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お知らせ 

「日本の戦争はアジアの独立をもたらしたか」という記事を書いていましたが
あまりにまとまりがないので(汗)もう少しまとめて書きなおすことにしました。
公開に時間かかると思いますが、よろしくお願いします。
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[2022/10/01 15:22] 未分類 | TB(0) | CM(0)

YouTube、コメント欄の不具合について 

YouTubeのコメント欄で不具合がおきていることは、一部のコミュニティにおいて誰でも認識していることなのだが
ネットニュースなどでは全く報じられていないので、記事を書いておこうと思った。

実際にどのような不具合が起きているのかについて、箇条書きにしておく。

①他人の個人情報(住所、名前、交際歴など)を書きこむコメントがあるが、
YouTubeに通報してもそのコメントが削除されず、長時間にわたって個人情報が晒されているケースがある。

⓶ヘイト、誤った医療情報などではないにもかかわらず、特定ワード(新型コロナ、ワクチン、安倍、天皇など)を含むコメントが削除される。

③⓶は数秒で削除されて自分でも見えなくなるのだが
書いたコメントが自分にしか見えず、他者から見えないというケースが頻繁にある。
(コメントを書くたびログアウトして、反映されているかどうか確認する必用がある。)

③通知からしかよめないコメントがある。
YouTubeではコメントに返信がつくと通知がくる。その通知をクリックすれば返信はよむことができ、返信もできるが
通知からではなく、普通にそのチャンネルを開くと、返信通知が見えないケースがある。
(表示されていない返信コメントがあるので、第三者からみれば、独りごとのように見える)
※ブロックしていない人からの返信コメントでもそういう状態になる。

④ヘイト、誤った医療情報などの内容ではないにも関わらず、リンクが貼れないことが多い。
(自分のチャンネルのコメント欄にリンクを貼ることはできる。)

米Google傘下のYouTubeは8月25日(以下現地時間)、機械学習を活用してポリシー違反のアップロード動画を発見するシステムにより削除した動画の件数が、1~3月が571万件だったのに対し、4~6月は1084万件で倍増したと発表した。

4~6月の動画削除件数は約1140万件で過去最高を記録。そのうち自動削除によるものが1084万件に上った。1~3月の動画削除件数は全体で611万件で、そのうち自動削除件数は571万件だった。

YouTubeは通常、システムが自動的にチェックしたポリシー違反の動画を人間が確認して削除している。

同社は新型コロナの感染拡大を受け従業員の自宅勤務を推進。投稿された動画のチェックに割ける人員の確保が難しくなったとして、3月にはシステムで動画を自動チェックする比率を高める方針を示していた。

人員の制限を受け、チェック漏れがあっても人間による確実な判断ができる範囲に制限して動画を削除するか、ポリシー違反ではない動画を間違って削除する可能性があってもシステムで迅速に削除を行うかの選択を迫られたという。

同社は正確性よりもYouTubeコミュニティーの安全性を優先するとして、システムによる動画チェックの割合を増やした。代わりに動画削除に対するクリエイターからの異議申し立てには迅速に対処できるようリソースを配分したという。申し立て件数は動画削除件数の3%未満で、半数は削除を取り消した。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2008/26/news087.html  より引用

これはYouTubeに投稿される動画についてであるが、動画に寄せられるコメントについても同様のAIによる削除や、特定の人にしか見えないようにするシステムが行われているのだ。

正確性よりも、迅速な削除を優先させているわけだが
コメントの削除や、特定の人にしかみえないという問題に対し、利用者がYouTubeに対して申し立てを行うことができない。

大変利用しづらく、表現の自由や、コミュニケーションを阻害するものであるので
YouTubeは反省して、正常なシステムとなるよう対処していただきたい。




[2022/09/11 14:10] 未分類 | TB(0) | CM(0)

シドモアが見た明治期の日本27 中禅寺と湯元 

※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。

➀駕籠・輿・荷馬

p208
日本で使われている駕籠に関し、外国人はいろいろ批評しますが、あの狭苦しい状態は故意に異教徒を虐待しているわけではありません。その苦痛がむごく陰険でにことは、いずれ法廷尋問で明確に判定されるべきでしょう!?

