもうすでに日本だけだという説もある。」

日本人だけが持っているY染色体ハプログループD1a2aのことを言っておられるのかと思ったが

ときどきネットで「YAP」という言葉を見かけるので、「もしかしたら、それのことだろうか」と考えて調べてみた。

すると、
「YAPは日本人とユダヤ人だけが持つ」とか
「YAP遺伝子は神の遺伝子」
「YAP遺伝子は新説遺伝子」などの文字が目に飛び込んできた。

あちゃー、どうやらこれのことですね。
「YAP遺伝子は神の遺伝子」という文字だけ読んでもトンデモ説っぽい。

これについては多くの人がすぐにトンデモ説だと気がつくだろうし、バカバカしいような気もするが
せっかく調べたのでメモしておこうと思う。


2⃣YAPと親切を結び付ける研究はないと思う。

ウィキペディアの記述をまとめる。

ハプログループD・EはYAPという変異で定義される。
YAP (ヤップ、Y-chromosome Alu Polymorphism)とは、Y染色体の長腕部「DYS287 Yq11」上にある約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型。
この古代に起きた「M1」と定義される変異の痕跡(SNP)をY染色体上に持つのは、
本来ならばtRNA、rRNAなどの核内低分子RNAに転写されるべきものが、何らかの要因によってY染色体上のDNA配列に挿入されてしまったもので、生体内での働きについては未解明である。
Alu配列とは蛋白質をコードする配列を全く含まず、制限酵素Aluで認識されるためこの名がつけられた。
YAP変異をもつ系統はハプログループEとハプログループDに限られる。


Alu配列というのは、ウィキを読んでも難しくてよくわからない(汗)ので、宿題とさせていただくが
YAPとは、Y染色体ハプログループD、またはEのことをいうのだとわかった。
日本人固有のD1a2aは、ハプログループDのサブクレード(細分岐)である。
つまり、このD1a2aもYAPだということになる。

「生体内での働きについては未解明である。」とあり、YAPと親切を結び付ける研究はないと思う。


3⃣D1a2aが成立したのは約3万年前、当時イスラエル王国はなかった。

さらに調べると、日本人とユダヤ人だけがYAPを持っているという誤情報も拡散されているようだった。

YAPのあるハプログループDは日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原などで
やはりYAPのあるハプログループEは、 サルデーニャ島、モロッコ、 北アフリカ、西アジア、 チュニジア、ユダヤ人などでみられるもので、日本人とユダヤ人だけが持っているということはない。

「YAP遺伝子は日本の男性・女性が持っている遺伝子で神の遺伝子とも呼ばれている」という記事もあったが
Y染色体ハプログループは父から息子に伝えられるものなので、女性がもっているというのはおかしい。

「YAP遺伝子のルーツは南北イスラエル王国が倒れた際、東に移動していたユダヤ人の一部が日本に入国しYAP遺伝子を残した」
と言う記事もあったが、嘘だ。

日本固有のD1a2aが成立したと考えられているのは、約3万年前で、そんな時代にイスラエル王国(前1021年頃 - 前722年)はなかったw


4⃣日本人だけが持っているのは事実だが、日本人の30%しかもっていない。

また現在の本土日本人でYAP(Y染色体ハプログループD1a2a)を持っているのは30%程度である。
なので、日本人だけが持っているというのは事実だが、日本人のうち、30%の人にしかあてはまらない。

ちなみに、大陸や半島の人も持っているY染色体ハプログループO系統は、50%ぐらいの人がもっている


長濱氏 Y染色体ハプログループ



6⃣日本と韓国は、頻度は違っても同じハプログループをもっている。

「朝鮮人はホモサピエンスと遺伝子が約900万も相違点がある」との誤情報を流した動画もあったらしい。
現在再生できなくなているが、誤情報&ヘイトとして削除されたのかもしれない。

これが間違いであることは、上のグラフ「日本および周辺地域のY染色体頻度」をみればわかる。
日本と韓国は、頻度は違っても、C、D、Oなど同じものをもっている。

さらに

↑ この記事の「ミトコンドリアDNA亜型の日本と中編地域における頻度の比較(日本人になった先祖たち」)篠田謙一より引用・改変)を見てほしい。

これをみると、現代の、山東・丁寧、韓国、本土日本のミトコンドリアDNAの頻度は大変よく似ている。

記事にも次のように記されている。

「このグラフからは、まず山東・遼寧の集団(臨淄人に相当)と韓国(礼安里人に相当)、本土日本の集団とが保持するmtDNA亜型の種類およびその頻度において、ほとんど差異がないことに驚かされる。
つまり、この3地域の集団は、言語も、文化も違うが、DNAに関する限りは同じようなヒト達が、同じ割合で存在している。これは、山東、遼寧、韓国から渡来人が日本列島に押し寄せて形成された、mtDNA亜型であると考えれば、十分納得出来るものである。」




5⃣選民思想はいい加減にしてほしい。

本当にネトウヨと呼ばれる人々は、このように「日本は特別」「日本は一番」のように考えるのが好きだなあと思う。
その情報が正しければまだいいのだが、事実でないのに事実であるかのように偽って
「日本は特別」というのは本当に恥ずかしい。

またこういうのを「愛国心」ともいわないだろう。
単なるコンプレックスであるが、どうすれば気付かせることができるのだろう?







岩宿時代人がどこからやってきたのか、なぜ大陸系のO(Y染色体)が多いのかの説明がない。(追記あり)


1⃣朝鮮半島は無人だったのか?


長濱浩明 年表


長濱氏は、動画14:56あたりで韓国中央国立博物館 年表(1993年)を提示して、半島は紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったと主張されている。


これについて、調べてみたが真偽はわからなかった。
もしかすると、この時代の遺跡などが発見されていないということかもしれない。


日本でもかつて、「縄文時代以前の旧石器時代は日本にはない」と考えられていた時代があった。


太平洋戦争が終わる頃まで、日本列島には一万年以上前の関東ローム層中の石器文化、すなわち旧石器時代に相当する縄文時代以前の文化はないと考えられていた。しかし、1949年9月11日、さきの発見をもとに相沢と明治大学が岩宿遺跡の発掘調査を実施したところ、関東ローム層の中から石器が出土し、日本列島にも旧石器時代が存在することがわかった。岩宿はその記念すべき最初の遺跡としてよく知られている。



http://palaeolithic.jp/sites/iwajuku/index.htm より引用


朝鮮の場合は、それ以前の旧石器時代の遺跡は発見されているので、まだ遺跡が発掘されていないという可能性もある。
長濱氏が主張するように半島は無人であった可能性もあるが、断定はでき無さそうに思える。


とりあえず、朝鮮半島が紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったかどうかについては不明、ということで話をすすめることにする。


2⃣朝鮮半島南部から発掘された個人骨が縄文人にそっくり

長濱浩明 頭蓋骨


長濱さんが16:41あたりで提示されている韓国・煙台島で出土した前4000年紀の頭骨の写真である。
この写真は下記2pに掲載されているものと同じである。


https://w3.hal.kagoshima-u.ac.jp/images/contents/research/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81Vol18_1998.pdf


この写真の説明に、次のように記されていた。


「山口は縄文人骨に共通する形態特徴として、長さと幅が大きく、高さがやや低い能頭蓋、眉間と鼻骨の隆起、低顔性、かん子状かみ合わせ、長い鎖骨、上腕骨の扁平性、尺骨骨幹横断面の得意な形、大腿骨の柱状性、脛骨骨幹の扁平性、ひ骨外側免の縦溝、体肢骨遠位部の相対的な長さ、といった事項をあげている。


煙台島人は、個体ごとに差はあるものの、これらの特徴と多くの点で一致する。
小片保は縄文人の時代的特徴を、早期人は「きゃしゃ」、中後バン貴人を「頑丈」と端的に表現したが、
池田は海岸部や山岳部、平野部といった遺跡の立地条件が人骨の形態に与える影響の大きさを指摘している。


煙台島では、女性に華奢な個体があるが、歯の異常な摩耗や極端に繊細な体肢骨、低身長といった縄文早期人的な特徴を示す個体は含まれていない。


保存のよかった1号(男性)は身長が高く、極めて頑丈であり体肢の骨幹は強い扁平性や柱状性をしめし縄文後晩期の貝塚人特徴をもつ。
このような形質の共通性は、煙台島の立地からくる生態学的条件
特に摂取する栄養や聖業形態の累次によってもたらされたと解釈することも可能であろう。


https://w3.hal.kagoshima-u.ac.jp/images/contents/research/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81/%E6%AD%AF%E5%AD%A6%E9%83%A8%E7%B4%80%E8%A6%81Vol18_1998.pdf より引用


「縄文後晩期の貝塚人特徴をもつ。」とあり、縄文人が朝鮮半島南部の煙台島に移り住んだ可能性はあるだろう。


長濱さんは、


①紀元前10000年~紀元前5000年ごろ無人だったと考えられること。
⓶煙台島で発見された頭骨が縄文晩期の頭骨に似ていること。



から、日本から半島に人が流れていったと考えておられる。
一般的には、半島から日本に人がやってきたと考えられているが、そうではなく逆であると論じておられるのだ。


しかし半島北部で縄文人の特徴をもつ古人骨が見つかっていないので、半島南部のみ縄文人がいたという可能性もある。


2⃣篠田謙一さんはミトコンドリアDNAとY染色体DNAを混同している?


