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カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑩ 『鞍馬七福神は北斗七星の神?』  


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑨ 『チョッペンの儀はカシオペアを表している?』 よりつづく~

京都市左京区 鞍馬寺


①九十九折の道


鞍馬寺の境内には山門から鞍馬山中腹の多宝塔前にいたるケーブルカーがあるのだが、九十九折の道を歩いて登ることにした。

平安時代、清少納言が「枕草子」に「近 うて遠きもの、くらまのつづらおりといふ道」と記した道である。
登り道だが1kmほどの道なので、そんなに体力がない人でも登れるだろう。

②由岐神社と命の像

由岐神社 割拝殿 雪 
由岐神社 割拝殿

↑ 途中、由岐神社がある。
以前の記事で鞍馬の火祭について書いたが、鞍馬の火祭はこの由岐神社の祭礼である。

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑧ 『鞍馬に海賊が現れた?』 
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑨ 『チョッペンの儀はカシオペアを表している?』 

由岐神社からさらに歩いていくと、須弥山に三重の輪がついたような不思議なモニュメントがある。

鞍馬寺 命の像 

この像は、「いのちの像」といい、鞍馬山の本尊・尊天(毘沙門天王・千手観音・護法魔王尊の三尊を一体として尊天と称している。)を具象化したものであるという。

③鞍馬七福神は北斗七星の神?

さらに歩いていくと双福苑(恵比寿天・大黒天)・福寿星神 社(福禄寿・寿老人)・巽の弁才天社(弁才天)・弥勒堂(布袋尊/布袋尊は弥勒菩薩の化身とされている。)開運毘沙門天社があり、鞍馬七福神と呼ばれている。

高田祟史さんが「七福神は北斗七星の神でもあり、永遠に北極星の周囲を回り続けることで、その祟る力が封じられている。」
という旨のことをおっしゃっていたことを思い出す。

鞍馬寺の鞍馬寺の御本尊の一、護法魔王尊は650万年前に金星からやってきた神とされており、鞍馬寺は星の神を祀る寺だと考えられる。

その鞍馬寺境内に北斗七星の神である鞍馬七福神があることは、高田祟史さんの説を裏付けているように感じられる。

鞍馬寺 双福苑
 
鞍馬七福神 双福苑〈蛭子神・大黒天)

④鞍馬天狗は流星の神だった?

鞍馬天狗

また鞍馬寺は鞍馬天狗で有名だが、天狗とは流星の神のことだと思われる。
というのは、日本書紀の舒明天皇九年の記事に次のような記述があるのである。

大きな星が東から西に流れ、雷に似た音がしました。
僧旻は 「あれは流星ではなく天狗(アマツキツネ)だ」 と言った。


天狗は翼があって空を駆け回るとされるが、天狗が空を飛ぶのは天狗の正体が流星だからではないだろうか。

File:Elephant catching a flying tengu.jpg

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%8B%97#/media/File:Elephant_catching_a_flying_tengu.jpg よりお借りしました。



⑤由岐神社はカシオペア座の神を祀る神社?

10月に行われる有名な鞍馬の火祭は由岐神社(写真1枚目)の祭礼だが、鞍馬の火祭りではチョッペンという儀式が行われる。



動画をお借りしました。
動画主さん、ありがとうございます。

チョッペンとは動画にあるように、二人の青年が逆さになって脚を開脚するというものである。
成人式の意味合いがあるなどと言われているが、カシオペア座の形のようにも見える。

カシオペア座

⑥藤原純友はカシオペア座の神だった?

私は由岐神社(写真1枚目)は藤原純友を祀る神社ではないかと考えている。
由岐神社は940年に大地震
や天慶の乱を鎮めるため、朱雀天皇が宮中から鞍馬へ遷宮させた神社である。
天慶の乱とは、関東で起こった平将門の乱と、南海で起こった藤原純友の乱の総称である。
由岐神社を遷宮させたとき、平将門の乱は鎮圧されていたが、藤原純友の乱はまだ鎮圧されていなかった。
この藤原純友が本拠地としていたのが愛媛県の日振島である。



なんと、日振島はカシオペア座の形(ω)をしているではないか。

鞍馬七福神 福寿星神祠  

鞍馬七福神 福寿星神祠 (福禄寿 寿老人)

⑦平将門は北斗七星の神だった?

さきほど鞍馬七福神は北斗七星の神と書いたが、平将門は北斗七星の神だと考えられる。
加門七海さんが、将門ゆかりの寺社をつなぐと北斗七星になると説かれているのだ。
https://www.google.com/maps/d/viewer?msa=0&ie=UTF&mid=zXPnY2gZF9e8.k9Tpfq2PB4nI

また平将門の子孫を称する相馬家は陣幕や家紋に『繋ぎ馬』を使用していた。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/soma_sim.html (繋ぎ馬の紋)
この繋ぎ馬は北斗七星を表しているようにも見える。
顔から首にかけてが北斗七星の柄杓、背中が持ち手である。

とすれば、鞍馬七福神は平将門をイメージしたものではないだろうか。
朱雀天皇は鞍馬寺で藤原純友をカシオペアの神、平将門を北斗七星の神として祀ることで、世の中を安泰にさせようと考えたのではないだろうか。

  鞍馬七福神 巽の弁才天社 雪 
鞍馬寺 巽の弁才天社

鞍馬七福神 弥勒堂 
鞍馬七福神 弥勒堂

鞍馬七福神 開運毘沙門天祠 
鞍馬七福神 開運毘沙門天祠


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑪ いのちの塔は北極星をあらわす? へつづく~
トップページはこちらです→ 
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』


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[2018/01/04 23:35] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑨ 『チョッペンの儀はカシオペアを表している?』 


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑧ 『鞍馬に海賊が現れた?』 よりつづく~


京都市左京区 由岐神社
鞍馬の火祭・・・10月22日

鞍馬の火祭 
向かって右の男性が腕につけているのが船頭篭手

①鞍馬の火祭の氏子さんたちのいでたちは海賊のいでたち?

940年9月9日、朱雀天皇はそれまでは御所で祭っていた由岐明神を鞍馬に遷宮させた。
このとき平将門の乱は平定されていたが、藤原純友の乱は平定されていなかった。
由岐明神の遷宮は藤原純友の乱平定を祈願して行われたものだと私は思う。


由岐明神の遷宮の行列は無数の松明を携え、その行列は十町(約1キロ)に及んだ。
『鞍馬の火祭』はこの遷宮の様子を再現したものだといわれている。

鞍馬の火祭で氏子さんたちは腕に船篭手(せんどうごて)を身に着けているが、鞍馬は山深いところである。
鞍馬川という川が流れているが、渓流で水量が少なく、船の運航にふさわしい川のようには思われない。

藤原純友は海賊の首領であった。
氏子さんたちのいでたちは藤原純友率いる海賊のいでたちなのではないか。私はそう考えた。

鞍馬の火祭③ 

 ②由岐 明神はうつぼ明神?