p208
山岳地や遠方に行くには、荷馬以外唯一の旅行手段です。日本時とはたいへん気持ちよさそうに膝を二つ折りにし、脛を立てて座りますが、外人が乗った場合、身長の大きさ、たくましい骨格、高い座高が邪魔して頭や体がつっかえて順応性に欠け、しかも快適さからはほど遠く、長い脚がわきからぶらぶら出ます。その上、自分がおばかさんに見え、両親の呵責すら感じます。なぜなら、母国では一〇歳未満の少年に等しい小柄な駕籠かき人足に、自分の体重をすべて任せるからです。

京都ゑびす神社 宝恵かご社参

京都ゑびす神社 宝恵かご社参

明治時代の日本人の平均身長は男性157cm、 女性は147cm程度だったという。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2196.html
上の記事に「欧米諸国の平均身長の長期推移」のグラフがある。
明治時代は1868年〜1912年であり、171cm~173cmほどにみえる。
1868~1912年ごろのアメリカ女性の身長はわからなかった。
ちなみに現在のアメリカの平均身長は男性が178cm、女性の平均身長は約165cmだという。

p208
駕籠に似た乗り物として、棒の上にいくつかの肘掛け椅子を置いたものがあり、ローマ法王やパレードのような偶像のように人を載せることができます。でも、四人の担ぎ手の足取りによって長い棒が上下に跳ね、往々にして乗客を船酔い状態にします。

かご


教皇御輿で運ばれるピウス8世。

教皇御輿で運ばれるピウス8世。

p209
ゆっくり歩く生き物・荷馬は、綱で前方へ引く御者を必要とし、伸びた頭と気の進まない足取りは単なる移動モーターに見えます。馬と先導人はワラジを履き、数マイルごとの馬の履き替えに新しいワラジを高い鞍のまわりに縛っています。蹄鉄は、都会や大きな港町にしかなく、村の鍛冶屋にはありません。荷馬は厚い藁胸当てをつけ、高い鞍が木びき台のように造られ、乗り手が鞍に座ると、うまい具合に両合が馬の首元へ垂れ下がります。この鞍は釣り合いがとれているだけで、帯は締めていません。

馬による人の輸送(右)

馬による人の輸送(右)

上は人が3人乗れるように工夫されている。

藤枝宿での積荷の載せ替え

藤枝宿での積荷の載せ替え

藤枝宿での積荷の載せ替え

「馬と先導人はワラジを履き」とあるが、確かに人も馬もワラジのようなものを履いている。
「荷馬は厚い藁胸当てをつけ」とあるのは上の絵ではよくわからない。
上記goo辞書「腹帯」に掲載されている右のイラスト(クリックで大きくなる)を見ると「辻房」と記されているが、これが藁胸当てではないだろうか。
「この鞍は釣り合いがとれているだけで、帯は締めていません。」とあるのは、同じイラストに腹帯と記されている。
この腹帯で鞍を固定させるのだろうが、荷馬はこのような帯をしめて固定させていないのだろう。

「馬の鞍の下の、高い鞍が木びき台のように造られ」
ここに記されている木びき台とはこちらの→https://webshop.kzrooms.jp/products/detail/360
リンク先写真のようなもので、通常このようなものを2つ並べてその上に木材をおいて切断するのに用いる。
上の絵の鞍は緻密に描かれていいるが、確かに木びき台を二つ並べたようにも見える。

⓶中禅寺湖、二荒山神社中宮祠、男山

p209
日光から中禅寺へ行くのに、あなた方観光客は駕籠や荷馬、あるいは人力車で八マイル[一三キロ]ほど旅をしなくてはなりません。

p210
行程約三マイル[四・八キロ]で高度二〇〇〇フィート[六〇〇メートル]を登りきると湖畔へたどり着き、さらに峠まで緩やかな坂道と広い階段を登ります。

p210
幅三マイル[五キロ]長さ八マイル[一三キロ]の中禅寺湖は険しく深い山岳樹林に囲まれ、雄大な男体山[二四八四メートル]は湖畔から堂々とそびえぴらみっどのように先細りとなり、山頂も森に囲まれています

中禅寺湖と男体山

中禅寺湖と男体山

p211
麓には神社[二荒山神社中宮祠]があり、登りの参道沿いは祠だらけで、頂にも社があり、改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣があります。

二荒山神社 中宮祠

二荒山神社 中宮祠

二荒山神社 こまいぬ

二荒山神社 狛犬

登山口となっている日光二荒山神社の中宮祠の登拝門。この先は山頂へと向かう階段が続いていく。

登山口となっている日光二荒山神社の中宮祠の登拝門。この先は山頂へと向かう階段が続いていく。

22690608_s.jpg

男体山山頂の剣

この剣について、シドモアは「改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣」と書いているが、
1877年に茨城県結城市のある人が鉄の剣(長さ約3.5m、幅15cm)を奉納したのだという。

2012年3に腐食によって根元からおれたが、下野市の男性から奉納されたステンレス製の剣が設置された。
従って、現在の剣は2代目であり、シドモアが見た物とは別のものということになる。

シドモアはなぜ「改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣」と書いたのだろうか。

男体山に伝わる伝説とは、次のようなものなのだが。

昔、男体山の神と赤城山(群馬県前橋市)の神が領地争いをした。
男体山の神は白い大蛇に、赤城山の神は大ムカデに変身して闘った。
男体山の神は弓の名手・猿丸太夫に援助を頼んだ。
猿丸太夫は大ムカデの目を射抜いた。それで男体山の神が勝った。

p211
毎年八月、白装束に大きな藁帽子をかぶり、藁敷き雨具を肩に抱いた大勢の巡礼がやってきます。湖で清めた後、鳥居をくぐった敬虔な信者は神社に祈祷をし、喘ぎながら頂上へ向かいます。
p211
参道一面、シーズン中に捨てられた履物で覆われ、また過ぎし日のワラジの山がそこここにあります。

日光修験については、こちらの記事に書いた。

白装束とあるので、巡礼は一般の人ではなく、修験道の山伏だろうと思う。

http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=1475
上の記事によれば、修験道の山伏は雨や日差しを除けるため、 斑蓋(はんがい)という笠を使用するとのこと。
 形が丸いのは月を、頂上の三角は蓮華を表すと説明がある。

蓑とは下の写真のようなもので、稲藁など撥水性のある植物を編んで作られた雨具である。

24347777_s.jpg



[2022/08/09 23:06] 未分類 | TB(0) | CM(0)

トンデモもののけ辞典105 がこぜ 『頭に蛇がまきついた童子』 


元興寺(がこぜ)

作者不詳『化物づくし』より「がごぜ」

①妖怪がこぜ(元興寺) 

元興寺の境内にはオレンジ色のハルシャギクが咲き乱れており、花の間からたくさんの石仏が見え隠れしていた。
ハルシャギクは中心が紅色、周囲がオレンジ色の蛇目模様になっているので別名を蛇目草という。
蛇目というのは蛇の目のことである。

ハルシャ菊 元興寺

元興寺 ハルシャギク

蛇といえば、『日本霊異記(822年ごろに成立)』に記された元興寺の伝説を思い出す。
その伝説の中に『頭に蛇を巻いた童子』が登場するのである。

敏達天皇(在位572-585)の頃、尾張国阿育知郡片輪里(現・愛知県名古屋市中区古渡町付近)の農家に、落雷と共に雷神が落ちてきた。
農夫が殺そうとしたが、雷神は『命を助けてくれるならば雷神のように力強い子供を授けよう。』と言った。
そこで農夫は雷神を殺さずに、空へ返した。
やがて農夫の妻が子供を産んだが、その子供は頭には蛇が巻きついた異様な姿であった。
成長した子供は元興寺の童子になった。
そのころ元興寺では連日童子たちが鬼に殺されるという事件がおきていた。
ある夜、童子が鐘楼で待ちぶせていると鬼が現れたので、鬼の髪の毛を掴んで引きずり回した。
髪をむしりとられた鬼は逃げ去り、童子はその後を追ったが、鐘楼の北東に当たる辻子の辺りで鬼を見失った。
童子は鬼が急に姿を消したことを不審に思った。
ここからこの辻子は『不審ヶ辻子』と呼ばれるようになった。
今も元興寺の北東に不審ヶ辻子町という町名が残っている。
血痕を辿って行くと、不審ヶ辻子の北東の鬼棲山の墓にたどりついた。
それは昔元興寺で働いていた下男の墓であった。
鬼棲山は現在の奈良ホテルのあたりとされる。
この鬼は『がこぜ(元興寺という漢字があてられる)』『がごじ』『ぐわごぜ」などと呼ばれる妖怪である。
その後、元興寺の田に水を引こうとしたとき、王族によって妨害されるという事件がおきた。
このときもこの童子の活躍によって無事水をひくことができた。
そのため童子は出家・得度することを許されて、道場法師と呼ばれた。
道場法師は尾張の国に元興寺(願興寺)を創建し、奈良の元興寺の支院とした。

