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「道路が寸断されて自衛隊が能登に救助に行けない。」はウソだと思う。

①自衛隊には寸断された道を応急処置的に修復する能力があるのではないか?


”道路が寸断されているから自衛隊が救助に入れないと、マスコミが弁解の報道を撒きまくっている。玉川徹まで 1/5 の朝番組でそうコメントしていて、その虚構を国民全員が信じ込んでしまっている。Xで誰も反論しない。道路が寸断されて誰も輪島や珠洲に入れないのなら、どうして消防や警察が現地で救助活動しているのだ。どうしてNHKや民放の記者が現場をぶらぶら歩いているのだ。
~略~
自衛隊には工兵(施設科)の組織がある。有事の際に道なき道を整備し、橋なき河に架橋し、陣地を構築して作戦を支援する部隊だ。陸自に装備と兵員の存在がある。今回の能登の震災対応など、まさに彼らの出番で活躍する舞台だろう。”
「救出活動やる気がない自衛隊と岸田官邸 - なぜ施設科を本格投入しないのか」より引用

「道が寸断されて被災地にいけない」というが、自衛隊には「道を応急処置的に直す」能力はないのだろうか?
と私は疑問に思っていた。

やはり、自衛隊には施設科があって、ある程度そのような能力をもっているようである。

任務の特性上、多くの建設機械を保有しているため災害派遣や国際貢献などでも施設科が活躍する[1]。
ウィキペディア「施設科」より引用
「救出活動やる気がない自衛隊と岸田官邸 - なぜ施設科を本格投入しないのか」という記事が指摘するように
Xやヤフコメの書き込みなどに「道路が分断されて自衛隊が入れない。自衛隊を大量に送り込むべき、というのは素人の意見」というようなものを数多く見た。

通行止め箇所を示す地図を貼り「状況がわかっていないのに政府批判するな」と書いている人もいた。
また、陸がだめなら「空や海からいけないのか」という意見に対して「海岸線は津波とがけ崩れで使えない」「空路は安全な離着陸場がない」など、まるで「出来なことの理由を探している」かのように感じた。

②都道府県の要請がないと自衛隊出動できない、は嘘。

ヤフコメなどに、次のような意見がある。

「災害派遣は都道府県知事の要請が必要。(自衛隊法第83条の規定)要請がないのに勝手に自衛隊が動けない。」

「災害派遣には都道府県知事の要請が必要」というのは間違いだろう。

”自衛隊は、天災地変その他災害に対して人命または財産の保護のため必要があると認められる場合は、都道府県知事等の要請(ただし、特に緊急を要する場合は、要請を待たずに)に基づき、防衛大臣またはその指定する者の命令により派遣され、捜索・救助、水防、医療、防疫、給水、人員や物資の輸送など、様々な災害派遣活動を行います。”
「災害派遣の仕組み」
より引用。
ここに「特に緊急を要する場合は、要請を待たずに」とある。
今回の能登半島地震は特に緊急を要する場合に該当するのではないか。

・「派遣先の部隊の規模等により初動対処人数が決定される。総理の意向は関係ない。」
派遣までの流れ


上の表を見ると、「大臣または大臣の指名する者」が派遣命令を出すのだから、初動対処人数も「大臣または大臣の指名する者」が出すと考えられる。

これに対して岸田文雄首相は「(陸上自衛隊西部方面隊の拠点がある)熊本にはそもそも1万人を超える自衛隊が存在したが、今回は大規模部隊はいなかった。単に人数だけを比較するのは適当ではない」
木原稔防衛相も「道路の復旧状況も見ながら人数を増やした。逐次投入との批判は全く当たらない」と反論しているが
(「自衛隊派遣、なぜ小出し?熊本地震時の5分の1 対応できない救助要請たくさんあったのに…首相の説明は」)
能登半島に大規模部隊がいないのであれば、全国から収集することを考えるべきではないか。

「自衛隊1000人を派遣予定 別の8500人が出動待機 石川で地震」
上の記事は地震が起こった2024年1月1日付のものだが、「陸上自衛隊中部方面隊の約8500人をいつでも派遣できるよう待機させている」とある。
翌日(1月2日)にこの8500人を派遣することもできたのではないか?

③自衛隊は自分達の食料や寝所は用意して被災地に向かうのでは?

こういうカキコミもあった。

・救助隊が行くためには、食料、寝泊まりする場所、トイレが必要。大勢の自衛隊が被災地に行けばかえって迷惑。

いまや、一般人のボランティアでさえ、食料、寝る場所を自ら用意していくというのは当たり前だ。
自衛隊がそういう物を用意しないまま行く、などということがありえるのだろうか。
トイレについても簡易トイレなどを用意していくのではないかと思う。

④マスコミのデマを信じる人が大勢いた?

