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日本人が成立してから、ネアンデルタール人と交配?日本ではネアンデルタール人の人骨は発見されていないのだが?


①武田先生は「弥生時代に渡来人が日本列島に渡ってきた」ことは認めている?

上記動画の中で、次の様な発言がある。

>0:47 この日本のこのルーツっていうのがですね、まあ言ってみれば騎馬民族説だとか
弥生人とか渡来人とかいうのは実はここ1000年とか2000年の間のことだけ言ってるんですね、まあ3000年とか。

武田先生は、騎馬民族説や弥生時代に渡来人が日本にやってきたということ自体はありえると考えておられるのだろうか。

ちなみに日本の時代区分は次のように分類されている。

旧石器時代 /?~ 紀元前14000年頃まで
縄文時代 /紀元前14000年頃 ~紀元前10世紀
弥生時代 /紀元前10世紀 – 3世紀中頃

⓶旧人も石器を作った。

旧石器時代を考えるとき、注意しなければならないのは、我々現生人類以外の化石人類(ネアンデルタール人、デニソワ人など)も石器をつくったということである。

たとえば世界最古の石器で検索すると、ケニアのトゥルカナ湖西岸で発見された約330万年前のものとでてくるが
これは猿人が作ったものと考えられている。

日本最古の石器で検索すると島根県砂原遺跡出土の石器がでてくる。
11万~12万年前のものであるとされる。
そしてこの砂原遺跡の石器はデニソワ人が作ったものではないかと考えられている。

砂原遺跡は現生人類が作ったものだとする説もある。

現在、現生人類はアフリカで誕生し、ここから世界中に広がっていったとするアフリカ単一起源説が有力視されている。
(人類はそれぞれの地域で原人から現生人類に進化したとする地域進化説もある。例えばネアンデルタール人がヨーロッパ人に、北京原人が中国人に、明石原人が日本人になったなど。)
※アフリカ単一起源説が有力視されている理由については後で述べる。

現生人類が誕生したのは約20万年前で、日本に到着したのは3万8000年ごろと考えられている。
3万8000年前というのは、次に述べる岩宿遺跡が約3万年前のものであるというところからくる。

しかし、アフリカ単一起源説を正しいとしても、砂原遺跡出土の石器が、絶対に現生人類によってつくられたものではないとも言い切れない。
3万8000年前よりももっと早い時代に日本に現生人類が到着していた可能性はなくはないからだ。

③岩宿遺跡は約3万年前。日本に人が住み始めた時期は5万年にまで遡れるか。

>しかし日本人が日本列島に住み出したっていうのは、どんなに短くても5万年前で
それも遺跡の数が一番以上あるって事はですね

ここで武田先生が「遺跡」とおっしゃっているのは、砂原遺跡ではなく、縄文時代以前の旧石器時代の遺跡、たとえば岩宿遺跡などのことだ。

かつて日本には旧石器時代はないと考えられていたので、そのころの地層の発掘調査は行われていなかったのだが
関東ローム層を掘ったところ約3万年前の地層から石器群が出土し、日本にも旧石器時代があったことが確認された。
その後も同時期の遺跡が続々と発見され、その遺跡の数は4000カ所以上とのこと。
https://www.city.midori.gunma.jp/www/contents/1000000000589/ こちらの記事では遺跡の数を1万ヵ所以上としている。)

発掘された遺跡の名前から、日本の旧石器時代は岩宿時代と呼ばれることもある。

武田先生がおっしゃっている石器は、岩宿時代のもののことで、これは現生人類が作ったものだろうが
年代は武田先生がおっしゃる5万年前ではなく約3万年前である。
約3万年前の石器があるということは、それよりもっと早い時点で日本に石器を作る人々がいたという可能性はあるが
5万年前まで遡れるかどうかは疑問である。

④渡来人が日本にやってきていないのであれば、日本人のほとんどがD系統(縄文系)のはず。しかしO系統が多い。

>1:15 もちろん未発見の遺跡って、その10倍ぐらいあるでしょうし非常に人口も多かったわけですね
それからナウマン像だとかヘラジカなんかと戦った跡ですね、まあそれの武器だとか
そういったものから見てもですね相当の戦闘能力を持ってた日本人独特の高度な技術もあったわけで
それが5万年前にあるのにですね
それから5万年経って簡単に大陸の方から大量に人が渡ってくるとかですね
もちろん海を越えて大量に人が渡ってくるってこと自体がですね、その今と違いますからないわけですね