頭に蛇を巻いた童子とあるが、興福寺の八部衆のひとつ、沙羯羅像(さからぞう)は頭に蛇を巻いた姿をしている。

興福寺 左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像

興福寺 左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像

⓶敏達天皇代、元興寺はなかった。

この物語には大きな矛盾がある。
元興寺は飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)を前身とするが、法興寺が建立されたのは587年の丁未の乱(蘇我馬子vs物部守屋の戦い)以降のことである。
718年、法興寺は平城遷都に伴って奈良に移転し、元興寺と称するようになった。
伝説では敏達天皇の頃の話だとしているが、敏達天皇の在位は572年-585年である。
敏達天皇の御世、法興寺も元興寺もなかったのである。
あえて寺の創建年と時代の合わない天皇の御世の話だとしたのは、妖怪・元興寺の正体が、敏達天皇代の人物の怨霊であることを示唆しているのではないだろうか。

③聖徳太子が建てた四天王寺に守屋祠が

敏達天皇に仕えた人物で、元興寺に関係する人物に蘇我馬子がいる。
蘇我馬子が元興寺の前身である法興寺を飛鳥に建てたのは廃仏派の物部守屋との戦いに勝利したためだった。
このとき、馬子とともに戦った厩戸皇子(のちの聖徳太子)は『守屋との戦いに勝利したのは、四天王のご加護のおかげである。』として摂津国難波(大阪市天王寺区)に四天王寺を建立した。

四天王寺

四天王寺

その四天王寺の境内、絵堂の横には、聖徳太子や蘇我馬子と戦って戦死した物部守屋を祀る社があり、守屋祠・願成就宮と呼ばれている。

四天王寺は聖徳太子が物部氏の土地を没収し、物部氏の部民を使役して建てられた。
そして四天王寺が完成したのは、これを守屋の霊が許し、また助けたためであるとされ、願いが成就できたとして、守屋を祀ったのだという。
守屋祠が願成就宮と呼ばれているのはそのためである。

四天王寺 守屋祠

守屋祠

守屋祠の存在は、人々が物部守屋の怨霊を大変怖れていたということを示すものでもある。
人々が守屋を神として祀ったのは、人々が守屋の怨霊の祟りを畏れたためだとも考えられるからである。

そして四天王寺と⓶でお話しした法興寺(元興寺の前身)はどちらも「物部守屋との闘いに勝利した」ことをみほとけに感謝して建てられた。

現在の飛鳥寺(法興寺)には守屋を祀る神社は見当たらないが、近所に飛鳥坐神社があって、ここに守屋の霊が祀られているのではないか、と私は考えている。
飛鳥坐神社の御祭神の一に大物主神があるからだ。

飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

大物主神は正式名称を倭大物主櫛甕魂命という。
そして物部氏の祖神であるニギハヤヒは先代旧事本紀によれば天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) となっており、倭大物主櫛甕魂命と天火明櫛玉饒速日天照国照彦尊は『櫛』『魂(玉)』が同じなので、同一神ではないか、という説がある。
とすれば、大物主神とは物部氏の神だということになる。

そして大物主神は蛇神だとされており、大物主を祀る奈良県桜井市の大神神社には蛇の好物の玉子が供えられている。
物語に登場する頭に蛇を巻いた童子は物部氏の神(霊)、物部守屋の霊なのではないだろうか。

④自分で自分を退治して神として祀られる。

陰陽道では荒ぶる怨霊(荒霊)は神として祀り上げるとご利益を与えてくださる和霊に転じると考えるのだという。
また神はその現れ方によって御霊・和霊・荒霊の三つに分類される。
神の和やかな側面を和霊、神の荒々しい側面を荒霊、神の本質を御霊という。
頭に蛇を巻いた童子が和霊で、がこぜは荒霊であるが、その本性である御霊は物部守屋なのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・物部守屋
和霊・・・神の和やかな側面・・・道場法師(頭に蛇を巻いた童子)
荒霊・・・神の荒々しい側面・・・がこぜ

つまり守屋は自分で自分を退治したのである。

もちろん、『自分で自分を殺して神として祀る』なんてことは普通はできない。
物部守屋は自ら死を選んだのではなく、蘇我馬子や聖徳太子によって殺されたのだ。
(実際に守屋を矢で射たのは迹見赤檮)