長濱浩明 篠田さんの図


長濱氏は上記動画の19:46あたりで次のような内容の発言をされている。


①ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく
⓶篠田謙一は「DNAは男も女も同じように動く」と言う誤解をしている。
③ミトコンドリアDNAは女性の動きのみ。男性の動きはY染色体。それを混同している。
④朝鮮半島から日本に人が流れてきたという固定観念にそった考えを打ち出している。


これについて篠田さんが語っている動画がある。


この動画の23:13あたりで長濱氏が示しておられるのと同様の図がある。

現代人のミトコンドリアDNAを調べて、縄文系、弥生系のミトコンドリアDNAを持っている人の数を描きこんだものである。



3⃣ミトコンドリアDNAは母から息子・娘につたわる。


ここで長濱さんの発言「①ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく」について、補足をしておきたい。


正確には「ミトコンドリアDNAは母親から息子・娘につたわる」というべきである。
「ミトコンドリアDNAは女性から女性につたわっていく」というと、男性はミトコンドリアDNAを持っていないかのように勘違いしそうだが、そうではないのだ。



ただし、長濱さんもおっしゃっていたように、精子のミトコンドリアDNAは精子の尾の部分にあり
受精する際に精子の尾が切れるので、父から子供にミトコンドリアDNAは伝わらない。


なぜこんなことをくどくど書いているかというと、現代の日本人のミトコンドリアDNAの割合というとき、
女性だけでなく男性も含まれているということを認識しておく必要があると思うからだ。


4⃣篠田さんは」ミトコンドリアDNAだけではなくY遺伝子の研究も必要と言っている。


次のように記した記事があった。


篠田は、この問題はそれほど簡単に結論できるものではないと指摘する。
それは、以上の篠田による研究が、“母系遺伝”をするmtDNAのデータに基づいているからである。
九州大学の解剖学の金関丈夫によって指摘されたように、渡来人というのは一般的な侵入者の例から云えば、男性を主とした集団のはずである。
彼等が地元の女性を娶り子孫を残したのが、渡来系弥生人とすれば、mtDNAは在地の女性のものということになる。
そうだとすると、上のグラフの渡来系弥生人のmtDNAとは、論理的に北部九州の縄文女性のmtDNAということになってしまう。
すなわち、いま渡来系弥生人と関東の縄文人を比較したつもりが、実は北部九州の縄文女性と関東の縄文女性の地域差の比較をしていたのかもしれないのである。
データの性格をしっかりと見極めないと、誤った結論を導いてしまう可能性があると、篠田は警告しているわけである。

https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/ より引用


テレビ番組のほうでは篠田さんのそういった発言はなかったが、著書のほうではY遺伝子ハプログループもみてみないと結論づけることはできないと書いておられるようなので、
長濱氏のいうように「篠田氏がミトコンドリアDNAとY染色体を混同している」ということはなさそうである。


ただテレビ番組のほうでは、そのような説明はなく、説明不足だったとはいえるだろう。


それはともかく、篠田さんは、ミトコンドリアDNAの分析結果から、縄文人は南方からやってきたのではなく
大陸方面からやってきたのではないかと論じておられるのが興味深い。



5⃣現代日本人と朝鮮人のミトコンドリアDNAハプログループはよく似ている。


「ミトコンドリアDNAだけではなくY遺伝子の研究も必要」ではあるが、篠田さんの研究は興味深い。
さらに検索したところ、次のような図がみつかった。


https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/


この記事の「ミトコンドリアDNA亜型の日本と中編地域における頻度の比較(日本人になった先祖たち」)篠田謙一より引用・改変)


を見てほしい。


これをみると、現代の、山東・丁寧、韓国、本土日本のミトコンドリアDNAの頻度は大変よく似ている。


記事にも次のように記されている。


「このグラフからは、まず山東・遼寧の集団(臨淄人に相当)と韓国(礼安里人に相当)、本土日本の集団とが保持するmtDNA亜型の種類およびその頻度において、ほとんど差異がないことに驚かされる。
つまり、この3地域の集団は、言語も、文化も違うが、DNAに関する限りは同じようなヒト達が、同じ割合で存在している。これは、山東、遼寧、韓国から渡来人が日本列島に押し寄せて形成された、mtDNA亜型であると考えれば、十分納得出来るものである。」


https://www.culturebeanz.com/entry/2020/02/12/000820/ より引用


やよい人


https://www.terumozaidan.or.jp/labo/technology/10/04.html より引用


上の図を見ると、縄文人、弥生人といってもミトコンドリアDNAハプログループには様々なタイプがあり
ひとつのグループに属するとはいえないようである。


6⃣弥生人は男女ともやってきていたのでは?


21:44あたりで長濱さんは次のように発言されている。


例えば九州大学の学者ですね、中橋孝博ってたかな、
彼は、遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない。
どこにもないのに、骨の形が変わったっていうのはおかしいといって、どうしたかというと
じゃあちょっと人数は少ないんだけど、男は朝鮮半島から日本に侵略してきて
文明を築いた縄文人を蹴散らしてですよ、そして逃げ遅れた縄文女性と交わってですね、
男は女性がたくさんいると子供増やせますから、そうして日本を征服していしていったんだというロジックをのべた。
そうするとNHKなんかも そうだそうだといって・・・・


長濱さんは「遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない」とおっしゃっているが、
土居ヶ浜では渡来系と考えられる人々の人骨が350体も発見されている。


そして、土居ヶ浜遺跡では、渡来系弥生人の男性だけでなく、女性の遺骨も発見されている。


この350体の遺骨の中には日本で生まれた人も含まれているかもしれないが、渡来系の人骨の特徴を持っているので
縄文人との混血ではなさそうに思える。
(ちょっと確信がもてないが)



中橋氏 グラフ


https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2276.pdf より引用


上の図を見ればおわかりいただけるように、隈・西小田遺跡においても、女性の人骨は発見されている。


7⃣Y染色体ハプログループの頻度は日本と韓国でまったくちがう。


長濱さんはこんなことも発言されている。(聞き取りにくいのでだいたい)


23:16
21世紀になると男性の y 染色体の遺伝子の解析ができるようになった。
C・D・Oなどありますね、これはハプログループっていう。
朝鮮か日本にやってきたならば、どうして韓国人のパターンと日本人のパターンがこんなに違うのか。


長濱氏 Y染色体ハプログループ


↑ これが長濱さんが本土日本と韓国ではパターンが違う、といっておられるハプログループのグラフである。
日本ではハプログループDが多いが、韓国・北京・モンゴルでは少ない。


ミトコンドリアDNAの結果とは大きな違いがある。


最近のY染色体ハプログループの分布をみても、
http://tokyox.matrix.jp/wordpress/wp-content/uploads/2014/07/20140730-141514-51314032.jpg 
Dグループは中国・朝鮮には少ない。


ちなみに、Dは縄文人がもつハプログループ、Oは弥生人がもつハプログループとされている。



7⃣北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていったとしても、縄文人の遺伝子が失われたわけではない。


さらに長濱さんの発言を書きだしてみる。(聞き取りにくいのでだいたい)


この形態人類学者というのはですね、そういうことがわかっても専門家ってのは自分の形態人類学からしか語らない。
Y染色体のことなんか一切無視してる。

自分の国立博物館の人類学部長という肩書をつかって、
「一気に大量渡来がきたのであろうと、
高い人口増加率をもつ少数の渡来人が着て、爆発的に人口が増えてるだろうと
やがて北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていったんだと思われますと・・・
日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換えに近い混血をした結果、
現在のような姿形になったのです。」


長濱さんは「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司」と言う本を示しながらこのように発言されている。


溝口さんの本


長濱さんが示す溝口さんの本のこのページを読んでみた。


A.しかし、一挙に大量の渡来民が来たのであろうと、高い人口増加率を持つ少数の渡来民が来て
爆発的に人口が増えたのであろうと、弥生時代中期の九州北部において渡来系弥生人の割合が高いことは事実です。
恐らく、この渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血しつつ
徐々に居住区を広げ、やがて北海道をのぞく日本全域が、弥生人の特徴を持つ
人々で埋め尽くされて言ったのだと思われます。


縄文人と弥生人は別系統の集団であり、両者の間には大きなギャップがあったわけですが、

では弥生時代と古墳時代ではどうだったのでしょうか?
多くの日本人が、今も平坦な顔や遠位の短い腕と足、シャベル型切歯といった北方系の特徴を持っている
ことからも明らかなように、弥生人の形質は途切れることなく受け継がれています。
弥生時代に大きく姿形が変わった後、古墳時代以降は変化があったとしても
連続的であり、急激な変化や断絶的な変化はないのです。
つまり、古墳時代人が現代日本人の直接の祖先であることは、ほぼ間違いありません。
日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換に近い混血をした結果、
現在のような姿形になったのです。


赤い文字の部分は、長濱さんが読み上げなかった部分である。


長濱さんが読み上げた部分だけを聞くと文章の内容を誤解するかもしれない。
長濱さんは次のことを読み上げていないからである。


❶弥生時代中期の九州北部において渡来系弥生人の割合が高いことは事実。
❷恐らく、この渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血した。
❸多くの日本人が、今も平坦な顔や遠位の短い腕と足、シャベル型切歯といった北方系の特徴を持っている。
これは弥生人の特徴で、現代人にも受け継がれている。
❹弥生時代に大きく姿形が変わった後、古墳時代以降は急激な変化や断絶的な変化はない。
❺古墳時代人が現代日本人の直接の祖先であることは、ほぼ間違いない。


長濱さんの読み上げた部分をまとめてみよう。


①一気に大量に渡来人がやってきた。
⓶高い人口増加率をもつ少数の渡来人が来て、爆発的に人口が増えた。
③やがて北海道を除く日本全域が、弥生人の特徴を持つ人で埋め尽くされていった。
④日本人は、南方起源の縄文人の後に,北方起源の弥生人が入ってきて、置換(ちかん)に近い混血をした結果、現在のような姿形になった。


長濱さんは「渡来人たちは自らも増えると同時に縄文人とも混血しつつ」の部分は読み上げずに省いたが
「(縄文人と弥生人が)置換(ちかん)に近い混血をした」とちゃんと発言されている。
しかし、音で「ちかん」と聞いたときになかなか「置換」のことだと思いつかない。


私は形態人類学をかじったことがないので、よくわからないが、
溝口さんは「縄文人と弥生人が自ら増えるとともに縄文人とも混血しつつ、縄文人とは違う弥生人的特徴を持つ日本人が形成された」といっているのであって、
弥生人が縄文人を滅ぼしたとは言っていないことに注意するべきだと思う。


【追記】2022年4月23日
「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで/溝口優司(ソフトバンク新書)」を読んだ。


p153にこのように書いてある。
「ただし、弥生文化と考えられる考古学的な遺物を伴った人骨の出土例は、地理的なばらつきが大きく、東日本では非常に少ないけれど西日本には多い、という傾向があります。同じ時期、北海道と沖縄には独自の文化を持つアイヌと琉球人がいたことはすでに述べたとおりです。したがって特に注釈なく弥生人と言った場合には、西日本の弥生人を指しているとかんがえてください。」(上記より引用)

つまり、Aの文章にある弥生人とは、「弥生時代に日本列島に住んでいた人」という意味ではなく
「西日本の弥生人」という意味である。
これは若干誤解を生む表現であり、「①渡来系弥生人」「⓶縄文系弥生人」「③①②の混血の弥生人」と表現したほうが誤解がなかったかもしれない。
「西日本の弥生人」というのは「①渡来系弥生人」の事を指すものと思われる。



また、溝口さんの「縄文人と弥生人が自ら増えるとともに縄文人とも混血しつつ、縄文人とは違う弥生人的特徴を持つ日本人が形成された」と言う話は、
弥生人的特徴を持つという点についてはわからないが、
弥生人と縄文人の混血という点については、Y染色体ハプログループの頻度から見ても整合性があると思う。

渡来系弥生人は稲作をしていたので、人口は増加したようである。


しかし、現代日本人にも縄文系とされるY染色体ハプログループDが30%あることからもわかるように
縄文人の血は現代の我々の中に受け継がれているのである。


そして、渡来系弥生人のY染色体ハプログループはOだとされていて、このOをもつ現代日本人もかなり多い。
これは大事な点なので、覚えておいてほしい。


長濱浩明 篠田さんの図


上は長濱氏自身が示しておられた篠原氏による現代人のミトコンドリアDNAの分布であるが
右端に黒丸は縄文、白丸は弥生と明記されている。
この図を見ると、篠田氏も、日本人には縄文人の遺伝子が残されていると考えておられることがわかる。


