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トンデモもののけ辞典93 お歯黒べったり

竹原春泉画『絵本百物語』より「歯黒べったり」

竹原春泉画『絵本百物語』より「歯黒べったり」

①お歯黒べったり

お歯黒べったり(おはぐろべったり)歯黒べったり(はぐろべったり)は日本の妖怪の一種。目も鼻も無い顔に、お歯黒を付けた大きな口だけがある女の姿をした妖怪。
概要
江戸時代後期に出版された『絵本百物語』(竹原春泉斎・画)に「歯黒べったり」という題で描かれており、現在は同作品を通じてその存在が知られている。詞書には、「ある人が古い社の前を通ったとき、美しげな女が伏し拝んでいるので、戯れに声を掛けて過ぎようとしたところ、その女が振り向いた。顔を見ると目も鼻も無く、大きな口でけらけらと笑った。二度と見たくないほど恐ろしかった」という意味のことが記され、『新燈開語』[1]という中国の本にもまったく同じような話(水神の祠の前にいた女に声をかけたところ、目も鼻も無く、箕のような大きな口でけらけらと笑った)があるとしている。また本文では「東国ではのつべら坊(のっぺらぼう)とも言い多くは狐狸の化け損なったもの」ともある[2]。
お歯黒べったりは、のっぺらぼうのように自身の顔面を見せることによって人間を驚かす妖怪であり、その類型であるとも考えられる。直接的な関係は不明だが、『源氏物語』の「手習」の帖に、「昔いたと言う目も鼻もない女鬼(めおに)」という記述があり、顔に目や鼻のない女の妖怪は、平安時代にも確認することが出来る[3]。
お歯黒を見せる妖怪
口だけしかない顔という例ではないが、お歯黒をつけた大きな口をひらいて「かね(お歯黒)がついたか」と人間を驚かす老婆や女が登場する昔話(キツネ・タヌキなどがその正体)は、東北地方を中心にその伝承が確認されている。山伏がキツネなどにちょっかいを出した結果、一軒家などでお歯黒の大きな口で迫られるなどして驚かされるのが、その主な内容である[4]。


⓶妖怪・野槌(草野姫)

ウィキペディアの説明をよんで、妖怪・野槌を思い出した。

野槌

妖怪・野槌の記事はこちら。

上記記事をまとめる。

妖怪・野槌は野の精霊、野つ霊(ち)という意味。
特徴は、
❶蛇に似ている。
❷胴が太い。
❸頭部に口があるが、目鼻はない。
❹柄のない槌のような形をしている。
❺深山にすむ。
❻ウサギ、リスを食べる。

槌のような形、口だけあって目鼻はないというのは蛭ににている。

3626156_s.jpg

ヒル

ヒルには眼点と呼ばれる目のような機関があるが、電子顕微鏡で見てやっとわかるくらいの小さい。
野槌とはヒルの妖怪ではないか。

野槌2


黄表紙の野槌。恋川春町『妖怪仕内評判記』
もともと野槌とは鳥山石燕が描いたような妖怪であったのが、擬人化されて、このような姿になったのではないかと思う。

この野槌を祀る神社が若草山山麓にある。野上神社である。
野上神社の御祭神・草野姫はイザナギ・イザナミの間に生まれた神で、別名を野槌という。

野槌には口しかないので耳もなかったと考えられる。
野槌(草野姫)を祀る野上神社は春日大社の境外社だが、春日大社境内にある榎本神社の神には次のような伝説がある。

榎本の神はタケミカヅチに『土地を三尺譲ってほしい』といわれ、承諾した。
ところがタケミカヅチの言う三尺とは地下三尺という意味だった。
榎本の神は広大な神域をタケミカヅチに奪われた。
榎本の神を祀る祠は春日大社本殿のそばにあるが、榎本の神は耳が遠いので、柱を叩き、祠を回って参拝する習慣がある。

野槌(草野姫)には口しかないので、耳もないと考えられる。野槌とは榎本の神のことではなかと思う。

榎本神社

榎本神社

蛭子神は耳が悪いので神殿の後ろを叩いてお参りする。

野槌・・・・・耳がない≓耳が悪い  蛭のような姿?
榎本明神・・・耳が悪い。
蛭子神・・・・耳が悪い。

三神は同一神ではないか。

③日本の神は性別がルーズ?


↑ この記事は説明不足の点があるので、ここで補足しておく。

蛭子はイザナギ・イザナミの長子で、男神とされている。

熊野若王子神社 蛭子神

熊野若王子神社 蛭子神

しかし野槌の別名は草野姫とあり、神名から女神と考えられる。

性別が違うのに、なぜ蛭子と草野姫は同一神と考えられるのか。

このブログで何回か書いたが、日本の神は性別がルーズである。

一般的に天照大神は女神とされるが、祇園祭岩戸山のご神体の天照大神は男神である。
男神とされる三輪明神は謡曲・三輪では女神として登場する。
聖徳太子が女に生まれ変わって親鸞の妻になろうと言ったという話もある。

そして、神は現れ方によって御霊・和魂・荒魂の3つに分けられるといわれ
女神は和魂を、男神は荒魂をあらわすとする説もある。
すると御霊とは男女双体の神なのではないだろうか。

御霊(神の本質)・・・・・・・・・男女双体?
和魂(神の和やかな側面)・・・・・女神?
荒魂(神の荒々しい側面)・・・・・男神?

④大聖歓喜天

大聖歓喜天という仏教の神がいる。

雙身歡喜天 高野山真別所円通寺本 図像抄大正新脩大藏經 圖像部3

雙身歡喜天 高野山真別所円通寺本 図像抄大正新脩大藏經 圖像部3

大聖歓喜天とは像頭をした男女双体のみほとけで、次のような伝説がある。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物だった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。 
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去った。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延した。
十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われ、女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言った。
ビナヤキャは仏法守護を誓った。

つまり、大聖歓喜天とは鬼王ビナヤキャ(=マラケラレツ王)とビナヤキャ女神(十一面観音の化身)の男女双体のみほとけなのである。
相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音の化身ビナヤキャ女紳とされる。

この大聖歓喜天の伝説は、御霊・和魂・荒魂をあらわしたもののように思える。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体(聖天)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神(ビナヤキャ女神)
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神(ビナヤキャ)

この御霊・和魂・荒魂の概念で、野槌を考えてみるとどうなるだろうか。

⑤野槌の男神とお歯黒べったりはカップル?

野槌は別名を草野姫といい、草野姫は女神である。

しかし、下の野槌は男神として描かれている。
まさしく性別がルーズ、時と場合によって、男神としてあらわれたり、女神としてあらわれたりするのかもしれない。

野槌2  竹原春泉画『絵本百物語』より「歯黒べったり」

黄表紙の野槌。恋川春町『妖怪仕内評判記』        竹原春泉画『絵本百物語』より「歯黒べったり」   


御霊・・・・野槌・・・・男女双体
和魂・・・・野槌の女神・・・女神
荒魂・・・・野槌の男神・・・男神

お歯黒べったり はこの野槌の女神と同一の妖怪なのではないだろうか。

女は恐れるふうもなく、1人ずつ草むらで相手をした。別れ際に若者たちが、また会いたいから顔を見せてくれと頼むと女は手ぬぐいを取った。その顔にはお歯黒を付けた口だけがあった。むろん若者たちは肝をつぶして逃げ去った。話を聞いた町の者は、お歯黒をしていたのなら誰かの女房だ、と首をひねったと言う[6]。


とあるが、草むらで相手をしたというのが、草野姫を思わせる。
「お歯黒をしていたのなら誰かの女房だ」と町の者は言ったとあるが、お歯黒べったりは、妖怪・野槌の男神の女房だといえるかもしれない。

妖怪・野槌の男神は鬼王ビナヤキャ、お歯黒べったりはビナヤキャ女神のイメージと重ねられているといってもいいだろう。

⑥角隠し

お歯ぐろべったりは、神に角隠しをつけている。
この神隠しについて、ウィキは次のように説明している。

様々な由来(後述)が諸説紛々であるためにはっきりしないが、現在では俗説として次の2つが言われることが多い。
女性が嫁入りするにあたって、怒りを象徴する角を隠すことで、従順でしとやかな妻となることを示す
かつて女は嫉妬に狂うと鬼になると言われていたため、鬼になることを防ぐための一種のまじない


お歯黒べったりは、鬼になることを防ぐために角隠しをつけているのかもしれない。




トンデモもののけ辞典㉙ 紫女


蘆山寺

蘆山寺

①日本の吸血鬼・紫女

筑前国袖の湊に住む某伊織という男の前に紫色の着物を着た美しい女性が現れた。
男はその女と夜ごとに契をかわした。
すると男は二十日もしないうちにげっそりと痩せてしまった。
医者は「その女は『紫女』である。人の血を吸い、しまいには殺してしまう。この女を斬り殺せ。」と言った。
伊織が女を斬ろうとすると、女は消えかかって逃げていきました。
追いかけると橘山の木深い洞窟へ入っていきました。
その後も死後のあさましい姿となって表れたので、国中の仏道修行者を呼び寄せて弔ったところ、ようやく影がきえた。
(西鶴諸国はなし)

⓶恋する女は紫色に染まる?

