翁の謎⑨ 『鹿は謀反人を表している?』
●飛火野

春日大社の西に飛火野と呼ばれる草原があり、鹿が群れぶ姿が見られた。
鹿はすっかり冬毛にかわり、角も切られていた。
10月初めごろ、鹿の角切と呼ばれる行事が行われ、鹿の角が切られるのだ。
しかし、放っておいても春先に自然にとれ、また新たに生えてくるそうである。
雄鹿と雌鹿が仲良く草を食んでおり、私は近づいて鹿の頭をなでたが逃げない。
奈良では鹿は神の使いとされており、保護されてきたため大変人に慣れているのだ。
●飛火野に春日烽はあったか?
飛火野という地名の由来は、奈良時代ここで烽(とぶひ)を上げていたことに由来するといわれる。
烽とは烽火(のろし)のことである。
710年の平城遷都に伴い、高見烽および春日烽が置かれた。
高見烽は生駒山、春日烽は飛火野に設けられたと考えられている。
40里ごとに設けられ、昼は煙を、夜は火を燃やした。
煙は緑色の山をバックにするとよく見えるが、灰色に曇った空ではよく見えないので
烽は山頂近くに設けられることはなかったのではないかと思う。
また夜、火を燃やす場合にはあまり低い土地では遠くから炎が見えない。
飛火野は低い位置にあり、また現在は野の前に木が茂っているため、ここから生駒山を望むことができない。
火の見櫓のような高い建物を作れば、生駒山を望むことはできるだろうし、そこで火を燃やせば平城京からも見えただろう。
しかし、飛火野のすぐ東には御蓋山や春日山、高円山があるのに、わざわざ飛火野に櫓を作るだろうか。
そういうわけで、烽は飛火野ではなく、付近にある山の中腹に設けられたのではないかと私は考える。
●飛火野は人魂が飛ぶ野?
烽が置かれていなかったのであれば、飛火野という地名はどこからくるのだろうか。
『野』とは葬送の地を意味しているのではないかとする説がある。
そういわれてみれば京都の葬送の地は鳥辺野、蓮台野、化野などのように『野』の字が用いられている。
高野山が、野原ではないにもかかわらず『高野』と呼ばれるのは、葬送の地であったからだともいう。
そういえば高野山の奥の院にはおびただしい数の墓がある。
飛火野にはちょっとわかりにくいが、15基もの古墳があり、春日野古墓と呼ばれている。
飛火野は葬送の地だったのだ。
飛火野とは火が飛ぶ野、人魂が飛ぶ野という意味なのではないかと思ったりする。
●トガノの鹿
飛火野の鹿を見て、私は日本書紀・仁徳天皇紀にある『トガノの鹿』の物語を思い出した。
仁徳天皇が皇后と涼をとっているとトガノの方から鹿の鳴き声が聞こえてきた。
天皇はその鹿の鳴き声をしみじみと聞いていたが、あるとき急に鳴き声がしなくなった。
翌日、佐伯部が天皇に鹿を献上したが、その鹿は天皇が夜な夜な鳴き声を聴くのを楽しみにしていた鹿だった。
気分を悪くした天皇は佐伯部を安芸の渟田に左遷した。
この話のすぐあとに、次のような話が記されている。
雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。

鹿の夏毛には白い斑点があるが、その斑点を塩に見立てて「トガノの鹿」の物語は作られたのだろう。
(写真1枚目は冬毛、2枚目が夏毛)
●鹿は謀反人の象徴だった?
昔、謀反の罪で殺された人は塩が振られることがあり、鹿は謀反人を比喩したものだとする説がある。
さきほど、鹿は神の使いとされているという話をしたが、かつて怨霊と神とは同義語であったといわれる。
怨霊とは政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人のことで、疫病の流行や天災は怨霊の祟りでひきおこされると考えられていた。
つまり、鹿とは謀反人=怨霊=神の象徴であるのだ。
それをふまえて改めて飛火野の鹿を見てみると、謀反の罪で殺されて怨霊になった者たちの怨霊が群れているように見えてきて
背筋がぞっとするような感覚を覚えた。
翁の謎⑩ 百毫寺 萩 『志貴皇子暗殺説』へつづく~
トップページはこちら→翁の謎① 八坂神社 初能奉納 「翁」 『序』
応援ありがとうございます!