「日本列島に先住民である縄文人がいると、後から渡来人がやってこない」と武田先生はおっしゃっているのだが、
そんなことは言い切れない。

岩宿時代の遺跡が関東地方に多いことは、2023年6月8日のヒバリクラブで武田先生自身もおっしゃっていたが
縄文時代にも人は関東地方に多く住んでいたと考えられている。
つまり、九州地方にはあまり人が住んでいなかったのだ。
そこへ渡来人がやってくるということは普通に考えられる。

また弥生時代に渡来人がやってきたであろうことは、Y染色体ハプログループの研究からも裏付けられる。
縄文人のY染色体ハプログループはD系統である。
ところが現在の日本人でD系統は35%程度で、O系統のほうが多い。
そして、O系統は中国や朝鮮にも多い。
つまり、O系統の人々が縄文時代以降日本にやってきたと考えられる。
もし、渡来人が日本列島にやってきていないのであれば、日本人のほとんどがD系統のはずである。

もしかすると、日本列島にやってきた渡来人は少数であったかもしれない。
しかし、渡来人には子孫を増やす能力があったかもしれない。
その能力とは稲作技術である。稲作を行えば、狩猟採集よりも安定して子孫を増やすことができる。
とすれば、日本列島にやってきたあと、彼らは縄文人よりも子孫を増やした可能性がある。

⑤Y染色体ハプログループの研究は遺伝学、考古学、言語学が融合されている。

>2:09 歴史の方は文献を当たるだから紙があって文字がなきゃだめ
考古学の人は遺跡を掘り出してやっていくんですね
それからここで今日説明するのは言語学とか、それから遺伝学なんですけどもそれぞれ分かれてるんですね
こういった別れた学問を融合しなきゃいけないということはもうずいぶん前から今から50年ぐらい前から
ですね
●●●●(聞き取れず)とか融合しようとかいうことはずっと言われてるんですが

最近研究が進んでいるY染色体ハプログループの研究は
文字がない時代なので、文献を読みとくということはやっていないが

Y染色体の突然変異で変化した塩基配列のちがいからグループ分けし(遺伝学)、
これを遺跡の年代(考古学)にあてはめて、
アフリカで誕生した人物がどのように世界中に広がっていったのかを推測し(遺伝学と考古学の融合)
言語(言語学)とY染色体の変異の間の相関が密接であるとする研究(言語学と遺伝学の融合)から
父系言語仮説が唱えられている。

⑥父系言語仮説

>5:13 日本語っていう言語はですね、この図は英語テキストなんですが
世界の言語学をまとめたものですね。
言語同士の親戚関係なんかをまとめてるんですが残念ながらここにもちろんジャパニーズ・日本語はなくてですね

この図は「ヨーロッパのそれぞれの言語はどれぐらい似ているのか、の図」
https://labs.cybozu.co.jp/blog/akky/2014/01/european-languages-lexical-distance-chart/
なので、日本語はなくて当然である。

>5:45 日本語の類似言語は原則としてはないんです

類似言語がないとされているのは、日本語だけではない。
朝鮮語、アイヌ語、キリヤーク語なども類似言語のない系統不明言語とされている。

ただし、ウィキ・ハプログループO (Y染色体)のところには、Y染色体ハプログループO1b2が弥生人(倭人)の言語と記されており、系統樹も示されている。

オーストリック大語族(中国南部から東南アジア、インド東部/Y染色体ハプログループはO1)があり
その下に、
・オーストロアジア語族(東南アジアからインド東部・バングラデシュ/Y染色体ハプログループはO1b1)
・弥生人(倭人 Y染色体ハプログループはO1b2)
となっている。

⓻日本語のルーツを考えるには、大和言葉を調査する必用がある。

>6:02 非常識とか常識の前に非をつけるとかですね、無というのをつけるとかですね
こういった否定語をつける言語の多さという点では、ここの言語は似ているというような言語はないじゃないんですけども