私は人命救助を第一に考えないこのような意見がなぜ多いのかと疑問に思っていたが、
「救出活動やる気がない自衛隊と岸田官邸 - なぜ施設科を本格投入しないのか」という記事は

・道路が寸断されているから自衛隊が救助に入れないと、マスコミが弁解の報道を撒きまくっている。
・マスコミがまき散らしたデマを国民全員が信じ込んでしまっている。

と記している。

私の家にはテレビがないので、知らなかったが、どうやらテレビ報道などが「道路が寸断されているから自衛隊が救助に入れない」というデマをまき散らしたらしい❔

そうであるならば、たいへん残念なことである。
デマをまき散らす方も残念だが、デマを信じる人が大勢いることも残念だ。
マスコミや他人の言うことはうのみにせず、疑問をもって自分の頭で考えることが大切だと
自戒の念も込めて、そう思う。

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[ 2024/01/09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

能登半島地震で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

このたびの能登半島地震で被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

能登は数年前に旅行に行ったことがあり、白米千枚田・すず塩田村・軍艦島・キリコ祭・御陣乗太鼓などを見学し、大変美しい場所だと知りました。
また旅先で出会った方々も皆さんとても親切にして下さり、とても良い思い出になりました。
大好きな能登がこのたびの震災で大きな被害を受けたことに心を痛めています。


[ 2024/01/02 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

お知らせ


いま、「シロウトが高松塚古墳・キトラ古墳を考えてみた。』シリーズのまとめ作業をやっております。
少し時間がかかるかもしれません。
宜しくお願いします。


「キトラ古墳壁画体験館 四神の館」のスクリーンで上映されていた動画を練習用に編集してみました。(撮影可)


スクリーンに縦横の線が入っているので、位置合わせに時間がかかったわりに

線が微妙に動いたり、ぶれたりしています😅。

自動で位置合わせできたらいいのになーっと思います。

失敗作ですが、はりつけておきます。



[ 2023/12/04 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

ふたつの夫婦岩

①檜原神社

奈良山の辺の道沿いに檜原神社がある。
檜原神社には柱に注連縄をかけただけの素朴な鳥居があり、鳥居の向こう側には二上山が見える。
二上山は向かって右側が雄岳、向かって左側が雌岳と呼ばれている。

檜原神社より二上山を望む

檜原神社より二上山落日を望む

⓶二見ヶ浦の夫婦岩

3月、私は檜原神社から二上山に落ちる夕日を眺めていて、三重県伊勢市二見町江・二見ヶ浦にある夫婦岩を思い出した。
YouTubeに素晴らしい動画があったのでお借りした。(ありがとうございます!)


夏至の日、男岩と女岩の間から海の向こうに見える富士山から朝日が昇ってくる。
私も一度深夜から出かけて見にいったことがあるのだが、残念ながら水平線のあたりに雲がでて富士山や日の出を拝むことはかなわなかった。

二見ヶ浦の海岸から朝日を望むと、向かって左側が男岩で向かって右側が女岩となっている。
二見ヶ浦にある夫婦岩は二上山とは雌雄が逆になっているのだ。

大和は青垣の山に囲まれた土地で、伊勢は海に囲まれている。
さらに大和では二上山に夕日が没し、伊勢では夫婦岩から朝日が昇ってくる。

夫婦岩には注連縄が掛けられているが、檜原神社の注連縄はまるで二上山にかける注連縄のようにも見える。

二見ヶ浦はまるで檜原神社から二上山を見た風景を鏡に映して逆にしたような場所ではないか。

檜原神社 三つ鳥居

檜原神社 三つ鳥居

③檜原神社は元伊勢だった。

檜原神社と伊勢には関係がある。

10代崇神天皇の代まで天照大神と倭大国魂神はともに宮中で祀られていた。
ところが疫病が流行り、人民の中には朝廷に背くものも現れた。
そのため天皇は二柱の神とともに生活するのが恐ろしくなり、倭大国魂神は渟名川入姫命、天照大神は豊鍬入姫命に託し、宮中の外で祀らせた。
渟名川入姫命渟名川入姫命は長岡崎で、豊鍬入姫命は倭国笠縫邑で天照大神を祀った。
笠縫邑の比定地は諸説あるが、檜原神社だとする説が有力である。

その後、年老いた豊鍬入姫命にかわって倭姫が天照大神を祀るようになった。
倭姫は天照大神を祀るるにふさわしい土地を求めて各地を転々とした。
最後に伊勢にやってきたとき、天照大神は「この神風の伊勢の国は常世之浪 の重浪(しきなみ)よする国なり。傍国のうまし国なり。この国に居らむとおもう。」と託宣した。
こうして伊勢に天照大神を祀る伊勢神宮が建てられた。


赤印二見ヶ浦の左斜め下(東南)に伊勢神宮が、地図上部の明和町とあるところに伊勢斎宮跡がある。

④二見ヶ浦は伊勢神宮領だった。

倭姫命が天照大神の鎮座される土地を求めてやってきたとき、伊勢の海を二度見たという伝説がある。
『二見ヶ浦』という地名はここからくると言われている。
また二見ヶ浦は神宮の御塩(おしお)と御贄(おにえ)を調達するための神宮領であったといい、伊勢神宮と関係の深い土地である。

天照大神はなぜ「伊勢に鎮座したい」と託宣したのだろうか。
それは二見ヶ浦の風景が、檜原神社から見る風景を鏡に映したような場所であったからではないだろうか。

檜原神社から見る風景が陰(二上山に日が沈むため)だとすると、二見ヶ浦の風景は陽(夫婦岩から日が昇るため)、というわけである。

⑤伊勢斎宮跡と檜原神社はどちらも北緯34度32分!