8⃣長濱氏はOをどう説明されるのか。

長濱氏は、次の様にも発言している。


縄文時代から日本人が朝鮮半島に渡っていって
大昔は韓国人の祖先だったんだってことは、形態人類学並びに考古学で分かっている。
なぜ分かるかっていうと、その後の朝鮮半島の歴史を知る必要があるわけですよ。
その後新羅が統一新羅をなして以来ですね、高麗の時代というのは特に元に徹底的に襲撃された。

そして男は抵抗するも殺されて残ったのは女性だけになった。
残った女性と元の男が交わって、それは120年でですから4世代以上にわたってそんな混血が繰り返された。
するとどうなるか。
侵略されて征服された民族のY染色体はいれかわるってことなんです。


その元の民族、たとえばモンゴルのcという型が朝鮮半島に多いことですね、これはそういった名残をあらわしている。 シナ人のOと言われているものが韓国にもある。


一方 Ⅾ、 これが日本人を特徴づけている染色体の型なんですけども、これは激減し殺されるか、日本に逃げ帰った。
それから明や秦にやられる。
そうして男のY染色体は入れ替わってしまったということなんですね。
その後新羅が統一新羅をなして以来ですね、高麗の時代というのは特に元に徹底的に襲撃された。
そして男は抵抗するも殺されて残ったのは女性だけになった。


もう一度、長濱さんが示しているY染色体ハプログループの頻度をあらわす表を見てみよう。


長濱氏 Y染色体ハプログループ


長濱氏は

その元の民族、たとえばモンゴルのcという型が朝鮮半島に多いことですね、これはそういった名残をあらわしている。 シナ人のOと言われているものが韓国にもある。


一方 Ⅾ、 これが日本人を特徴づけている染色体の型なんですけども、これは激減し殺されるか、日本に逃げ帰った。


と発言されているが、長濱氏自身が示された表をみると、日本人にもOがある。
長濱氏はこのOについての説明をされていない。
Oは渡来系弥生人のハプログループと考えられているのだが、なぜ説明されないのだろうか。


9⃣Y染色体ハプロググループDはどこからか日本にやってきたと考えないと辻褄があわない。


日本特有のY染色体ハプログループD1a2aは、親グループD1から分岐して35000-40000年前に日本で発生したと考えられているが、これは日本の旧石器時代(岩宿時代)と時期が重なる。


旧石器時代、ハプログループD1a2aは日本で発生したが、日本にやってきたときはD1だったのだろう。

現生人類は10万年前にアフリカで誕生して、そこから地球上に広がっていったとされるので、
ハプログループDの人々は、どこからかやってきたと考えないとおかしいということになる。


日本で10万年より以前の石器などが見つかったら、それは現生人類ではなく、デニソワ人等の旧人が作ったものだと考えるべきなのだ。


このD1はどこからやってきたのか。


長濱氏はこれについても述べておられない。

Dはチベット、ヤオ族、アンダマン諸島、フィリピンマクタン島、グアム島。世界でも孤立した限られた地域でしか見つかっていない。


チベットあたりから飛行機でやってきたわけではないだろう。

その理由は、一般的には、広大な地域にアジア系O系統が広く流入し、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったためと考えられている。


※後半聴いてないが、とりあえずここまで。

後半の歴史の部分が仮に長濱氏のいうとおりであっても、
長濱氏のY染色体ハプログループの説明には、
①岩宿時代人がどこからやってきたのかについての説明がない。
⓶中国、朝鮮に多いY染色体ハプログループOを現代日本人も多く持っているのだが、それについても説明がない。


というわけで、長濱氏の説はおかしいのではないかと思った。





弥生時代、渡来人は大勢やってきていた。(長濱浩明氏 批判)


1⃣長濱氏「遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない」



上記動画、21:44あたりで長濱さんは次のように発言されている。

例えば九州大学の学者ですね、中橋孝博ってたかな、
彼は、遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない。
どこにもないのに、骨の形が変わったっていうのはおかしいといって
どうしたかというと
じゃあちょっと人数は少ないんだけど、男は朝鮮半島から日本に侵略してきて
文明を築いた縄文人を蹴散らしてですよ、そして逃げ遅れた縄文女性と交わってですね、
男は女性がたくさんいると子供増やせますから、そうして日本を征服していしていったんだというロジックをのべた。
そうするとNHKなんかも そうだそうだといって・・・・(上記動画より引用)



2⃣土居ヶ浜遺跡から350体の弥生時代人の人骨が発見されている。


長濱さんが批判されている中橋孝博さんは、「日本人はるかな旅⑤」というNHKの番組に登場している。

番組の音声を一部書きだしてみる。


その日本列島にに今から二千数百年前、突如変化が起こります。
水田の稲作が列島各地に急速に広まり、それを基盤とした小さな国とも言うべきものが次々と生まれていきます。
この大きな変化の陰にはこの時期、日本列島に現れた新たな人々の存在があったのです。



古来中国大陸や朝鮮半島の進んだ文化を受け入れてきた九州福岡。この街の郊外で一つの集落が発掘されました。
およそ2400年前の板付遺跡です。個数10戸ほどの集落は深さ2メートル幅10メートルもある堀に囲まれていました。
こうした環濠集落は縄文時代には見られない新たなタイプの集落です。その傍からは水田の跡が発掘されました。
あぜや水路が完備され1枚の田の大きさが現在と変わらない本格的な水田でした。
焼けて炭になった米も大量に見つかっています。


縄文の遺跡には見られないこうした発掘結果から日本列島に新たな人々が現れた可能性が浮かび上がってきたのです。


1994年そのことを裏付ける人の骨が板付遺跡に近い福岡空港から発掘されました。およそ2300年前の人骨です。


水田稲作が始まった頃の集落から人骨が出土したのは初めてのことでした。
この発見によって日本列島で新たな文化を担った人びとの姿が明らかになってきたのです。



骨の分析は九州大学と名古屋大学の共同研究によって進められています。
損傷が激しかったため、研究チームは ct スキャンによって採取したデータをもとにコンピューター上で骨の修復を試みました。


人類学者の中橋孝博さんはこうして復元された骨の形を縄文人と詳細に比較しました。
その結果、新たな人々の顔つきは縄文人と大きく異なっていたことがわかったのです。
左の福岡の人骨はかなり面長な印象です。一方右の縄文人はエラの張った四角い顔に見えます。
計測の結果、顔の横幅はほとんど同じなのに縦の長さは福岡の人骨が2センチ以上も長くなっていました。
さらに横から見ると福岡の人骨の方が眉間から鼻にかけての隆起が小さく、扁平な顔をしていることが分かりました。


「単なる違いが大きいということだけじゃなくて内容的に断絶に近いような違いが見られるんですね。
ですから単純に文化的な影響で形が変わったというよりはですね、おそらく弥生時代に別の遺伝的な特徴を持った集団がやってきたという話を考えたほうが理解しやすいと思いますね。(中橋孝博さん)


2つの顔に見いだされた大きな断絶。
それは新たな文化を担った人々が、縄文人とはルーツを異にするまったく別の人々だったことを物語っているのです。

日本列島に新たに現れた人々は一体どこからやってきたのでしょうか。その手がかりが山口県で見つかっています。


山口県豊北町の土井ヶ浜遺跡です。
砂浜だったこの場所から福岡の人骨と同じタイプの骨が大量に発掘されました。
これまで見つかった骨は350体余り。
福岡の人骨のおよそ100年後、今から2200年前ここに埋葬された人々でした。

発掘が進むにつれて埋葬方法には奇妙な一致点があることがわかってきました。
皆なぜか同じ方向を見据えるようにして葬られていたのです。
発掘の結果に基づいて復元した埋葬の状態です。
遺体は西からおよそ20度北を向いた方角に顔を向けて葬られていました。
視線の先をたどっていくと朝鮮半島、そして中国大陸へと行き着きます。
このことから土井ヶ浜の人々が大陸方面からわたってきたと考えられるようになったのです。


NHK「日本人はるかな旅⑤」より引用


「山口県豊北町の土井ヶ浜遺跡です。
砂浜だったこの場所から福岡の人骨と同じタイプの骨が大量に発掘されました。
これまで見つかった骨は350体余り。
福岡の人骨のおよそ100年後、今から2200年前ここに埋葬された人々でした。」


とある点に注意してほしい。
長濱さんは「遺跡を調査すると渡来人が大勢来たなんてのはどこにもない」とおっしゃっているが、
土居ヶ浜では渡来系と考えられる人々の人骨が350体も発見されているのだ。


この350体の遺骨の中には日本で生まれた人も含まれているかもしれないが、渡来系であることに間違いはないだろう。


3⃣中橋さんが「断絶」といったのは、渡来系弥生人だったから。日本では民族の入れ替わりはなく混血した。


「単なる違いが大きいということだけじゃなくて内容的に断絶に近いような違いが見られるんですね。

ですから単純に文化的な影響で形が変わったというよりはですね、おそらく弥生時代に別の遺伝的な特徴を持った集団がやってきたという話を考えたほうが理解しやすいと思いますね。(中橋孝博さん)


と言う中橋さんの発言について補足しておきたい。


中橋孝博さんの発言は、「縄文人と弥生人は民族が入れ替わるくらい大きな変化があった」という意味ではない。


福岡の人骨は渡来系弥生人と考えられている。
だから中橋さんは、「縄文人とは断絶に近いような違いが見られる」と発言されているのだ。


弥生人は1種類しかないと思っていると、中橋さんの発言を誤解してしまう。
弥生人は1種類ではなく、縄文系弥生人、渡来系弥生人、渡来系と縄文系の混血の3パターンがある。
縄文系弥生人であれば縄文人と大きな断絶はないはずである。
しかし中橋さんが調査したのは渡来系と考えられる弥生人の人骨であったので、「断絶に近い」と言う表現を使っているのである。


また、番組ではこんなこともいっている。


❶2300年前、渡来系の人たちは水田稲作によって人口をふやす。数十年で縄文系の人々を上回ったと考えられている。 渡来系の人々は戦いに使う武器を作り、縄文系の人々と争った。

❷新方遺跡の縄文系の人の骨には17個もの矢尻がささっていた。

❸渡来系の人々は濃尾平野に達したが、それ以上東へはなかなかすすめなかった。

遺跡の分布の研究から縄文人の85%は東海・北陸以東の東日本に住んでいたことが分かっている。

水田を切り開くことは困難な深い森 そして縄文系の人々の高い人口密度が東へ進むことを妨げた。

このような状態が200年ほどつづく。

❹約2100年前、渡来系の人々は関東平野に姿をあらわす。

小田原の中里遺跡は水田があり、多いときは200人以上の人々が暮らしていた。

西日本の渡来系の集落を思わせるが、縄文系の人々も暮らしていた。(縄文系土器がみつかっている。)

渡来系の小さな斧に混じって縄文系の牛の鍬が見つかっている。

渡来系の人々は縄文系の人々の協力を得て、関東平野に進出した?