鞍馬の火祭は鞍馬寺境内にある由岐神社の祭礼であるが、由岐明神は靭(ゆき)明神とも呼ばれている。
靭とは矢を入れる道具のことで、『うつぼ』とも読む。

ウツボという魚もいる。 



ウツボは凶暴な魚で『海のギャング』とも言われる。。
ウツボは海賊の首領だった藤原純友のイメージにぴったりだと思うのだが、どうだろうか?

靭明神とは魚のウツボの神であり、藤原純友のことでもあるのではないだろうか?

鞍馬の火祭3 

③日振島とウツボ

紀伊半島・四国・九州・沖縄ではウツボを食べるそうである。
なかなか美味だという。

そして海賊の首領である藤原純友の本拠地は日振島だった。

下は豊後水道および宇和海の地図である。
西には九州の大分県、東には四国の愛媛県がある。
地図上の宇和海という文字の下にwような形をした島が見える。これが日振島である。

日振島でもウツボを食べる食習慣があったのではないだろうか。



④日振島は火振島?

日振島という地名の由来について、ウィキペディアには次のように記されている。

昔から船の往来があり、島民がたいまつの火を振ることで灯台の代わりをしたことに因む、との説がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%8C%AF%E5%B3%B6#.E5.9C.B0.E5.90.8D.EF.BC.88.E5.B3.B6.E5.90.8D.EF.BC.89.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5 より引用 

鞍馬の火祭で用いられるたいまつは、日振島の島民たちが灯台がわりに振っていたたいまつがルーツなのではないか?

鞍馬の火祭 お旅所

⑤チョッペンはカシオペア座と日振島を表している?

終電に間に合わなくなっていまうのでやむなく見ずに帰宅したのだが、鞍馬の火祭では深夜チョッペンの儀が行われる。

チョッペンの儀とは二人の青年が脚を上向けに開脚して2つのV字形=W字形を作るというもので、成人式の意味合いがあるなどと言われている。

↓ すばらしい動画があったのでお借りしました。動画主さん、ありがとうございます!



私はこのチョッペンの儀は日振島を表していると思う。



日振島はwの形をしており、チョッペンに似ているように思う。

またチョッペンや日振島はカシオペア座にも似ている。

カシオペア座   

カシオペア座のWは向かって左側のVが広いのに対し、日振島のWは向かって右側のVが広くなっている。
しかし、星が天球に貼りついているものとして、天にいる神様が天球の上から眺めるとカシオペア座は日振島と同じように向かって右側のVが広い形に見えるはずである。




⑥錨星(カシオペア座)が北斗七星をつなぎとめる。

古の日本では、カシオペア座は北極星より下にあってW字形のときは錨星、北極星より上にあってⅯ字形のときは山形星と呼ばれていた。

カシオペア座 錨星 山形星  

錨とは綱や鎖をとりつけて海底や川底に沈めるもののことで、海賊の首領・藤原純友と関係が深そうに思える。
http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E9%8C%A8 (錨の画像)

山形星(カシオペア座)と北斗七星

カシオペア座が錨星のとき、北極星を挟んだ上部には北斗七星がある。
錨星は北斗七星をつなぎとめているようにも見える。

⑥チョッペンは天頂の意味?

宮崎地方で天辺(てっぺん)のことをチョッペンというそうである。

③にはりつけた地図を拡大表示して確認してみてほしい。
日振島は四国の愛媛県に属しているが、九州の大分県にも近い。
大分県の南に宮崎県はある。

かつて日振島あたりでも天辺のことをチョッペンと言っていたのではないだろうか。

そして鞍馬の火祭で行われるチョッペンの儀は、カシオペア座を表したもののように見える。

天辺とは「空のはて」「上空」という意味である。
まさしく、カシオペア座は天辺にあるではないか。

 鞍馬の火祭り



カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑩ 『鞍馬七福神は北斗七星の神?』  へつづく~
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[2018/01/03 00:36] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑧ 『鞍馬に海賊が現れた?』 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑦ 変形される北斗七星 よりつづく~

あけましておめでとうございます。
今年もトンデモ説でがんばります!

京都市左京区 由岐神社
鞍馬の火祭・・・10月22日


鞍馬の火祭 門前町の飾りつけ 

①大地震と天慶の乱

939年ごろ、都は大地震にみまわれ、また天慶の乱が起きるなどした。
天慶の乱とは平将門の乱と藤原純友の乱のことで、同時期におきたので天慶の乱と総称されている。
また出羽で俘囚(朝廷の支配に属した蝦夷のこと)が反乱を起こしており、こちらも天慶の乱と呼ばれている。
939年は朝廷にとって大変な年だったのだ。

 鞍馬の火祭6

②由岐明神の遷宮

940年9月9日、朱雀天皇はそれまでは御所で祭っていた由岐明神を鞍馬に遷宮させた。
それはもちろん939年におこったもろもろの悪いことを払拭するという意味合いを持つものであっただろう。

由岐明神の遷宮の行列は無数の松明を携え、その行列は十町(約1キロ)に及んだ。
『鞍馬の火祭』はこの遷宮の様子を再現したものだといわれている。
   
鞍馬の火祭5

③山中なのに船頭篭手?


下の写真の男性が腕につけているのは船頭篭手(せんどうごて)である。
船頭篭手は船頭の力強い腕力を表すために身に着けているとされているが、鞍馬は山である。
鞍馬川という川があるが、渓流で水量が少なく、舟を運行させるのにふさわしい川のようには思われない。
かつて貴船川では、保津川の渓流下りのような舟が行き交っていたのだろうか?

鞍馬の火祭

 ④由岐明神は藤原純友の乱平定を目的として遷宮された?

由岐明神が遷宮したのは940年9月9日ということだが、これは旧暦だろうか。それとも新暦だろうか。
9月9日は重陽の節句で大変縁起のいい日だとされてるので、この日を選んで遷宮したのだと思う。
ということは、由岐明神が遷宮した9月9日は新暦換算したものではなく、旧暦だろう。
これを新暦に直すと940年10月12日となる。

平将門は940年3月25日(新暦)に討死し、由岐明神が鞍馬に遷宮してきたときすでに平将門の乱は鎮圧されていた。
しかし、このとき藤原純友の乱はまだ鎮圧できていなかった。

由岐明神を鞍馬に遷宮させたのは、由岐明神に立派な社殿を奉り、また都の東北におくことで鬼門封じとし、藤原純友の乱を鎮圧させようという呪術的な目的があったのではないかと想像される。
 
由岐神社 割拝殿

由岐神社

●藤原純友は海賊の棟梁だった。


藤原純友は海賊の棟梁で、海賊を率いて乱を起こした。
さて、当時の海賊はどのようないでたちをしていたのだろうか?
もしかして鞍馬の人々が祭礼で身に着けているような船頭篭手をつけていたのではないだろうか?