上記サイトに次のように記されている。

伊勢斎宮跡、箸墓古墳、檜原(ひばら)神社、大坂山(穴虫峠)、長谷寺、室生寺、大鳥神社など著名な遺跡、社寺などが北緯34度32分の線上にほぼ一直線に並ぶ。(仏像写真家の小川光三さんによる。)

写真を始めてから、私は写真を始める前の自分がいかにものを漠然と見ていたかということに気が付いた。
写真を始めると観察力が身についてくる。(まだまだ未熟だが~)

小川光三さんも写真家ならではの観察眼と、フィールドワークでこれを発見したのだろう。
すばらしい発見!そしてこの北緯34度32分を太陽の道と名付けられた。

伊勢斎宮跡は三重県多気郡明和町にある、斎宮が執務した場所である。(上の地図を参照してください)

⑥糸島の夫婦岩


二見が浦という地名は福岡県糸島市志摩桜井にもある。
こちらのほうは行ったことがないのだが、夏至の日、男岩と女岩の間に夕日が沈むという。

三重県伊勢市市二見町江 伊勢志摩(いせしま)・二見ヶ浦 夫婦岩(向かって右/女岩、向かって左/男岩)夏至の日に朝日がのぼる

福岡県糸島市志摩桜井  糸島(いとしま)  ・二見が浦 夫婦岩(向かって右/男岩、向かって左/女岩)夏至の日に夕日が沈む

ふたつの夫婦岩にもなにか呪術的な仕掛けがありそうだ。

この謎がとけたとき、ひとつ古の人の心(古の人が何を考えていたのか)がわかるだろう。






[ 2023/03/21 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

砂糖ぬきで便秘が解消?

今日は歴史ではなく、便秘の話をしようと思う(笑)

最近、人間ドッグにいったところ、「血糖値がやや高めなので、間食をひかえるように」と指導を受けた。
血糖値が高いというと太っていると思われるかもしれないが、私はどちらかといえば痩せているほう。

私は御飯はあまり食べない。(少しは食べる。もっと食べたほうがいいのかもしれないが)
しかし甘い物は好きで、午後3時くらいにクッキーやケーキ、アイスクリームなどを食べるのが習慣になっていた。

それとキシリトールガム。
私は花粉症がひどく、汚い話だが、鼻水が喉のほうへ流れていって、しょっちゅう、えずいていた。(嘔吐反射)
そういうとき、飴をなめると、唾液がでるせいか、ラクになることに気がつき、飴をなめるようになった。
しかし、飴では虫歯になるので、キシリトールガムにかえたのだった。
ガムは軽い依存性があると思う。
だんだんと、嘔吐反射がおきないときにもガムをかむようになってしまったのだ。
ネットを調べると「人工甘味料でもインシュリンはでる」と書いてあった。

そこで、果物以外の甘い物を控えようと考えた。

朝食にはシリアルにヨーグルト、はちみつをかけて食べることが多かったのだが
シリアルには砂糖が入っている。
そこで、朝食は納豆とお味噌汁やスープに変えた。

間食をやめるように言われたが、看護婦さんの言いつけを破って(笑)
果物やチーズ、牛乳などを少しだけ。

昼食、夕食は今まで通り。砂糖の入っている調味料などもあるが、そこまでは気にしていない。
便秘解消のために飲んでいたドリンクも砂糖が入っているので、やめた。

そしてキシリトールガムは食後だけにして、嗚咽反射はマスクや鼻炎の薬で対処することにした。
キシリトールガムの依存性は強くないようで、控えることに特につらさはなかった。
これから花粉症シーズンになってくると、嗚咽反射がつらくなるかもしれないが、一応、いまのところは。

甘い物を控えるようにしてから1か月ほどたつが、体調に変化があったように思う。
それは次の2点。

①便秘が解消された。

便秘解消のため、便秘にきくというドリンクを飲んだり、アボガドやキウイを食べたりもしたが
最初のうちはきいても、だんだん効かなくなってくるということを経験していた。
毎日40分程度のウォーキングもしていた。
それでも全く解消されなかったのが、甘い物を控えるようにしてから、
それまでは鹿のフンのようにコロコロしていて硬かったのが、普通の状態になったのだからびっくり。