この吸血鬼の名前が紫女というのがオモシロイ!

次の2首を鑑賞してみてほしい。

❶紫の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 吾恋ひめやも/大海人皇子
(紫草のように美しいあなた。あなたが憎ければ、人妻と知りながら、こんなに恋い焦がれずにいられるものを。)

❷紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰/詠人知らず
(顔をぽっと赤らめた海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)
※紫色に布を染める際、媒染剤として椿の灰をいれると鮮やかに染まった。

この2つの歌を鑑賞すると、女が男に恋する様子を紫と表現していたのかな、と思える。
それで男と契りながら血を吸っていた女の妖怪のことを紫女というのではないだろうか。

③小松と紫色の玉箒草を合わせる神事

こちらの記事に、「上賀茂神社 燃灯祭」について書いた。

上賀茂神社  燃灯祭

上賀茂神社  燃灯祭

燃灯祭は御阿礼野(みあれの)で小松を引き、境内に戻り、土舎で引いた小松に玉箒草(燃灯草)を添えて紙に包むという神事である。



玉箒草(燃灯草)はアザミに似た紅紫色の花を8月から10月ごろに咲かせる。
玉箒草というのは古名で、現在は田村草と呼ばれている。
田村草の写真はこちら→ http://www.hana300.com/tamura.html

古名の玉箒は、花後に多数の実がつく様子が箒に似ているところからくるのではないか、そしてそれが転訛して田村草になったのではないかといわれている。
また、その花が美しい紫色なので、多くの紫色の花をつける草、多紫草から田村草になったのだという説もある。

紫色の玉箒草は女性、小松は男性をあらわし、
男女を小松に玉箒草(燃灯草)を添えて紙に包むというのは、男女を和合させる神事の様に思える。

玉箒草の別名を燃灯草というのも興味深い。
燃灯草という名前は、恋する男性を目の前にして、恋心を燃やし、ぽっと顔を赤らめた女性を表しているようにも思える。

④御霊・和霊・荒霊と男神・女神

神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるという。

御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説がある。
とすれば御霊は男女双体ということになる。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

④男女和合は怨霊を守護神にする呪術?

大聖歓喜天(聖天)という仏教の神は象頭の男女双体のおすがたをしている。

歓喜天

歓喜天

大聖歓喜天は祟りをもたらす鬼王ビナヤキャが、十一面観音の化身であるビナヤキャ女神を抱くことによって仏法守護の神となったものである。

上の絵ではわかりにくいが、大聖歓喜天は、ビナヤキャ女神が鬼王ビナヤキャの足を踏みつけるお姿であらわされる。
「足を踏みつける」というのは、ビナヤキャ女神がその性的魅力で、鬼王ビナヤキャを骨抜きにすることの比喩的表現だろう。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・大聖歓喜天
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・鬼王・ビナヤキャ

⑤フギ&ジョカは大聖歓喜天の影響をうけている?

ちなみに、中国のフギ&ジョカは、手が繋がったお姿をしておられるが、大聖歓喜天の影響を受けているのかもしれない。
あるいは、フギ&ジョカの影響をうけて大聖歓喜天が出来た可能性もある。

大聖歓喜天は女神が男神をふみつけているので足がつながっているようにみえるが、フギ&ジョカは足のかわりに手がつながっていて夫婦和合を表しているのではないだろうか。

フギ&ジョカ

ジョカ&フギ(二神は兄妹で夫婦とされる。)

⑥道祖神は大聖歓喜天、フギ&ジョカの影響を受けている?

道祖神は中国の神で、日本に伝わり、日本では猿田彦とアメノウズメの男女双体の神として信仰された。

道祖神

道祖神は上の写真のように、手をつなぎ合うお姿であらわされることが多いが
これは手をつなぎ合っているのではなく、アメノウズメによって猿田彦の手が押さえつけられているの図ではないかと思う。

ニニギはサルタヒコに道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に『猿田彦を彼の故郷の伊勢へと送り届け、猿田彦の名前を伝えて仕え祭れ』と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んだ。
(古事記)

この神話について、私は次のように解釈している。

❶猿田彦
猿田彦は「高天原(天)から葦原中国(国)でを照らす神」と記述がある。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。
天照国照彦火明櫛甕玉饒速日命(あまてるくにてる ひこ あめのほあかりくしみかたま にぎはやひ の みこと/ニギハヤヒ)である。
猿田彦とニギハヤヒは同一神ではないか。
また、女神のストリップダンスに興味を持つのは男神だ、よって女神・天鈿女のストリップダンスに興味を持って岩戸を出てきた天照大神は男神だとする説がある。天照大神を男神として祀っているところもある。
ニギハヤヒ(=猿田彦)が本当の天照大神ではないかとする説もある。

❷ 猿田彦の故郷は伊勢
伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮があり、1の説を裏付けとなる。

❸ 猿田彦の名前を伝えて仕え祭れ
ニニギは天鈿女に「性的に猿田彦につかえよ」と命じたのではないか。

❹ 猿田彦は比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んだ
 貝は女性器の比喩で、猿田彦は天鈿女のセックスに溺れて死んだということではないか。

道祖神は大聖歓喜天やフギ&ジョカの影響を受けていそうに思える。

⑦某伊織は鬼王ビナヤキャ、紫女はビナヤキャ女神のイメージ?

話をもとにもどそう。

燃灯祭の小松は男神(荒魂)、玉箒草は女神(和魂)で燃灯祭はこの二つをあわせることによって、荒魂を鎮める儀式なのかもしれない。

また某伊織は鬼王ビナヤキャ・紫女はビナヤキャ女神のイメージと重ねられているのかもしれない。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・大聖歓喜天
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神・・・・紫女
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・鬼王・ビナヤキャ・・・某伊織

つまり女神はその性的魅力で男神を骨抜きにした上で、男神の血を吸って、男神の祟る力を弱めてしまう存在と言えるかもしれない。




トンデモもののけ辞典㉖ 四ツ目小僧


①四ツ目小僧

一つ目小僧、3つ目小僧というのはよく聞くが、四つ目小僧という妖怪もいるようである。

四つ目小僧  Yotsumekozou よつめこぞう
地域・文化:日本・長野
東筑摩郡の妖怪。詳細は不明だが、文字通りの姿をしているのだと思われる。


⓶四ツ目小僧の正体は方相氏?

四ツ目小僧の正体は、方相氏ではないかと思う。

節分の日、京都・吉田神社の鬼やらい神事で私はこの方相氏に遭遇した。
まずは方相氏の姿を見ていただくことにしよう。

方相氏

吉田神社 鬼やらい神事

これって鬼じゃないの?
と思うかもしれないが、方相氏は鬼ではなく、法力で鬼をやっつけるスーパーヒーローである。
方相氏のあとにつづく10人の童子はシン子(シンの字は人偏に辰)と呼ばれている。

方相氏と鬼

方相氏の武器は手に持った鉾である。
といっても、鉾を武器として振り回すわけではない。
方相氏は鉾をかざすだけだ。
しかし、鬼は鉾の魔力にヘロヘロになって逃げていく。

京都の祭礼の行列では鉾がよく登場する。
鉾は武器として用いなくても、それ自体には鬼を祓う力があると考えられていたのだろう。

須賀神社 角豆祭(ささげまつり)

須賀神社 角豆(ささげ)祭 鉾

③方相を射る?

平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』と記されている。
なんと、鬼を追い払ってくれる正義のヒーロー、方相氏を射るというのだ。
ええーーっ?なんで正義のヒーローを弓で射て殺してしまうんだ?