そう、鞍馬の人々のいでたちは藤原純友率いる海賊のいでたちなのではないかと、私は考えているのだ。

941年、朝廷の派遣した軍が純友軍を破った。
純友は小舟に乗って伊予に逃れたが捕らえられ、獄中で死亡した。

鞍馬の火祭2


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑨ 『チョッペンの儀はカシオペアを表している?』 へつづく~
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[2018/01/01 10:25] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑦ 変形される北斗七星 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? よりつづく~
   
大阪府交野市 交野妙見宮

星田妙見宮 鳥居 紅葉 
星田妙見宮

①星の町・交野ヶ原

大阪府枚方市・交野市あたりは古には交野ヶ原と呼ばれており、平安時代の歌人・在原業平がこんな歌を詠んでいる。

狩りくらし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に われは来にけり
(狩りをしていてすっかり日が暮れてしまった。今夜は織女姫に宿を借りることにしよう。我々は天の川の河原にやってきたのだから。)

この歌は在原業平が惟喬親王の狩りのお供をして、渚の院(大阪府枚方市)で詠んだ歌とされる。

京阪御殿山駅の東北に渚の院跡があり、その1kmほど南に天野川という川が流れている。
天野川をはさんで中山観音寺跡(観音山公園)と機物(はたもの)神社があり、中山観音寺跡はアルタイル(牽牛星・彦星)、機物神社はベガ(織姫星)を表しているとされる。

天の川 アルタイル ベガ

中山観音寺跡近くにて



上の地図の東側、第二京阪道路とJR片町線が交差するあたりに機物神社が、西側香里ヶ丘中央公園の南あたりに観音山公園がある。
郡津駅の西側を南北に流れる川は天野川。


機物神社

機物神社

中山観音寺跡

中山観音寺跡

また天野川をずっと遡っていくと磐船神社があり、物部氏の祖神・ニギハヤヒが降臨した場所だとされているが『雲陽誌』には『ニギハヤヒは星の神である』と記されている。

星田・星が丘など星の字のつく地名も多く、星田神社・天田神社・星の森などもある。
今日、お話しする星田妙見宮もここにある。

 星田妙見宮

星田妙見宮 絵馬堂

②2組あったアルタイルとベガに模した寺社

妙見山の頂上近くに星田妙見宮の拝殿があり、その奥に織女石が祀られている。
本殿はない。たぶんこの織女石が御神体なのだろう。

星田妙見宮 織女石 

星田妙見宮 織女石(たなばたいし)

星田妙見宮から天野川を挟んだ対岸には天田神社があり、天田(豊に実る田)の神を祀っている。
そして、この天田は牽牛が耕す田で、対岸の織女石は織姫であると考えられたという。

天田神社 
天田神社

天田神社付近の田圃

天田神社付近の田圃

最近の田おこしは耕運機で行うことがほとんどだが、昔は牛に犂(すき)をひかせて行っていた。
牽牛とは牛を牽いて田を耕す神というわけだ。

飛鳥坐神社 おんだ祭 田おこし 
飛鳥坐神社 おんだ祭 天狗が牛に犂をひかせて田を耕すシーン


つまり、交野ケ原には2組のアルタイルとベガに模した寺社があったということである。
(中山観音寺&織物神社、天田神社&星田妙見宮)

③隕石が落下した山

星田妙見宮-説明版

816年、ここに隕石が落ちたことで山が吹き飛ばされ、馬蹄形になっていると説明版に記されている。

星田妙見宮 滝の説明版 

落ちたのはペルセウス座流星群の母彗星スイフト・タッフル彗星からの隕石だと考えられているようだが、
これは星田妙見宮に伝わっていることで、正史に記録があるというわけではなさそうである。

星田妙見宮 登龍の滝 

星田妙見宮 登龍の滝 (わかりづらいですが、写真向かって左の黒っぽく見える縦の筋あたりに水が流れ落ちています。)

ちなみに星田妙見宮には隕石が落ちてきたという伝説はあっても、本物の隕石が存在しているわけではないようである。

④古の人々は巨石を空から落ちてきた星だと考えた?


『雲陽誌』には『星降って石となる』という古語があると記されている。
それが隕石であるかどうかは別にして、古の人は巨岩を空から落ちてきた星だと考えたのではないだろうか。

磐船神社 天の磐船

上の写真は①でご紹介した磐船神社の御神体・天の磐船である。
磐船神社の御祭神はニギハヤヒという物部氏の祖神で、ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったとされる。
この石は隕石ではないが、古の人は巨石を空から落ちてきた星であると考え、
「ニギハヤヒがこの天の磐船を操って地上に天下った」という物語を創作したのではないだろうか。

物部氏は鉄鍛冶技術に長けていた?

古事記には天津麻羅(あまつまら)という神が登場する。
先代旧事本紀には次のように記されている。

「倭の鍛師(かなち)等の祖、天津真浦(あまつまうら)」
「物部造等の祖、天津麻良(あまつまら)、阿刀造等の祖、天麻良(あめのまら)」

阿刀氏はニギハヤヒの子のウマシマジノミコトを祖神とする氏族である。
物部氏はニギハヤヒを祖神としているので、同族と考えていいだろう。
鍛師は鍛冶師のことだと思う。
ここから物部氏は製鉄や鍛冶の技術に長けた氏族だったのではないかと想像される。



上はたたら吹きの様子を撮影した動画です。(動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。)
映像が大変美しいです。


この動画を見るとわかるようにたたら製鉄は燃えあがる炎の中で行われる。
このたたら製鉄の様子が、夜空に光る星に喩えられたのではないかという説がある。

そして交野ヶ原のあたりには肩野物部氏が住んでいた。
肩野物部氏がたたら製鉄を行っていたため、交野ケ原は星の字のつく地名がたくさん残されているのではないだろうか。

⑥妙見大菩薩はたたら製鉄の神だった?