ネットで検索すると便秘の原因として砂糖もあげられていたので
たぶん、砂糖を控えたことで改善されたのではないかと思っている。


⓶日中、眠くなりにくくなったような気がする。

※知識のない素人考えですので、参考まで。




[ 2023/02/20 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

お知らせ

「日本の戦争はアジアの独立をもたらしたか」という記事を書いていましたが
あまりにまとまりがないので(汗)もう少しまとめて書きなおすことにしました。
公開に時間かかると思いますが、よろしくお願いします。
[ 2022/10/01 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

YouTube、コメント欄の不具合について

YouTubeのコメント欄で不具合がおきていることは、一部のコミュニティにおいて誰でも認識していることなのだが
ネットニュースなどでは全く報じられていないので、記事を書いておこうと思った。

実際にどのような不具合が起きているのかについて、箇条書きにしておく。

①他人の個人情報(住所、名前、交際歴など)を書きこむコメントがあるが、
YouTubeに通報してもそのコメントが削除されず、長時間にわたって個人情報が晒されているケースがある。

⓶ヘイト、誤った医療情報などではないにもかかわらず、特定ワード(新型コロナ、ワクチン、安倍、天皇など)を含むコメントが削除される。

③⓶は数秒で削除されて自分でも見えなくなるのだが
書いたコメントが自分にしか見えず、他者から見えないというケースが頻繁にある。
(コメントを書くたびログアウトして、反映されているかどうか確認する必用がある。)

③通知からしかよめないコメントがある。
YouTubeではコメントに返信がつくと通知がくる。その通知をクリックすれば返信はよむことができ、返信もできるが
通知からではなく、普通にそのチャンネルを開くと、返信通知が見えないケースがある。
(表示されていない返信コメントがあるので、第三者からみれば、独りごとのように見える)
※ブロックしていない人からの返信コメントでもそういう状態になる。

④ヘイト、誤った医療情報などの内容ではないにも関わらず、リンクが貼れないことが多い。
(自分のチャンネルのコメント欄にリンクを貼ることはできる。)

米Google傘下のYouTubeは8月25日(以下現地時間)、機械学習を活用してポリシー違反のアップロード動画を発見するシステムにより削除した動画の件数が、1~3月が571万件だったのに対し、4~6月は1084万件で倍増したと発表した。

4~6月の動画削除件数は約1140万件で過去最高を記録。そのうち自動削除によるものが1084万件に上った。1~3月の動画削除件数は全体で611万件で、そのうち自動削除件数は571万件だった。

YouTubeは通常、システムが自動的にチェックしたポリシー違反の動画を人間が確認して削除している。

同社は新型コロナの感染拡大を受け従業員の自宅勤務を推進。投稿された動画のチェックに割ける人員の確保が難しくなったとして、3月にはシステムで動画を自動チェックする比率を高める方針を示していた。

人員の制限を受け、チェック漏れがあっても人間による確実な判断ができる範囲に制限して動画を削除するか、ポリシー違反ではない動画を間違って削除する可能性があってもシステムで迅速に削除を行うかの選択を迫られたという。

同社は正確性よりもYouTubeコミュニティーの安全性を優先するとして、システムによる動画チェックの割合を増やした。代わりに動画削除に対するクリエイターからの異議申し立てには迅速に対処できるようリソースを配分したという。申し立て件数は動画削除件数の3%未満で、半数は削除を取り消した。

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2008/26/news087.html  より引用

これはYouTubeに投稿される動画についてであるが、動画に寄せられるコメントについても同様のAIによる削除や、特定の人にしか見えないようにするシステムが行われているのだ。

正確性よりも、迅速な削除を優先させているわけだが
コメントの削除や、特定の人にしかみえないという問題に対し、利用者がYouTubeに対して申し立てを行うことができない。

大変利用しづらく、表現の自由や、コミュニケーションを阻害するものであるので
YouTubeは反省して、正常なシステムとなるよう対処していただきたい。



[ 2022/09/11 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

シドモアが見た明治期の日本27 中禅寺と湯元

※ピンク色の文字部分は、すべて著書「シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー /エリザ・E・シドモア 外崎克久 訳  講談社学術文庫」よりの引用です。

➀駕籠・輿・荷馬

p208
日本で使われている駕籠に関し、外国人はいろいろ批評しますが、あの狭苦しい状態は故意に異教徒を虐待しているわけではありません。その苦痛がむごく陰険でにことは、いずれ法廷尋問で明確に判定されるべきでしょう!?

p208
山岳地や遠方に行くには、荷馬以外唯一の旅行手段です。日本時とはたいへん気持ちよさそうに膝を二つ折りにし、脛を立てて座りますが、外人が乗った場合、身長の大きさ、たくましい骨格、高い座高が邪魔して頭や体がつっかえて順応性に欠け、しかも快適さからはほど遠く、長い脚がわきからぶらぶら出ます。その上、自分がおばかさんに見え、両親の呵責すら感じます。なぜなら、母国では一〇歳未満の少年に等しい小柄な駕籠かき人足に、自分の体重をすべて任せるからです。