『守屋は自ら死を選んだ』などというのは怨霊を畏れる人の自分勝手な考え方に他ならないと私は思う。
元興寺では節分には、『福は内、鬼も内』と言って豆を撒く。
福とは道場法師のことだろうが、鬼である『がこぜ』もまた道場法師のことなのだろう。
それで、元興寺では『鬼は外、福は内』でもなく、『福は内、鬼も内』といって豆撒きをするのではないだろうか。









[2022/06/22 00:00] 未分類 | TB(0) | CM(0)

トンデモもののけ辞典95 夜泣き石『石神はいかにして夜泣き石になったか』 



竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「夜鳴石」

竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「夜鳴石」

①夜泣き石

夜泣き石(よなきいし)は、石にまつわる日本の伝説の一つ。各地にさまざまな夜泣き石が存在する。
大別すると、泣き声がする、子どもの夜泣きが収まるとの伝説に分かれる。中でも静岡県の小夜の中山夜泣き石がよく知られているが、日本各地に存在する夜泣き石の中には、小夜の中山のように殺された者の霊が乗り移って泣き声をあげるといわれるほか、石自体が怪音を出すといわれるものも多い[1]。


⓶石神=ミシャクジ様(御石神様)=咳の神(石と咳はどちらもセキと発音する。)

夜泣き石のように、石が声を発したり人を化かしたという伝承は各地にある。岡山県苫田郡泉村箱(後の奥津町、現・鏡野町)の「杓子岩」(しゃくしいわ)は、夜に通行人に対して「味噌をくれ」と言って杓子を突き出したという。


とあるのが興味深い。

石の神と、杓子には関係がありそうに思うからだ。

石神堂

大阪の四天王寺に石神堂がある。牛玉尊と書かれており、牛玉尊(牛頭天王のことか?)を祀っているものと思われる。

咳の地蔵尊

おなじ四天王寺に「咳の地蔵尊」がある。
私はこの「咳の地蔵尊」と石神堂の「牛玉尊」は同体ではないかと思う。
というのは、咳(せき)と石(せき)の発音が同じだからである。

神は語呂合わせで神格を広げることがある。
例えば柿本人麻呂は人丸とも呼ばれ、火止まる(ひとまる)で防火の神へ、人産まる(ひとうまる)で安産の神へと神格を広げている。

またミシャグジ様という神が信仰されており、ミシャグジ様とは御石神様が訛ったものだとする説があるのだが
横浜市の社宮司社では、ミシャクジ様を咳を治してくれる神として信仰している。

古より磐座に対する信仰が存在していたことを考えると
おそらく石神がもともとの神格であったのが、語呂合わせから咳の神へと転じたのだろう。

つまり、石神=ミシャクジ様(御石神様)=咳の神(石と咳の音が同じ)ということである。

③ミシャグジ様と杓子

そして、ミシャグジ様は発音が杓子(しゃくし)に通じるところから、しゃくし(しゃもじ)を奉納する習慣がある。


上の記事には、四天王寺で無病息災杓子を授与していると記されている。
節分に四天王寺で「天王寺かぶら汁」を授与する企画があり、その際の記念品として杓子を配布したと書いてある。
これを読むと、杓子授与は最近になって始められたもので、もともと四天王寺と杓子には関係がないように思えるかもしれない。

しかしそうとも言い切れない。
四天王寺の西に一心寺という寺があり、四天王寺の別当・慈円の要請をうけて法然が草庵を結んだのが創建とされる。
一心寺は四天王寺と関係の深いお寺なのだ。
その一心寺に本多忠朝の墓があり、酒断ちの神として信仰されており、杓子を奉納する習慣があるのだ。

一心寺 本多忠朝の墓


③ミシャグジ様は勘の虫の神

ミシャクジ様について、次のような内容の書き込みを見つけた。

ミシャクジ様は漢字で書くと御石神様。
ここからも元々は石の精霊であることが伺えますね。
後に疳の虫とつながりがあるとも言われ
ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を
お供えするという風習もあるそうですよ。
昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用したと
聞いたこともありますね。
この期におよんでまたハリガネムシかい(笑)