星田妙見宮の御祭神はアメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビだが、星田妙見宮の栞によるとこれらの神々は、「仏教では北辰妙見大菩薩、道教では太上神仙鎮宅霊符神という」と書いてある。

http://www.raifuku.net/special/wolf/details/myoken1.htm

↑ こちらに妙見星神の図像が掲載されている。
妙見星神の上に描かれている星を描いてみた。↓

妙見星神の上部に描かれた星 

上の三つ星は婁(たたらほし/おひつじ座β星)下の七つ星は北斗七星だと思う。

二十八宿
File:Twenty-eight mansions.jpg

ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Twenty-eight_mansions.jpg?uselang=ja )よりお借りしました。

たたらというのは古代の製鉄にもちいる鞴(ふいご)のことで、たたら製鉄という言葉もここからくる。

File:Bellows 2 (PSF) generalized.png

ウィキペディアよりお借りした鞴(たたら)の図です。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bellows_2_(PSF)_generalized.png?uselang=ja
作者はPearson Scott Foresmanさんです。ありがとうございます。

鞴はこのように三角形の構造になっているので、それに似ているということで「たたらほし」というのではないかと思う。
頭上にたたらぼしを戴く妙見星神(妙見大菩薩)はたたら製鉄の神なのではないだろうか?

星田妙見宮 紅葉 

②北斗七星の形に配置されない北斗七星の神々


大阪府交野市の星田妙見宮にはみほとけのお姿をした 貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が境内の七か所に置かれていた。

星田妙見宮 禄在星 

星田妙見宮 禄在星の像


この貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の七つの星は北斗七星を形成する星々であるが、北斗七星の形にはなっていなかった。
どうやら、北斗七星は変形されることがあるらしい?

星田妙見宮 境内図 

星田妙見宮 境内図 (案内板より)


⑥形を変えられた北斗七星?

星田妙見宮 旗のデザイン 

星田妙見宮 旗のデザイン

 上の写真は星田妙見宮にあった旗に描かれていたイラストを撮影したものである。
亀に蛇が巻き付いているのは、北方守護の聖獣・玄武の特徴である。(南は朱雀・東は青龍・西は白虎)

新熊野神社 玄武

新日吉神社 神幸祭の際、撮影した玄武。矛の飾り布についていたものです。


そして、その玄武の上に渦を巻く七つの星が描かれてる。

妙見信仰にはしばしば北極星だけでなく、北斗七星に対する信仰も含まれる。
星田妙見宮にも北斗七星の神・貪狼星・ 巨門星・ 禄存星・ 文曲・ 廉貞星・ 武曲星・ 破軍星の像が置かれており、ここに北斗七星信仰があったことがうかがえる。

すると上のイラストに描かれた渦を巻く七つの星は、形は違っているが北斗七星なのではないだろうか。

玄武(亀+蛇)の亀の部分は北極星を、玄武(亀+蛇)の蛇の部分は、北斗七星を表しているのではないだろうか。
とすれば北斗七星は変形させた形で描かれたということになるが、これはなぜだろうか。

北斗七星は北極星の周囲をまわる。
そのため、亀になぞらえた北極星の周囲を蛇がとりまくという形に変形されたのではないかと思ったりする。


 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑧ 『鞍馬に海賊が現れた?』 へつづく~
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[2017/12/15 09:46] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? 



カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 よりつづく~ 

京都市右京区 龍安寺

龍安寺 しだれ桜


①龍安寺石庭 四つの謎

龍安寺の石庭には四つの謎があるといわれている。

い.刻印の謎。石の裏側に文字が彫られている。
ろ.15個の石の構成の謎。『虎の子渡しの庭』『七五三の庭』などとも呼ばれている。
は.遠近の謎。塀が奥に向かって低くなっているので、庭が広く見える。
に.油土塀の謎。塀の内側にある石庭は、塀の外よりも80cmほど高くなっている。

龍安寺 しだれ桜2


②虎の子渡しの庭

虎の子渡しの庭と呼ばれるのは、次のような説話からくる。

3匹の子虎がいて、その中の1匹がどう猛だった。
そのため、母虎は常にその獰猛な子虎を見張っていないと、他の子虎を食ってしまいかねない。。
虎の親子はどうしても大河を渡る必要があるが、母虎は一匹づつしかくわえて渡れない。
母虎はまず獰猛な子虎を向こう岸に渡して引き返した。
次に、残った2匹のうち1匹を連れて向こう岸に渡し、どう猛な子虎を連れて引き返した。
次に、3匹目の子虎を連れて向こう岸へ渡り、二匹を残して引き返し、最後に獰猛な子虎を渡した。


石庭はこの様子を表したものだというのだ。

龍安寺 石庭 レイアウト  

石の塊は向かって左前から5個、2個、3個、2個、3個だが、これがなぜ虎の子渡しの物語を表しているといえるのだろうか?
私には全く理解できない。

③七五三の庭

『七五三の庭』と呼ばれるのは、15の石が東から7・5・3で構成されているだという。

手前のふたつの塊を足すと5+2=7
三つ目と四つ目の塊を足すと3+2=5
残る五つめの塊が3となる。

『虎の子渡しの庭』よりはだいぶましだが、やはりこじつけた感はいなめない。

④龍安寺石庭はカシオペア座を表している?

明石散人さんが龍安寺の石庭とはカシオペア座を表したものではないか、という説を説いておられるそうだ。(龍安寺石庭の謎/講談社文庫)
まだ読んでいないのだが、龍安寺石庭がカシオペア座を表したものだというのは、なるほど、と思う。                     

カシオペア  
                       
カシオペア座は天の川の中にある。
石庭の砂につけられた筋は天の川の流れを表しているのだろう。

龍安寺 ミニチュア

そしてできるだけ広大な天の川のイメージに近づけるため、塀を奥に向かって低くなるように設計した(は.遠近の謎)のではないだろうか。

⑤石庭とカシオペア座の向きが左右逆転している理由

石庭もカシオペア座もアルファベットのМの形をしているが、石庭は向かって左側が広いのに対し、カシオペア座は向かって右側が広くなっている。

しかしそれは地球上から人間がカシオペア座を見た場合だ。

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』

上の記事で書いたように、古の人々は、自分本位に左右を考えるのではなく、薬師如来の立場になって左右を考えた。
それゆえ、薬師如来の左手側に日光菩薩、右手側に月光菩薩を配したのだ。(参拝者から見れば向かって右が日光菩薩、向かって左が月光菩薩)

天球(地球を中心としその上に広がる空を球と見立てたもの。惑星や恒星は天球上にはりついていると考える。)の上に神様がいるとして、神様が天球の上からカシオペアを見たとすると、私たちが地球上から眺めるのとは左右逆転したカシオペア座(向かって右側が広い)が見えるはずだ。