京都ゑびす神社 宝恵かご社参

京都ゑびす神社 宝恵かご社参

明治時代の日本人の平均身長は男性157cm、 女性は147cm程度だったという。
https://honkawa2.sakura.ne.jp/2196.html
上の記事に「欧米諸国の平均身長の長期推移」のグラフがある。
明治時代は1868年〜1912年であり、171cm~173cmほどにみえる。
1868~1912年ごろのアメリカ女性の身長はわからなかった。
ちなみに現在のアメリカの平均身長は男性が178cm、女性の平均身長は約165cmだという。

p208
駕籠に似た乗り物として、棒の上にいくつかの肘掛け椅子を置いたものがあり、ローマ法王やパレードのような偶像のように人を載せることができます。でも、四人の担ぎ手の足取りによって長い棒が上下に跳ね、往々にして乗客を船酔い状態にします。

かご


教皇御輿で運ばれるピウス8世。

教皇御輿で運ばれるピウス8世。

p209
ゆっくり歩く生き物・荷馬は、綱で前方へ引く御者を必要とし、伸びた頭と気の進まない足取りは単なる移動モーターに見えます。馬と先導人はワラジを履き、数マイルごとの馬の履き替えに新しいワラジを高い鞍のまわりに縛っています。蹄鉄は、都会や大きな港町にしかなく、村の鍛冶屋にはありません。荷馬は厚い藁胸当てをつけ、高い鞍が木びき台のように造られ、乗り手が鞍に座ると、うまい具合に両合が馬の首元へ垂れ下がります。この鞍は釣り合いがとれているだけで、帯は締めていません。

馬による人の輸送(右)

馬による人の輸送(右)

上は人が3人乗れるように工夫されている。

藤枝宿での積荷の載せ替え

藤枝宿での積荷の載せ替え

藤枝宿での積荷の載せ替え

「馬と先導人はワラジを履き」とあるが、確かに人も馬もワラジのようなものを履いている。
「荷馬は厚い藁胸当てをつけ」とあるのは上の絵ではよくわからない。
上記goo辞書「腹帯」に掲載されている右のイラスト(クリックで大きくなる)を見ると「辻房」と記されているが、これが藁胸当てではないだろうか。
「この鞍は釣り合いがとれているだけで、帯は締めていません。」とあるのは、同じイラストに腹帯と記されている。
この腹帯で鞍を固定させるのだろうが、荷馬はこのような帯をしめて固定させていないのだろう。

「馬の鞍の下の、高い鞍が木びき台のように造られ」
ここに記されている木びき台とはこちらの→https://webshop.kzrooms.jp/products/detail/360
リンク先写真のようなもので、通常このようなものを2つ並べてその上に木材をおいて切断するのに用いる。
上の絵の鞍は緻密に描かれていいるが、確かに木びき台を二つ並べたようにも見える。

⓶中禅寺湖、二荒山神社中宮祠、男山

p209
日光から中禅寺へ行くのに、あなた方観光客は駕籠や荷馬、あるいは人力車で八マイル[一三キロ]ほど旅をしなくてはなりません。

p210
行程約三マイル[四・八キロ]で高度二〇〇〇フィート[六〇〇メートル]を登りきると湖畔へたどり着き、さらに峠まで緩やかな坂道と広い階段を登ります。

p210
幅三マイル[五キロ]長さ八マイル[一三キロ]の中禅寺湖は険しく深い山岳樹林に囲まれ、雄大な男体山[二四八四メートル]は湖畔から堂々とそびえぴらみっどのように先細りとなり、山頂も森に囲まれています

中禅寺湖と男体山

中禅寺湖と男体山

p211
麓には神社[二荒山神社中宮祠]があり、登りの参道沿いは祠だらけで、頂にも社があり、改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣があります。

二荒山神社 中宮祠

二荒山神社 中宮祠

二荒山神社 こまいぬ

二荒山神社 狛犬

登山口となっている日光二荒山神社の中宮祠の登拝門。この先は山頂へと向かう階段が続いていく。

登山口となっている日光二荒山神社の中宮祠の登拝門。この先は山頂へと向かう階段が続いていく。

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男体山山頂の剣

この剣について、シドモアは「改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣」と書いているが、
1877年に茨城県結城市のある人が鉄の剣(長さ約3.5m、幅15cm)を奉納したのだという。

2012年3に腐食によって根元からおれたが、下野市の男性から奉納されたステンレス製の剣が設置された。
従って、現在の剣は2代目であり、シドモアが見た物とは別のものということになる。