言葉は時代とともに変化するので、言語のルーツを考える場合、古い言葉を調査する必用がある。

非常識とか常識という言葉もそうだが、もともとは中国語であって、それを日本流に発音した言葉ではないだろうか。
そうではなくて、日本にもともとある古い言葉、大和言葉と他言語の比較を行わなければならない。

例えば現在の日本に「ラジオ」「テレビ」などの言葉があり、英語のradio,televisionなどの言葉に似ているから、
日本語のルーツは英語だ、などというのがおかしな論だということは、ご理解いただけると思う。

⑧日本人とネアンデルタール人はどこで交配したのか

>8:55 日本でたどり着いた人がいたか、それとも生粋に日本列島の中で日本人という新種が誕生したかどっちかであって

前者は単一起源説、
後者は多地域進化説(例えば北京人から中国人へ、明石原人から日本人へと進化したというような説)
である。

現在、Y染色体ハプログループの研究が進み、その結果、人類はアフリカで誕生し、Y染色体の塩基配列を少しづつ変化させながら世界中へ広まったとする説が支持されている。

そして、塩基配列の変化によってA、B、C、Dなどのようにグループ分けされ、系統樹もつくられている。
当然、似たような塩基配列のグループは、系統樹の近いところに配置され、異なる塩基配列のグループは系統樹の離れたところに配置されることになるのだろう。

このような系統順は、順序が逆ではないかという疑問をもってしまうが、
最古級の現生人類の人骨が発見されているのはアフリカで、30万年前とか、20万年前のものが見つかっていることもあり、アフリカ起源とするのは妥当だと思う。

ときどき、日本人は明石原人から進化したといいながら
日本人のY染色体ハプログループD1a2a は日本人特有のもので、優秀な遺伝子である、などという人がいる。

そういう人には、そのY染色体ハプログループの研究がアフリカ単一起源説の正しさを示していると思われるが、
なぜY染色体ハプログループをもちだしながら、多地域進化説を支持しているのか、ぜひ理由を説明していただきたい。

>9:18
もちろん日本人の遺伝子の中にはネアンデルタール人の遺伝子の比率が1.8%

全ての日本人がネアンデルタール人の遺伝子をもっているわけではなく、30%程度だ。
また日本人だけがネアンデルタール人の遺伝子をもっているわけでもなく、アフリカ以外の人の50%程度はネアンデルタール人の遺伝子をもっているという。

>9:28
日本人ができてからネアンデルタール人とのわずかな交配があったということを示しているんではないか

ネアンデルタール人の人骨はヨーロッパで発見されている。日本人とどこで交配したのだろうか。

ノーベル賞受賞者とY染色体ハプログループは関係がない。2022年4月18日 追記あり


「日本列島の古代史 日本人の遺伝子」 という記事があり、間違った内容なので、指摘しておきたい。

1⃣現世人類はアフリカで誕生して世界中に拡散したので、日本列島にはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわない。

氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかったため、日本独自の歴史を歩みました。
約 200 万年前には日本固有の明石象が、日本国内に広く生息していたことが分かっています。


「氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかったため、日本独自の歴史を歩みました。」と記したあとに、
「約 200 万年前には日本固有の明石象が、日本国内に広く生息していたことが分かっています。」と続いているので、
混乱するが、
現在、現生人類は10数万年前ごろ、アフリカで誕生したという説が有力視されているので、
現生人類が経験した氷期はヴュルム氷期(7万年前~1万年前)ということになる。

(砂原遺跡から11万~12万年前の石器が発見されているが、これは現生人類ではなくデニソワ人などの旧人と考えられている。)

「氷河期でも津軽海峡と對馬海峡は氷結しなかったため、大陸とは地続きにはならなかった」とあるが、
上記リンク先の地図では津軽海峡、対馬海峡、北海道、樺太も大陸とつながっている。

画像検索すると、津軽海峡・対馬海峡が繋がっていない地図もあるが、海を渡ってやってくることは可能だろう。

いずれにしても、現生人類は10数万年前ごろ、アフリカで誕生し、そこから世界中に広がったと考えられているので、
日本列島へはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわなくなる。