遺物の中には武器はほとんどない。

このような例はほかにもあり、日本では一方がもう一方を徹底的に滅ぼしてしまうようなことはなかった。

❺岩手県北上山地にあるアバクチ洞窟で、約2000年前の弥生時代中頃に葬られた人骨が発掘された。

目のくぼみが丸い・・・渡来系の人々の特徴

鼻の付け根太い・・・・縄文系の人々の特徴

縄文系、渡来系の混血?

(参考 NHK はるかな旅⑤)


つまり我々日本人は縄文人と渡来系弥生人の混血であって、決して民族が入れ替わったというわけではないのである。


4⃣渡来人は男女ともやってきた。


長濱氏は
「男は朝鮮半島から日本に侵略してきて

文明を築いた縄文人を蹴散らしてですよ、そして逃げ遅れた縄文女性と交わってですね、

男は女性がたくさんいると子供増やせますから、そうして日本を征服していしていったんだというロジックを(中橋氏は)のべた。」


と発言されておられるが、本当に中橋氏はそんな発言をされたのだろうか。

土居ヶ浜遺跡では、渡来系弥生人の男性だけでなく、女性の遺骨もあるようであるが。


長濱氏は、中橋氏がどこでそのような発言をしたのか、明らかにしてほしい。


検索したところ、中橋氏が執筆した記事が見つかったので内容をまとめておきたいと思う。


https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2276.pdf


背が低くいかつい顔立ちの縄文人の遺骨が日本全国で数千体見つかっている。
約2000年前、弥生時代になると、九州地方で、長身・面長でのっぺりした顔だちの人骨が累々と出土する。


朝鮮半島や中国大陸の古代人にそっくりで、大陸を起源とする渡来人のように思われる。


筑紫野市一帯から出土する弥生人骨はその特徴が際立っている。


先年、発掘の終わった隅・西小田遺跡からは400体を超える人骨が出土したが、近隣の弥生人にくらべ、さらに面長で背が高かった。


隈・西小田遺跡や永岡遺跡からは斬首された遺骨、首だけの埋葬例、頭が割られたり、全身に傷を受けた人骨が出土している。


その一方で目覚ましい人口増加が起きて居たことも、骨や甕棺の分析からわかる。


渡来人たちは中国、近畿、さらに東へと進出した。現代日本人には渡来人達の遺伝子がはいっている。


これが弥生人研究からもたらされた現在の結論である。


中橋氏 グラフ2


中橋氏 グラフ

https://www.city.chikushino.fukuoka.jp/uploaded/attachment/2276.pdf より引用


上のグラフをみればわかるように、渡来人には女性も大勢いる。

中橋氏は、渡来人は男性のみがやってきた」と本当に発言されたのだろうか。


5⃣DNAの研究ではどうなっている?


渡来人がやってきたかどうかについては、縄文人と渡来系弥生人のミトコンドリアDNAおよびY染色体のハプログループを調べればわかるのではないだろうか。


検索してみたところ、次のような記事がみつかった。


(1)Y染色体ハプログループD1a2aの縄文系』と『(2)ハプログループO1b2の弥生系』を起源とする東京大学名誉教授埴原和郎が唱えた「二重構造モデル」が主流であったが、最新のゲノム解析で『(3)ハプログループO3a2cの古墳系』からなる「三重構造モデル」であることが証明された。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA#%E7%88%B6%E7%B3%BB%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84 より引用


現代の日本人は縄文人、北東アジア、東アジアの三つの祖先集団を持つことが遺伝情報の解析で判明したとする研究成果を、金沢大などのチームが発表した。弥生時代、古墳時代と進む間に縄文人と大陸系の渡来人が混ざった可能性があるという。論文が米科学誌「サイエンス・アドバンシズ」に掲載された。


富山市の小竹貝塚から出土した縄文土器(左)と人骨(金沢大学の中込滋樹客員研究員提供)

 金沢大の 覚張がくはり 隆史助教(考古分子生物学)らのチームは、縄文、古墳時代の人骨計12体の遺伝情報を解読し、既に報告がある縄文、弥生時代の人骨計5体の結果と共に解析した。



 その結果、長崎県佐世保市で出土した弥生時代の人骨2体は、遺伝情報の約6割が縄文人由来で、約4割は中国・ロシア国境などの北東アジア由来だった。金沢市の古墳時代の人骨3体は東アジア由来が6割以上で、縄文人は15%まで下がり、現代の平均的な本州の日本人に近いという。


 チームは、縄文~古墳時代に大陸から複数回の集団の渡来があり、古墳時代以降は渡来が少なかった可能性があると分析している。


https://www.yomiuri.co.jp/science/20210918-OYT1T50186/ より引用


縄文 弥生 古墳 現代

https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abh2419# より引用


これらの結果を見る限り、弥生時代と古墳時代に渡来人がやってきたように思える。




クマ女とワニ女  長濱浩明氏説の批判


1⃣韓民族は庶子と熊女の雑種から始まった?

長濱浩明さんが、次のような発言をしておられる。

韓民族は庶子と熊女の雑種から始まった。
これもですね、私がいってるわけじゃなくて 韓国の国の始まりを記した三国遺事というのが
13世紀にできたんですけれども、そこで述べていることなんですけど、これが建国神話ということで、
韓国朝鮮人に広く信じられていて、そこでどうやって国が始まったかっていうことが 
要するに庶子ですね妾の子供。あまりいい言葉じゃないですけども分かりやすくいうと。
それとあとクマ女ですね。それがまあ交わってで生まれた檀君という雑種ですね。人間とクマの雑種。
そこから韓民族が始まったってことは、私が言っているんじゃなくて韓国の歴史書に書いてあるんですよ。
日本は天照大神から始まってですね、神の御子、そして神武天皇始まって
我々には神様の血が流れてますよ、という歴史になってるんですけども
どうもその韓民族は雑種であるということを今でも大事にしてるっていうのが
なかなか私どもわからないところでしょうがですね。

上記動画より引用

2⃣「檀君」について、ウィキの記述

檀君について、ウィキはつぎの様な内容を記している。

①檀君(だんくん、朝鮮語: 단군・タングン)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、
一般に紀元前2333年に即位したとされる伝説上の古朝鮮の王。
『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄と熊女との間に生まれたと伝えられる。
『三国遺事』の原注によると、檀君とは「檀国の君主」の意味であって個人名ではなく、個人名は王倹。

⓶檀君の実在性
高麗時代の一然著『三国遺事』(1280年代成立)に『魏書』からの引用と見られるのが、檀君の文献上の初出。
『東国通鑑』(1485年)にも類似の説話がある。
しかし引用元とされる『魏書』(陳寿の『三国志』や魏収の『北魏書』)などの中国の史書には檀君に該当する記述がない。
神話であって歴史事実とは考えられていない。

③太古の昔、桓因(ファンイン)という天帝の庶子に桓雄(ファンウン)がいた。
桓雄が常に天下の人間世界に深い関心をもっていたので、天符印三筒を与えて天降りさせ、人間世界を治めさせた。
部下3000人を率いた桓雄は、太伯山(テベクサン)上の神壇樹(シンダンス)下に下りて神市(シンシ)とした。
かれは風伯、雨師、雲師をしたがえて穀・命・病・刑・善・悪をつかさどり、人間の360余事を治めさせた。
このとき一匹の熊と一匹の虎が洞窟で同居していて、人間に化生することを念願していた。
桓雄は一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、100日間日光を見ないように告げた。
熊は日光を避けること37日目に熊女(ウンニョ)になったが、虎は物忌みができず人間になれなかった。
桓雄は人間に化身した熊女と結ばれ、檀君王倹(タングンワンゴム)を産んだ。
檀君は中国の堯帝が即位して50年目の庚寅の年に、平壤を都として朝鮮と呼んだ。
のちに都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めた。
周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達からかくれて山神となった。
寿命が1908歳であった。(姜在彦『朝鮮儒教の二千年』01朝日選書 p.28)

④北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。
このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。

⑤「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。

⑥熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。

⑦多くの神々は天から降下したか、天を往復することのできる権能をもっていた。桓雄は、世界木をつたって地上に降りてくる北方アジアシャーマニズムの神々の面影そのものである。

⑧朝鮮には、民族主義を象徴する檀君神話とともに、事大主義をあらわす箕子神話の二系列の神話が伝わっている。
箕子神話とは、殷代末期、紂王の師をつとめた賢人箕子が殷の滅亡に際し、東行して現在の朝鮮の西北部に亡命し、この地に国を建てて王となり、人民にいわゆる「八条の教訓」を示して理想的な統治を行ったというものである。
箕子神話は長く支配層に支持されてきたが、元(モンゴル)の脅威が高まり民族意識が高揚すると、檀君神話が脚光を浴びるようになり、檀君は箕子朝鮮より古い朝鮮全土の開国神・始祖神とみなされるようになった。

⑨1909年羅喆(らきつ)により始められた「大そう教(「そう」はにんべんに宗)」は檀君を朝鮮民族の始祖として崇拝する宗教で、「檀君教」とも呼ばれる。

⑩韓国では、檀君が降臨したとされる10月3日は祝祭日(「開天節」)であり、1961年までは「檀君紀元(西暦+2333年)」が使用されていた。

⑪檀君王倹という言葉は、もともとは由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたもの。
檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。

⑫王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。
『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。
※仙人とは、山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精や妖怪に近いも。「王倹仙人」とは平壌の地霊。

⑬『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。

⑭檀君神話の元になった伝承があったことは夫余の建国神話、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話から察知できる。

⑮物語の冒頭の構造は夫余神話からの借り物。それにツングース系の獣祖神話を繋ぎ合わせ、物語の結末に檀君王倹という名を嵌め込んだもの。


3⃣熊との交婚神話は朝鮮だけでなく広範囲に見られる。

④北方アジア原住民たちの巫俗神話では、熊が人間であり、人間がまさに熊であるという観念が根づいている。
このような観念は、日本のアイヌ族においてもみられる。

⑤「熊との交婚はウラル諸族を除いても、ツングース諸族のほぼ全域と、朝鮮、ニヴフ、イテルメンアイヌと中国に見られ、分布が極めて広い」(大林太良「朝鮮の檀君神話とツングースの熊祖神話」『東アジアの王権神話』84弘文堂 p.369)。

とある点に注意したい。

熊との交婚神話は朝鮮だけでなく、広範囲に見られるのだ。

4⃣日本人はイザナギの子孫で天照大神の子孫ではない。

私は長濱さんの話を聞いて、
「この人は記紀神話を読んだことがないのだろうか」と思った。

まず人類の起源についてであるが、これについては、記紀にははっきりと記されていない。

ただ、こういう話がある。

イザナギとイザナミは兄妹で契って国産み、神産みをする。
イザナミは火の神・カグツチを出産した際、ホトに火傷を負って死んでしまった。
イザナギはイザナミを迎えに黄泉の国へいき「いとしい妻よ、戻ってきておくれ。国づくりはまだ終わっていない。」といった。
イザナミは「黄泉の王に相談するので、その間振り返って私の姿を見ないように」という。
しかしイザナギは我慢できなくなって、振り返りイザナミの姿を見てしまう。
イザナミの体は腐り、蛆がたかっていた。
恐ろしくなったイザナギは黄泉の国から逃げかえって、あの世とこの世の境に石をおいて封じた。
おいかけてきたイザナミは「貴方の国の人間を一日で千人殺してやる」と言った。
これに対してイザナギは 「それなら私は、一日に千五百の産屋を建てよう」といった。