シドモアはなぜ「改悛した殺人鬼らの捧げた刀剣」と書いたのだろうか。

男体山に伝わる伝説とは、次のようなものなのだが。

昔、男体山の神と赤城山(群馬県前橋市)の神が領地争いをした。
男体山の神は白い大蛇に、赤城山の神は大ムカデに変身して闘った。
男体山の神は弓の名手・猿丸太夫に援助を頼んだ。
猿丸太夫は大ムカデの目を射抜いた。それで男体山の神が勝った。

p211
毎年八月、白装束に大きな藁帽子をかぶり、藁敷き雨具を肩に抱いた大勢の巡礼がやってきます。湖で清めた後、鳥居をくぐった敬虔な信者は神社に祈祷をし、喘ぎながら頂上へ向かいます。
p211
参道一面、シーズン中に捨てられた履物で覆われ、また過ぎし日のワラジの山がそこここにあります。

日光修験については、こちらの記事に書いた。

白装束とあるので、巡礼は一般の人ではなく、修験道の山伏だろうと思う。

http://fukagawafudou.jugem.jp/?eid=1475
上の記事によれば、修験道の山伏は雨や日差しを除けるため、 斑蓋(はんがい)という笠を使用するとのこと。
 形が丸いのは月を、頂上の三角は蓮華を表すと説明がある。

蓑とは下の写真のようなもので、稲藁など撥水性のある植物を編んで作られた雨具である。

24347777_s.jpg


[ 2022/08/09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

トンデモもののけ辞典105 がこぜ 『頭に蛇がまきついた童子』


元興寺(がこぜ)

作者不詳『化物づくし』より「がごぜ」

①妖怪がこぜ(元興寺) 

元興寺の境内にはオレンジ色のハルシャギクが咲き乱れており、花の間からたくさんの石仏が見え隠れしていた。
ハルシャギクは中心が紅色、周囲がオレンジ色の蛇目模様になっているので別名を蛇目草という。
蛇目というのは蛇の目のことである。

ハルシャ菊 元興寺

元興寺 ハルシャギク

蛇といえば、『日本霊異記(822年ごろに成立)』に記された元興寺の伝説を思い出す。
その伝説の中に『頭に蛇を巻いた童子』が登場するのである。

敏達天皇(在位572-585)の頃、尾張国阿育知郡片輪里(現・愛知県名古屋市中区古渡町付近)の農家に、落雷と共に雷神が落ちてきた。
農夫が殺そうとしたが、雷神は『命を助けてくれるならば雷神のように力強い子供を授けよう。』と言った。
そこで農夫は雷神を殺さずに、空へ返した。
やがて農夫の妻が子供を産んだが、その子供は頭には蛇が巻きついた異様な姿であった。
成長した子供は元興寺の童子になった。
そのころ元興寺では連日童子たちが鬼に殺されるという事件がおきていた。
ある夜、童子が鐘楼で待ちぶせていると鬼が現れたので、鬼の髪の毛を掴んで引きずり回した。
髪をむしりとられた鬼は逃げ去り、童子はその後を追ったが、鐘楼の北東に当たる辻子の辺りで鬼を見失った。
童子は鬼が急に姿を消したことを不審に思った。
ここからこの辻子は『不審ヶ辻子』と呼ばれるようになった。
今も元興寺の北東に不審ヶ辻子町という町名が残っている。
血痕を辿って行くと、不審ヶ辻子の北東の鬼棲山の墓にたどりついた。
それは昔元興寺で働いていた下男の墓であった。
鬼棲山は現在の奈良ホテルのあたりとされる。
この鬼は『がこぜ(元興寺という漢字があてられる)』『がごじ』『ぐわごぜ」などと呼ばれる妖怪である。
その後、元興寺の田に水を引こうとしたとき、王族によって妨害されるという事件がおきた。
このときもこの童子の活躍によって無事水をひくことができた。
そのため童子は出家・得度することを許されて、道場法師と呼ばれた。
道場法師は尾張の国に元興寺(願興寺)を創建し、奈良の元興寺の支院とした。

頭に蛇を巻いた童子とあるが、興福寺の八部衆のひとつ、沙羯羅像(さからぞう)は頭に蛇を巻いた姿をしている。

興福寺 左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像

興福寺 左・畢婆迦羅像、右・沙羯羅像

⓶敏達天皇代、元興寺はなかった。

この物語には大きな矛盾がある。
元興寺は飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)を前身とするが、法興寺が建立されたのは587年の丁未の乱(蘇我馬子vs物部守屋の戦い)以降のことである。
718年、法興寺は平城遷都に伴って奈良に移転し、元興寺と称するようになった。
伝説では敏達天皇の頃の話だとしているが、敏達天皇の在位は572年-585年である。
敏達天皇の御世、法興寺も元興寺もなかったのである。
あえて寺の創建年と時代の合わない天皇の御世の話だとしたのは、妖怪・元興寺の正体が、敏達天皇代の人物の怨霊であることを示唆しているのではないだろうか。