④平安時代の追儺式に鬼は登場しなかった。

枕草子や源氏物語などに追儺式の様子が記されている。
それらの文献から、平安時代の追儺式は次のようなものだったと考えられている。

追儺式は戌の刻(午後八時頃)に始まる。
天皇は紫辰殿に出御し、陰陽師が祭文を読みあげる。
次に方相氏が二十人ほどのシン子を従えて登場する。
方相氏は四つ目の黄金の面を着け、真っ赤な衣装(或いは上が黒、下が赤とも)を纏う。
方相氏は大舎人の中から体格のいいものが選ばれた。
方相氏は矛と盾を持ち、矛を地面に打ち鳴らして『鬼やらい、鬼やらい』と唱えて宮中を歩き回る。
その後に殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続いた。
これは桃や葦にも邪気を祓う力があるとされていたためである。

ピンク色の文字の部分をよーく読んでみてほしい。
平安時代の追儺式に方相氏とシン子は登場するが、鬼は登場しないのだ。

岡野玲子さんの漫画『陰陽師』では、源博雅が宮中の追儺式の方相氏役をつとめるという話があるが
やはり追儺式に鬼は出てこない。

追儺式に鬼が登場するようになるのは、平安時代よりも後の時代になってからなのだろう。
吉田神社の鬼やらい神事は古式を残すものといわれるが、平安時代の追儺式には鬼はでてこない。
もしかすると吉田神社の鬼やらい神事は、平安時代より後の追儺式の形態を継承するものであるかもしれない。

⑤大寒の日、牛を牽く童子の像を立てる。

967年施行の延喜式には次のように記されている。

大寒の日、宮中の諸門に『牛を牽く童子の像』をたて、立春の前日=節分の日に撤去する。

なぜこのようなことをするのだろうか。
牛は干支の丑を表すものだと思う。
丑は12月を表す。そして童子は八卦で艮(丑寅)をあらわす符である。
丑は12月、寅は1月なので、艮(丑寅)は1年の変わり目をあらわす。
つまり、『牛を牽く童子』は、『丑(12月)を艮(丑寅/1年の変わり目)』で、目には見えない冬の気を視覚化したものなのではないかと思う。

角のある方相氏は牛ではないだろうか。
そしてシン子は童子なので、『牛を牽く童子=1年の変わり目』そのものではないか。
大寒の日、諸門に建てられた『牛を牽く童子の像』は冬の気をいっぱいに吸いこんだのち、節分に撤去される。
しかし、像の中に吸い込みきれない冬の気があると考えられ、方相氏とシン子は宮中を練り歩いてその体内に冬の気を吸い込んでいるのではないか。
そして方相氏がその体内に冬の気を十分に吸ったところで、
大江匡房の『江家次第』に『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とあるように、矢を射て殺してしまうということなのではないかと思う。

なんとも惨酷な習慣の様に思われる。

⑥『牛を牽く童子の像』は身代わり人形?

そして日本には『身代わり人形』『身代わり地蔵』などの信仰があった。
人形やお地蔵さまが人間の身代わりになって災難をうけてくれるという信仰である。

↓ こちらは京都・市比売神社・ひいなまつりの、人形に息を吹きかけて穢れを移す神事である。

市比賣神社 ひいなまつり


↓ こちらは下鴨神社の雛流し。
人形を川に流して、厄を祓うという神事だ。

下鴨神社 ひな流し

これらの行事は『身代わり人形』の信仰によるものだと言えるだろう。
『牛を引く童子の像も『身代わり人形』で、その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたのではないだろうか。

⑦方相氏は2体の牛が合体している?

さて、方相氏はなぜ四ツ目なのだろうか。

以前、ネットで以下のような内容の記事をよんだ。今、ぐぐっても見つからないのだが~。(すいません!)

(い)方相氏は中国の天神、蚩蚘(シュウ)ではないか。
(ろ)蚩蚘は炎帝神農氏の子孫であり、兵器を発明し、霧をあやつる力を持つ神。
(は)『帰蔵』は蚩蚘の姿を『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)、疏首(別れた首)』と記す。
(に)『疏首』というのは、首が二つあるということだ。
(ほ)蚩蚘とは二頭の獣が合体した神ではないか。
(へ)そう考えると蚩蚘が『八肱(八つの肘)、八趾(八つの足)』をもっていることの説明もがつく。
(と)『述異記』には『銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ』とある。
(ち)『四つの目』とあるのも二頭が合体しているのだろう。
(り)二頭を合わせると足は8本だが、人の体をしているので、8本の足のうち2本が脚で、残りの6本が手(腕)ということだろう。

『述異記』に『牛の蹄』とあるので、蚩蚘や方相氏は2頭の獣が合体したものと考えられるのではないだろうか。

⑧蚩蚘や方相氏は聖天さんと習合されている?

私は蚩蚘や方相氏は大聖歓喜天(聖天)習合されていると思う。

歓喜天

大聖歓喜天とは像頭をした男女双体のみほとけで、次のような伝説がある。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物だった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。 
群臣や人民が王に反旗を翻すと、王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去った。
その後ビナヤキャの祟りで国中に不幸なできごとが蔓延した。
十一面観音はビナヤキャ女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われ、女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言った。
ビナヤキャは仏法守護を誓った。

つまり、大聖歓喜天とは鬼王ビナヤキャ(=マラケラレツ王)とビナヤキャ女神(十一面観音の化身)の男女双体のみほとけなのである。

相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音の化身ビナヤキャ女紳とされる。

⑨御霊・和霊・荒霊と男神・女神

神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるという。

御魂・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説がある。
とすれば御霊は男女双体ということになると思う。

御霊・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

⑧にあげた大聖歓喜天の伝説は、この御霊・和魂・荒魂をあらわしたもののように思える。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体(聖天)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神(ビナヤキャ女神)
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神(ビナヤキャ)

蚩蚘や方相氏はもともと荒魂であったが、女神(和魂)と結合して御霊となったと考えられたのではないかと思う。
方相氏が四ツ目なのは、雄牛と雌牛が合体しているためであり、
それは御霊の形であって、御霊は人々の身代わりとなってくださるということではないだろうか。

⑩四ツ目は貴人の相

古代の中国では重瞳は貴人の相とされていた。
豊臣秀吉のほか、平清盛、源義経も重瞳だったと記した書物があるそうである。
中国で重瞳は貴人の相とされているのをうけて、事実ではないが、豊臣秀吉・平清盛・源義経らを重瞳であるという設定で物語が記されたのであろうと考えられている。

下記リンク先は中国の重瞳の貴人のひとり、 倉頡(そうけつ)の肖像画である。


倉頡(そうけつ)は漢字を発明したとされる伝説上の人物で、 重瞳四目といわれる。
帝舜・項羽も四つの目で描かれるそのだという。

彼らが四ツ目で描かれるのは彼らが御霊であり、人々の身代わりになる存在だからだろうか?

※有名なダビデ像も重瞳である。




トンデモもののけ辞典㉔ 箒神

ほうき

①葬式で鷺が箒を持つ役をする

箒の神といえばいくつか思い出すことがある。

古事記はアメノワカヒコの葬儀について、次のように記している。
ガンが死者の食物を持つ役を、サギが帚を持つ役を、カワセミが料理人を、スズメが臼をつく女を、キジが泣き女を担当した。

どうやら鳥と死は関係が深いと考えられていたようだ。
おそらく、死者の魂は鳥になって天上に向かうと古の人々は考えたのではないだろうか。

そして、この中にサギが箒を持つ役をしたとある。
なぜ葬式に箒が必用なのか。

式場を掃除するというよりも、穢れを祓う神具として、サギは箒をもっているのではないかと思う。

⓶帰ってほしい客人

京都では早く帰ってほしい客人があるときは、箒を逆さにして立てておくという。
帰ってほしい客人を穢れとみなし、箒でで祓い浄めるという意味もあるのだろうが
葬式の「箒持ち」を意味しているのかもしれない。