ミシャグジ様と疳の虫を切る儀式との関係については明確に記されていないが、
ミシャグジ様にはさみの絵をお供えする習慣があったということは、ミシャクジ様は疳の虫を切ってくださる神様だという信仰があったのだろう。
そしてハリガネムシ(針金のような形をした虫)を疳の虫に喩え、これをはさみで切る儀式をミシャクジ様の前で行ったということではないかと思う。

④ミシャグジ様に奉納する杓子をひっくり返せば燗をする徳利の形に

なぜミシャグジさまは疳の虫治癒にも霊験があると考えられたのだろうか。

ミシャグジ様は杓子(シャクシ/しゃもじ)の音に通じるため、杓子を奉納する習慣がある。

滋賀県の多賀大社にはしゃもじを奉納する習慣があるが、多賀大社もミシャグジ様と関係があるのだろう。
胡宮神社には青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれている。
磐座の神は石神である。

0多賀屋

 多賀大社前にある多賀屋さんの看板は多賀大社に奉納するしゃもじを象ったものである。
このしゃもじをひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になる。
それで、燗→疳の虫となったのかも?

疳の虫とは赤ちゃんの夜泣き、かんしゃく、ひきつけなどのことをいい、
それらは赤ん坊が疳の虫に犯されることでひきおこされていた。

ミシャグジ様(御石神様)→咳の神(石と咳はどちらもセキとよむ)
             杓子の神(ミシャグジとシャクシは音が似ている)→燗の神(杓子と形が似ている)→疳の虫の神→夜泣きの神
             

このようにして石の神は夜泣きの神となり、石が夜泣きするなどと考えられて妖怪・夜泣き石は生み出されたのではないだろうか。


壬生寺 よなき地蔵

壬生寺 夜泣き地蔵(おせき地蔵)

壬生寺に「夜泣き地蔵」と呼ばれる石仏がある。
「夜泣き地蔵」は「おせき地蔵」とも呼ばれている。
「おせき地蔵」とは「お石地蔵」という意味だと思う。





[2022/06/07 00:00] 未分類 | TB(0) | CM(0)

しばらくの間、gooブログで記事を書きます。 

現在不具合が生じてfc2ブログに書き込みにくい状態となっていますので
しばらく下記のgooブログに記事を書きます。
よろしくお願いします。

旅 free style


追記/2019年2月20日に不具合が解消しましたので、ひきつづきfc2ブログで記事を書く予定です。

gooブログの記事はfc2ブログに転記しました。お騒がせしてすいません!



[2019/02/19 18:16] 未分類 | TB(0) | CM(0)

仁徳天皇陵発掘。竹田恒泰さんの意見に反論させていただきます。 



①「うちの墓掘るな!」竹田恒泰さんの主張のまとめ

竹田恒泰さんの発言をまとめます。

a.仁徳天皇陵の堤三か所にトレンチ(切り込み)を掘って調査する計画がある。
b.考古学の中でも左派(左翼)は陵を掘らせろといっている。
c.宮内庁は部外者による立入・調査を皇室の祖先の墓であり、静安と尊厳が必要として制限してきた。(新聞記事より引用)
d.宮内庁は現王朝の墓なので、発掘調査を認めたことがない。
e.滅びた墓は祭祀が行われていないので発掘調査してもいいが、天皇陵は現王朝の墓で祭祀が行われている。
f.うちの墓掘るな。
g.発掘調査の結果、被葬者が特定されたのは全国で数件しかない。誰の墓かなんてどうでもいい。
h.仁徳天皇の時代には文字がないのでわからない。


このうち、 は間違いの可能性があると思います。


NintokuTomb

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ANintokuTomb.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/NintokuTomb.jpg よりお借りしました。
Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 [Attribution], ウィキメディア・コモンズ経由で


②仁徳天皇代、郷土の産物を記録させている=文字があった?

順番が前後しますが、まず「h.仁徳天皇の時代には文字がないのでわからない。」について。

日本は中国の漢字を文字として用いてきました。
竹田さんが「文字がない」とおっしゃっているのは、「まだ漢字が日本に伝わっていなかった」という意味だと思います。
(15代応神天皇以前、神代文字があったとする説もありますが、偽作だとする説が強い。)
漢字が日本に伝わったのは、いつぐらいのことなのでしょうか。