③聖徳太子が建てた四天王寺に守屋祠が

敏達天皇に仕えた人物で、元興寺に関係する人物に蘇我馬子がいる。
蘇我馬子が元興寺の前身である法興寺を飛鳥に建てたのは廃仏派の物部守屋との戦いに勝利したためだった。
このとき、馬子とともに戦った厩戸皇子(のちの聖徳太子)は『守屋との戦いに勝利したのは、四天王のご加護のおかげである。』として摂津国難波(大阪市天王寺区)に四天王寺を建立した。

四天王寺

四天王寺

その四天王寺の境内、絵堂の横には、聖徳太子や蘇我馬子と戦って戦死した物部守屋を祀る社があり、守屋祠・願成就宮と呼ばれている。

四天王寺は聖徳太子が物部氏の土地を没収し、物部氏の部民を使役して建てられた。
そして四天王寺が完成したのは、これを守屋の霊が許し、また助けたためであるとされ、願いが成就できたとして、守屋を祀ったのだという。
守屋祠が願成就宮と呼ばれているのはそのためである。

四天王寺 守屋祠

守屋祠

守屋祠の存在は、人々が物部守屋の怨霊を大変怖れていたということを示すものでもある。
人々が守屋を神として祀ったのは、人々が守屋の怨霊の祟りを畏れたためだとも考えられるからである。

そして四天王寺と⓶でお話しした法興寺(元興寺の前身)はどちらも「物部守屋との闘いに勝利した」ことをみほとけに感謝して建てられた。

現在の飛鳥寺(法興寺)には守屋を祀る神社は見当たらないが、近所に飛鳥坐神社があって、ここに守屋の霊が祀られているのではないか、と私は考えている。
飛鳥坐神社の御祭神の一に大物主神があるからだ。

飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

大物主神は正式名称を倭大物主櫛甕魂命という。
そして物部氏の祖神であるニギハヤヒは先代旧事本紀によれば天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) となっており、倭大物主櫛甕魂命と天火明櫛玉饒速日天照国照彦尊は『櫛』『魂(玉)』が同じなので、同一神ではないか、という説がある。
とすれば、大物主神とは物部氏の神だということになる。

そして大物主神は蛇神だとされており、大物主を祀る奈良県桜井市の大神神社には蛇の好物の玉子が供えられている。
物語に登場する頭に蛇を巻いた童子は物部氏の神(霊)、物部守屋の霊なのではないだろうか。

④自分で自分を退治して神として祀られる。

陰陽道では荒ぶる怨霊(荒霊)は神として祀り上げるとご利益を与えてくださる和霊に転じると考えるのだという。
また神はその現れ方によって御霊・和霊・荒霊の三つに分類される。
神の和やかな側面を和霊、神の荒々しい側面を荒霊、神の本質を御霊という。
頭に蛇を巻いた童子が和霊で、がこぜは荒霊であるが、その本性である御霊は物部守屋なのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・物部守屋
和霊・・・神の和やかな側面・・・道場法師(頭に蛇を巻いた童子)
荒霊・・・神の荒々しい側面・・・がこぜ

つまり守屋は自分で自分を退治したのである。

もちろん、『自分で自分を殺して神として祀る』なんてことは普通はできない。
物部守屋は自ら死を選んだのではなく、蘇我馬子や聖徳太子によって殺されたのだ。
(実際に守屋を矢で射たのは迹見赤檮)

『守屋は自ら死を選んだ』などというのは怨霊を畏れる人の自分勝手な考え方に他ならないと私は思う。
元興寺では節分には、『福は内、鬼も内』と言って豆を撒く。
福とは道場法師のことだろうが、鬼である『がこぜ』もまた道場法師のことなのだろう。
それで、元興寺では『鬼は外、福は内』でもなく、『福は内、鬼も内』といって豆撒きをするのではないだろうか。








[ 2022/06/22 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

トンデモもののけ辞典95 夜泣き石『石神はいかにして夜泣き石になったか』



竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「夜鳴石」

竜斎閑人正澄画『狂歌百物語』より「夜鳴石」

①夜泣き石

夜泣き石(よなきいし)は、石にまつわる日本の伝説の一つ。各地にさまざまな夜泣き石が存在する。
大別すると、泣き声がする、子どもの夜泣きが収まるとの伝説に分かれる。中でも静岡県の小夜の中山夜泣き石がよく知られているが、日本各地に存在する夜泣き石の中には、小夜の中山のように殺された者の霊が乗り移って泣き声をあげるといわれるほか、石自体が怪音を出すといわれるものも多い[1]。


⓶石神=ミシャクジ様(御石神様)=咳の神(石と咳はどちらもセキと発音する。)

夜泣き石のように、石が声を発したり人を化かしたという伝承は各地にある。岡山県苫田郡泉村箱(後の奥津町、現・鏡野町)の「杓子岩」(しゃくしいわ)は、夜に通行人に対して「味噌をくれ」と言って杓子を突き出したという。