つまり、その客人の葬式のまねごとをすることで、客人の存在を消すという呪術ではないかということだ。

③高砂の尉は熊手を、姥は箒を持つ

高砂

山東庵京伝(山東京伝)著『絵本宝七種』(蔦屋重三郎刊、1804年)より「高砂」。

九州の阿蘇の神主・友成は都へ向かっていましたが、途中、高砂の浦へ立ち寄った。
友成は有名な高砂の松をさがしていると、尉が熊手を、姥が箒をもって掃除をしていた。
友成は尉と姥に「高砂の松と住吉の松は、遠く離れているのに、どうして相生の松というのですか?」と尋ねた。
尉は「相生の松は夫婦のようなもので、遠く離れていても心が通じ合うことから相生の松とよばれているのだ」と答え
姥は「松は一千年も緑色の葉を茂らせているので、おめでたいとされているのです」と答えた。
そして、「私たちは松の精。住吉で待っています」といって姿を消した。

高砂神社

高砂神社

住吉というのは大阪市住吉区にある住吉大社付近のことだろう。
現在、住吉大社は海岸から随分離れているが、かつては住吉大社の太鼓橋付近まで海が迫っていたという。
大和川が大量の土砂を運んできて、陸地が増えたのだそうだ。

住吉大社 太鼓橋

住吉大社

「おまえ百まで、わじゃ九十九まで 共に白髪がのはえるまで」という俗謡がある。

これは「高砂」をベースに作られた俗謡なのだろうか。
百は「掃く」
九十九までは「熊手」の掛詞になっているといわれる。

「ともに白髪がはえるまで」については、私は次のように考えている。

伊勢物語に九十九髪とかいて、白髪と読ませるものがある。
そのココロは
百ひく一は、九十九
百ひく一は、白

つまり、尉の「九十九」は「白」という意味につながる。

さらに姥の「百」は「掃く」=「ハク」=「白」となる。

つまり、九十九も掃くも白なので、「ともに白髪がはえるまで」となるのではないかと。

本題にもどろう。
住吉大社のホームページには、次のように記されている。

祓の神
住吉大神は伊邪那岐命の禊祓 (みそぎはらえ) の際に海中より出現されたので、神道でもっとも大事な「祓(はらえ)」を司る神です。 住吉大社の夏祭り「住吉祭」が単に「おはらい」と呼ばれ、大阪はもとより摂津国・河内国・和泉国ひいては日本中をお祓いする意義があるほど、古くより「祓の神」として篤い崇敬を受けてきました。


住吉大社は祓の神なのだ。
そして住吉で待っていると告げた尉と姥は高砂の神でもあり、また住吉の神でもあり
祓のため、箒と熊手をもっているのではないだろうか。

④土俵入り、出産祝い、妊婦、遺体と箒

相撲の土俵入りの際には呼び出しが箒で土俵を掃くが、これは単なる掃除ではなく、浄めの儀式であると考えられている。

赤ちゃんが産まれたときに、箒を贈る習慣や
妊婦の腹を箒で掃いたり、遺体の足の上に箒をおくなどの習慣があるが、これらも浄めの儀式だといえるだろう。

⑤上賀茂神社 燃灯祭 小松と玉箒草は夫婦和合を意味している?

上賀茂神社  燃灯祭

上賀茂神社 燃灯祭

上賀茂神社で燃灯祭が行われている。
御阿礼野(みあれの)で小松を引き、境内に戻り、土舎で引いた小松に玉箒草(燃灯草)を添えて紙に包むという神事である。

玉箒草(燃灯草)はアザミに似た紅紫色の花を8月から10月ごろに咲かせる。
玉箒草というのは古名で、現在は田村草と呼ばれている。

田村草の写真はこちら→ http://www.hana300.com/tamura.html

古名の玉箒は、花後に多数の実がつく様子が箒に似ているところからくるのではないか、そしてそれが転訛して田村草になったのではないかといわれている。
また、その花が美しい紫色なので、多くの紫色の花をつける草、多紫草から田村草になったのだという説もある。

万葉集に次のような歌がある。

紫は ほのさすものぞ 海石榴市の 八十のちまたに 逢へる子や誰
(海石榴市の辻で逢った貴女は、何というお名前ですか。)

紫色に布を染めるためには、椿の灰を媒染剤とした。
紫とは道で出会った女、灰汁は男のことで、男と目があったとたん、女がぱっと美しく瞳を輝かせた、というような意味だろうか。

こんな歌もある。

紫草(むらさき)のにほへる妹を憎くあらば 人妻ゆゑに我恋ひめやも.
( 紫草の紫色のように美しいあなたのことを憎いと思っているとしたら、どうして私はあなたのことがこんなに恋しいのだろうか。あなたは人妻だというのに)

大海人皇子(のちの天武天皇)が額田王に贈った有名な歌である。

この2首を鑑賞すると、恋する女が美しく瞳を輝かせるようすを『紫』といっているように思える。

つまり、玉箒草は恋する女だ。
すると、小松は男ということではないか。

玉箒草は箒、松は熊手ににているといえないだろうか。
とすれば、玉箒草は高砂の姥、小松は高砂の尉をあらわしているような気もする。

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⑥御霊・和霊・荒霊と男神・女神

神はその表れ方によって御霊・和霊・荒霊に分けられるという。

御魂・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして和霊は女神、荒霊は男神だとする説がある。
とすれば御霊は男女双体ということになる。

御魂・・・神の本質・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

⑦男女和合は怨霊を守護神にする呪術?

大聖歓喜天(聖天)という仏教の神は象頭の男女双体のおすがたをしている。

歓喜天

大聖歓喜天は祟りをもたらす鬼王ビナヤキャが、十一面観音の化身であるビナヤキャ女神を抱くことによって仏法守護の神となったものである。

小松は男神(荒魂)、玉箒草は女神(和魂)で燃灯祭はこの二つをあわせることによって、荒魂を鎮める儀式なのかもしれない。


トンデモもののけ辞典⑫ 猿神


猿神

『今昔物語集』の猿神退治

①猿神伝説

ウィキペディア「猿神」に記されている猿神伝説の記述を要約してまとめてみる。

❶『耀天記(ようてんき)』
漢字の発明者・蒼頡(伝説上の人物)「神の出現前に、釈迦が日本の日吉に猿神として現れ吉凶を示す」と知り、「申(さる)に示す」と意味で漢字の「神」を発明した。
蒼頡は釈迦の前世の姿で、釈迦が日吉に祀られると猿たちは日吉大社に集まった。

❷『日本現報善悪霊異記』
近江国野洲郡(現・滋賀県野洲市) の三上山の僧のもとにサルが現れて、
「自分はインドの王だったが生前の罪でサルに生まれ変わり、この神社の神となった」と語った。
『絵本太閤記』
豊臣秀吉の母が男子を授かるよう日吉神に願ったところ、体内に太陽が入る夢を見て秀吉を身ごもった。

❸妖怪の猿神『今昔物語集』「美作國神依猟師謀止生贄語」
美作国(現・岡山県)の中山の神である大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。
若い猟師が大猿退治をするため、少女の身代りとなってサル退治の訓練をつんだ犬とともに櫃に入って生贄となった。
そこへ身長7,8尺(約2メートル以上)の大猿が100匹ほどの猿を引き連れて現れた。
猟師は櫃から飛び出してサルたちを次々にやっつけた。
一匹残った大猿は宮司につき、「二度と生贄を求めないので許してくれ」といったので、猟師は大猿を逃がした。

❹『藤袋の草子』「室町時代)
近江国(現・滋賀県)の老人が畑を耕しながら「猿でもいいから、仕事を手伝ってくれた者を自分の婿にする」と言った。すると大猿が現れて畑仕事を手伝った。
翌日、大猿は老人の娘を奪って山へ連れて行った。
大猿は娘を藤袋に閉じ込めたが、大猿がその場を離れた隙に、貴族が娘を救いだした。
そして袋に犬を入れた。
戻ってきた大猿は犬に噛み殺された。

❺『太平百物語』(享保)
能登国(現・石川県北部)で、武士が化物屋敷の厠に入ると、何者かが尻を撫でた。
引きずり出して刺殺し正体を確認すると老いた猿だった。
屋敷の裏には猿に食われた人骨が無数にあった。

❻岡山県備前地方や徳島県那賀郡木頭地方
猿に憑かれた人は暴れ出す。その害は犬神より大きい。

⓶猿神と狒々は関係が深い

❸❹の話は以前にお話しした妖怪・狒々の話と類似している。

また❷に豊臣秀吉と日吉神の関係が記されているが、日吉大社の神使は猿である。

そして狒々を退治した岩見重太郎は、豊臣秀吉に仕えていた薄田隼人正兼相のことだといわれる。
役職名に隼人正とあるが、隼人とは古に九州南部に住んでいた民で、都に強制移住させられ、宮中の警備の仕事をさせられていた。
隼人たちは犬の鳴きまねをして警備をしていた。
そこから岩見重太郎=薄田隼人正兼相=隼人=犬
と発想されたと考えられる。

秀吉は容貌も猿に似ていたとされるので、犬猿の仲
(「秀吉=猿=狒々」「岩見重太郎=薄田隼人正兼相=犬」)という発想から、岩見重太郎が狒々を退治したという話が創作されたのではないか。
※ただし、物語としての設定であり、秀吉と薄田隼人正兼相が対立していたわけではない。

③猿丸大夫

猿の神については秀吉以外にも思い当たる人物がいる。猿丸大夫である。

猿丸大夫は生没年は不明だが、古今和歌集や百人一首に
奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき
という歌が掲載されている。
(ただし古今和歌集では「よみびとしらず」となっている。)

京都・宇治田原にこの猿丸大夫を祀る猿丸神社がある。
猿丸大夫は神なのである。

猿丸神社 

猿丸神社

④猿丸大夫の正体は志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称?