2⃣新生人類が10数万年前ごろアフリカで誕生したと考えられている理由

ここで現生人類が10数年前ごろアフリカで誕生したと考えられている理由について簡単に述べておきたいと思う。

現在、Y染色体ハプログループの研究が盛んにおこなわれている。
遺伝子は突然変異によってその塩基配列が変化する。
Y染色体の、変化した塩基配列のタイプによってグループ分けしたものがY染色体ハプログループと呼ばれるもので
A、B、C、Dなどの系統がある。
またこれらのハプログループは系統樹も作られている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97
ハプログループごとの塩基配列がどうなっているのかは知らないが
系統樹を作る時、似たような塩基配列であれば近い場所に置き、違いの大きい塩基配列のものは遠い場所に配置するなどして系統樹を作ったものと思われる。
そのような作業を行ったところ、人類共通の先祖としてアフリカの男性(Y染色体アダムと呼ばれる)にいきつくというのである。

また現生人類の最古級の人骨はほとんどアフリカで見つかっている。

かつては「多地域進化説」が主流だったが、DNA分析とその比較によって、アフリカ単一起源説がただしいらしい、ということがわかってきたそうである。

また年代測定技術の進化によって、ホモサピエンスの化石の一部が、旧人のネアンデルタール人よりも古いことがわかり、ネアンデルタール人がヨーロッパや中近東の人々の祖先であるといえなくなったということである。

(参考「アフリカで誕生した人類が日本人になるまで」溝口優司 ソフトバンク新書 p70)

3⃣旧石器時代について


旧石器時代について、ウィキは次のように記している。
「ホモ・ハビリスなどヒト属による石器(打製石器)の使用が始まった時代」

ホモ・ハビリスとはすでに絶滅したヒト属である。

前期旧石器時代・・・約260万年前 - 約30万年前
中期旧石器時代・・・約30万年前 - 約3万年前
後期旧石器時代・・・約3万年前 - 約1万年前

中期旧石器時代のムスティエ文化は主にネアンデルタール人による文化と考えられているが、
中期旧石器時代は現生人類による文化も含まれているものと思われる。
その理由は人類が10数万年前に誕生しているからだ。
後期旧石器時代のオーリニャック文化は現生人類による文化である。

つまり、10数万年前から約1万年前ぐらいまでが、現生人類による旧石器時代と考えられるだろう。

4⃣地層が「12 万年~5 万年前」だと、原人の可能性も、現生人類の可能性もある。

「12 万年~5 万年前の旧石器時代に、最古の日本民族と言われる明石原人ニッポナントロプス・アカシエンスの化石と石器・加工木製品が出土しました。その人骨化石を巡って、原人かヒトかの論争が続きましたが、その化石が戦災で焼失したため、遺伝子検査は不可能となりました。」


単なる書き損じかもしれないが、この書き方だと、「12 万年~5 万年前の旧石器時代に、明石原人の化石が出土した」となってしまう。
「12 万年~5 万年前の旧石器時代の地層から、最古の日本民族と言われる明石原人ニッポナントロプス・アカシエンスの化石と石器・加工木製品が出土しました。」と書きたかったのだと思われる。

直良信夫が明石屏風ヶ浦で人の腰骨を発見。崩れ落ちた土の中にあったが、骨に青い土が付着していることから「西八木層」と判断。
「西八木層」は当時、中期更新世の地層と考えられていた。現在では、年代測定によって12万年前~5万年前とされている。
~略~
明石人骨が発見された地層の堆積当時(12万年前~5万年前)、明石に人類がいたことは加工木材片や石器の出土から確実と思われる。しかし、その人類がどのような位置づけになるのか依然として「謎」は残されている。


地層は「12 万年~5 万年前」とされているようである。
「その人類がどのような位置づけになるのか」というのは、原人なのか、新生人類なのかという意味だと思う。

現生人類誕生がアフリカで十数年前で、そこから人類が世界中に拡散したとされているので、
地層が「12 万年~5 万年前」だと、原人の可能性も、現生人類の可能性もあるが、明石原人の骨は消失しているので、遺伝子検査ができず不明ということではないかと思う。

