カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑲ 龍安寺の蹲(つくばい) 「吾唯足知」は宇宙を回転させる呪術だった? よりつづく~ ①二上山=カシオペア座?私たちは各地を転々とする長い旅の中で、5セットのカシオペア座・北斗七星・北極星になぞらえられた場所を見てきた。 まだまだ日本にはこれらのほかにも、カシオペア座・北斗七星・北極星の呪術が仕掛けられた場所があるかもしれない。 そういえば、奈良県に二上山がある。 二上山はカシオペア座にとてもよく似た形をしているが? 檜原神社より二上山に没する夕日を望む 二上山はカシオペア座に似ている。 二上山は大阪と奈良の境にあり、奈良側から見ると、向かって右の山が高い。 一方、カシオペア座(山形星)は向かって左の山が高い。 しかし、古の人々は天球の上から星座を見下ろした様子を地上にある山や島になぞらえていたようである。 天球の上から星座を見下ろしたと想定すると、カシオペア座は向かって右の山が高くなり、二上山と同じになる。 ②三輪山は北斗七星?
大神神社の御神体 三輪山の日の出奈良では三輪山から日が昇り、二上山に日が没する。 こうしたことから三輪山と二上山は関係が深いもののように思える。 また、三輪山は蛇がとぐろを巻く姿だともいわれている。 北斗七星になぞらえられていると考えられる富士山には白蛇伝説がある。 また富士山同様、北斗七星になぞらえられていると考えられる三上山にはムカデが七撒半していたという伝説がある。 そこで私は『二上山=カシオペア座』に対して、三輪山が北斗七星に喩えられているのではないかと考えた。 ④藤原京=北極星?すると、藤原京あたりが北極星の位置になる。 藤原宮跡藤原京は条坊制の都として知られているが、同時に北極星になぞらえて作られた可能性があると思う。 ③条坊制は呪術的な回転装置?

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AFujiwarakyo2.gif https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/db/Fujiwarakyo2.gif よりお借りしました。 作者 パパイヤ (投稿者自身による作品) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由
わたしたちは龍安寺石庭はカシオペア座、龍安寺北にある七つの陵は北斗七星、龍安寺の蹲が北極星になぞらえられているらしいこと、 蹲に記された謎々のような文字を吾唯足知(吾、唯足るを知る)と読むためには右回りで読む必要があり、吾唯足知は宇宙を回転させるパワーを表しているらしいことを見てきた。 (すべての星は北極星を中心にして左回りで回転するが、カシオペア座になぞらえられたと考えられる石庭のⅯ字が、カシオペア座のⅯ字と左右反転しているので、当然回転方向も反転させなければならない。) カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑲ 龍安寺の蹲(つくばい) 「吾唯足知」は宇宙を回転させる呪術だった?  ここから考えて、藤原京の条坊制にも宇宙を回転させるような、呪術的なしかけがあるのではないかと考えた。 しかし、よくわからない。 これについては宿題とさせていただく。 ⑤三輪山は北極星でもある?私は二上山はカシオペア座、三輪山は北斗七星、藤原京は北極星になぞらえられていたと思うが、藤原京以前、三輪山は北極星になぞらえていたようにも思われる。 古事記にはこんな話がある。 イクタマヨリヒメのもとに美しい若者がやってきて、ほどなくイクタマヨリヒメは身籠った。 イクタマヨリヒメの両親は若者の正体を確かめるため、イクタマヨリヒメに若者の着物に糸巻きの糸を刺しておくようにと言いつけました。 翌朝、糸は鍵穴を出て、糸は糸巻き(苧環/おだまき)に三巻きだけ残っていた。 糸をたどっていくと三輪山にたどりつき、若者の招待が三輪山の神・大物主神であることがわかった。また、三輪山は蛇がとぐろを巻く姿をしていると言われる。 これらのことから、私は鞍馬寺境内にある「いのちの像」を思い出したのである。  上は鞍馬寺の境内図である。 鞍馬七福神は北斗七星を、由岐神社はカシオペア座を表していると私は考えたのだった。 高田祟史さんが、七福神は北斗七星の神ではないかと指摘しておられる。 鞍馬七福神は配置が北斗七星の形になっていないが、大阪府交野市の星田妙見宮の境内に祀られた北斗七星の神々の配置も北斗七星の形になっていない。 また由岐神社の祭礼である鞍馬の火祭りでは二人の青年があおむけになって脚をⅤ字形に開脚するチョッペンの儀というのがある。 二人で開脚するのでカシオペア座(W字形)に見えるのだ。 ↓ すばらしい動画があったのでお借りしました。動画主さん、ありがとうございます!
鞍馬七福神=北斗七星、由岐神社=カシオペア座とするとその中間にある「いのちの像」は北極星をあらわすものと考えられる。