猿丸大夫は公的史料の名前がないため、本名ではないとする説がある。
梅原猛さんは「猿丸大夫=柿本猨=柿本人麿説」を唱えておられるが、
私は猿丸大夫とは志貴皇子、弓削浄人、道鏡の三人の総称ではないかと考えている。

これについては20回シリーズ 「謎の歌人・猿丸太夫の正体とは?」に詳しく書いたので、ここではできるだけ簡潔にその理由をまとめてみたいと思う。

❶猿丸神社には三番叟を舞う姿をした猿の像がある。

猿丸神社 狛猿

猿丸神社

また京都・日吉神社、京都御所の猿が辻などの猿像も三番叟の姿をしている。
どうやら、猿と三番叟は関係が深そうである。
※三番叟とは猿楽(猿楽は明治以降能と呼ばれるようになった。)・翁において、黒い翁面をつけて舞うもののことである。

おきな 三番叟

八坂神社 翁 三番叟

日吉大社猿

京都・新日吉神宮

❷奈良豆比古神社では猿楽「翁」とほぼ同じ内容の「翁舞」が奉納されている。
ただし、猿楽の「翁」は一人なのにたいし、「翁舞」の翁は三人である。

❸奈良豆比古神社の「翁舞」は同神社に伝わる次のような伝説に基づくものである。

壬申の乱で志貴皇子は異母兄弟・大友皇子側についたが、大友皇子は敗れて大海人皇子が天皇になった。(壬申の乱)
そのため乱後の志貴皇子は不遇だった。
その後、志貴皇子の第二皇子の春日王がハンセン病を患ってここ奈良坂の庵で療養した。
春日王には浄人王と安貴王という二人の子供があって、この兄弟が熱心に春日王の看病をした。
兄の浄人王は散楽と俳優(わざおぎ)が得意だったので、ある時、春日大社で神楽を舞って父の病気平癒を祈った。
そのかいあって春日王の病気は快方に向かった。

浄人王は弓をつくり、安貴王は草花を摘み、これらを市場で売って生計をたてていた。
都の人々は兄弟のことを夙冠者黒人と呼んだ。
桓武天皇は兄弟の孝行を褒め称え、浄人王に『弓削首夙人(ゆげのおびとしゅくうど)』の名と位を与えて、奈良坂の春日宮の神主とした。

奈良豆比古神社 三人翁

奈良豆比古神社「翁舞」

❹地元ではハンセン病を患ったのは春日王ではなく志貴皇子だという、もう一つの伝説と伝えられている。
志貴皇子は別名を春日宮天皇、田原天皇という。(追尊であり、実際に好意についていたわけではない。)
春日王は別名を田原太子ともいう。
志貴皇子と春日王は親子で全く同じ名前で呼ばれていたことになる。

志貴皇子・・・・・春日宮天皇・・・田原天皇
志貴皇子の子・・・春日王・・・・・田原太子

このようなケースはないと思う。志貴皇子と春日王は同一人物ではないか。

❺道鏡は志貴皇子の子とする史料がある。(『僧綱補任』『本朝皇胤紹運録』)
そして伝説では「浄人王に『弓削首夙人』の名と位を与えて」とある。
夙とは中世、畿内に住んでいたとされる賎民のことである。
つまり浄人王は皇族の身分から賎民=非人の身分にされ、名前は弓削浄人となったということだろう。
弓削浄人とは道鏡の弟の名前である。
少なくとも、奈良豆比古神社付近に住む人々は、志貴皇子、道鏡、弓削浄人は親子であると考えていたということだと思う。

❻志貴皇子の薨去年は正史では716年だが、万葉集詞書では715年となっている。
そのため、志貴皇子は715年に暗殺されたが、その死が1年ちかく隠されていたとする説がある。
また、笠金村がよんだ次の歌は、志貴皇子の死が隠されていることを想起させる。

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく。)

御笠山 野辺行く道は こきだくも 繁く荒れたるか 久にあらなくに
(御笠山の野辺を行く道は、これほどにも草繁く荒れてしまったのか。皇子が亡くなって久しい時も経っていないのに。)

白毫寺

志貴皇子邸宅跡と伝わる白毫寺には萩がたくさんうえられている。

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋はかなしき/猿丸大夫

猿丸神社

猿丸神社

この歌は楓の紅葉を歌った歌ではない。

古今和歌集は隣あった和歌は同じ語句が用いられている。

214. 山里は 秋こそことに  わびしけれ しかのなくねに めをさましつゝ/忠岑
215.奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき/読み人知らず
216 秋はぎに うらびれをれば  あしひきの 山したとよみ 鹿のなくらむ/読み人知らず

214番と215番の歌は「山」「秋」「鹿」「なく」という言葉でつながっている。
215番と216番の歌は「秋」「鳴く」「鹿」が同じだ。
しかし、「秋」でつながっているとするのではなく、「紅葉」と「秋はぎ」でつながっているとみられている。
つまり、215番の歌に「紅葉」とあるのは楓ではなく、萩の黄葉だということになる。

『定家八代抄』では次のような順番で歌が掲載されている。
a.下もみぢ かつ散る山の 夕時雨 濡れてや鹿の 独り鳴くらん
b.奥山に もみぢ踏みわけ 鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき
c.秋萩に うらびれ居れば あしびきの 山下とよみ 鹿の鳴くらん

こちらも古今和歌集と同じように語句で歌と歌がつながっているようである。
(番号もつけられているのかもしれないが、わからないので、仮にabcとしておく。)

「もみぢ」を『萩の黄葉」と考えれば、「奥山に」の歌は志貴皇子の死を悼んだ次の歌と対応しているように思える。
高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
(高円山の野辺の秋萩は、むなしく咲いて散るのだろうか。見る人もなく)

❽道鏡を寵愛していた称徳天皇が崩御すると、道鏡は流罪となった。
道鏡の流罪先の下野には二荒山神社があり、かつて猿丸社とも呼ばれており、二荒山神社神職・小野氏の祖である小野猿丸が猿丸大夫だとする説もある。

二荒山神社

二荒山神社

二荒山神社の隣には日光東照宮があるが、そこには有名な三猿のレリーフがある。

日光東照宮 三猿

日光東照宮

❾道鏡が流罪になったとき、道鏡の弟の弓削浄人は土佐に流罪になった。
高知県高岡郡佐川町・猿丸峠に猿丸太夫の墓があり、次のように記されている。

佐川町指定文化財 猿丸太夫伝説の墓
元従二位大納言弓削浄人(猿丸太夫)は、位人臣を極めた兄弓削道鏡の失脚により、土佐の地に流され、ここ猿丸山に居住したといわれている。
佐川における猿丸太夫(弓削浄人)の墓の伝説は、彼の流罪の年、宝亀元年(770)から数えて千二百年余りを経ていて奈良朝時代から夢の跡が長く伝わっているのは他にない。

平成四年三月一日建立
高知県文化財保存事業
佐川町教育委員会

❿猿丸神社境内には「猿丸太夫故址」としるされた石柱があり、猿丸神社からそう離れていない場所に大宮神社があり、その境内に「田原天皇社舊(旧)跡」がある。
田原天皇とは志貴皇子のことである。
宇治田原は志貴皇子と関係の深い土地であり、宇治田原に志貴皇子の陵墓があったとも伝えられている。

猿丸神社 境内

猿丸神社

田原天皇旧跡2

田原天皇社舊(旧)跡

③猿神=道鏡は称徳天皇と男女の仲だった。ゆえに猿神=女好き?