この神話を踏まえると、日本人はイザナギの子孫ということになる。
天照大神の子孫とはいえない。

5⃣日本人はイザナギの子孫で、天照大神の子孫とはいえないと思う。

神話の続きはこうなっている。

黄泉から戻ったイザナギが禊をしたところ、左目から天照大神が、右目から月読命が、鼻からスサノオが生まれた。

つまり系統樹は次のようになる。

イザナギ――――・日本人(?)
        ・天照大神ー正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命ーニニギーホオリーウガヤフキアエズー神武
        ・月読命
        ・スサノオーーーーーーーー大国主(6代目)

日本人がイザナギの子孫と仮定しても、上の系統樹が示すように、天照大神の子孫であるなどとはいえないと思うのだが。

有力氏族の中には、先祖をたどると天照大神にいきつくケースもある。

たとえば、出雲氏、土師氏、菅原氏らの祖神は、天穂日命とされているが
天穂日命は天照大神の子である。

しかし諏訪氏の祖神、建御名方神は大国主命の御子であり、
上記リンク先の系図を見ても、天照大神の名前はでてこない。
諏訪氏はスサノオの血はひいていても、天照大神の血はひいていなさそうである。

6⃣天皇家はワニの子孫

さらに記紀神話にはこう記されている。

天照大神の孫のニニギが葦原中国に天下って、オオヤマツミの娘のコノハナノサクヤヒメと結婚して、
ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を産む。
ホオリはホデリに借りた釣り針をなくしてしまい、これを探すために海神の住む竜宮城にいった。
ホオリは竜宮城から帰ってくるが、ホオリの子を身ごもっていた海神の娘・豊玉姫はホオリをおってやってきた。
そしてホオリが用意した産屋で出産をするのだが、豊玉姫は「出産する自分の姿を絶対にみないでください」とホオリに告げた。
ところがホオリは我慢できなくなって産屋を覗いてしまう。
そこでホオリはワニ(日本書記では龍)が出産する姿をみる。
豊玉姫は姿を知られたことを恥じて、海に戻っていった。のぞき見られたことを恥じ、御子を残して海に去った。
この残された御子の名前はウガヤフキアエズといい、
ウガヤフキアエズは豊玉姫の妹(ウガヤフキアエズの叔母)の玉依姫と結婚して、神武天皇を産んだ。

天皇家の始まりは、人間(神?)とワニの雑種だったのだ。
朝鮮の伝説のことを笑えないではないか。

7⃣動物は比喩表現

記紀神話にはこのほかにもいくつかの動物が現れるが、それらは比喩的な表現として用いられていて、
実際にそれらが動物をあらわすものとはいえないだろう。

例えば八咫烏という三本脚の烏がいるが、
賀茂氏の系図では、鴨建角身命の別名を八咫烏鴨武角身命としている。
八咫烏といっても、鴨建角身命は実際に烏ではなく、比喩的に八咫烏という名称が用いられているのだと思う。
ニックネームのようなものといってもいいかもしれない。

また記紀には土蜘蛛というまつろわぬ民がでてくるが、これも本当に蜘蛛だったわけではないだろう。

蜘蛛 体

昆虫は体の部位が、頭部・胸部・腹部の3つにわかれているが、
蜘蛛は頭胸部・腹部の2つの部位から構成される。
そのため、昔の人は、蜘蛛を頭部のない昆虫と考えたのではないかと私は考えている。
そして土蜘蛛と呼ばれた人々は、斬首されて頭部のない人のことではないかと思うのだ。

詳しくは、こちらの記事をお読みください。

8⃣熊は神として信仰されていた。

熊については記紀神話にも登場する。

さて、神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレビコミコト)はそこから迂回しなさって熊野の村にお着きになったときに、大きな熊が草木のなかから出たり入ったりして、すぐに姿を消した。
すると、カムヤマトイワレビコミコトは急に気を失って、また、軍隊もみな気を失って倒れてしまった。

このときに熊野の高倉下(タカクラジ)が一振りの横刀(たち)を持って、天つ神の御子(カムヤマトイワレビコミコトのこと)の倒れている所に来て、その横刀を献上したところ、天つ神の御子はたちまち目覚めて、「長寝したものだ」とおっしゃった。
そして、その横刀を受け取りなさるときに、その熊野の山の荒ぶる神は自然とみな切り倒されてしまった。すると、気を失って倒れていた軍隊もことごとく目覚めた。


熊はその巨大さゆえ、神聖視されたのかもしれない。

また、
2⃣⑥熊は冬眠により洞窟の中でいったん死んだ後再生する。それはアマテラスの岩戸入りとも通じる死と再生のイメージである。
とウィキに記されているように、再生の神として信仰されていたおかもしれない。

それと同時に、日本で熊といえばツキノワグマなので、月の神としても信仰されていたのではないかと思う。

ツキノワグマ

ツキノワグマ

朝鮮の神話に登場するクマ女もツキノワグマではないかと思う。
というのは、ツキノワグマには三日月型の模様があるが、陰陽で天体を表すと日が陽で月が陰、男が陽で女が陰だからだ。
つまりツキノワグマの三日月型の模様は、陰陽では陰であり、女性に通じるということである。

私は長濱氏の発言が差別的だと思うが、それは道徳的にみて差別的、というだけでなく
記紀神話では天皇家はワニの子孫となっており、動物は比喩として用いられていると考えられるので、
長濱氏の説は論理的ともいえないと思う。

長濱氏は記紀神話をよくご存じないのかもしれない。





アイヌは縄文の血を濃く残すのに、オホーツク文化人とはこれいかに?


①竹田氏、Y染色体ハプログループについて語る。

上記動画で竹田さんは次の様に発言されている。

前回言ったみたいにこのミトコンドリア dna は日本人に大体20系統ぐらいあると言いました。
y 染色体 dna って主に、5、6くらいでちっちゃいの入れても10ぐらいしかないんですね。
同じ dnaであってもミトコンドリアと染色体ではこの数が違うんですね。
どういうことかというとこれね、男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変だということなんですよね。
戦争とか権力闘争とかあった時にですね、女性に見初められて結婚できて子孫を残せる男子というのは
よほど権力が強いとか、収入があるとか、力があるとか何かないとなかなか結婚してくれる人がいないと
そのような権力から遠くにいて狩りもろくに出来ない、そういう一族ってだいたい同じようなだような感じになり
そういうとこはやっぱり滅亡していくんですよね。
要するに権力者って遺伝子残しやすいんですよ。
~略~
そういう力強いオスというのは遺伝子を残せるんですけれども、闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない
日本ではないんですけど、よその地域ですと、大陸なんかそうですよ。
戦争があると負けた国の人達って皆殺し、もしくはよくて全員奴隷ですからね。
だから特に男は奴隷として酷使し、女は戦利品として持ち帰るみたいな、こんな話もいくらでもあるぐらいなんですよね。
ですからの女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。
でも男は戦争で負けた集団の男なんで子孫を作る機会すら失われたりするんですよ。
だから女性の遺伝子は後世に残しやすいんだけども、男の遺伝子を後世に残すというのはちょっと難しいと
だからこそミトコンドリア dna はたくさんのタイプが世界に散らばってるんですけどy 染色体 dna は少ないということで
ぜーんぶ含めても今日本人でだいたい10系統ぐらいしかないんですね。
~略~
d 1 a 2と c 1 a 1。この2つが日本を起源地としたハプロタイプになります。
 d 1 a 2と c 1 a 1をですね、それぞれ説明してみたいんですけれども
この d 1 a 1がですね、約4万年前から3万5千年前に日本列島で発生した。
~略~
この d 1 a 1は現代日本人の約35%がもっています。
~略~
これはね沖縄県民の約半分です。d 1 a 2を持っています。さらに言えば現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。