仁徳天皇陵 
堺市役所21回展望ロビーより仁徳天皇陵をのぞむ。ここからではほとんど形がわかりません。

http://kanjibunka.com/kanji-faq/old-faq/q0004/
↑ こちらのサイトに次のように記されています。

「紀元3世紀ごろ,.邪馬台国(やまたいこく)の時代、日本と中国との間に使節の往来があった。
外交文書を扱うことができなければ、使節として体を成さない。
おそらく邪馬台国やそれに先立つ国々には、漢字を理解し、文書を扱うことのできる人々がいたと考えられている。」

また日本書紀には「仁徳天皇代、紀角宿祢を百済へ遣わし、初めて国郡の境を分け、郷土の産物を記録した。」とあります。
記録するには文字が必要です。たぶん漢字を使ったのではないでしょうか。

また5世紀後半に築造されたと考えられている前方後円墳の稲荷山古墳(埼玉県)では、文字を刻んだ鉄拳が発見されています。
日本には墓誌の習慣はなかったとされますが、鉄剣のような副葬品に被葬者の名前が刻まれている可能性がないともいえないです。

反正天皇陵 
堺市役所21階展望ロビーより反正天皇陵をのぞむ。

③発掘調査は被葬者が誰か、を調べるためだけに行われるのではない。

g.発掘調査の結果、被葬者が特定されたのは全国で数件しかない。誰の墓かなんてどうでもいい。」について。

研究の手がかりになるのは文字だけではありません。
出土した埴輪・土器・葺石・副葬品などすべてのものが手がかりになります。
樹皮のついた木片がでてくれば年輪年代法で築造時期もある程度特定することができます。
人骨がでてくれば、性別・体格・死亡年齢などもわかります。

被葬者が誰か、ということだけに考古学的価値があるのではありません。

ナガレ山古墳 子供さんたち

ナガレ山古墳(奈良県北葛城郡)

④天皇陵は皇室の財産か?

憲法では、「すべて皇室財産は、国に属する」と定められ、皇室による不動産保有は禁じられています。
まあ、これについて「戦後GHQによって決められた憲法なので、無効だ」という意見もあるかもしれませんが、現在の憲法では天皇陵は皇族の財産ではなく、国の財産だということになると思います。

法律の事は詳しくはないんですが、他人が所有している土地に先祖の墓があるとして、土地の所有者がそれを発掘調査しても、文句のいいようがないのではないでしょうか?(間違っていたら教えてください!)

また、仁徳天皇陵といいますが、本当に仁徳天皇の陵なのかどうかについても確定していません。
もしかしたら天皇家とは関係のない豪族の墓かもしれません。
そうだとすると「うちの墓」とはいえません。「うちの墓」と胸をはって言うためにも、発掘調査が必要ではないでしょうか。

 ホケノ山古墳 
ホケノ山古墳(奈良県桜井市) 埋葬施設


⑤右左の問題ではなく、信仰か化学かの問題では?

b.考古学の中でも左派(左翼)は陵を掘らせろといっている。」について。

考古学とは、ごく簡単にいってしまうと、土の中に残された人々の生活の痕跡から生活・風習を復元し、人間とは何なのかを考える学問です。
http://kaf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2012/02/minikouza.pdf より引用

つまり、考古学とは発掘調査なしに成立しない学問ということですよね。
考古学者が発掘調査しないで、何を研究するんだろう、と疑問に思ってしまいます。

考古学者も思想的に右左はあるでしょう。
ですが、それとは関係なく、考古学者である以上、発掘調査はしたいと考えるのではないかと思うのですが。

竹田恒泰さんには、そのあたりの詳しい説明をお願いしたいです。
特に天皇陵発掘調査に反対意見の考古学者の名前などを教えていただきたい。
単に「左派(左翼)は陵を掘らせろといっている」だけでは納得ができませんので。

左派と右派というより、信仰をとるか、科学をとるかという問題のような気がします。

百舌鳥古墳群 模型

堺市役所21階展望ロビーにあった模型。(見やすくするため一部加工しました。) 


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[2018/10/24 18:59] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)

6月13日にメールくださった方へ 

矢田の神と春日明神(矢田寺) 

↑ こちらの記事について、6月13日にメールをくださった方、ありがとうございました。
返事をおくろうと思いましたが、メールを送ることができません。
お手数ですが、メールを送ることのできるアドレスを明記したうえで、再度メールフォームを送っていただけないでしょうか。


宜しくお願いします。




















[2017/06/13 21:15] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)

black and white9 八咫烏と白鳥  

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[2013/07/09 15:37] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)

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[2013/07/07 21:05] 未分類 | トラックバック(-) | コメント(-)