❸の美作国(現・岡山県)中山の神の大ザルは年に一度、人間たちに女性の生贄を求めていた。
❹の近江国の猿は老人の娘をさらったが、最後は犬に書き殺されている。

犬の早太郎が狒々を退治したという伝説があり、やはり猿神と狒々はかなり伝説がかぶっているようである。
女好きという点でも、猿神と狒々は共通している。

さて、猿神はなぜ女好きだと考えられたのだろうか。
その理由はいくつか考えられる。

猿神とは志貴皇子・道鏡・弓削浄人の総称だと私は考えているのだが
このうちの道鏡は、一般に称徳天皇(女帝)の寵愛を受けていたと考えられている。

井沢元彦さんは「逆説の日本史」の中で、道鏡と称徳天皇は男女の仲ではなかったとしておられる。
図書館で借りて読んだので、今手元に本がないが、
当事は鑑真が戒律を持ち込んだばかりであり、称徳天皇も戒律を受けている。
また道鏡は法王という身分であり、そのような身分の人が戒律をおかすはずがない。
寵愛を受けていたとするのは、藤原氏が流したデマだ、というような内容であったと思う。

私はこの説を支持しているが、それはひとまずおいておく。

猿神=志貴皇子・道鏡・弓削浄人
その中の一柱である道鏡は、称徳天皇と男女の仲だった。
∴ 猿神=女好き

このような連想から、猿神は女好きとされたのかもしれない。

④男女和合は荒神(男神)を鎮める呪術?

もうひとつ考えられることは、男女和合は荒神(男神)を鎮める呪術だったのではないか、ということだ。

神はその現れ方によって3つに分けられるといわれる。

御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして、男神は荒魂を、女神は和魂を表すといわれる。
とすれば御霊は男女双体の神と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

大聖歓喜天(聖天)は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説がある。
人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれし、ビナヤキャ女神に結婚を申し込んだ。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といった。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれた。

歓喜天

歓喜天

大聖歓喜天の、足を踏みつけているほうがビナヤキャ女神、足を踏まれているほうがビナヤキャとされる。

この説話は御霊、和魂、荒魂の性質をうまく表していると思う。
すなわち、男神である荒魂は、女神である和魂に足をふみつけられて、動けない状態にされている。
これが「神の結婚」の意味なのだと思う。

つまり猿神が女好きということは、猿神(猿丸大夫)はそれだけ祟る神だったということである。





トンデモもののけ辞典⑧ 鬼八

①高千穂神社の鬼八伝説

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宮崎県・高千穂神社に「鬼八伝説」が伝えられている。

鬼八は足がたいへん強く、昼間は辺り一帯を荒らしまわりった。
人々は鬼八の行いに困り果てていたので、御毛沼命は鬼八を退治を決意した。

鬼八は夜になると窟に隠れてしまう。
そこで御毛沼命はは沈もうとしていた夕陽を呼び戻して鬼八をまちぶせた。
そこへ鬼八が現れたので、御毛沼命は鬼八を剣で切って殺した。
そして、鬼八の死体をばらばらにして地中に埋めまた。

ところが鬼八は一夜のうちに蘇ってもとの姿に戻り、土地を荒らしまわった。
そこで田部重高という者が鬼八を殺し、頭を加尾羽(かおば)に、手足を尾羽子(おばね)に、また胴を祝部(ほうり)の地にそれぞれ分葬した。
そうしたところ、鬼八は蘇生しなくなった。 

ところが、鬼八は死んだ後も地下で唸り声をあげ、霜を降らせて村人を困らせた
村人は鬼八申霜宮という祠をたてて鬼八の霊を祀った。
また毎年16歳の生娘を人身御供として鬼八の霊にささげていた。

天正年間(1573-93年)、生娘のかわりに猪がささげられるようになり、猪掛祭(12月3日)と呼ばれるようになった。

神前に猪をささげ、『鬼八眠らせ歌』を歌いながら笹を左右に振る『笹振り神楽』を舞うと、
霜を降らせる鬼八は、霜害を防ぐ霜宮に転生すると信仰された。

⓶鬼八は冬の太陽の光?

これは「足がはやくて、昼間は辺り一帯を荒らしまわり、夜になると窟に隠れ、死体がバラバラにされても一夜のうちに蘇り、霜害をもたらすものはなあに」という謎々だと思う。

その答えは「冬の太陽の光」だろう。

宮崎県2022年の夏至の日(6月21日)の日の出時刻は 05時09分、日の入時刻は 19時24分
宮崎県2022年の冬至の日(12月22日)の日の出時刻は7時11分 、日の入時刻は17時16分
である。

夏至の日の日照時間は14時間15分、冬至の日の日照時間は10時間5分なので、その差は4時間10分である。

「足がはやい」とは、冬の太陽が夏の太陽に比べて遅く出て、早く沈むことを言っていると思う。

「昼間は辺り一帯を荒しまわり」というのは、冬の日照時間が短くて、霜で農作物の収穫に害がでることを言っているのだろう。

太陽の光は「夜になると窟に隠れ」、ばらばらにしても、翌日また太陽が昇れば太陽の光も復活する。

③なぜ鬼八に猪をささげるのか?

猪は陽炎を神格化した摩利支天の神使とされている。

摩利支尊天(建仁寺) 狛猪

建仁寺塔頭 禅居庵 摩利支尊天堂の狛猪

摩利支天の原語は Marīciで、太陽や月の光線を意味するが、陽炎を神格化したものとされる。

陽炎について、ウィキペディアは次のように記している。

陽炎とは、局所的に密度の異なる大気が混ざり合うことで光が屈折し、起こる現象。よく晴れて日射が強く、かつ風があまり強くない日に、道路のアスファルト上、自動車の屋根部分の上などに立ち昇る、もやもやとしたゆらめきのこと。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%BD%E7%82%8E_(%E6%B0%97%E8%B1%A1%E7%8F%BE%E8%B1%A1) より引用

陽炎は太陽光線によっておこるものなので、Marīci=摩利支天は太陽の光の神、と考えてよいのではないだろうか。

すると、「冬の太陽の光」の神である鬼八に、「太陽の光」の神である摩利支天の神使・猪をお供えしていることになる。

その理由は2つ考えてみた。

①死んだ猪を鬼八の神前に並べることによって、鬼八に「自分はすでに死んでいる」ということを思い知らせることを目的としている。

⓶猪の神・鬼八に、同じ猪の女神をお供えしているのかもしれない。

猪をお供えする以前には生娘を人身御供としていたので⓶のほうがありえそうだろうか。

④男女和合は荒魂を和魂に転じる呪術?

神はその現れ方によって3つに分けられるといわれる。

御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして、男神は荒魂を、女神は和魂を表すといわれる。
とすれば御霊は男女双体の神と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神

大聖歓喜天(聖天)は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説がある。

人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれし、ビナヤキャ女神に結婚を申し込んだ。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といった。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれた。

大聖歓喜天の、足を踏みつけているほうがビナヤキャ女神、足を踏まれているほうがビナヤキャとされる。

歓喜天

この説話は御霊、和魂、荒魂の性質をうまく表していると思う。

すなわち、男神である荒魂は、女神である和魂に足をふみつけられて、動けない状態にされている。
これが「神の結婚」の意味なのだと思う。

冬の衰えた太陽の光の神である鬼八は、女神によって脚をふみつけられることによって、動けない状態にされているということなのかもしれない。


太陽の木 と 月の木⑳ 榎木は「愛の木」で太陽と月が和合した木?