で日本列島以外ですとほぼないんですよ。
ミクロネシアで5.9%あるんですけど、先の大戦の時、日本人が南洋諸島に住むようになりましたから
その子孫と考えられます。
あとねえ韓国に4%います。それ日本人の子孫だったということは、ほぼ間違いないですね。
こうやって見ると韓国人の子孫が日本人なんじゃなくて、日本人の子孫が韓国人なんだということもわかってくるわけですね。
だって、この後頃だから d 1 a 2ができたのはこのあたりですかね、その後この縄文時代にわたっていったじゃないですか
その子孫が今韓国人の4%に残っているということですね。その直系の男系の子孫が前韓国人の4%です。
なんでそこまで減っちゃったかといったら、ほらチンギスハン、元がやってきたりして
もしくは中国に別の王朝が来て皆殺しになっているから男必死ですよね
ほとんどの遺伝子残せないで4パーまで減ってしまって遠い。まあこれは縄文時代でまたやりますけども
今からね約7千年前は朝鮮半島は無人で、日本の縄文人が住み着いたところが始まっているわけですから
結局侵され、侵されんどん減っていって4%まで減っちゃったとゆうことですよね。
ですからこの d 1 a 2、ここがですね現日本人に一番近いところだったいうふうに読むことができます。
今のところ、この y 染色体の dna を古人骨からいうのは難しいんですよ
~略~
ただ現在見つかっている縄文人の数例があるんですけれどもすべて d 系統でした。
~略~
d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージで、これはチベット人のイメージともつながってくるということだと思います。
~略~
そこにいくつかが被ってくる可能性があるんですけども、その一つが2番目 c1 a 1になります。
これも日本列島で誕生したハプログループですね。
これはあのだいたい年1万2千年くらい前から拡散しています。1万2000年前というと縄文時代になりますよね。
でこれは d系統とは別系統になるんですよ。
もしこれ d 1 a 2から発生したんだったら、必ず d グループに入るんですけど、 c という別のグループなんですよね。
このグループは現在の日本人のうち4.9%が c 1 a 1もっています。
まぁだいたい3人に1人が d 1 a 1ですが、それに比べると c 1 a 1は少ないですけどそれでも4.9%、約5%ですよね。
ですからあの20人に1人はクラスに1人か2人はですね、 c 1 a 1がいるという計算になります。
これはやはり沖縄とか多いんですね。沖縄6.8%なんです。
でこのグループはですね、まぁイラン付近からアルタイ山脈付近を経由して日本列島に至ったとみられています。
この親グループの c グループというのは約6万年前以前に南西アジアで発生した。ここらへんですね。
出アフリカのすぐあとぐらいに発生したと。親グループはその前にアフリカを出ているということです。
ですからこの d グループとcグループ全然別系統ですけれども、この2つあたりが縄文時代ぐらいまでのベースになるという風に考えられます。
で、もう一つですね、この2つは日本列島が震源地なんですが
日本列島震源地としていないグループの中で日本人に多いのはこの2つです。 o 1 b2と o 2ですね。
o2って酸素ではありませんからね、はいこれグループ名でございます。
この2つなんですけども縄文時代以降に日本に渡ってきたグループなんですね。
だからもしかしたら稲作伝えた人たちじゃないよとかね、これは稲作を伝えたのは中国の大陸の南のほうですね。
揚子江・長江の文化の人たちが稲作を始め、それを日本の縄文時代後期・日本に稲作を伝え日本は弥生時代に入っていくと
だからここらへんはシナの南方の人たちが稲作文化を始めた、そういう人たちなんじゃないか。
この人たちが今日本にわたって来て、今の日本人の、 y 染色体dnaのハプロタイプとして残っているんじゃないか
という風に考えられます
でこo1 p 2はですね約2800年前に日本とシナの長江中下流域から日本に渡来してきて
日本に水田稲作を伝えた人たちという風に考えられますから、長江文化の担い手というふうになりますね
で、このo1 p 2に関してはですね、東アジアと東南アジアにおける最大勢力なんですよ
漢民族のほとんどがo1 p 2なんですよ。
でその後飛鳥時代とか奈良時代に結構中国からいろんな人来ましたからね
そこら辺の人たちなんだから同じシナからきた中国から来たと言っても日本にね稲作を伝えた
この稲作文化の担い手とその後中国王朝の文化を日本に伝えたそういうグループは同じ0でもちょっと違うんですよね。
こっち中間(?)とかそっちの方になりますから。
で世界ではこの o 系統が最大グループなります。これは漢民族が多いでしょ。
世界の人口の中ではこのOが最大グループということになります。
このO1 b 2と o 2というのはここ2、3000年ですから結構歴史が浅いんですよね。
浅いにも関わらず日本人では大グループて日本人の3割なんですよ。
たぶんね秦氏とかOなんですよね。渡来系。
なんでね新参者なのに3割O何ですかというときにやっぱりy 染色体だからですよ。
これは権力者とか中枢にいる人って確実に子孫を増やせるわけですよね。
だから2000年前とか1000年前、日本人いっぱいいたでしょうけど
その中で権力の中枢にいた人の中にはね、中国王朝シナ王朝から日本に派遣された役人とかね、
学者とか来てるわけだから、その人たちは特別な待遇とされ、そして日本の貴族との婚姻も進んでいくわけですよね。 
ですから特別に国家から国家が国家に派遣したところ、こっちですよね、
もしくはこの稲作の文化を持った人たちですから、この人たち技術者として全国にですね
一定農業指導したと考えられるわけですね。
そうすると良かったらウチの娘とみたいなのが出てくるでしょうし、子孫残すのは比較的簡単だったと思うんです。
こっちのがわは中国王朝が派遣した学者とか官人ですから、こういう人たちは日本の貴族とね
どんどん交わっていってその一つが例えば秦氏。秦氏の子孫何人いるのかと考えたらね
あの菩提寺とか神社とか見たら全国に広がってますよね。
ですからそういう特別な技術者もしくは役人として派遣された人たちですから
そういう人達が他の人たちよりも優位に遺伝子を残せた可能性があるわけなんですね。
そうやってみてくると、ここらへんは人数が少なかったんだけども確実に有意に人口を増やしていったということです。
で母体となるのはこの2つですね。特に古いのは d 1 a 2でどういうルートで渡ってきたかもだいたい見えてきたということで
これはもう北ルートを、Oは南ルートなんですね。そういうことになります。
前回と今回見てきましたよ、ミトコンドリアDNA、Y 染色体量を見てきましたけれども
結局日本人、現在日本人というのは単一民族というふうに言われてますけども
3万8000年以上の歴史をたどってみればですね、ミトコンドリアDNAのハプロタイプで20系統、
 y 染色体 dna のハプロタイプで10系統とそれほど多くの人たちが日本列島で交わりあったという事です。
~略~
稲作文化を伝えた中国の南方人がいて、王朝が派遣した漢人役人もいてそういう人たちとゆるやかに共存しながら敵対せずに、「よく来てくれました、良かったらうちの娘とよかったら」とか言いながらいい感じでまざりあってきた
その結果が今の日本人につながるということなんですね。これでわかることはですね
もう3万8000年前に確実な人類の活動の痕跡があり、そして一気に人口が増えていき
そしてこの岩宿時代はほぼ均一なんですね。北海道から沖縄までほぼ均一の文化に達しているわけなんです。
なので非常にですね 、この岩宿時代の段階で既に列島間船を使って相当往来をしているということがわかっているんですね。
なのでこの人たちはもうこの古い時代、まだ縄文時代に入る前ですよ、
丸木舟をつくってですね、伊豆半島で取れる黒曜石が日本列島あっちこっちで出土したりしてるんですね。
そうやって日本列島船で行き来しながら言語が統一されみんなで共生しながら情報共有してですね
新しい道具を作ったりとかしながら原日本人が形成されてきたということなんですね
~略~
日本人は日本列島で成立したのであり出現したのでありどこから渡ってきた人たちでもないし
日本文化がどこから渡ってきたわけでもない
人類最初の文化は日本列島で芽生え、そしてその人たちが豊かにそれを育んできた
その先に繋がっていくのが縄文時代だということになるわけなんですね。
なのでおさらいすると y 染色体で言うところの d 1 a 2
この人たちが日本列島に最初に到達したということが今のところわかっています。
これは岩宿時代のはじまり 磨製石器の最初の末席と完成に時代が一致するということですよね。
なので4万年前から3万8000年も間にですね、日本列島に到達し、そしてこの段階で磨製石器が作られた
ということを確認することができます。
この d 1 a 2は4万年前以上前にですねチベットで分岐しているわけですね。
なのでええまぁヒマラヤの北を通って日本に来たこの北ルートですね。
北ルートでチベット経由で日本に入ってきたこれが一番最初に日本列島に到達した
ホモサピエンスですね現世人類だということがわかります。
でこのd1a2どういうルートで渡ってきたかということなんですけれども 朝鮮半島はですね
基本的に経由してないと考えられます。
当時朝鮮半島は半島ではなくて中国大陸の一部にへばりついたんですね。
ですから中国大陸河口からそのままわたってこられたのでちょうど今の朝鮮半島の沿岸部分を歩いてきたかもしれませんけども
北朝鮮のあたりから南下して日本に渡ったのではなくて、そのまま沿岸沿いに日本にすっと入ってきたということで
ですから朝鮮の脇を素通りして日本に入ってきたというルートがだいたいわかっています。
朝鮮の地はほぼ踏んでないというか素通りしちゃった。
これちゃんとね明らかにしないと、「なんだ、日本人は朝鮮半島から入ったんじゃねえか」とか言われますけど、
いやいやあの時半島じゃないですから。沿岸からスッと大陸から直行で来られたんですね。
ここは抑えておかないといけないかなというところですね。
黄河河口から陸地を経て船で玄海灘わたってるっていう事で、半島経由ではないというか、大陸から直で日本にきたということがわかっています。
ということでそれ以降はもうね海面が上がって日本列島と大陸の行き来困難になりましたから
そして和気あいあいとですね、いいつかのグループの人たちが同じ環境で協力し合いながら生きてきたということですね。
なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残ったということは
そういうことだと考えられます。

⓶アイヌは縄文の血を濃く残すのに、オホーツク文化人の子孫?

細かい突っ込みどころはいろいろあるのだが、それは後回しにして、青太字の部分に注目してほしい。
その部分のみ、ピックアップして書き出してみよう。

①y 染色体 dna から何がわかるか
⓶男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変
③闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない。
④女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。
⑤ d 1 a 2は現代日本人の約35%
沖縄県民の約半分です。d 1 a 2を持っています。さらに言えば現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。
d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージ
⑦o1 p 2はですね約2800年前に日本とシナの長江中下流域から日本に渡来してきて
日本に水田稲作を伝えた人たちという風に考えられますから、長江文化の担い手というふうになりますね
⑧で、このo1 p 2に関してはですね、東アジアと東南アジアにおける最大勢力なんですよ
なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残った.

さらに上記、太字のところをつなげてよんでみよう。

現代アイヌの8割が d 1 a2を持っています。

d 1 a 2というとまさにこの現日本人のイメージで、縄文人のイメージ
なんで沖縄と北海道に多いんですかって言った時に結局ほらこの大グループが政権中枢に入ってきていますから
だからあの九州から関西にかけてはですね、やっぱこの大陸文化っていうのはやっぱり入ってきますから
そうなったときにその端っこ北海道と沖縄に昔の人たちの血統がより多く残った。

これ何を言っているのかというと、
現代アイヌ人の8割が縄文人のY染色体ハプロタイプ d 1 a2を持っている。
アイヌ人は縄文人の血が濃い、といっているわけだ。

竹田さんがこの発言をされたのが岩宿時代編⑤。
そして、そのひとつあとの岩宿時代編⑥ではこんなことを言っている。

 

岩宿時代北海道に住んでいたのは北海道岩宿人であり、その子孫が北海道縄文人ですよ。
それが北方からやってきたオホーツク人、このオホーツク人って結構凶暴なんですよね。
そしてガンガン北海道に来て、殺戮しまくって、北海道縄文人をたぶん犯しまくったんですよ。
それで一時期この5世紀から10世紀って書いてありますけど、北海道のほぼ全土がオホーツク文化に入れ替わったんですね。
もともとの縄文文化がほぼ消滅して完全にオホーツク文化になっちゃったんですよ
でオホーツク文化ってどういう人達かというとシベリアの沿海、それから樺太・カムチャッカ、
ここらへんが、オホーツク文化なんですね。
このオホーツク文化の人たちが北海道に上陸して、侵略してほぼ制圧しちゃったのがこの約500年間で5世紀から10世記
その時にオホーツク文化人と北海道縄文人の混血がどんどん進んでいきます
あのアイヌ人のミトコンドリア dna のですねうち2割の頻度で現れるのが y 1なんですよ。
 y 1っていうのはまさにこれなんです。オホーツク文化。
これを明らかにわかりますオホーツク周辺のですね、少数民族でいうと、たとえばニヴフっていう民族ありますけど
ニブニの7割が y 1持っています。ウリチの約4割。ネギタールの2割。
オホーツク周辺の民族の多くはy1を持っているので、y1の震源地は地はオホーツク文化ですね
アイヌ人のミトコンドリア dna の2割にこのy1が現れる。
もともと縄文人はy1なんかないんで、y1というのはオホーツク文化の担い手なんですね
だか縄文人とオホーツク文化人が混血混血混血て進んでいくと、その後江戸時代近世以降アイヌ人にy1が現れる。
これはもう完全にオホーツクの血筋が入り込んでいるということですね
だから元々の縄文人の血統にオホーツク文化の血統が完全に混血してアイヌ人ができたということがもうミトコンドリア dna のハプログループからわかるんですよね