上はその「いのちの像」の写真である。
須弥山をとりまく三重の輪は、三輪山のイメージと重なるではないか。
で、二上山=カシオペア座、三輪山=北極星とみなして三輪山の東のほうを見てみると、額井岳がある。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMount_Nukai-01.JPG https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ae/Mount_Nukai-01.JPG よりお借りしました。 作者 Ajax (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で
額井岳は別名を大和富士ともいう。
江戸=北極星、筑波山=カシオペア座に対して富士山は北斗七星をあらわすものだと思うし 鳴門の渦潮=北極星、日振島=カシオペア座に対して三上山は北斗七星をあらわすものだと思う。 そして三上山は近江富士とも呼ばれている。 ここから富士山のような形をした山が北斗七星に喩えられたのではないかとも考えられ 大和富士=額井岳は北斗七星になぞらえられたものであるように思えてくる。
※額井岳は室生口大野駅の西あたり 三輪山のふもとには志貴御県坐神社があり、第10代崇神天皇の磯城瑞籬宮があった場所だとされている。 崇神天皇は二上山=カシオペア座、三輪山=北極星、額井岳=北斗七星になぞらえて磯城瑞籬宮をここに定めたのかもしれない。
志貴御県坐神社トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 まだまだカシオペア。北斗七星・北極星になぞらえた場所がありそうなんですが、ちょっとわからないことがあるので とりあえずここで旅を中断させていただきます。 ながながとおつきあいくださり、ありがとうございました♪♪ 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑱ 富士山は本当に北斗七星になぞらえられているのか? よりつづく~
京都市右京区 龍安寺
①龍安寺石庭はカシオペアを表している?カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? ↑ こちらの記事に龍安寺石庭はカシオペア座を表しているのではないかと書いた。 図を見れば一目瞭然である。 石庭もカシオペア座もアルファベットのМの形をしているが、石庭は向かって左側が広いのに対し、カシオペア座は向かって右側が広い。 向きが逆だが、天球上に星座が張り付いているものとし、天球の上からカシオペア座を眺めたとすると龍安寺石庭のような形に見える。 ②7つの陵の被葬者は七福神のイメージ?石庭周辺の地図を見ていて、あっと思った。 石庭の北に7つの陵があったのだ。 被葬者 | 生没年 | 在位 | 第59代 宇多天皇 | 867-931 | 887-836 | 第64代 円融天皇 | 959-991 | 969-984 | 第66代 後一条天皇 | 980-1011 | 986-1011 | 第69代 後朱雀天皇 | 1009-1045 | 1036-1045 | 禎子内親王(第67代三条天皇の皇女・第69代後朱雀天皇皇后) | 1013-1094 | | 第70代 後冷泉天皇 | 1025-1068 | 1045-1068 | 第71代 後三条天皇 | 1034-1078 | 1068-1073 |
禎子(ていし/さだこ/よしこ)内親王のみ 女性である。 7人の貴人の中に紅一点というのは七福神(蛭子・大黒・毘沙門天・布袋・ 弁財天・福禄寿・寿老人)を思い出させる。 七福神の中の 弁財天のみ 女神である。 ③鞍馬七福神は北斗七星の神?
龍安寺の話に入る前に、簡単に鞍馬寺の呪術の復習をしておこう。 下図は鞍馬寺の境内図である。  高田祟史さんが、七福神は北斗七星の神であるというようなことをおっしゃっていた。 鞍馬七福神はその配置が北斗七星とはかなり異なるが、北斗七星の神は変形されることが多いようで 星田妙見宮(大阪府交野市)の北斗七星の神々も北斗七星の形に配置されていなかった。  星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)鞍馬七福神は北斗七星の神なのかもしれない。 ④由岐神社はカシオペア座の神?鞍馬寺境内にある由岐神社はカシオペア座の神ではないかと思う。 940年、朱雀天皇は世の中を安泰にするため、由岐神社を宮中から鞍馬へ遷宮させた。 このとき関東でおこった平将門の乱は平定されていたが、南海の藤原純友の乱は平定されていなかった。 由岐神社は藤原純友の乱平定を目的として遷宮されたのではないかと思う。 そして由岐神社の祭礼・鞍馬の火祭で行われるチョッペンの儀では、二人の青年があおむけになって足をⅤ字形に開脚する。 二人で開脚するのでカシオペア座の形・・・W字形に見える。 動画をお借りしました。 動画主さん、ありがとうございます。 そして藤原純友は海賊の首領で、愛媛県の日振島を本拠地としていたのですが、なんとこの日振島もカシオペア座の形・W字形をしている。 ⑤カシオペア=藤原純友、鞍馬七福神=平将門、北極星=いのちの像?由岐明神とは藤原純友のことで、藤原純友はカシオペアの神だと考えられていたのではないだろうか? そして加門七海さんが、関東の平将門関連史跡の配置が北斗七星の形になっていると指摘されている。 鞍馬七福神は平将門を祀っているのではないかと思う。 すると、由岐神社と鞍馬七福神をつなぐ場所にある「いのちの像」は北極星をイメージしたものではないだろうか。 つまり、カシオペア(藤原純友)と北斗七星(平将門)を、北極星(いのちの像)につなぎとめることで、 同時期におこった藤原純友の乱・平の将門の乱を平定し、 また彼らの怨霊が暴れないようにするという呪術ではないかと思うのだ。 鞍馬寺 いのちの像
詳しくはのこちらの記事をお読みください。↓ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑨ 『チョッペンの儀はカシオペアを表している?』 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑩ 『鞍馬七福神は北斗七星の神?』 ④龍安寺石庭=カシオペア座、七つの陵=北斗七星、蹲(つくばい)=北極星?由岐神社と鞍馬七福神の関係を復習したところで、龍安寺の話に戻ろう。 もう一度、龍安寺周辺の図を見てほしい。 龍安寺石庭はカシオペア座をイメージしたものだと思われるので、 七つの陵は七福神をイメージしたものであると同時に、北斗七星をイメージしたものであるようにも思える。 なんとなく、鞍馬寺境内図にも似ている。 すると、石庭と七つの陵をつなぐ位置にある蹲(つくばい)は北極星を表しているのではないだろうか? 龍安寺 蹲(つくばい) 龍安寺の蹲は中央の□を部首とみなし、上から右回りで読むと「吾唯足知(吾、唯足るを知る/われ、ただたるをしる)」と読める。 この蹲にはなぜ「吾唯足知」と書いてあるのだろうか? なにか哲学的な意味があるようにも思えるが、私はこの哲学的なイメージはフェイントだと思う。 私はこれは哲学は関係なく、北極星を回転させる装置ではないかと考えている。 すべての星は北極星を中心にして左回りに回る。 しかし、さきほども述べたように、星座が天球にはりついているものとし、天球の上から星座を眺めると右回りとなる。 そして「吾唯足知」と読むためには、蹲に刻まれた文字を右回りに読む。 つまり、参拝者が蹲を見て「吾、唯足るを知る」と読むたびに、蹲の回転のパワーが作動するという呪術なのではないだろうか? 龍安寺の石庭や蹲は哲学とはあんまり関係ないのかも。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑳ 『二上山はカシオペア座で三輪山は北斗七星?』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑰ 『江戸の町は北極星になぞらえて造られた?』 よりつづく~ ①江戸=北極星前回の記事で、江戸の町は北極星に、筑波山はカシオペア座に、富士山は北斗七星になぞらえられているのではないかという話をした。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑰ 『江戸の町は北極星になぞらえて造られた?』 すべての星は北極星を中心に左回りに回る。 まるで北極星には夜空を回転させるパワーがあるかのようだ。 星が天球に張り付いているものとし、神様が天球の上から眺めたと想定した場合、すべての星は北極星を中心に右回りに回る。 江戸の町は江戸城を中心に「の」の字を描くように堀が掘られているが、これは江戸の町が北極星になぞらえられているのではないだろうか。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edo_hori.png よりお借りしました。 江戸中心部の堀、門等配置略図。著作権切れ(パブリックドメイン)の絵図の画像をSafkanさんが加工されたものです。 ②筑波山=カシオペア座そして筑波山はⅯ字形をした山でカシオペア座に似ている。 西側から望んだ筑波山 https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMt.Tsukuba.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Mt.Tsukuba.jpgよりお借りしました。 作者 RESPITE (photo by RESPITE) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
上図は地球上からカシオペア座を見上げた図である。(ヘタクソな図ですいません。) ①で説明したように、天球の上からカシオペア座を見下ろしたと想定すると、上の図を左右反転させなければならない。 するとカシオペア座は、向かって右の山が高く、向かって左の山が低くなる。 筑波山の南南西にある江戸から筑波山を望んでも、向かって右の山が高く、向かって左の山が低く見えるはずである。 筑波山はカシオペア座になぞらえられているのではないだろうか。 ③湖のそばにある台形の山=北斗七星?北極星・カシオペア座ん比べ、北斗七星はわかりにくい。 というのは、北斗七星は変形された形で祀られることが多いようなのだ。 星田妙見宮では境内に北斗七星の神を祀っているが、北斗七星の形になっていない。
 星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)
三上山・男体山・赤城山など、どうやら、湖のそばにある台形の山を北斗七星になぞらえることが多かったようである。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮ 日光にもあったカシオペアと北斗七星、北極星 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術  富士山の北には富士五胡がある。 また、その位置関係からみても、江戸を北極星、筑波山をカシオペアとすると、富士山は北斗七星を表しているように思える。 これをもう少し掘り下げて考えてみたいと思う。 ⑦聖徳太子、黒馬(北斗七星)に乗って富士山(北極星)に行く。次のような伝説がある。 昔、甲斐の駒城(こまじろ)で黒馬が生まれた。 黒馬は四本の脚のみ白い四白の馬で、ひずめは金色だった。 この馬が成長すると奈良の聖徳太子に献上された。 聖徳太子が馬にまたがると、黒馬は猛スピードで天へと駆け上った。 そして黒馬の故郷・駒じろの里へ降り立ったのち、再び天へ舞い上がり富士山の頂上を巡って都に戻った。将門の子孫を称する相馬家は家紋に『繋ぎ馬』を使用していた。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ACrestOfSoumaClan.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/CrestOfSoumaClan.jpg よりお借りしました。 作者 正親町三条 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で
この馬は平将門にしか乗りこなせない黒馬なので、杭につながれているのだと言われている。 私はこの紋の馬は北斗七星を表しているのではないかと考えた。 頭から首にかけての部分が北斗七星の升の部分、胴体が持ち手部分である。 そしてふたつの杭は北極星とカシオペア座を表しているのではないかと思う。 馬=北斗七星は、北極星につながれ、さらに錨星(カシオペア座が北極星よりも下にあってW形に見えるときには錨星、北極星の上にあってⅯ字形に見えるときには山形星と呼ばれた。錨は船をつなぎとめる道具)にも繋がれて二重につなぎ留められているように見えるではないか。 下の図で、錨=藤原純友と書いたのは、彼が海賊の首領で本拠地の日振島がカシオペア座の形をしているためである。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑫ 『繋ぎ馬は北極星とカシオペア座につながれた北斗七星?』 これをふまえて考えると、聖徳太子の乗った黒馬も北斗七星をあらわすものではないかと思われる。 それゆえ、馬は天に駆け上ったと表現されたのではないだろうか。 そしてその馬は富士山をめぐって都に戻ったとあるが、それは富士山が北極星になぞらえられているからではないだろうか。 北斗七星は北極星の周囲をめぐっているだろう。 ⑧天に昇った白い蛇は山を巻く雲?『浅間御本地由来記』には次のような話がある。 下野国の長者の姫の前に美しい青年があらわれ、「私は月の桂男である。あなたの胎内を借りて人間に生まれ、人々を救いたい」と言い、 白い蛇に姿を変え娘の胎内に宿った。 こうして生まれた子と母が富士権現・浅間大菩薩である。ここに白い蛇が登場するが、これは富士山の周囲のリング状に生じた雲の比喩ではないだろうか。
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1+%E9%9B%B2&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa富士山には山を取り囲むような雲がよく発生するようである。 下は近江富士と呼ばれる三上山の俵藤太百足退治伝説を描いたものである。(瀬田の唐橋案内板より)  この山に巻き付く百足もまた雲の比喩であるかもしれない。 ⑨玄武は北極星の周囲をめぐる北斗七星? 上は星田妙見宮にあった玄武(北方守護の聖獣)を描いた旗である。 上部に描かれた7つ星は北斗七星だと思うが、変形した形で描かれている。
そして蛇はその上部に描かれた7つ星と同じような形をしている。 亀は北極星を、蛇は北斗七星をあらわしているのではないだろうか。
俵藤太の伝説では山を七巻半しているのは蛇ではなく百足である。 もともと三上山を七巻半していたのは美しい娘に化けていた蛇であったが、のちにムカデに三上山を乗っ取られたということなのかもしれない。
あるいは、ムカデは蛇の変形バージョンであるとも考えられる。
坑道のことを隠語で百足穴などという。 鉱山でない山は蛇が巻きついた山、鉱山はムカデが巻き付いた山というふうに表現しているのかもしれない。 ただし、古の三上山が鉱山であったかどうかはわからない。
話を玄武に戻そう。
つまり、玄武とは亀=北極星、蛇=北斗七星が合体した聖獣であり、北斗七星が北極星の周囲をめぐるようすを亀と蛇に喩えたものではないかと思える。
ということは、本来富士山や三上山は北極星であり、そこに巻き付いた雲が北斗七星に喩えられたのだろうが いつのまにか、富士山や三上山は北斗七星に喩えられるようになり、 北極星=江戸(鳴門の渦潮)、カシオペア座=筑波山(日振島)、北斗七星=富士山(三上山)になぞらえられるようになったのかもしれない。