⑥石庭は天球、石庭を見下ろす広縁は天上

『石庭の謎 に』は『塀の内側にある石庭は、塀の外よりも80cmほど高くなっている。』だった。

塀の外を地上、石庭は天球をあらわすため、石庭を塀の外よりも高くしたのではないかと思う。
もしも塀の外から透視して石庭を見上げることができるとすれば、石庭はカシオペアと同じ様に、向かって右側が広いM字型に見えるでだろう。

拝観者石庭を眺める広縁はカシオペア座や天の川よりもさらに高い位置にあり、天上をあらわしているのではないだろうか。
つまり広縁に立つものは、天上人というわけである。


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑦ 変形される北斗七星 につづく~
トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』





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[2017/12/14 18:27] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術④ 鳴門の渦潮 『国生みは鳴門の渦潮で行われた?』  よりつづく~

奈良市西ノ京町 薬師寺

Triad of Yakushi Nyorai

薬師三尊像(薬師寺)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ATriad_of_Yakushi_Nyorai.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/Triad_of_Yakushi_Nyorai.JPG よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


①薬師三尊像

仏像の安置形式に薬師三尊像がある。
中央に薬師如来を置き、薬師如来の左は日光菩薩、薬師如来の右には月光菩薩を配置するものである。

薬師如来は南向きに安置されている。
従って薬師如来の左にある月光菩薩は東に、薬師如来の右にある月光菩薩は西に安置されていることになる。

薬師寺 朝日


②『左』と『向かって左』の違い。


もしかすると、こんな風に思われる方がいるかもしれない。
「地図では東は右で、西は左だ。薬師如来の左が日光菩薩で右が月光菩薩というのは間違いではないのか。」と。

しかし、「東は右で、西は左」というのは正確には「向かって東が右で、向かって西が左」なのだ。

私たちは自分本位に自分の右手の側にあるものを右、左手の側にあるものを左と言いがちだが、
古の人々は、自分本位に左右を考えるのではなく、薬師如来の立場になって左右を考えた。

私たちと薬師如来は対面しているので左右が逆になる。

地図を見る場合にも私たちと地図は対面する形になる。
地図の側に立てば、東は左で、西は右となる。

薬師寺 月


③薬師三尊像は陰陽道の宇宙観に基づいて配置されている?
左(東)太陽日光菩薩
中央薬師如来
右(西)月光菩薩


陰陽道の宇宙観では、東を太陽の定位置・西を月の定位置・中央を星とするそうである。
もしかすると薬師三尊像はこの陰陽道の宇宙観に基づいて配置されているのではないか。
とすれば、中尊の薬師如来は星の神ということになる。

薬師寺 ひめじおん


④イザナギは宇宙を神格化した神だった。

日本書記や古事記に次のような話がある。

黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしたとき、左目を洗うと天照大神が、右目を洗うとから月読命が、鼻を洗うとスサノオが生まれた。


この記述もまた、陰陽道の宇宙観に基づくものではないだろうか。
イザナギの顔が宇宙なのだ。

薬師寺と東大寺大仏殿と興福寺三重塔

⑤スサノオは星の神だった。
左目(東)太陽天照大神日光菩薩
中央)スサノオ薬師如来
右目(西)月読命月光菩薩

とすればイザナギの顔(=宇宙)の中心にある鼻から生まれたスサノオは星の神だということになる。

船場俊昭さんは、「素戔鳴尊(スサノオノミコト)は、これは輝ける(素)ものを失って(戔)ああ(鳴)と嘆き悲しむ神(尊)という意味で、スサノオはもともとは星の神だったのが、のちに星の神という神格を奪われたのてはないか。」とおっしゃっている。

また日本では神仏は習合されていたので、天照大神は日光菩薩と同体、月読命は月光菩薩と同体、スサノオは薬師如来と同体と考えられていたのではないかと思う。

星の神・スサノオは太陽神・天照大神よりも上位の神だったのだ。

薬師寺 花会式 追儺

⑥イザナギは天の神、イザナミは地を神格化した神

⑤で私はイザナギは宇宙を神格化した神だと書いたが、この宇宙という言葉は天という言葉に置き換えてもいいだろう。
そして、渦巻きの呪術④ 鳴門の渦潮 『国生みは鳴門の渦潮で行われた?』  でお話ししたように、鳴門の渦潮はイザナミの女陰だと考えられるので、イザナミは地(地球)の神だということになる。

また陰陽思想では天や男は陽、地や女は陰と考える。
陰陽思想から考えても、イザナギを天の神・イザナミを地の神と考えるのは辻褄があっているように思える。

イザナギ天=宇宙
イザナミ鳴門の渦巻きはイザナミの女陰


若草山山焼き4
 


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑥ 龍安寺石庭はカシオペアを模したものだった? へつづく~
トップページはこちらです→ カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 

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[2017/12/13 08:56] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術④ 鳴門の渦潮 『国生みは鳴門の渦潮で行われた?』 


カシオペア・北斗七星・北極星の呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』  
よりつづく~

徳島県鳴門市 渦潮

 大鳴門橋

①大鳴門橋

淡路島と四国をつなぐ大鳴門橋。
大鳴門橋の手前が四国の徳島県鳴門市、橋の向う側が淡路島である。
橋の下には鳴門の渦潮が渦巻いているはずだったのだが、風が強い日だったせいか、きれいな渦潮を見ることができなかった。

鳴門 渦潮2

  
②仁徳天皇、淡路島で歌を詠む。
淡路島で仁徳天皇がこんな歌を詠んでいる。

天皇、その黒日売を恋ひたまひて、大后を

かして、淡道島を見たまはむとのりたまひて、でませる時に、淡道島に坐して遥(はろばろ)に望む(みさ)けまして歌ひたまはく

おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて 我が国見れば 島 ・自凝(おのごろ)島 ・檳榔(あじまさ)の島も見ゆ つ島見ゆ

仁徳天皇は黒姫を恋い、大后を欺いて「淡路島を見ようと思う」と言い、行幸されたとき、淡路島に座って遥かを望み、歌いなされた。

難波の崎から、船出して、わが国を見ると、淡島 ・自凝(おのごろ)島 ・檳榔(あじまさ)の島
も見える。つ島も見える。

「おしてるや」は難波の枕詞、「自凝島」はイザナギとイザナミが天の浮橋で矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってできたとされる島だ。
この自凝島でイザナギとイザナミは国生みをしたという。

淡島はイザナギとイザナミが国生みをした際、蛭子の次に産んだ島。
檳榔(あじまさ/ビロウ)は蒲葵(ほき/シュロに似た木)の古名。
檳榔の島とは、この蒲葵が多く生い茂っている島のことだろうか。
放つ島は離れ島とされる。

ファイル:ビロウ.jpg

ビロウ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E3%83%93%E3%83%AD%E3%82%A6.jpg よりお借りしました。



③淡島は友ヶ島?