つまり、ミトコンドリアDNAのほうで縄文人にはなく、オホーツク文化人にあるハプログループY1をアイヌ人の20%をもっている。
これは5世紀から9世紀にかけて北海道にいたオホーツク文化人が縄文人を殺戮しまくり、犯しまくった結果13世紀にアイヌ文化人が成立した、と言っているわけである。
これは、上の話と全く矛盾している。

さらに竹田氏はこうも発言している。(緑太字)

⓶男が子孫に遺伝子を残すというのは相当大変
③闘いにで負けてしまうと自分の遺伝子を残すことすらできない。
④女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない。

上の発言を踏まえて考えてみると、母系で受け継がれるミトコンドリアDNAハプログループY1をアイヌ人がもっているということは
ミトコンドリアDNAハプログループY1を持つオホーツク文化人の女性が、縄文人の子孫である擦文文化人の戦利品とされて交わり、その女性たちが子供を産んだということになるのではないだろうか。

矛盾したことを言っているのに気がついていないのか。
其れとも矛盾したことを言っているということはわかっていて、嘘をついているのか。

③Y染色体DNAは解析がまだ進んでいない。

さらに発言の細かい部分を見ていきたいと思う。(竹田さんの発言で正しいと思う部分については述べない)

ミトコンドリア dna は日本人に大体20系統ぐらいあると言いました
y 染色体 dna って主に、5、6くらいでちっちゃいの入れても10ぐらいしかないんですね
同じ dnaであってもミトコンドリアと染色体ではこの数が違うんですね
~略~
戦争があると負けた国の人達って皆殺し、もしくはよくて全員奴隷ですからね
だから特に男は奴隷として酷使し、女は戦利品として持ち帰るみたいな、こんな話もいくらでもあるぐらいなんですよね
ですからの女性はたとえ戦いに負けたグループであっても戦利品としてね、子供を生むことがあるかもしれない
でも男は戦争で負けた集団の男なんで子孫を作る機会すら失われたりするんですよ
だから女性の遺伝子は後世に残しやすいんだけども、男の遺伝子を後世に残すというのはちょっと難しいと
だからこそミトコンドリア dna はたくさんのタイプが世界に散らばってるんですけどy 染色体 dna は少ないということで

つまり、
「Y染色体ハプログループのタイプが、ミトコンドリアDNAハプログループのタイプに比べて少ないのは男性が遺伝子を残すのは大変だから」
とおっしゃっているのだが、これは事実かどうかわからない。

ミトコンドリアDNAの塩基の数は1万6000塩基対程度だが、Y染色体は5000万塩基対もあるため、ミトコンドリアDNAに比べて研究が進んでいなかったという記事があった。
もしかすると解析がすすむともっと数が増えたりしないだろうかと思ったりもする。

④日本の磨製石器は世界最古じゃない

 d 1 a 1はもう1回言いますよ。今から4万年前から3万5千年前の間に日本列島で発生したのです。
じゃ、この人じゃんって感じです。これ38,000年前に(世界最古の磨製石器を)誰が作ったの?この人じゃんっていう話なんですね


世界最古の磨製石器は、オーストラリアの6万5000年のもので、現生人類が作ったものと考えられている。
ついでにいえば、日本の岩宿遺跡などで出土した磨製石器は、3万8000年前ごろあらわれて、30000年前には見られなくなっている。

⑤日本人の子孫が韓国人?

あとねえ韓国に(d 1 a2)は4%います。
それ日本人の子孫だったということは、ほぼ間違いないですね。
こうやって見ると韓国人の子孫が日本人なんじゃなくて
日本人の子孫が韓国人なんだということもわかってくるわけですね。
だって、この後頃だから d 1 a 1ができたのはこのあたりですかね、その後この縄文時代にわたっていったじゃないですか
その子孫が今韓国人の4%に残っているということですね。その直系の男系の子孫が前韓国人の4%です。
なんでそこまで減っちゃったかといったら、ほらチンギスハン、元がやってきたりして
もしくは中国に別の王朝が来て皆殺しになっているから男必死ですよね
ほとんどの遺伝子残せないで4パーまで減ってしまって
遠いまあこれは縄文時代でまたやりますけども今からね
約7千年前は朝鮮半島は無人で、日本の縄文人が住み着いたところが始まっているわけですから

「約7千年前は朝鮮半島は無人だった」というのは長濱浩明さんが言い出した説で
それをベースにして考えると、「日本人の子孫が韓国人」ということになる、というのが竹田さんの主張だろう。
しかし長濱さんの説に、どれだけ信憑性があるかどうかわからない。
調査中なので、宿題ということにさせていただく。

チセ

アイヌのチセ





オホーツク文化は北海道北沿岸にも5世紀から9世紀ごろあった。


※以前の記事の内容と重複する部分が多くあり、まとまりもありませんが、自分用として公開します。
ご容赦ください。

①竹田恒泰さんは「アイヌが13世紀に成立した」とする根拠を語っていない。

アイヌ人はいつ誕生したのか。
それを13世紀、日本でいえば鎌倉時代だという人がいる。

その理由について、竹田恒泰さんは全く語っておられなかった。

 


05:53 アイヌ人が北海道に現れたのは13世紀です。アイヌ文化は13世紀より前は存在しません
~略~
なんでこんなことが分かるかっていうのをですね、まあ徐々に見ていくだけなんですけども

とおっしゃるので、ずっと聞いたが、13世紀にアイヌ人が現れると考えられることについての根拠は述べられていない。

⓶擦文文化とアイヌ文化には断絶がある?


上の動画をみると、これについて、長濱浩明さんが、次のように理由を述べておられるようだ。
(実際に長濱さんの著書を読んだわけではないが、上記動画で長濱さんの説だといっている。)

①竪穴式住居は縄文時代に作られていたもので、その起源は1万年前まで遡る。
しかしアイヌ文化の担い手たちは掘立柱建物に住んでいた。
縄文時代にはこの形式は祭壇や見張り台に使用されていた。
1万年間竪穴式住居が作られてきた北海道の地でなぜ800年前から異なる方式の住居が作られるようになったのか。
縄文→続縄文→擦文の変化は段階的スムーズであるのに対し
擦文アイヌの変化には断絶がある

⓶アイヌ文化は北海道限定で出現しておりしかも得意なものでした。
アイヌ文様の独特の入れ墨の習慣のトリカブトの毒を使った毒矢による狩猟は本州には見られない

③アイヌ語と日本語は全く異なる言語である。

③擦文文化からアイヌ文化への移行はゆるやかで連続的。人間集団の交代を想定する研究者はいない。

これに対し、瀬川拓郎さんの「アイヌと縄文」には次のような内容が記されていた。

①擦文文化ののちの時代をアイヌ文化と呼んでいるが、ニブタニ文化と呼ぶべき。
②アイヌ文化とはアイヌ語、口承文芸、模様、祭祀、儀礼、生業など近世アイヌの生活文化全体をさす。
③考古学でいうアイヌ文化は擦文文化に続く平地住居・鉄鍋・漆塗椀などの物質文化の組み合わせをさす。
一般的な意味でのアイヌ文化とは異なる。
④考古学の文化の設定はその文化に特徴的な物質文化や遺跡がみつかった土地の地名をつける。
⑤アイヌ文化は民俗の名前をつけてしまったため、「13世紀になってアイヌ人がどこからかやってきた」と誤解が生じている。
⑥擦文文化からアイヌ文化への移行はゆるやかで連続的。人間集団の交代を想定する研究者はいない。
⑦よって、ニブタニ遺跡の名前にちなんで、ニブタニ文化と呼ぶべきである。
⑧11世紀ごろ、竪穴式住居が平地住居におきかわり、土器が漆器・鉄鍋におきかわったのは、日本海沿岸だけ。
その他の地域では12世紀から13世紀初めごろまで土器と竪穴住居が用いられていた。

少し瀬川さんの批判をさせていただくが、(擦文文化とアイヌ文化の継続性を否定するものではない)
ニブタニ遺跡は15世紀から17世紀にかけての遺跡である。
この遺跡の名前を文化の名前につけてしまうと、やはり13世紀になってアイヌ人がどこからかやってきた、と誤解が生じそうである。

また、「擦文文化からアイヌ文化への移行はゆるやかで連続的。人間集団の交代を想定する研究者はいない。」という発言も
擦文文化とアイヌ文化の継続性についての具体的な説明がないので、懐疑的にとられてもやむをえないかもしれない。

④アイヌ文化の遺跡の下から擦文文化の遺構が発見されている。

擦文文化とアイヌ文化の継続性について、具体的な事例について述べている記事を見つけた。

擦文文化からアイヌ文化への雑穀農耕の継続性
研究機関 北海道開拓記念館
研究代表者

山田 悟郎 北海道開拓記念館, 総務部, 主任学芸員 (00113473)


13世紀から18世紀初頭にかけた石狩低地帯や日高地方、噴火湾岸のアイヌ文化期7遺跡から、コメを含めたヒエ、アワ、アサなど11種類の作物が出土している。
また、石狩地方や日高地方の1667年に噴出した樽前b火山灰や1739年に噴出した樽前a火山灰下から出土した鍬先や鋤先、鎌などの鉄製農機具や、
噴火湾岸で発見された1663年年に噴出した有珠b火山灰や1640年に噴出した駒ヶ岳d火山灰で直接埋積された畠跡の存在は、
アイヌ民族によって農具を使用して畝をもった畠が造られていたことを示している。
畠の規模は長さ10m前後の畝が10列前後からなる小規模なものだが、発見された砂丘上や台地上一面に広がっており、
小単位の畠が継続して造られていたことを示している。
畠跡の土壌からは寄生虫卵も検出されており、施肥を行っていたことも明らかになった。

また、アイヌ文化の遺跡で農耕活動の痕跡を辿ることができた8遺跡の内5遺跡では、
その下位から擦文文化の遺構や農耕活動に関わる遺物が発掘され、
擦文文化から近世初頭のアイヌ文化まで雑穀を栽培した農耕活動が継続していたことを示している。

石狩、日高と噴火湾岸には、交易品生産の傍らで農耕活動が行われ、擦文文化の要素が残存していた。

近世後半期の記録にはアイヌ民族によった農耕は、鍬や鋤などの農具を使用せず、畝をもった畠を造らず、施肥をせず、
除草もしない粗放的な農耕と記載されているが、自ら望んでそうしたのではなく、
1669年の「シャクシャインの戦い」後に松前藩によってアイヌ民族統治の強化や、
鉄製品の供給制限と粗製化の強行によって、アイヌ民族が鉄製農具を保持することが出来なくなった結果と考えられる。


アイヌ文化の遺跡の下から擦文文化の遺構が発見されているので
擦文文化からアイヌ文化への連続性が認められるということだろう。

しかし、この記事をよんでも、それはアイヌ文化の遺跡ではなく、和人の遺跡ではないか、という人がいそうである。
なぜアイヌの遺跡だとされているのかについての、説明がないためである。


