翁の謎⑲ 東大寺 三月堂 『志貴皇子・春日王・開成皇子はなぜハンセン病の神とされたのか。』(最終回)

三月堂と百日紅
728年、聖武天皇と光明皇后が幼生した基皇子の菩提を弔うために若草山麓に金鍾寺創建した。
8世紀半ば、金鐘寺には羂索堂や千手堂が存在していた。
この羂索堂が現在の東大寺三月堂だと考えられている。
その後、741年に聖武天皇は国分寺建立の詔を発し、742年に金鐘寺は大和国の国分寺となり金光明寺と改められた。
747年ごろより、東大寺と呼ばれるようになる。

三月堂と鹿
三月堂はもとは寄棟造正堂と礼堂の二つの建物からなっていた。
鎌倉時代に礼堂を入母屋造りに改築して2棟をつないだため、不思議な形をしている。
正堂は天平初期、礼堂は鎌倉時代の建築となる。
三月堂は現存する東大寺最古の建物である。
堂内には美しい天平仏たちが安置されている。
中央に安置されているのが三月堂御本尊の不空羂索観音である。
像高3.6メートルもある巨大な像で、宝冠には約2万粒の宝石がつけられている。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Todaiji_Monaster_Fukukensaku_Kwannon_of_Hokkedo_(232).jpg?uselang=ja よりお借りしました。
不空羂索観音の四本ある左手のうち、下から二番目の手に羂索を持っておられる。
羂索とは狩猟の道具で、5色の糸をより合わせた縄の片端に環、もう一方の端に独鈷杵の半形をつけたものである。
不空羂索観音はその羂索であらゆる衆生をもれなく救済する観音であるといわれる。
同じく不空羂索観音をご本尊としている不空院(奈良市高畑町1365)を参拝したとき、「羂索とは網である」と説明を受けた。
私は不空羂索観音が羂索を投げる姿を想像してみた。
羂索の網はぱあっと広がって、まるで狂言や六斎念仏で演じられる土蜘蛛のようではないか。
そう思って改めて見てみると、不空羂索観音の光背は蜘蛛の巣に似ている。
不空羂索観音とは土蜘蛛をあらわしたもので、その光背は蜘蛛の巣をイメージしたものなのではないだろうか。
土蜘蛛とは奈良時代の記紀や風土記に登場するまつろわぬ民のことである。
まつろわぬ民とは、謀反人のことであるといってもいいだろう。
●春日王・志貴皇子・開成皇子には、なぜハンセン病を患ったという伝説が残されているのか。
不空羂索観音の肩にかけてあるケープのようなものは鹿の皮であるが、鹿もまた土蜘蛛同様、謀反人を比喩したものだとする説がある。
三月堂の外に出ると、何頭もの鹿が一人の観光客を取り囲んでいた。
観光客は手にお菓子を持っており、鹿たちはそれを狙っているようだった。(笑)
その鹿の夏毛を見て、私は気がついた。
なぜ春日王または志貴皇子がハンセン病を患ったという伝説が残されているのか。
日本書紀の仁徳天皇紀に『トガノの鹿』という物語が記されている。
雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。

かつて謀反の罪で殺された人は塩を振ることがあったそうで、トガノの鹿に登場する雄鹿は謀反人の比喩ではないかとする説がある。
おそらく鹿の夏毛の斑点を、塩や霜にたとえたのだろう。
しかし、鹿の夏毛の斑点は、ハンセン病患者の皮膚にも似ている。
日本書紀に次のような話がある。
612年、百済から渡来したものの中に体に白斑を持つ者がおり、海中の島に置き去りにしようとした。
白斑の男はこう言って抵抗した。
「白斑が悪いというのなら、私と同じように白斑のある牛馬は飼えないではないか。
私は築山を作るのが得意で、この国のお役にたつことができます。私を海中の島に捨てるのは日本のためになりません。」
そこでこの男に須弥山の形と呉風の橋を御所の庭に築かせた。
ここに登場する白斑を持つものは、「私と同じように白斑のある牛馬は飼えない」と言っているではないか。
帰宅後、私はパソコンを開いてハンセン病の症状について調べてみた。
http://www.geocities.jp/libell8/8byoukeibunrui.html
上のページに症状が写真で説明されている。
MB型では鹿の夏毛のような形の紅斑ができている。
また日本書紀にあるように白い斑点が現れるといった症状もあったのだろう。
鹿の斑点は謀反人で殺された人に降る塩に見立てられると同時に、ハンセン病患者の皮膚の斑点にも見立てられたのだろう。
志貴皇子や春日王や開成皇子(海上皇子)がハンセン病を患ったという伝説があるが
実際に、志貴皇子や春日王や開成皇子(海上皇子)がハンセン病を患ったということではないだろう。
志貴皇子や春日王や開成皇子(海上皇子)は謀反の罪で殺されて塩を振られていた。
その状態が鹿の夏毛や、ハンセン病患者の皮膚の状態に似ているということで彼らがハンセン病を患ったという伝説が創作されたのだと私は思う。

end.
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