淡島は和歌山県加太市の淡嶋神社の沖にある友ヶ島ではないだろうか。

神功皇后はこの友ヶ島に祀られていた少彦名命と大己貴命の御加護を得て海難事故を免れたという。
その後、神功皇后の孫の仁徳天皇が友ヶ島から対岸の加太に社を移したのが加太の淡嶋神社だといわれている。

下の地図に沖ノ島とあり、その北に小さな丸い島がある。
拡大してみると、神島(友ヶ島)と島の名前が明記されている。
おそらくこれが友ヶ島だと思う。



神島の西には淡路島があり、淡路島から神島を望むことができそうである。

アジマサの島、離つ島はどの島のことなのか、私にはわからない。

淡嶋神社 雛人形

淡嶋神社

④おのごろ島は鳴門の渦潮の近くにある島?

自凝島=おのごろ島は淡路島であるなどと言われることがある。
しかし、イザナギ・イザナミがおのごろ島で交わって、蛭子・淡島の次に産んだのが淡路島だとされているので、おのごろ島が淡路島であるというのは矛盾している。

私はおのごろ島は鳴門の渦潮の近くにある島のことではないかと思う。

②で私は次のように書いた。
自凝島(おのごろ島)はイザナギとイザナミが天の浮橋で矛を海に差し入れてこおろこおろとかきまぜ矛を引き上げた際、滴った潮が固まってできたとされる島であると。

この「こおろこおろと海をかきまぜた」という表現は、鳴門の渦潮が回転するようすを比喩的に表したものなのではないだろうか?

鳴門の渦潮が発生するちょうど真上あたりに大鳴門橋があり、まるで大鳴門橋は天の浮橋のように感じられる。

この大鳴門橋の真下に小さな島があるが、もしかするとこの小さな島がおのごろ島なのかもしれない。

大鳴門橋と島 

⑤鳴門の渦潮はイザナミの女陰?

門の渦潮を見ながら、私は璉珹寺の庭に描かれた渦巻きを思い出していた。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』  

璉珹寺 張り紙

璉珹寺-庭の渦巻き

裸形のみほとけの股間には、うずまき形の馬陰相または蓮花形の蓮花相をつけるのが一般的なようである。

http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html
上記リンク先、奈良国物博物館所蔵の阿弥陀如来は拡大して見ると、股間に蓮の花のようなものが見える。
これが蓮花相だろう。
(写真をクリックし、右上に表示されている+マークを数回クリックすると拡大します。)
馬陰相のみほとけの写真はネット上に見つけることができなかった。

新薬師寺のおたま地蔵は男根を思わせる蓮のつぼみ、鎌倉市・延命寺の身代わり地蔵はリアルな女陰など例外もあるが。

璉珹寺には女人裸形の阿弥陀如来があるのだが、胸はふくらんでいない。
http://naratour.blog.jp/archives/1028868554.html ←こちらのサイトに写真があります。

とすると、身に着けた袴の下に女性であることをしめす相があるのではないか。
そして、庭に描かれた渦巻きは馬陰相であり、女人裸形の阿弥陀如来の股間にこのような渦巻きが描かれているのではないかと私は考えた。
袴をめくって確認することはできないので、推測するしかないのだが。

つまり、一般的には馬陰相や蓮花相は性の違いを表すものであるとは考えられていないが、
渦巻きを描く馬陰相は女性を、蓮花を描く蓮花相は男性を表しているのではないかと私は考えているのだ。

馬陰相渦巻き女性?
蓮花相蓮花男性?

あるいは延命寺の身代わり地蔵のように、璉珹寺の女人裸形の阿弥陀如来の股間は盛上げ(写実的に女陰を描いたもの)になっているのかもしれないが
右回りの渦巻きは女性を表すとして、庭に渦巻きを描いているのかもしれない。

すると、巨大な渦巻き・鳴門の渦潮は女神イザナミの女陰になぞらえられているのではないだろうか。
子供は生まれるとき、ほとんど右回りに回って産道から出てくるが、鳴門の渦潮はほとんど右回りだという。
(私が訪れたときは左回りの渦潮も結構たくさん発生していたが。)

鳴門 渦潮3 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術⑤ 薬師寺 『イザナギは天、イザナミは地』 へつづく~
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[2017/12/12 09:07] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』  

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』  よりつづく~

奈良市西紀寺町 璉珹寺

璉珹寺 門 茉莉花
 
①女人裸形の阿弥陀如来

初夏の日差しの中、可憐な薄紫色の花が咲いていた。茉莉花である。
その薄紫色に誘われるように私は寺門をくぐった。

寺の名前は璉珹寺。
紀寺の跡とも言われ、女人裸形の阿弥陀如来立像を御本尊としている。
伝香寺の「はだか地蔵」、新薬師寺の「おたま地蔵」と同じく裸形のみほとけで、布で作った袴をはかせてあるのだ。
50年に1度、独身の女性によって袴が取り換えられるのだという。

http://naratour.blog.jp/archives/1028868554.html ←こちらのサイトに写真があります。

清楚な印象のみほとけで、門前の茉莉花とイメージがだぶる。

②璉珹寺の阿弥陀如来の袴の下はどうなっているのか。

璉珹寺の阿弥陀如来はなぜ女人とされているのか。
江の島の江島神社・妙音弁財天像にはセクシーな胸のふくらみがあるが、璉珹寺の阿弥陀如来には胸のふくらみはない。
とすれば、身に着けておられる袴の下、つまり股間にこの仏さまが女人であることを示すものがあるのではないか。

伝香寺 裸地蔵

伝香寺 はだか地蔵

伝香寺のはだか地蔵には陰蔵相(体内に男性のシンボルが納められている。)がついているということだった。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 

新薬師寺のおたま地蔵の股間にははっきりと男性のシンボルをあらわしたものとわかる蓮のつぼみがついてた。
カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 

それでは璉珹寺の阿弥陀如来の股間はどうなっているのだろうか。
もちろん袴をめくってみることはできないので、確認ができない。

③盛上げ

鎌倉市・延命寺に「身代わり地蔵」と呼ばれる像がある。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=3 (サイト中ほど)

上記サイトはこの「身代わり地蔵」について、次のように記している。

い・堀口蘇山はこの像を北条政子像としている。
ろ・この像は関東大震災で破損し、その翌年、明珍恒男が修繕した。
は・修繕前の股間は「盛上げ」だった。
に・明珍恒男は「盛上げ」を再現せず、裸形の仏像によくある陰相も蓮花相にもせず、その部分に粘土をちびっとつけた。

文章の中でこの像には『人間的な女陰」があったと記されているので、「盛上げ」とは女陰をリアルに表現したものだと考えられる。

璉珹寺の阿弥陀如来の股間にも延命寺と同様の「盛上げ」つまり女陰をリアルに表現したものがついているのだろうか?