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑲ 龍安寺の蹲(つくばい) 「吾唯足知」は宇宙を回転させる呪術だった? へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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東京都新宿区 東京都庁
皇居 (江戸城跡)
①江戸は四神相応の地に作られていない。
江戸は四神相応の地に作られていると聞いたことがある。 四神とは玄武(北の守護神)・朱雀(南の守護神)・青龍(東の守護神)・白虎(西の守護神)の四聖獣のことをいう。 詳しい説明はこちら→ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9Eそして玄武は丘陵(山)、朱雀は湖沼(海)、青龍は川、白虎は大道に棲むといわれ、 北に丘陵(山)、南に湖沼(海)、東に川、西に大道がある土地を四神相応の地といい、大変縁起のいい場所とされている。 平安京の北には船岡山・南には巨椋池(現存せず)・東には鴨川・西には山陰道があり、平安京は四神相応の地に作られたといえるだろう。 (平安京は四神相応の地に作られていないとする説もあるが) そして、江戸の町は北に富士山・南に江戸湊・東に平川・西に東海道があるので四神相応の地につくられているというのだ。 えっ?? ちょっ、ちょっと、待ったーーー! 方角 | 聖獣 | 聖獣の棲む場所 | 平安京 | 江戸 | 北 | 玄武 | 丘陵 山 | 船岡山 | 富士山? | 南 | 朱雀 | 湖沼 海 | 巨椋池 | 江戸湊? | 東 | 青龍 | 川 | 鴨川 | 平川? | 西 | 白虎 | 大同 | 山陰道 | 東海道? |
上の写真は東京都庁展望ロビーより富士山の夕景を撮影したものである。 富士山の背後に広がっているのは夕焼けに染まった西の空である。 上の地図を見ればわかるように、富士山(赤印)の位置は江戸(東京)の西南西で、江戸の北ではない。 それなのになぜ、富士山が江戸の北にあるなどと言われているのだろうか? 江戸の北には麹町台地があり、麹町台地が玄武の丘陵に相当するとする説もある。 しかし江戸の町が作られたとき麹町台地は削られ平らな土地にされている。 玄武という聖獣が棲む山を削るとは思えないし、削って平らにしてしまったら四神相応の地ではなくなってしまうという反論をネット上で読んだ。 まったくそのとおりである。 また江戸の北にある麹町台地に登れば富士山が見えるので、富士山が玄武の丘陵に相当するとの説もある。 しかし、皆さんはこれを聞いて納得できるだろうか? 私にはこじつけのようにしか思えない。 また江戸の町を作った徳川家康や家康のブレーン・天海がそんないい加減な人間だったとも思えない。 しかし、家康や天海が江戸の町をここに定めたのは、富士山の位置を考慮した上でのことではないかと私は考えている。 ②日振島はカシオペア座になぞらえられていた?
愛媛県宇和島市の日振島はカシオペア座を左右反転させたような形をしている。 図① カシオペア座のWは向かって左側のVが広いのに対し、日振島のWは向かって右側のVが広くなっている。 しかし星座が天球上にはりついているものとし、天球の上から神様が星座を見下ろしたとすると、カシオペア座は日振島のように向かって右側のvが広い形に見えるはずである。
図②