①大阪にも鎌八幡宮があった。

大阪にも鎌八幡宮と呼ばれている寺がある。円珠庵である。

円珠庵のホームページには次のように由来が記されている。

遠い昔、このあたりは三韓坂と言われた古道で、そのわきに一本の榎の霊木があり、人々の信仰を集めていた。
 下って、大阪冬の陣のとき、真田幸村がこの土地に陣所を構えたが、この信仰を聞き伝えて、鎌を打ちつけ、鎌八幡大菩薩と称して祈念したところ、大いに戦勝をあげたと伝えられている。
 江戸時代初期には、この鎌八幡の境内に、国文学者として有名な高僧契沖阿闍梨が居を定め、円珠庵と称した。契沖は、ここで万葉代匠記や和字正鑑要略を著し、国文学の研究に専念すると同時に、深く鎌八幡を信仰した。この頃から「鎌八幡」は「祈とう寺」として、人々の信仰が広まった。
 大正11年に、境内全域が大阪市では最初の国の史跡指定を受けたが、境内の大部分は、戦災で損壊したあと復興したものである。その間、霊木は蘇生し、絶えなる信仰と多くの霊験が得られている。


この近くには真田幸村の陣所と伝わる真田丸跡、三光j神社境内には、真田の抜け穴などもあった。

真田丸顕彰碑

真田丸顕彰碑

大坂三郷

〇で囲んだ部分が真田丸

真田の抜穴

円珠庵境内は撮影禁止となっているので写真はないが、丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)同様、大量の鎌が御神木につきたてられており、長い箒状の注連縄がはられていた。

⓶大阪の鎌八幡宮の御神木はイチイガシではなく榎木だった。

円珠庵由緒で気になるのは、御神木が榎木と記されている点だ。
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)では櫟樫に鎌がつきたてられていたが
円珠庵では榎木に鎌がつきたてられているのだ。

鎌八幡 大阪

円珠庵(鎌八幡)

上の写真の、黄色い葉をつけているのが榎木である。

榎木は落葉樹で、落葉する前には黄色く色づく。
私が円珠庵を訪れたのは12月半ば過ぎで、紅葉の見ごろは過ぎたころだったが
まだわずかに葉が残っていた。

私は丹生酒殿神社の御神木のイチョウは太陽、
丹生酒殿神社摂社の鎌八幡宮、兄井の鎌八幡宮(元鎌八幡宮)の御神木・櫟樫は月であらわすのではないかと考えた。

丹生酒殿神社 いちょう

丹生酒殿神社 イチョウ

鎌八幡宮1

兄井 鎌八幡宮(元鎌八幡宮) イチイガシ ↑ ↓

鎌八幡3


西福寺

上は熊野勧心十戒曼荼羅だが、向かって右の黄色の丸は太陽、向かって左の灰色の丸は月を表していると思う。
そしてイチョウの落葉前の葉の色は黄、櫟樫の暗い緑色は灰色のように見えるので、
イチョウは冬至に向かって衰えていく太陽を、櫟樫は月をあらわし、三日月の形をした鎌を突き立てるのだろうと考えた。

しかし天寿庵の鎌を突き立てられている榎木は、常緑樹の櫟樫よりは、落葉樹のイチョウににている。

これはどう考えれば辻褄があうのか。

③榎木は太陽のイメージ。

信仰の形はひとつとは限らない。
むしろ、信仰にはさまざまなバリエーションがあると考えたほうが自然だろう。
(イチョウ=冬至に向かって衰えていく太陽、櫟樫=月)と考える信仰とは別の信仰があってもおかしくはない。

黄色く色づいて落葉する榎木は樹形も丸く、冬至に向かって葉をちらしていく様子は公孫樹と同じく、冬至にむかって衰えていく太陽のイメージがある。
ここに、月をイメージさせる鎌を打ち込むことで、古い太陽を完全に殺し、冬至以降、復活する(南中高度をあげ勢いをます)太陽を迎えるという儀式だったりして?

太陽と月が重なる現象である日食は、太陽の光をさえぎって、世の中を夜のようにしてしまう。
そういう意味で、月は太陽を殺す存在と考えられてたのかもしれない。

④男女双体の神

神はその現れ方によって3つに分けられるといわれる。

御霊・・・神の本質
和魂・・・神の和やかな側面
荒魂・・・神の荒々しい側面

そして、男神は荒魂を、女神は和魂を表すといわれる。とすれば御霊は男女双体の神と言うことになると思う。

大聖歓喜天は象頭をした男女双体の神で、次のような伝説がある。

人々に祟りをもたらしていたビナヤキャは十一面観音の化身であるビナヤキャ女神に一目ぼれし、ビナヤキャ女神に結婚を申し込んだ。
ビナヤキャ女神は「仏法守護を誓うならあなたと結婚しましょう」といった。
ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神と結ばれた。

大聖歓喜天の、足を踏みつけているほうがビナヤキャ女神、足を踏まれているほうがビナヤキャとされる。


この説話は御霊、和魂、荒魂の性質をうまく表していると思う。

すなわち、男神である荒魂は、女神である和魂に足をふみつけられて、動けない状態にされている。

これが「神の結婚」の意味なのだと思う。

榎木は雄花と雌花をもつ雌雄同体の植物で、4月から5月ごろ、葉の根元に小さな花をつける。

そして10月ごろ、黄葉した葉の後ろに、直径5 - 6ミリメートル (mm) の丸い実をつけるのだという。

雌雄同体である榎木は、この歓喜天のイメージがある。

古には「愛」は「え」と呼んだ。
榎木(エノキ)の語源は、「愛(え)の木」であり、太陽と月が和合した樹であると考えられたのかもしれない。

鎌八幡 大阪2


そして、この鎌八幡宮の神紋は、二つの鎌が交差する形であり、これは聖天さんの違い大根の紋に似ている。


待乳山聖天


待乳山聖天


交差する形は、男女和合を表しているようにも見える。

へつづく~


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太陽の木 と 月の木① 太陽は赤色ではなく、黄色






惟喬親王の乱㉓ 宝山寺『聖天さんに油をかけるのは何のため?』

トップページはこちらです→惟喬親王の乱① 東向観音寺 『本地垂迹説』  
惟喬親王の乱㉒ 磐船神社『ニギハヤヒと神武の争い』 よりつづきます~

「小野小町は男だった」もよかったらよんでみてね。


宝山寺2

宝山寺本堂

①宝山寺(生駒聖天)

宝山寺は、655年に役行者が開いたといわれ、都史陀山 大聖無動寺(としださん だいしょうむどうじ)と言う寺名であったそうだ。

本堂の後ろにあるのは般若窟で、弥勒菩薩像などが祀られている。
他にお堂などもあるそうだが、うっかりしていて気がつかなかった。(汗)

役行者がここに般若経をおさめたとか、葛城・金剛の山々修業していた18~20才のころ、生駒山の般若窟に立寄り、捕らえた前鬼・後鬼を般若窟に閉じ込めて改心させたという伝説も残されている。
近くには鬼取という地名があるが、鬼取の地名の由来は役行者が前鬼後鬼を取り押さえたところからくるともいわれている。
前鬼後鬼は夫婦の鬼で、悪さばかりしていたので役行者が彼らの子供を隠し、会心させたのだという。

平安時代には空海もここで修行をしたと伝わる。

また江戸時代、延宝6年(1678年)に湛海律師が再興し、歓喜天を祀った。
宝山寺は生駒聖天ともよばれ、聖天さんのイメージが強いが、ここに聖天さんが祀られるようになったのは江戸時代だったのである。

宝山寺 多宝塔

多宝塔

宝山寺 多宝塔 内部

多宝塔内部。写真撮影ok~。日曜日は開扉していますよ。


⓶生駒山はニギハヤヒの土地だった?

http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-278.html
↑ こちらの記事に、奈良の「県民だより 平成23年 1月号」に次のような、奈良の昔話が掲載されていると記されている。
(引用させていただいます。ありがとうございます。)

生駒山の夜叉と湛海さん

生駒山の巨大な岩壁の般若窟(はんにゃくつ)には、役行者の作といわれる不動尊と弁財天の仏像が祀られていた。
山麓の村人は「この古仏を守ってくれる方がいたら山を寄進する」と、修験僧でもあった湛海さんにお願いした。
実は、山には恐ろしい悪霊(あくりょう)が棲(す)んでいたらしい。
延宝六年(一六七八)、湛海さんは菜畑(なばた)村の庄屋の案内で山に入った。
岩をよじ登り般若窟に立つと、奇石が峨峨(がが)として聳(そび)え立つ断崖であった。
湛海さんは石を取り除き、座禅する場所をこしらえた。
ここに籠(こ)もって三、四日過ぎた夕暮れ、突然、怪力の夜叉が組み付いてきた。
夜叉は黒く大きく、肌は岩のように硬くゴツゴツし、毛髪は鉄の針のように鋭く尖っていた。
夜叉は「ここは俺の住まいだ。早く立ち去れ」と言った。
湛海さんが「南無不動明王(なむふどうみょうおう)」と念じると、その腕力は夜叉の数十倍に変化し、夜叉は逃げ去った。
その後、湛海さんは、生駒山には岩船大明神(いわふねだいみょうじん)が住み、山の北にその神が降臨した岩船谷があると聞いて参詣した。
すると岩船の岩肌が、襲ってきた夜叉の肌と大変よく似ている。
この時、大明神が夜叉となって現れたことに気づいた。
今も般若窟には岩船大明神を祀る小社がある。