④渦巻きを巻くのが馬陰相、蓮花がついているのが蓮花相

また「他の裸形地蔵像のように股間に渦巻きを描く馬陰相にするか、蓮花をくっつけた蓮花相にするかで迷ったのだが、(http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=3 より引用)」とある。

http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html
上記リンク先、奈良国物博物館所蔵の阿弥陀如来は拡大して見ると、股間に蓮の花のようなものが見える。
これが蓮花相だろう。
(写真をクリックし、右上に表示されている+マークを数回クリックすると拡大します。)

また残念ながら今ぐぐってみても見つからないのだが、股間に渦巻きを描いた仏像を見た記憶もある。こちらが馬隠相だろう。

http://cotoba.sijisuru.com/Knowledges/disp?accept_lang=jp&Request=3&Select_Str=%E9%99%B0%E9%A6%AC%E8%94%B5&Select_Pos=0&Select_Cat=%E8%A8%80%E8%91%89&Select_Lang=jpn&Select_LG=0&PageNum=1

上のサイトには陰馬蔵(オンメゾウ)について「仏像などでは渦巻き状の模様が描かれている。」と説明があり、
 「陰蔵(オンゾウ)」,「陰蔵相(ソウ)」,「陰馬蔵相」,「陰蔵如馬王(ニョメオウ)」とも呼ぶ。」とも記されている。
馬陰相という言葉は出てこないが、どちらも渦巻きを描くというので、たぶん同じものだと思う。

(御存知の方、教えてください!)

⑤馬陰相が描かれた庭


そんなことを考えながら門を出ると、門にこんな張り紙が張られてあるのに気がついた。↓

璉珹寺 張り紙

張り紙に描かれているようなうず巻きがお庭の砂にも描かれていた。
これは馬隠相ではないのか?

璉珹寺-庭の渦巻き

●馬隠相は女形をあらわしている?

庭の渦巻きは右回りだった。
そして、赤ちゃんは生まれてくるとき、右回りに回って産道をおりてくる。

裸形の仏像の股間に描かれる渦巻(馬陰相)は女形なのではないだろうか。
そして蓮花をつけた蓮花相は男形なのでは?

璉珹寺の庭に渦巻きが描かれているのは、御本尊の女形の阿弥陀如来像の股間にこのような渦巻きがついているからではないか?

あるいは延命寺の身代わり地蔵のように、盛上げ(写実的に女陰を描いたもの?)になっているのかもしれないが
右回りの渦巻きは女性を表すとして、庭に渦巻きを描いているのかもしれない。

新薬師寺のおたま地蔵の股間には男根を思わせる蓮のつぼみがついていたが、これはを体内にしまい込まれていた蓮花(蓮花相)をひっぱりだした形ということで、そういう形に作られているのではないだろうか。

璉珹寺 石仏 茉莉花 

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[2017/12/11 09:24] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』  よりつづく~



奈良市高畑町 新薬師寺
新薬師寺 きくもも


①眼病治癒に霊験のある寺

4月8日はお釈迦様の誕生日で、各地の寺院でお釈迦様の誕生をお祝いする「花まつり」が行われる。
新薬師寺の境内では菊桃の花が満開で、まるで「花まつり」のお供えのようだった。

本堂中央には御本尊の瞳の大きな薬師如来が鎮座されている。

Bhaisajyaguru of Shin-Yakushi-ji

新薬師寺 薬師如来坐像
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ABhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c3/Bhaisajyaguru_of_Shin-Yakushi-ji.jpg よりお借りしました。
作者 撮影・小川一真 (
http://webarchives.tnm.jp/archives/cat/database) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由

新薬師寺は745年に聖武天皇が光明皇后の眼病平癒を祈願して建立されたという伝承があり、眼病治癒に霊験あらたかとされてきた。
そういったところから、瞳の大きな薬師如来が作られたのだろう。

薬師如来の周囲を「東洋のギリシャ」と称される十二神将が囲んでいる。
十二神将は躍動感にあふれ、今にも動き出しそうだ。

Basara 12 Heavenly Generals ShinYakushiji

新薬師寺の伐折羅大将(迷企羅大将)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ABasara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/Basara_12_Heavenly_Generals_ShinYakushiji.JPG よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘(1894-1960) 仏像写真家 飛鳥園創業者) English: Ogawa Seiyou (1894-1960), a famous photographer in Japan [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


②景清地蔵とおたま地蔵

本堂を出て香薬師堂に入ると、二体の地蔵菩薩が並んでいた。
この地蔵菩薩が今日の話の主人公、景清地蔵とおたま地蔵である。

景清地蔵と呼ばれているのは、次のような伝説によるものである。

悪七兵衛影清(藤原景清)は大仏開眼供養に参列するため奈良にやって来た源頼朝を殺そうと企て、東大寺大仏殿に潜んでいたが頼朝を殺すことができなかった。
景清は等身大の地蔵を刻み、自分の身代わりにと母親に渡し、自分は目をついて死んだ。


この地蔵菩薩はもともと新薬師寺にあったものではなく、1869年に近くの地蔵堂から移されたものだという。

新薬師寺 松明

新薬師寺 修二会の松明

③景清地蔵とおたま地蔵はもともとは1体だった。


現在、香薬師堂には2体の地蔵菩薩像が並べて安置されているが、もともとこの2体は1体の地蔵菩薩だった。

1983年にこの地蔵菩薩の解体修理を行った際、像内部から体部が発見された。
つまり、もともとは裸形の地蔵菩薩でその上に着物を着せていたのを、後になってその像の上に木で作った着物を被せたものだということが判明したのだ。

胎内からは文書が発見され、これにより、興福寺別当・実尊の追善を目的として弟子の尊遍が造らせたものであることがわかった。

そしてこの地蔵菩薩から、体部をとりだし、頭部などをおぎなって2体の地蔵菩薩としたのである。
着物を着た地蔵菩薩はそれまでどおり景清地蔵、景清地蔵の内部からとりだした裸形の地蔵菩薩はおたま地蔵と呼ばれている。

④おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!