古の人々は自分本位に左右を考えず、対面する神様の身になって左右を考えた。 たとえば、記紀に次のような話がある。
黄泉の国から戻ったイザナギが左目を洗ったところ天照大神が、右目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオが生まれた。
これは陰陽道の宇宙観を適用したものだろう。 陰陽道では、東を太陽の定位置、西を月の定位置、中央を星とするのだ。
地図では「左が西で右が東だ」と言われるかもしれないが、それは正しくは「向かって左が西で向かって右が東」というべきなのだ。 地図の側にたつと、左が東で右が西となる。
また薬師三尊像は中央に薬師如来、中尊の左手側に日光菩薩、中尊の右手側に月光菩薩を配置する。 つまり中央にある薬師如来とは星の神なのだ。
③鳴門の渦潮は北極星になぞらえられていた?日振島がカシオペア座だとすると、北鳴門の渦潮は北極星ではないだろうか。 全ての星は北極星を中心にして回る。 それはまるで北極星に夜空を回転させるパワーがあるかのようで、鳴門の渦潮は北極星にぴったりである。  鳴門の渦潮はまれに左回りもあるそうだが、ほとんど右回りである。 夜空の星は北極星を中心にして左回りに回るが、日振島のWはカシオペア座のWと左右が逆転している。 日振島は図②で示したように、天球に貼りついたカシオペア座を天球の上から眺めた形になっているのだ。 天球の上から天球にはりついた星座を眺めるとすれば、夜空の回転方向も左回りではなく右回りに見えるはずである。 また古の日本は九州から関東あたりまでで、ちょうど鳴門の渦潮あたりが日本の中心になる。 ④三上山は北斗七星になぞらえられていた?琵琶湖には三上山にすむムカデを藤原秀郷が退治したという伝説があるが、藤原秀郷は平貞盛とともに平将門の乱平定に派遣された人物である。 琵琶湖のほとりの三上山にすむムカデとは平将門を比喩したものだと思う。 そして加門七海さんが東京の将門関連史跡の 鎧神社・鬼王神社・築土八幡・神田明神・将門の首塚・兜神社・水稲荷神社をつなぐと北斗七星の形になっていると指摘されている。
平将門は北斗七星の神だということで、藤原秀郷の三上山のムカデ退治伝説は創作されたのではないかと思う。
カシオペア=日振島 北斗七星=三上山 北極星=鳴門の渦潮

日本には何とも壮大な呪術が仕掛けられていたのである。
⑤江戸は徳川家康が作った新たな北極星の都市だった?
江戸は平安京のような条坊制の町ではなく、江戸城を中心に「の」の字を描くように堀が作られていた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Edo_hori.png よりお借りしました。 江戸中心部の堀、門等配置略図。著作権切れ(パブリックドメイン)の絵図の画像をSafkanさんが加工されたものです。
「の」の字は鳴門の渦潮と同じ右回りである。 徳川家康と天海が江戸の町を「の」の字を描くような町にしたのは、日本に江戸という新たな北極星をつくり、江戸を中心として日本をまわそうという呪術であったのではないだろうか? ⑥筑波山はカシオペア座になぞらえられた?江戸が北極星だとすると、カシオペア座や北斗七星になぞらえた場所が江戸の近くにも設定されているのではないだろうか。 西側から望んだ筑波山 https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMt.Tsukuba.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Mt.Tsukuba.jpgよりお借りしました。 作者 RESPITE (photo by RESPITE) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
カシオペア座は北極星の下にあるときは錨の形に似ているので錨星、北極星の上にあるときは山形に見えるので山形星と呼ばれた。 上図は地球上から山形星を見上げた図である。(ヘタクソな図ですいません。) これを左右反転させると、向かって右の山が高く、向かって左の山が低くなる。 筑波山の南南西にある江戸から筑波山を望んでも、向かって右の山が高く、向かって左の山が低く見えるはずである。 筑波山はカシオペア座になぞらえられているのではないだろうかか。 ⑦富士山は北斗七星になぞらえられた?上の地図の赤印のところが筑波山である。 筑波山・東京(江戸)・富士山の位置関係に注目してほしい。 私たちは三上山や男体山・赤城山など、そばに湖がある台形の形をした山が北斗七星を表しているらしいことを見てきた。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮ 日光にもあったカシオペアと北斗七星、北極星 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 江戸を北極星、筑波山をカシオペアとすると、富士山は北斗七星を表しているように思えないだろうか。 家康と天海は、筑波山をカシオペア、富士山を北斗七星に見立て、その中心にある江戸を北極星に見立て、江戸を渦を撒く町として作ったのではないだろうか? ⑧将門関連史跡は北斗七星を左右反転した形になっている?江戸の町が右回りの渦巻きを描く町で、北極星になぞらえた町だとすると、ひとつ問題がでてくる。 加門七海さんが関東の将門関連史跡をつなぐと北極星の形になると指摘されている。 下の地図の将門関連史跡が形作る北斗七星の下、千代田区の文字がある緑色の部分が皇居(江戸城跡)である。 江戸城を北極星、将門関連史跡を北斗七星に喩えるとおかしなことになってしまうのだ。 江戸の町を北極星に喩えたとき、その回転方向は「の」の字、すなわち右回りであり、私たちが見上げる空とは左右が逆転していることになる。 当然、星座も左右逆転させなければ整合性がとれない。 北斗七星を左右逆転させると、下図のようになる。 そう、将門関連史跡が形作る北斗七星は、上下が逆転しているのだ。 平将門は怨霊としてしられている。 関東の将門関連史跡は北斗七星を上下逆にすることで、平将門という怨霊を和霊に変えようという呪術なのかもしれない。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑱ 富士山は本当に北斗七星になぞらえられているのか? へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 より続きます~ ①日振島=カシオペア、三上山=北斗七星、鳴門の渦潮=北極星?カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 上記記事で、俵藤太が三上山の百足を退治したという伝説について述べた。 俵藤太とは藤原秀郷のことで、平将門の乱を平定した人物である。 そこで三上山に巻き付いた大百足とは平将門の比喩ではないかと私は考えた。  加門七海さんが関東の将門関連史跡をつなぐと北斗七星の形になると指摘されている。 将門は北斗七星の神なのだ。 平将門は関東で乱をおこしたが、同時期、南海では藤原純友が乱をおこした。 藤原純友は海賊の首領で日振島を本拠地としていた。 この日振島は形がカシオペア座に似ている。 
そこで私は、日振島はカシオペア座に、三上山は北斗七星に、その中間にある鳴門の渦潮は北極星になぞらえられていたのではないかと考えた。
カシオペア=日振島 北斗七星=三上山 北極星=鳴門の渦潮
実際の夜空を反転させたものと比較してみると、位置関係・回転方向もばっちりだ。