⑤オホーツク文化は北海道北沿岸にも5世紀から9世紀ごろあった。

ハプログループには2つある。

Y染色体ハプログループ(父系)
ミトコンドリアDNAハプログループ(母系)

そして、現代アイヌ人のY染色体ハプログループ、ミトコンドリアDNAハプログループは次のようになっている。

Y染色体ハプログループ(父系)/D1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%)C2が12.5%
                 D1a2aは縄文系
               (※青森:38.5% 静岡:32.8% 徳島:25.7% 九州:26.4% 沖縄:55.6%)

ミトコンドリアDNAハプログループ(母系)/Ⅾ、G、M7a,M7bc、A、N9b、B、F,Yなど
                     Yが20%ほどあり、このYは本土日本人や沖縄にはない。
                      Yはオホーツク文化人に多い。


現代アイヌ人にはミトコンドリアDNAハプログループ(母系)Yが20%ほどあり、
このYは本土日本人や沖縄にはなく、オホーツク文化人に多いため、アイヌは13世紀ごろにやってきたというのが
竹田恒泰さんの主張だったが、なぜ13世紀としているのかについての説明がなかった。

ところでこのオホーツク文化だが、実はこの文化は北海道北沿岸にも5世紀から9世紀ごろあったとされる。

ウィキペディアの記述は次のとおり。

擦文文化
つづいて、7世紀後半より土師器の影響を受けて縄文がなくなり、木片の刷毛で擦ったような文様の擦文式土器を特徴とする擦文時代となって、
この文化を8世紀までを前期、9世紀 - 10世紀を中期、12世紀頃までを後期の三期に区分する。
この文化は和人(本州以南の日本人)との交易によって、12世紀頃には鉄器を持ち、狩猟のほかに農業、漁労を営むアイヌ文化に成熟した。

オホーツク文化期
擦文文化が営まれていた頃、オホーツク海沿岸には、道東に漁業と海獣狩猟を中心とするオホーツク文化を持った人々が移住したが、
アイヌ文化が成熟した頃に姿を消した。
アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。
この古代文化は、3世紀から13世紀に樺太、北海道のオホーツク海沿岸、千島列島に展開された。
うち北海道に分布するこの文化の遺跡の年代は5世紀から9世紀までと推測されている。


アイヌの2割にY1があるのは、擦文文化人が北海道のオホーツク文化人と交わった結果だと考えられているようだ。

すると擦文文化人とオホーツク文化人と交わったのは5世紀から9世紀(401年~900年頃)となって、竹田さんのいう13世紀ではないということになると思う。

日本の飛鳥時代は593年に始まる。
続く奈良時代は710年。

飛鳥時代ごろより本土人が北海道に進出しているとする史料はあるが、
401年~900年頃の北海道が日本であったと考えられるだろうか?
かなり難しいのではないかと思う。

ウィキペディアの
オホーツク文化を持った人々が移住したが、アイヌ文化が成熟した頃に姿を消した。
アイヌと完全に同化したか、アイヌに追われたものと考えられる。


という記述は、「擦文文化がアイヌ文化にゆるやかに移行した」「オホーツク文化はアイヌ文化とは別の特徴をもつ」
ということだろうが、
やはり、そのあたり、もっと視覚的に納得できる説明があったほうがいいのではないかと思った。




「ハプログループY遺伝子」は間違いで誤解を招く。

チセ


平取町立二風谷アイヌ文化博物館の外の復元チセ(住宅)の写真。二風谷、北海道


①「ハプログループY遺伝子」は間違いで誤解を招く。


よいブログ記事があったので、内容をまとめさせていただいた。


https://sicambre.at.webry.info/201910/article_5.html


これは擦文人との関係ではなくオホーツク文化人のハプログループY遺伝子を引き継いでいるという記事です。
つまりオホーツク文化人の男系遺伝子を引き継いだという証明。
すでに女系のmtDNAを引き継いでいる事は証明されているのでアイヌのホームタウンはアムール川流域である事を示していますね。


↑ ブログ主さんは、この記事に対して次の様に批判されている。

・「ハプログループY遺伝子」という用語からして不適切。

・ハプログループとは特定の遺伝子のことではない。
・ハプログループの分類名の後に遺伝子をつけるような用語は不適切


アイヌのチセ(家)・内部(北海道、沙流川流域)


アイヌのチセ(家)・内部(北海道、沙流川流域)


⓶Y染色体ハプログループ(父系)とミトコンドリアDNAハプログループ(母系)


確かにそのとおりである。(ニワカ知識なので、間違っている点があれば指摘してほしい)


DNA解析には二種類ある。ウィキペディアの記述に従って表記すると
・Y染色体ハプログループ・・・・・・・・・父系 
・ミトコンドリアDNAハプログループ・・・・母系 


③ミトコンドリアDNAハプログループY(母系)≠ハプログループY遺伝子


アイヌ人のミトコンドリアDNAのタイプはⅮ、G、M7a,M7bc、A、N9b、B、F,Yなどである。
そのうちYが20%ほどあり、このYは本土日本人や沖縄にはない。

現代日本人 ミトコンドリアDNA


https://www.ff-ainu.or.jp/about/files/2014_kouenkai3.pdf より引用


「オホーツク文化人のハプログループY遺伝子」というのは
正しくは「オホーツク文化人のミトコンドリアDNA Y」というべきであって、
「ハプログループY遺伝子」といってしまうと、父系のY染色体ハプログループのことだと勘違いさせてしまう。


ブログ主さんもこのようにおっしゃっている。


・「オホーツク文化人の男系遺伝子を引き継いだという証明」となる研究ではない。
・上記発言では「すでに女系のmtDNAを引き継いでいる事は証明されている」とあるが、それがこの研究を指している。



④Y染色体ハプログループにYはない。


https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97


上記にY染色体ハプログループの系統樹が記されているが、ÅからRまでであって、現在のところYはない。

(増える可能性はある。)


⑤現代アイヌ人のY染色体ハプログループは縄文系で、オホーツク系ではない。


ニブフ(オホーツク文化人)のY染色体 ハプログループ(父系)は
C2が71% O2が7.7%、Qが7.7%、D1が5.8%、O1aが3.8%、O1bが1.9%、Nが1.9%


アイヌのY染色体 ハプログループ(父系)は
D1a2aが87.5%(うちD1a2a*が13/16=81.25%、D1a2a1aが1/6=6.25%)C2が12.5%


そして、D1a2aは日本固有のY染色体ハプログループであり、アイヌがとびぬけて割合が高い。

ちなみに各地の頻度は、

青森:38.5%

静岡:32.8%

徳島:25.7%

九州:26.4%

沖縄:55.6%


となっている。

また

北海道礼文島の船泊遺跡(縄文時代後期前葉から中葉(約3,800-3,500 年前))から出土した人骨・船泊5号のY染色体は、ハプログループD1a2a2a(D-CTS220)であった。
これにより「ハプログループD1a2a系統は縄文系である」という従来からの仮説が立証された。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%8F%A4%E4%BB%A3DNA


とあり、現在のところ、アイヌは縄文の血を濃く残すと考えられている。


⑥ハプログループの名前は何度も書き換えられている。



上記動画12:12 あたりで、次のような発言がある。
D1b系統は日本国内でしか見つかっていない。


これはD1b系統ではなく、D1a2aの間違いではないだろうか。


フィリピン・マクタン島

フィリピンのセブ州マクタン島ラプ=ラプ市において、D1a1,D1a2に属さない、ハプログループ【D1b】の人物が複数見つかっている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%B3%B6

より引用


日本


日本列島で見られる「ハプログループD1a2a」は、ハプログループDの中でも、M64.1/Page44.1, M55, M57, M179/Page31, M359.1/P41.1, P37.1, P190, 12f2.2など少なくとも8つの特徴的なSNP(一塩基多型)によって、4万年以上前に分岐している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)#%E6%97%A5%E6%9C%AC

より引用


実はハプロタイプの名前はしょっちゅう書き換えられている。


ISOGGでの名称


2006年   ハプログループD2

2014年5月 ハプログループD1b (D1,D2,D3->D1a,D1b,D1c)

2019年6月 ハプログループD1a2 (D1a,D1c->D1a1a,D1a1b D1b->D1a2)

2020年4月 ハプログループD1a2a (D1a2,D1a3->D1a2a,D1a2b)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D1a2a_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

より引用


上はハプログループ名が書き換えられた時期について書かれている。


この動画で、「ハプログループD1b」 と言っているのは、2014年5月から2019年6月の間の呼称で

2019年に「ハプログループD1b」は「ハプログループD1a2」に、
2020年4月には「ハプログループD1a2」は「ハプログループD1a2a」と名称が変更されたということだと思う。


動画が公開された日付は2022年3月6日なので、チャンネル主さんはハプログループの名称が変更されたことを知らなかったのだろう。


⑦チャンネル主さんは、ミトコンドリアDNAハプログループY(母系)のことを、Y染色体ハプログループ(父系)と勘違いしていると思う。


20:12 アイヌの人たちって何者なんだって言われたりするわけですよ。
なぜなら縄文人がいたのは間違いないけども、オホーツク人って人たちもうわーっておりてきているから。
そこで駆逐されたから、先住民つっても違うんじゃねーのっていう説もあるんですけど
DNA的に見たら明らかでオホーツク人と縄文人交わってるんですよ
だって y 染色体だからね。
男性全員殺して女性だけっていうわけにいかない。


最初聞いた時、何を言っているのは意味が分からなかった。

y 染色体とおっしゃっているが、ミトコンドリアDNAのまちがいじゃないのかと。

それは正しいと思う。
きっとチャンネル主さんは、ミトコンドリアDNAハプログループY(母系)のことを、Y染色体ハプログループ(父系)と勘違いして「だってY染色体だからね」とおっしゃっているのだと思う。


申し訳ないけれど、この動画主さんは、遺伝子解析のことはあまりご存じなく、
誤解したまま誤った情報を拡散させている、ということだ。




640px-AinuGroup jpeg



⑧勘違いは誰にでもあるが、訂正や削除は必要


勘違いは誰にでもあるが、訂正や削除は必要だろう。

そうしなければ誤情報を拡散することになってしまうし、何より、「間違いがばれる」と恥ずかしい。


しかしそうは、考えない人がいて
間違ったことを平気で書き、間違いを指摘しても、訂正したり削除しない人が結構いる。


ある人気YouTuberさんに、「内容が大きく間違っているので、削除したほうがいい」とメールを出したこともあるが

放置されており、誤情報が拡散されつづけている。


しかし、そこはプライドをもって、削除する誠意を見せていただきたいところだ。
あなたの「日本素晴らしい論」はどこへ行ったのだ?


先に引用させたいただいたブログ主さんはこのようにおっしゃっている。


率直に言って、アカウントを削除してもおかしくないくらいの失態だと思うのですが、
こういう発言をする人は多くがふてぶてしいので、今後もアイヌ問題関連で遺伝学的研究を都合よく理解して、
というか誤認して恥ずかしい発言を続けるのでしょう。


https://sicambre.at.webry.info/201910/article_5.html より引用