裸形のおたま地蔵のほうには股間に蓮のつぼみがついていた。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/439 http://chabashira.sowzow.com/juumin/19usagi/usagi_024.html(←こちらのサイトに写真が掲載されています。)

⑤木造の着物を貼りつけておたま地蔵の蓮のつぼみを隠した尊遍


「もともと裸形で着物を着せていたのが、いつしか着せ替える人がいなくなり、木の衣を作って着せたのではないか。」
薬師寺で私はそのような説明を受けた。

http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=2
↑ こちらのサイトでは「おたま地蔵は実尊の姿を映したものであり、この像を作った尊遍は、自分の死後に、この丸裸の像を丸裸で残すことを心配して木造の着物を貼りつけたのではないか」とする水野敬三郎氏の説を紹介している。

私は水野敬三郎さんの説のほうを支持する。

仏さまの陰蔵相は、男根が馬のように体内におさめられた相とされている。
伝香寺のはだか地蔵もそのような形につくられているものと考えられる。

しかしおたま地蔵の股間についた蓮のつぼみは、体内におさめられていない。
このような裸形のみほとけは珍しいと思う。

おたま地蔵は異例の像だといえるのではないか。
あるいは、おたま地蔵は禁断の像であるといってもいいかもしれない。

尊遍はどのような目的でこの禁断の像を作ったのか。
http://www.webchikuma.jp/articles/-/439?page=2 
↑ こちらのサイトがいうように、実尊と尊遍はBLの関係にあったのかもしれないし、
BLとは関係なく何か呪術的な目的でこのような像を作ったのかもしれない。

いずれにせよ、あまり人に見せたくないものであったので、木造の着物を貼り付けて隠したのではないだろうか。

日が暮れると、修二会のお松明の行事が行われた。
勢いよく燃える炎をながめながら私はそんなことを考えていた。

新薬師寺 お松明

新薬師寺 お松明2

渦巻きの呪術③ 璉珹寺(紀寺跡) 『女人裸形の阿弥陀如来』  へつづく~
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[2017/12/10 09:37] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)

カシオペア・北斗七星・北極星の呪術① 伝香寺 『陰蔵相のあるはだか地蔵』 


奈良市小川町 伝香寺


伝香寺 散椿

①散り椿

伝香寺中門を潜り、狭い通路を歩いていくと通路の脇に椿の大木がある。
椿は通路の苔の上にそのピンク色の花びらを散らせていた。

椿の花は花弁が基部でつながっており、花びらがばらばらにならず、繫がったままでぼとりと落ちるものが多い。
伝香寺の椿は花びらが1枚1枚散る珍しいもので、「散り椿」と呼ばれている。

②戦国大名・筒井氏の菩提所

伝香寺はもとは鑑真の弟子・思託が創建した実円寺があったところで、
1585年に戦国大名の筒井順慶の母・芳秀尼が順慶の菩提を弔うために実円寺を再興し、伝香寺と号したと伝わる。
筒井順慶は織田信長・豊臣秀吉に仕え、大和筒井城主、大和郡山城主をつとめたが、36歳の若さで亡くなっている。

郡山城 桜 
郡山城 桜

椿の花は花がそのままぼとりと落ちるところが、首が落ちるのを思わせるとして忌まれた。
伝香寺に花びらが1枚1枚散る「散り椿」が植えられたのは、筒井氏が武家のため、斬首を思わせる通常の椿を嫌ったためかもしれない。
この「散り椿」は別名を「武士椿」ともいう。
 
③裸形・着衣の地蔵菩薩

散り椿の花を見ながら狭い通路を右に折れると小さな地蔵堂がある。
お寺の方が地蔵堂の鍵をあけ、扉を開けてくださった。
どうやら参拝者がくるたびに開扉しているらしい。
できるだけ仏さまの劣化を防ぎつつ、参拝者にも楽しんでもらおうという伝香寺さんの配慮なのだろう。

地蔵堂の周囲にめぐらした柵の向こう側はいさがわ幼稚園のグラウンドになっている。
子供たちが走り回って歓声をあげる光景は、「寺らしくない」「風情がない」といえばそのとおりかもしれない。
しかし、私は子供たちの声をほほえましく聞いた。

春先の柔らかい陽射しに照らされたお地蔵さまも、子供たちの声を聴いて心なしか微笑んでおられるように見える。
地蔵菩薩は子供を守ってくださるみほとけ、子供が大好きなほとけさまなのだ。

この地蔵菩薩は「はだか地蔵」とよばれ、裸形の上に着物を召しておられる。
鎌倉時代にはこのような着せ替え人形のような仏像が流行った。

毎年7月23日に御更衣法要が行われ、新しい着物に着せ替えられるとのことである。

伝香寺 裸地蔵
  
④陰蔵相の地蔵菩薩

伝香寺の裸形の地蔵菩薩は陰蔵相(おんぞうそう)といって、男根が体内に密蔵されているそうである。
ほとけさまは中性だと言われるので、そのような形になっているのだろうか。

馬は男性のシンボルが体内に隠されているところから、陰蔵相のことを馬陰蔵相ともいう。

このお地蔵様はもちろん文化財であるので拝観者が手を触れることは許されない。
なので着物をめくって確認することなど当然できないのだが
伝香寺の地蔵菩薩の股間には円相が描かれていると記されたサイトもあった。
円相とは禅の書画で一筆で円を描いたもののことである。

つまり、伝香寺の地蔵菩薩の股間には円が描かれており、
陰蔵相(馬陰蔵相)と呼ばれるものはこの円のことなのだろうか?

7月23日の御更衣法要に参加すれば確認できるかもしれないので、機会があれば参加してみたいと思う。

⑤奈良国立博物館所蔵の阿弥陀如来の蓮華形

奈良国立博物館所蔵の阿弥陀如来立像も裸形である。

http://www.narahaku.go.jp/collection/658-0.html

拡大してみると、股間に円形が描かれ、周囲に花びらのようなものがついている。
調べてみたところ、股間についているのは蓮華形とのことである。

また、ネットで股間に渦巻きのついた仏像を見たことがある。
陰馬蔵というそうである。
http://cotoba.sijisuru.com/Knowledges/disp?accept_lang=jp&Request=3&Select_Str=%E9%99%B0%E9%A6%AC%E8%94%B5&Select_Pos=0&Select_Cat=%E8%A8%80%E8%91%89&Select_Lang=jpn&Select_LG=0&PageNum=1

伝香寺の地蔵菩薩は陰蔵相で、陰蔵相は別名を馬陰蔵相というと、④に書いた。
陰蔵相(馬陰蔵相)と陰馬蔵が同じものなのかどうかわからない。

(詳しい方、教えてください!)




カシオペア・北斗七星・北極星の呪術② 新薬師寺 『おたま地蔵の股間に蓮のつぼみが!』 につづく~




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[2017/12/08 11:08] カシオペア・北斗七星・北極星の呪術 | トラックバック(-) | コメント(-)