※上の図で夜空を左右反転させているのは、星座が天球にはりついているものとし、天球の上から星座を見た場合を想定しているためである。
日本には何とも壮大な呪術が仕掛けられていたのである。
②猿麻呂の百足退治藤原秀郷の本拠地は下野国であり、下野国には次のような伝説がある。 昔、日光の中禅寺湖には豊かに水があったが、赤城山には水が無かった。 赤城の仁王は赤城の神に命じられて、中禅寺湖の水を盗みに行った。 中禅寺湖では日光の仁王が待ち構えており、二人は戦った。 赤城の仁王は戦いながら中禅寺湖の水を右手ですくって赤城のほうに投げた。これが大沼になった。 日光の仁王が赤城の仁王の右手を押さえると、赤城の仁王は左手で水をすくって赤城のほうに投げた。これが小沼になった。
日光の神が水を取り返そうと、白蛇の大群を赤城山に向かわせたが、赤城山のムカデの大群に白蛇たちはやられてしまった。 そこで日光の神は白鹿に化け、奥州の厚樫山(あつかしやま)に住むに猿麻呂(さるまろ)に「赤城の百足軍をやっつけてほしい」と頼んだ。 猿麻呂は中禅寺湖にでかけていき、日光の神である金色の大蛇に赤城の大百足が巻き付いたところ、矢を放って赤城の大百足の目を射た。 赤城の神は退散し、片品川(かたしながわ)のほとりで目に刺さった矢を抜き、矢で岩をつついて温泉を出して傷ついた左目を癒した。 これが今の老神温泉で、ムカデと蛇が戦った跡が戦場ヶ原(男体山の5kmほど西)である。三上山の藤原秀郷百足退治伝説はこの日光山vs赤城山の伝説をベースに創作されたものだと考えられている。 ③日光にもあったカシオペア座・北斗七星・北極星上の地図中央下に中禅寺湖があり、その北に男体山、男体山の東北に女峰山、男体山の北には太郎山がある。 日光東照宮は中善寺湖の東、白糸滝という文字の下あたりである。 この三つの山は御神体として信仰され、それぞれ日光二荒山神社の三柱の神々にあてられている。 男体山(2486m)・・・大己貴命(おおなむちのみこと)・・・・・・・・千手観音・・・・・・・・・父 女峰山 (2464m)・・・田心姫命(たごりひめのみこと)・・・・・・・・阿弥陀如来・・・・・・・・母 太郎山 (2368m)・・・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)・・馬頭観音・・・・・・・・・子 日光二荒山神社 弥生祭 日光東照宮 五重塔 ※明治の神仏分離令まで、東照宮と二荒山神社は一体化していたようです。
日光東照宮 百物揃千人武者行列
よく見てみると、なんと女峰山の形がカシオペア座の形になっている。  日振島(カシオペア)・三上山(北斗七星)・鳴門の渦潮(北極星)ほど、実際の夜空と合致してはいないが、女峰山はカシオペア、男体山は北斗七星、太郎山は北極星になぞらえられていたのではないだろうか? そして男体山と赤城山が戦ったというのは、女峰山=カシオペアに対して男体山・赤城山いずれの山が北斗七星としてふさわしいのかを競ったということではないだろうか。 ④北斗七星が水のめぐみをもたらす?男体山と赤城山は水争いをしているが、北斗七星はひしゃくの形をしている。 ひしゃくとは水をくむためのものである。 したがって北斗七星になぞらえられた山には水のめぐみがあると、そう考えられたのではないだろうか。 ⑤湖のそばにある台形の山が北斗七星になぞらえられた?男体山のふもとには中禅寺湖がある。 また赤城山のふもとには大沼・小沼がある。 そして男体山の伝説を受けて創作されたと思われる藤原秀郷・百足退治伝説が残る三上山は琵琶湖のほとりにある。 そして男体山・赤城山・三上山はどれも北斗七星に喩えられていると考えられる。 男体山と中禅寺湖
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AMount_nantai_and_lake_chuzenji.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8a/Mount_nantai_and_lake_chuzenji.jpg よりお借りしました。 作者 uraomote_yamaneko (投稿者自身による作品) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) または CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で 赤城山と大沼 https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AAkagiyama_ono.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cb/Akagiyama_ono.jpg よりお借りしました。 作者 uraomote_yamaneko (投稿者自身による作品) [GFDL (http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) または CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で 三上山と琵琶湖三山の共通点は湖のそばにある台形の形をした山だということである。 古の人は湖のそばにある台形の形をした山を北斗七星に喩えたのかもしれない。 向かって左が男体山 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑰ 『江戸の町は北極星になぞらえて造られた?』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑬ 藤原純友財宝伝説 よりつづく~
京都府長岡京市 走田神社 千日詣で 弓講・・・1月13日 ①妙見菩薩は北極星を神格化したみほとけ
走田神社ではかつて妙見菩薩を祀っていたそうだが、明治の神仏分離令の際に隣の寂照院に移したという。 妙見菩薩とは北極星を神格化したみほとけである。 ②龍安寺石庭はカシオペア座を表している?
上の図は京都・龍安寺の石庭のレイアウト図である。 明石散人さんが龍安寺の石庭とはカシオペア座を表したものではないか、という説を説いておられるようである。(龍安寺石庭の謎/講談社文庫) 詳しくはこちらの記事をお読みください。→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? カシオペア座のⅯは向かって右のΛが向かって左のΛよりも幅が広くなっている。 龍安寺の石庭はこれとは逆になっている。 だが、星が天球に貼りついているものとして、神様が天球の上から眺めるとカシオペア座は龍安寺石庭と同じように向かって左側のΛが広い形に見えるはずである。 ③右回りに回転する北極星全ての星は北極星の周囲を左回りに回る。 北斗七星とカシオペア座は北極星の周囲を左回りに回っているが、神様が天球の上から星座を眺めていると仮定して、これを左右反転させてみよう。 すると下図のように右回りとなる。  まるで北極星は自らが回転することで、宇宙を回転させているかのようだ。 ④お千度詣りは北極星のパワーを表している?
各地でお千度詣りをする習慣がある。 お千度詣りとは本来は1000度神社にお詣りすることを言っていたが、現在では3度で1000度とみなしているところが多いようだ。 随分端折っている感があるが、大事なのは形よりも心ということなのだろう。
走田神社では榊を手に持った人のあとに大勢の参拝者が続き、長い行列を作って境内を右回りにゆっくりと3周していた。

貴船神社のお千度詣りも右回りで、天球の上から星座を眺めたときの夜空の回転方向と同じである。

貴船神社 千度詣で
かつて走田神社では北極星を神格化した神・妙見菩薩を祀っていたということだが、お千度詣りは宇宙を回転させる北極星のパワーを意味しているのではないだろうか?
⑥イザナギとイザナミは日本の中心で国生みを行った。 記紀神話によるとイザナギとイザナミは天の浮橋に降り立ち、矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってオノゴロ島ができたとある。
古の人々は鳴門の渦潮はイザナギとイザナミが矛でかきまぜてできた渦だと考えていたのではないか。
鳴門の渦潮は多くは右巻きだが、赤ちゃんは産道を右回りに回って(まれに左回りもある)生まれてくる。 鳴門の渦潮はイザナミの女陰にも喩えられているように思える。
そして古代の日本は九州から関東くらいまでだったので、鳴門の渦潮はちょうど日本の中心あたりにあったことになる。 古の人々は日本の中心である鳴門の渦潮を北極星になぞらえ、またイザナミの女陰になぞらえたのではないかと思う。
⑦弓の的は鳴門の渦潮や北極星をあらわしている?