5⃣日本人男性の約半数が中国・朝鮮と同じ遺伝子(O1b2・O2)をもっている。

「アリゾナ大学の研究の結果によれば、日本人男性 62.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%という固有の遺伝子を持ち、他国には見られない特殊な遺伝子であることから、大陸や南の島々からから渡来した民族ではなく、日本固有の民族だと考えられます。」


「大陸や南の島々からから渡来した民族ではなく、日本固有の民族だと考えられます。」

というのがまちがいであることはすでにのべたように、
現生人類は10数万年前にアフリカで誕生したと考えられているので、日本へはどこからかやってきたと考えないと辻褄があわないのだ。

「日本人男性 62.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%」というのは、
「日本人男性61.1%の遺伝子は、Y 染色体 D1b 34.7%、O-47Z 22%、C-M 4.4%」の間違いだと思う。
34.7%+22%+4.4%=61.1%となる。

まあこれは大した問題ではない。

Y染色体ハプログループD1bは、現在でははD1a2aと名称が変わっている。
ややこしくなるので、現在の名称で書くが

日本固有のY染色体ハプログループはD1a2aで、アイヌの80%以上 本土日本人の35%がD1a2aをもっている。
O1b2系統は、日本列島(30%)の他、満州(34%)、朝鮮(30%)にもある。
O2系統は日本(20%)、中国(55%)、朝鮮(50%)、ベトナムにもある。(※数字は全て約)

「他国にはない特殊な遺伝子」はD1a2aのみで、それを持っている日本人は35%程度。これはまあ特殊な遺伝子といっていいかもしれない。
O系統は、O1b2が30%、O2が20%、合計50%となり、これは中国・朝鮮にもあるので、日本だけにある特殊な遺伝子とはいえない。

中国人、韓国人の遺伝子には全く近似点はありません。


というのもまちがいだ。

6⃣ノーベル賞受賞者とY染色体ハプログループは関係がない。

世界のノーベル賞受賞者の遺伝子検査の結果、Y 遺伝子 D1b が大きく関与していることが分かりました。
日本人のノーベル賞受賞者が極めて多く、Y 遺伝子 D1b を持たない朝鮮人がノーベル賞皆無である事実がこれを証明しています。


これもまちがいである。

2021年時点でのノーベル賞受賞者は

1位 アメリカ 388人
2位 イギリス 133人
3位 ドイツ  109人
7位 日本     28人

D1a2a(旧D1b)は日本固有のY染色体ハプログループなので、アメリカ・イギリス・ドイツ人は持っていない。
数の多さだけでなく、人口を考える必要があるかもしれないが

アメリカ 3億3290万人    
イギリス    6820万人   
ドイツ    8390万人   
日本   1億2610万人

残念ながら日本は人口はイギリス・ドイツより多いが、ノーベル賞受賞者はイギリス・ドイツよりもかなり少ないといわざるをえない。

そして、日本人は28人だが、このうちD1a2aは何人いるのか。
調べた結果があるのならば出してほしい。


【追記】
新生人類が10数万年前にアフリカで誕生し、世界中に拡散したとするならば、
日本列島にはどこからか人類がやってこないと辻褄があわない。
それなのになぜ、Y染色体ハプログループD1a2aは日本だけにあるのかについての説明を忘れていた。

Y染色体アダムからハプログループAやハプログループBなどのような系統に分化した。
このハプログループBから一塩基多型の変異(YAP)が生じ、ハプログループDEとなった。
ここから、ハプログループD、ハプログループEにわかれた。

ハプログループD1a2aはこのハプログループDのサブクレードで、ハプログループD系統の人類が日本にやってきたのち、日本列島でD1a2aが成立したと考えられている。

チベットにはハプログループDのサブクレードD1a1が多い。

Y染色体ハプログループ の系統樹を参照してほしい。

なぜ、チベットと日本にハプログループDがあって、その他の地域には少ないのか。
これについて、ウィキペディアは次のように説明している。

東南アジアにO系統が広く流入した為、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられている。


















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