とあるのが興味深い。

石の神と、杓子には関係がありそうに思うからだ。

石神堂

大阪の四天王寺に石神堂がある。牛玉尊と書かれており、牛玉尊(牛頭天王のことか?)を祀っているものと思われる。

咳の地蔵尊

おなじ四天王寺に「咳の地蔵尊」がある。
私はこの「咳の地蔵尊」と石神堂の「牛玉尊」は同体ではないかと思う。
というのは、咳(せき)と石(せき)の発音が同じだからである。

神は語呂合わせで神格を広げることがある。
例えば柿本人麻呂は人丸とも呼ばれ、火止まる(ひとまる)で防火の神へ、人産まる(ひとうまる)で安産の神へと神格を広げている。

またミシャグジ様という神が信仰されており、ミシャグジ様とは御石神様が訛ったものだとする説があるのだが
横浜市の社宮司社では、ミシャクジ様を咳を治してくれる神として信仰している。

古より磐座に対する信仰が存在していたことを考えると
おそらく石神がもともとの神格であったのが、語呂合わせから咳の神へと転じたのだろう。

つまり、石神=ミシャクジ様(御石神様)=咳の神(石と咳の音が同じ)ということである。

③ミシャグジ様と杓子

そして、ミシャグジ様は発音が杓子(しゃくし)に通じるところから、しゃくし(しゃもじ)を奉納する習慣がある。


上の記事には、四天王寺で無病息災杓子を授与していると記されている。
節分に四天王寺で「天王寺かぶら汁」を授与する企画があり、その際の記念品として杓子を配布したと書いてある。
これを読むと、杓子授与は最近になって始められたもので、もともと四天王寺と杓子には関係がないように思えるかもしれない。

しかしそうとも言い切れない。
四天王寺の西に一心寺という寺があり、四天王寺の別当・慈円の要請をうけて法然が草庵を結んだのが創建とされる。
一心寺は四天王寺と関係の深いお寺なのだ。
その一心寺に本多忠朝の墓があり、酒断ちの神として信仰されており、杓子を奉納する習慣があるのだ。

一心寺 本多忠朝の墓


③ミシャグジ様は勘の虫の神

ミシャクジ様について、次のような内容の書き込みを見つけた。

ミシャクジ様は漢字で書くと御石神様。
ここからも元々は石の精霊であることが伺えますね。
後に疳の虫とつながりがあるとも言われ
ミシャクジ様の近くにはさみの絵を描いた紙を
お供えするという風習もあるそうですよ。
昔は疳の虫を切る儀式をハリガネムシで代用したと
聞いたこともありますね。
この期におよんでまたハリガネムシかい(笑)


ミシャグジ様と疳の虫を切る儀式との関係については明確に記されていないが、
ミシャグジ様にはさみの絵をお供えする習慣があったということは、ミシャクジ様は疳の虫を切ってくださる神様だという信仰があったのだろう。
そしてハリガネムシ(針金のような形をした虫)を疳の虫に喩え、これをはさみで切る儀式をミシャクジ様の前で行ったということではないかと思う。

④ミシャグジ様に奉納する杓子をひっくり返せば燗をする徳利の形に

なぜミシャグジさまは疳の虫治癒にも霊験があると考えられたのだろうか。

ミシャグジ様は杓子(シャクシ/しゃもじ)の音に通じるため、杓子を奉納する習慣がある。

滋賀県の多賀大社にはしゃもじを奉納する習慣があるが、多賀大社もミシャグジ様と関係があるのだろう。
胡宮神社には青龍山山頂に胡宮の磐座(いわくら)があり、多賀大社の奥の院と呼ばれている。
磐座の神は石神である。

0多賀屋

 多賀大社前にある多賀屋さんの看板は多賀大社に奉納するしゃもじを象ったものである。
このしゃもじをひっくり返すとお燗(かん)の徳利のような形になる。
それで、燗→疳の虫となったのかも?

疳の虫とは赤ちゃんの夜泣き、かんしゃく、ひきつけなどのことをいい、
それらは赤ん坊が疳の虫に犯されることでひきおこされていた。

ミシャグジ様(御石神様)→咳の神(石と咳はどちらもセキとよむ)
             杓子の神(ミシャグジとシャクシは音が似ている)→燗の神(杓子と形が似ている)→疳の虫の神→夜泣きの神
             

このようにして石の神は夜泣きの神となり、石が夜泣きするなどと考えられて妖怪・夜泣き石は生み出されたのではないだろうか。


壬生寺 よなき地蔵

壬生寺 夜泣き地蔵(おせき地蔵)

壬生寺に「夜泣き地蔵」と呼ばれる石仏がある。
「夜泣き地蔵」は「おせき地蔵」とも呼ばれている。
「おせき地蔵」とは「お石地蔵」という意味だと思う。




[ 2022/06/07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)