走田神社ではお千度詣りのあと、弓構が行われた。 まず神職さんが弓を射たのち、二人の男性が2本づつ、3度矢を射る。 2人×2本×3度=12本で、弓矢の数は合計12本になる。 これは1月から12月までの12か月を表しているそうですある。
弓の的を見て、はっとした。 弓の的、これは渦巻きではなく同心円だが、鳴門の渦潮や北極星を表しているのではないだろうか?また的は女性のシンボルをあらわしており、そこをめがけて飛んでくる弓矢は男性のシンボルをあらわしているのかもしれない。 そしてお千度詣や弓構はかつてここに妙見菩薩(北極星を神格化したみほとけ)が祀られていたことにちなむ行事なのではないかと思ったりした。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑮日振島・鳴門の渦潮・三上山に仕掛けられた壮大な呪術 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑫ 『繋ぎ馬は北極星とカシオペア座につながれた北斗七星?』 よりつづく~ ①藤原純友財宝伝説
藤原純友が本拠地としていた日振島には藤原純友の財宝が隠されているという伝説が伝えられているそうである。 ソースはこちら→ https://www.youtube.com/watch?v=o_hroRCodls 0:22より その伝説によれば藤原純友の財宝は99の大壺にぎっしり詰められており、「 金つぼは 7つにわけて7並べ 紫つつじのもとにこそあれ」と伝えられているのだという。 「金つぼは 7つにわけて7並べ 紫つつじの もとにこそあれ」というのは財宝の隠し場所を示す暗号のようなものではないかと思う。 ②金つぼ→金のうつぼ? 「金つぼは」は、「金のうつぼは」という意味ではないか。940年9月9日、朱雀天皇が大地震や相次ぐ争いを鎮めるため由岐神社を御所から鞍馬へ遷宮したと伝わる。 このとき関東の平将門の乱はすでに鎮圧されていたが、南海の藤原純友の乱はまだ鎮圧されていなかった。 由岐神社は藤原純友の乱平定を祈願して御所からこの地(鞍馬)に遷宮されたのだと思う。 そして由岐神社の祭礼である鞍馬の火祭りでは氏子さんたちは腕に船頭篭手(せんどうごて)をつける。 しかし鞍馬は山中で海はない。 鞍馬川という川はあるが水量が少なく、舟の運航に適した川のようには思われない。 氏子さんたちが腕に船頭篭手をつけるのは藤原純友率いる海賊のいでたちではないかと考えた。 向かって右の男性が腕につけているのが船頭篭手由岐神社は靭(ゆき)明神ともよばれるが、靭とは矢を入れる道具のことである。 靭は「うつぼ」とも読まれるが、同名の魚がいる。 大変凶暴な魚で「海のギャング」とも言われていいるが、九州や四国地方では食用にされている。 靭明神は語呂合わせから魚のうつぼの神としても信仰されたことだろう。 そして「海のギャング」と呼ばれるうつぼは海賊の首領であった藤原純友にぴったりのイメージだと思う。  https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AKidako_moray.JPG https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/46/Kidako_moray.JPG よりお借りしました。 作者 User:rydia (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 2.5 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.5)], ウィキメディア・コモンズ経由で上の写真を見ると、ウツボはなんとなく金色をしているようにも見える。 「金つぼ」とは「金のうつぼ」で、藤原純友のことを言っているのではないだろうか。 ③7つに分けて7並べ→北斗七星?「7つに分けて7並べ」とは北斗七星のことではないか。
鞍馬の火祭りで行われるチョッペンの儀は二人の青年があおむけになって足をⅤ字に開脚する。 ふたりで開脚するのでWのように見える。
↓ すばらしい動画があったのでお借りしました。動画主さん、ありがとうございます!
藤原純友が本拠地としていた日振島はwの形をしており、チョッペンに似ている。
藤原純友が本拠地としていた日振島はカシオペア座の形をしている。
また日振島はカシオペア座にも似ている。

日振島は向かって右側のⅤの幅が広いのに対し、カシオペア座は向かって左側のⅤの幅が広い。 しかし、星座が天球に張り付いているものと考え、その天球の上からカシオペア座を眺めたとすると向かって右側のⅤの幅が広く見えるはずである。

由岐明神はウツボの神であると同時にカシオペア座の神でもあり、藤原純友のことでもあると思う。
そして、鞍馬寺境内には鞍馬七福神がある。 高田祟史さんは七福神とは怨霊であり、北斗七星となって永遠の北極星の周囲を回ることで怨霊の祟る力が封じられているのではないかととおっしゃっていた。 鞍馬七福神の配置は北斗七星の形をしていないが、星田妙見宮の北斗七星を祀る神々の配置も北斗七星の形をしていなかった。 どうやら北斗七星は変形されることがあるようである。

星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神だが北斗七星の形に配置されていない。)

星田妙見宮にあった玄武(北方守護の聖獣)を描いた旗。 上部に描かれた7つ星は北斗七星だと思うが、変形した形で描かれている。
また加門七海さんが関東の将門関連史跡をつなぐと北斗七星の形になると指摘されている。
そして、由岐神社と鞍馬七福神をつなぐ場所には「いのちの像」がある。

いのちの像 すべての星は北極星を中心にして回る。それはあたかも北極星に宇宙を回転させるパワーがあるかのようだ。いのちの像の3つの輪は北極星の宇宙を回転させる力を表現しているのではないだろうか。
いのちの像・・・北極星 由岐神社・・・・カシオペア座・・・藤原純友 鞍馬七福神・・・北斗七星・・・・・平将門

由岐明神(カシオペア/藤原純友)と鞍馬七福神(北斗七星/平将門)はいのちの像(北極星)の周囲を永遠にまわりつづけることでその祟る力が封じられているのではないだろうか。
さらにカシオペア座は北極星の上にあってⅯの形に見えるときは山形星、北極星の下にあってWの形に見えるときは錨星と呼ばれた。
錨とは船をつなぎとめるための道具である。 北斗七星は北極星につなぎとめられているだけでなく、錨星(カシオペア座)にも二重につなぎとめられているのだ。
将門の子孫を称する相馬家は家紋に『繋ぎ馬』を使用していた。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ACrestOfSoumaClan.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/CrestOfSoumaClan.jpg よりお借りしました。 作者 正親町三条 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で
私はこの紋の馬は北斗七星を表しているのではないかと思う。 頭から首にかけての部分が北斗七星の升の部分、胴体が持ち手部分である。 そしてふたつの杭は北極星とカシオペア座を表しているのではないだろうか。 つまり、鞍馬寺境内には次のような呪術が仕掛けられていると思うのだ。 北斗七星(馬=平将門)を北極星(いのちの像)につなぎとめる。これが鞍馬七福神である。 カシオペア座(日振島=藤原純友)を北極星(いのちの像)につなぎとめる。これが由岐神社(靭明神)である。 カシオペア座は錨星でもあり、この錨で北斗七星(馬=平将門)を二重につなぎとめる。 ③紫つつじ→鞍馬の火祭りの松明の材料「紫つづじのもとにこそあれ」というのは財宝は鞍馬山にあるという意味だと思う。紫つつじとは「コバノミツバツツジ」のことである。 二荒山神社 中宮祠 コバノミツバツツジ
そして、なんと鞍馬の火祭で用いられる松明の材料が「コバノミツバツツジ」なのだ。 由岐神社のお旅所で見たDVDでは、「コバノミツバツツジは採取が難しいが、火持ちがいいためこれを松明の材料にしている。」とのことだった。 ここでもう一度、藤原純友財宝伝説の歌を見てみよう。 「 金つぼは 7つにわけて7並べ 紫つつじのもとにこそあれ」 この歌は、「金のウツボ(藤原純友)は7つにわけて北斗七星にされ、紫つつじ(コバノミツバツツジ)の松明のもと(鞍馬寺)にある。」という意味ではないかと思う。 藤原純友の財宝は99の大壺につめられているというが、鞍馬寺には九十九折(つづれおり)の道と呼ばれる参道があり、関連性があるように思われる。 ④鞍馬寺は鉱山だった? ↑ 上の写真は鞍馬寺に展示されていたムカデを描いた茶碗である。 なぜ鞍馬寺にはムカデを描いた茶碗があるのだろうか。 坑道のことを隠語でムカデ穴ともいう。 坑道はあちこちに枝分かれするような形で掘り進められることが多く、それをムカデの足に喩えたのだろう。 鞍馬寺の現在の本尊は尊天(毘沙門天・千手観音・護法魔王尊の総称)だが、もともとは毘沙門天を本尊としていた。 毘沙門天はもともとはインドの神クベーラで、夜叉を使役して貴金属や宝石を採掘させる神だった。 クベーラは鉱山の神だといっていいと思う。 鞍馬寺は鉱山の神を祀る寺だったのである。 東大寺大仏殿 多聞天(毘沙門天は四天王の一としては多聞天と呼ばれる。)
ただし、鞍馬寺が鉱山だったかどうかはわからない。 近くに二ノ瀬という地名があり、二ノ瀬は丹の瀬で、かつては丹が採れたのではないかと考えたりもするが。 ⑤山形星の呪術で鞍馬山で財宝が採掘される?③のところで、私は次のように書いた。 いのちの像・・・北極星 由岐神社・・・・カシオペア座・・・藤原純友 鞍馬七福神・・・北斗七星・・・・・平将門
これが正しければ、由岐神社(カシオペア座)と鞍馬七福神(北斗七星)はいのちの像を中心にして右回りに回転をすると考えられていたということになると思う。
 カシオペア座は、北極星の上にあってⅯ字形に見えるときは山形星、北極星の下にあってW字形に見えるときは錨星と呼ばれていた。 鞍馬山は実際には鉱山ではなかったかもしれないが、由岐神社=カシオペア座=山形星の呪術で鉱物のめぐみが得られると考えられていたのかもしれない。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑬ 走田神社 『お千度詣りの渦巻きは北極星のパワーを表す?』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑪ いのちの塔は北極星をあらわす? よりつづく~ 京都市下京区 神田神宮 東京都千代田区 神田神社①神田明神元社と神田神宮
神田神宮 (京都)2007年、私は京都烏丸駅近くにある膏薬図子と呼ばれる小路を訪れた。 車一台がようやく通れるくらいの小路の両側には町屋が並んでいる。 この町屋の中の一軒の民家の壁に塗り込められるように小さな祠があり、「史跡 神田神宮 天慶年間、平将門ノ首ヲ晒シタル所ナリ」と記された札がかけられていた。 祠の下には石があり、やはり壁に塗り込められていた。 『拾遺都名所図会~』には『空也上人は将門の亡霊をここに供養し、石を置いて目印にした』と記されている。 壁に塗りこめられた石は空也上人が置いたと伝わる石なのかもしれない。 神田明神 (東京)東京都千代田区外神田に平将門を御祭神とする神田神社がある。 膏薬図子の小さな祠は東京の神田神社の元社とされている。 この後、京都膏薬図子の神田神宮は2010年に改修工事が行われた。 改修工事後は参拝していないのだが、祠は民家の中に移設され、壁に塗り込められていた石とともに祀られているそうである。 また祠の下には石でつくったガマの置物が置かれているとのことだ。 ②飛行した平将門の髑髏神田明神とは平将門のことである。 939年、平将門は乱をおこし(平将門の乱)を起こし、関東に独立国を作り『新皇』を名乗った。 翌940年、朝廷が派遣した平貞盛・藤原秀郷らが率いる軍と将門軍は争い、この戦いの中で平将門は流れ矢を受けて死亡した。 平将門の首は京に持ち帰られ、四条大橋の東(現在の南座の南あたり)にあった公孫樹の木に掛けて晒された。 ところが数日後、将門の首は鴨川を越えて西へと飛び、膏薬図子に落ちた。 将門の首はことあるごとに祟り、住民たちは将門の祟りに怯えていた。 そこで空也上人が将門の首が落ちた場所に念仏道場をたて、毎日念仏をあげた。 そうすることで、将門の祟りはやっとおさまった。 空也道場はのちに訛って膏薬道場と呼ばれるようになった。膏薬図子という地名はここからくるとされる。 その後、将門の首は胴体を求めて膏薬図子からさらに東の空へ飛び去り、千代田区大手町あたりに落ちた。
現在その地には将門の首塚(将門塚)がある。 将門の首塚(東京都)将門の首はここでも祟り、天変地異を引き起こすなどして人々を恐れさせた。 そこで時宗の遊行僧・進教上人が慰霊し、1309年に神田明神に奉祀したとされる。 ③将門の首塚にはなぜガマの置物が奉納されているのか?将門の首塚には京都の神田神宮と同様、ガマの置物が置かれている。 ガマ(蛙)は将門の首が空を飛んで故郷へ帰ってきたので、『無事帰る』のごろ合わせで奉納する習慣が生じたといわれている。 しかし、私はそうではないと考えている。 飛鳥に亀石という謎の石があるが、亀ではなく蛙ではないかともいわれている。  しかし亀石は亀や蛙より妖怪ぬらりひょんの頭部に似ている。  京都の大将軍商店街(妖怪ストリート)ぬらりひょん(中央)眉間に半月系のしわがあるところまでそっくりだ。 平将門はドクロの神であり、蛙はドクロに似ているということでガマが奉納されているのではないだろうか。  上の写真は奈良県吉野山の脳天大神の狛蛙だが、脳天大神は頭を割られた蛇を祀り、首から上の病気に霊験あらたかと言われている。 この狛蛙も飛鳥の亀石と同じく、ドクロをあらわすものではないかと思う。 ④繋ぎ馬将門の子孫を称する相馬家は家紋に『繋ぎ馬』を使用していた。
関西では平将門は朝廷にたてついた謀反人ととらえるむきが多いが、関東では「平安貴族が京都で安逸をむさぼっているために、平将門が義兵を 挙げた」といわれているようである。 そして天もこれを許して天馬を将門に与えたという伝説がある。
しかしこの馬は平将門しか乗りこなすことができず、繋いでおいた。 これをデザインしたのが繋ぎ馬の紋だといわれている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ACrestOfSoumaClan.jpg https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/CrestOfSoumaClan.jpg よりお借りしました。 作者 正親町三条 (投稿者自身による作品) [CC BY-SA 4.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で

⑤繋ぎ馬の杭は北極星を表す?
私は繋ぎ馬は北斗七星をあらわしたものではないかと思う。 頭から首にかけての部分が北斗七星の升の部分、胴体が持ち手部分である。
そして繋ぎ馬の紋の杭を見て、古事記の神世第4代の角杭神・妹活杭神を思い出した。 飛鳥昭雄さんは、これらの神々について、次のようなことをおっしゃっている。
ヘブライ語で角・光るは同様に『krn』と記す。 このため古代よりしばしば混同され、ミケランジェロがモーゼの像に角をつけてしまったという例もある。 杙は牛や馬を繋ぎとめておくためのもの。 つまり角杙神は光りながら地球のまわりを回る神(太陽)。 妹活杙神は満ち欠けしながら(活)地球の周りをまわる女(妹)神。
飛鳥昭雄さんは杭は地球をあらわすもので、地球につなぎ留められた太陽や月を神格化した神々であるというのだ。
この飛鳥昭雄さんの説を参考に考えてみたのだが、繋ぎ馬の紋の、馬を繋いでいる杭は北極星ではないだろうか。 北斗七星(繋ぎ馬紋の馬)は北極星の周囲を永遠に回り続けている。 それはあたかも、北斗七星(繋ぎ馬紋の馬)が北極星という杭につなぎとめられているかのようではないか。
しかし、繋ぎ馬紋の杭は二つある。北極星と呼ばれているのはポラリスひとつだけである・・・・。
⑥北斗七星は北極星と錨星の杭につなぎとめらられている?
いやまて。 もう一度、上の図を見てみよう。

北斗七星が北極星よりも高い位置にあるとき、北極星を挟んで北斗七星と対面する位置にカシオペア座はWの形に見える。
カシオペア座は北極星よりも高い位置にあってⅯの形に見えるとき山形星、北極星よりも低い位置にあってWの形に見えるとき錨星と呼ばれた。
錨とは船をつなぎとめておくためのものである。 北斗七星は北極星と、錨星のふたつの杭につなぎとめられているように見えるではないか。
繋ぎ馬の紋に描かれた二つの杭は、ひとつは北極星を、もうひとつは錨星をあらわしているのではないだろうか?
上は鞍馬寺の境内図である。 由岐神社はカシオペアの神・藤原純友(純友の本拠地・日振島はカシオペア座の形をしている。)を 鞍馬七福神は北斗七星の神(北斗七星の神は星田妙見宮の例のように、必ずしも北斗七星の形に配置されていない。)・平将門(繋ぎ馬紋は北斗七星を表しているように思える)を  星田妙見宮 境内図 (文・禄・巨・貧・破・武・廉とあるのが北斗七星の神)その中間にあるいのちの像は北極星をあらわしているのではないかと私は考えた。 鞍馬寺 いのちの像
平将門(北斗七星)は相当怨霊として恐れられていたのだろう。 いのちの像(北極星)と藤原純友の霊(カシオペア座)のふたつにつなぐという呪術が、鞍馬山には仕掛けられているようである。 カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑬ 藤原純友財宝伝説 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 毎度、とんでも説におつきあいくださり、ありがとうございました!
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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑩ 『鞍馬七福神は北斗七星の神?』 よりつづく~ 京都市左京区 鞍馬寺①由岐神社はカシオペアの神・藤原純友を祀っている?鞍馬寺本堂へとつづく九十九折の道。 その仁王門近くに由岐神社がある。  由岐神社939年ごろ、都は大地震にみまわれ、また天慶の乱が起きるなどした。 天慶の乱とは平将門の乱と藤原純友の乱のことで、同時期におきたので天慶の乱と総称されている。 940年9月9日、朱雀天皇はそれまでは御所で祭っていた由岐明神を鞍馬に遷宮させた。 それはもちろん939年におこったもろもろの悪いことを払拭するという意味合いを持つものであっただろう。 由岐神社はカシオペア座の神・藤原純友を祀る神社だと思われる。 というのは、由岐神社の祭礼である「鞍馬の火祭」においてチョッペンの儀が行われ、二人の氏子があおむけになって脚をV字に開脚するのだ。 二人で開脚するのでw字に見える。 ↓ すばらしい動画があったのでお借りしました。動画主さん、ありがとうございます!
私はこのチョッペンの儀はカシオペア座と日振島を表していると思う。
カシオペア座はW字の形をしており、藤原純友が本拠地としていた日振島もカシオペアの形をしているのだ。 ②鞍馬七福神は北斗七星の神・平将門を祀っている?高田祟史さんは七福神は北斗七星として祀られ、北極星の周囲を永遠に回り続けるという呪術がかけられているとおっしゃっていた。
そして加門七海さんが、関東の将門関連史跡を繋ぐと北斗七星の形になると指摘しておられる。 鞍馬寺境内には鞍馬七福神を祀る社がある。 双福園(恵比須天・大黒天を祀る)・福寿星神祠(福禄寿・寿老人を祀る)・巽の弁才天社(弁才天を祀る)・弥勒堂(布袋尊を祀る)・開運毘沙門天祠(毘沙門天を祀る)の5社である。 この鞍馬七福神は北斗七星の神・平将門を祀っているのではないだろうか。
 鞍馬七福神 弥勒堂
鞍馬七福神の配置が北斗七星の形になっていたら面白かったのだが、そうはなっていなかった。 http://www.kuramadera.or.jp/annai.html(鞍馬寺境内図)
へたくそだが、鞍馬寺の境内図を描いてみた。↓
しかし星田妙見宮の北斗七星の神々の配置も北斗七星の形にはなっていなかった。


また星田妙見宮の旗には下のようなイラストが描かれていた。
星田妙見宮 旗のデザイン
亀に蛇が巻き付いているのは、北方守護の聖獣・玄武の特徴である。(南は朱雀・東は青龍・西は白虎) そして、その玄武の上に渦を巻く七つの星が描かれてる。
妙見信仰にはしばしば北極星だけでなく、北斗七星に対する信仰も含まれる。 星田妙見宮にも北斗七星の神・貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が置かれており、ここに北斗七星信仰があったことがうかがえる。
すると上のイラストに描かれた渦を巻く七つの星は、形は違っているが北斗七星なのではないかと思う。 そして玄武(亀+蛇)の亀の部分は北極星を、玄武(亀+蛇)の蛇の部分は、北斗七星を表しているのではないかと考えた。 北斗七星は北極星の周囲をまわる。 そのため、亀=北極星の周囲を蛇=北斗七星がとりまくという形に変形されたのではないかと思ったりする。
③いのちの像は北極星をあらわす?
鞍馬七福神=北斗七星=平将門? 由岐神社=靭(ゆき)明神=ウツボの神=海のギャング=藤原純友?=日振島=錨星(カシオペア座)
七福神信仰は由岐明神が遷宮された940年にはまだなかったかもしれない。 しかし古より北極星や北斗七星に対する信仰はあった。 鞍馬寺には古より北斗七星に対する信仰があったので、のちになってその北斗七星に対する信仰を受けて、鞍馬七福神が作られたという可能性も考えられる。
そして北斗七星とカシオペアの位置関係は下図のように、北極星を挟んで対面するような形になっている。
すると由岐神社と鞍馬七福神をつなぐ場所にある「いのちの像」(境内図の⑱)は北極星を表しているのではないだろうか? http://www.kuramadera.or.jp/annai.html(鞍馬寺境内図)
鞍馬寺 いのちの像
「いのちの像」は鞍馬寺の御本尊・尊天(宇宙のエネルギーを象徴する神)をあらわすものとされている。 つまり、尊天とは北極星を神格化した神ではないかということである。
3つの輪がついたこの形。
全ての星は北極星を中心にして回る。 まるで北極星には宇宙を回転させるパワーがあるかのようだ。
いのちの像とは北極星の像であり、須弥山(かな?)にかかる3つの輪は宇宙を回転させるパワーのように見えてしまう。
いのちの像は新しいもののように思えるが、いのちの像が建てられた場所は古から何か言われのあった場所なのかもしれない。

鞍馬寺 多宝塔
朱雀天皇は鞍馬寺で藤原純友をカシオペアの神、平将門を北斗七星の神として祀ることで、世の中を安泰にさせようと考えたのではないだろうか。
鞍馬寺 金剛寿命院
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑫ 『繋ぎ馬は北極星とカシオペア座につながれた北斗七星?』 へつづく~ トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』
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