岩船大明神とは、磐船神社のことだろう。
磐船神社は前回の記事惟喬親王の乱㉒ 磐船神社『ニギハヤヒと神武の争い』 で紹介した。
宝山寺と磐船神社の距離は約7kmほどである。

磐船神社は物部氏の祖神・ニギハヤヒを祀る神社で本殿はなく、天の磐船と呼ばれる巨岩を拝殿より直接拝む。
つまり岩船大明神とはニギハヤヒのことであり、ニギハヤヒが悪霊であり、夜叉であったという話だと思う。

また①に書いた役行者の話を思い出してほしい。

「役行者がここに般若経をおさめたとか、葛城・金剛の山々修業していた18~20才のころ、生駒山の般若窟に立寄り、捕らえた前鬼・後鬼を般若窟に閉じ込めて改心させた」という伝説があるのだった。

この前鬼・後鬼もニギハヤヒの化身であるのかもしれない。

宝山寺3

西門付近から聖天堂拝殿、本堂を望む。

男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術?

宝山寺 聖天堂

写真左にあるのは聖天堂拝殿である。
この後ろに聖天堂がある。
わかりにくいが、鳥居には「歓喜天(聖天さんのことを歓喜天ともいう。)」と記されていた。

聖天さんは仏教の神である。
その仏教の神を祀る聖天堂に神道のような拝殿があったり、鳥居があるのは初めてみた。

聖天さんとは鬼王ビナヤキャと十一面観音の化身であるビナヤキャ女神がい抱き合う男女双体の神で
もともとインドの神であったのが仏教にとりこまれた。

聖天さんには次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。


↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。

この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神


男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術だったのではないだろうか。


宝山寺 聖天堂2

聖天堂拝殿

④聖天さんのシンボルが違い大根なのはなぜ?

聖天さんのシンボルは違い大根と巾着である。
なぜ聖天さんのシンボルは違い大根と巾着なのか?

大根は聖天さんの好物だからとよくいわれる。
しかし、なぜ聖天さんは大根が好物だとされているのか。

大根は直根の先端にある生長点が石ころなどにあたると、側根が肥大して二股になってしまうことがよくあるそうである。
古の人々は二股の大根を、二本の大根がくっついていると考えたのではないだろうか。
それで大根は好物というよりも、男女双体の聖天さんにふさわしいシンボルであると考えられたのではないか、と思ったりする。

宝山寺 巾着

聖天堂拝殿前に置かれた大根が描かれた巾着袋

⑤聖天さんのシンボル、巾着袋の中には何が入っている?

次にもうひとつの聖天さんのシンボル、巾着について考えてみたいが、
その前に聖天さんの頭が象になっている理由についてみてみよう。

これは聖天さんがビナヤキャ&ビナヤキャ女神のほかに、ガネーシャという神様が聖天さんに関係しているからだと言われている。

ガネーシャは母親のパールヴァティーに命じられて、彼女の入浴の見張りをしていた。
そこへシヴァが戻ってきた。
ガネーシャはシヴァが自分の父だと知らず、入室を拒んだがめ、シヴァは怒ってガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨ててしまった。
その後、シヴァはガネーシャが自分の子供だと知り、ガネーシャの頭を探しに出かけたが見つからなかった。
そこで象の首を斬り落として持ち帰り、ガネーシャの体につけて生き返らせた。


ガネーシャは斬首されて殺され、象の首をつけることで生き返った神なのである。
ガネーシャはドクロの神だといってもいいだろう。

そして弥勒菩薩の化身と言われる布袋は手に大きな巾着袋をもっている。

萬福寺 布袋   

布袋は死後にその姿を見かけられたという伝説がある。
おそらく布袋は双子だったのだと思うが、布袋の死後に布袋の姿を見た人は、布袋は生き返ったと考えたのだろう。

上の写真は京都・萬福寺の布袋像ですが、手に巾着袋のようなものを持っている。
この風呂敷包みはちょうどヒトのドクロが入っていそうな大きさである。

真言立川流では髑髏に漆や和合水を塗り重ねて髑髏本尊を作り、これを袋に入れて7年間抱いて寝ると髑髏が生き返って語りだすとしている。
聖天さんのルーツとされるガネーシャも体に象の頭部をくっつけることで復活しており
昔の人は髑髏は復活にかかせない呪具であると考えていたのではないかと思う。

つまり、聖天さん=ガネーシャでもあり、首を斬られたが復活した神、ということでそのシンボルが髑髏の入った巾着と言うことではないかと思うのだ。

宝山寺 大根と巾着の額

⑥聖天さんに欲油するのは聖天さんをミイラ仏にするため?

とそこまで考えて、離宮天満宮を思い出した。惟喬親王の乱⑲離宮八幡宮 紅葉 『搾油器を発明した神官の正体とは?』  

貞観年間(859~877年)、離宮八幡宮の神官が神示を受けて「長木」と呼ばれる搾油器を発明し、荏胡麻(えごま)油(神社仏閣の燈明用油)が作られるようになったと伝わっているのだった。

その搾油器を発明したと伝わるのは、惟喬親王ではないかと私は考えた。
惟喬親王は木地師が用いるろくろを発明したと伝わるのだが、その長木のひもを巻き付ける構造が少しろくろに似ているように思ったからだ。
長木の図 
離宮八幡宮 説明板より

ろくろ 

木地師の里 ろくろ


そして「惟喬親王は虚空蔵菩薩より漆の製法を授かった」という伝説もあるが、これは入定する際、漆のお茶を飲むことと関係がありそうに思える。
(漆を飲むことで胃の中のものを吐き出し、また漆の防腐作用で腐りにくい体になるという。)
惟喬親王の乱⑭ 法輪寺 重陽神事 『惟喬親王、菊のしずくを飲んで不老長寿を得る?』 

調べてみると古代エジプトのミイラで防腐剤が使用されていたということがわかった。

英ヨーク大学の考古学者スティーブン・バックレー博士によると
現在、イタリア・トリノのエジプト博物館に保管されている古代エジプトのミイラは次のようなレシピから作られる防腐剤を使用されているという。

●植物性油:おそらくゴマ
●植物か根からの「バルサム(樹脂の一種)のような」抽出液:ガマ属の植物由来とみられる
●植物性ののり:アカシアから抽出されたとみられる糖
●針葉樹の樹脂:おそらく松ヤニ

樹脂を油と混ぜると殺菌特性が備わり、遺体を腐敗から守ってくれる。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45204722


すると、離宮八幡宮の神官(惟喬親王のことか?)が搾油器を発明したという伝説は、その油と松脂などの樹脂をまぜて防腐剤として用いたことから生じた伝説なのかも、と思ってしまう。

さらに、阿弥陀寺には体質を樹脂質化したとされる弾誓のミイラ仏が安置されている。

惟喬親王の乱⑱阿弥陀寺 『体質を樹脂化するとは?』 

聖天さんに欲油祈祷するのは、聖天さんをミイラ仏とするためだったりして?

現代人は心臓が動き、息をしていることを生きていると認識する。
しかし古代人は肉体が腐らないことを永遠の命と考えたのではないかと思う。
というのは、「即身仏になる目的は56億7000万年後、弥勒菩薩があらわれるとき、復活してその聖業に参加するためだった」と聞いたことがあるからだ。

魂が復活するためには魂の入れ物である肉体が必要だと考えられていたのかもしれない。

そう思って見上げると、般若窟には弥勒菩薩像があった。
弥勒菩薩と聖天さんはどちらも復活するみほとけということで、関係が深そうに思えた。

宝山寺 

般若窟には弥勒菩薩像が祀られていた。


宝山寺 浴室

浴室もあった。御坊様が使われるのだろう。

 

惟喬親王の乱㉔ 広河原 松上げ 『ペルセウス座流星群とお盆』 に続きます~

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[ 2020/09/29 ] 惟喬親王の乱 | TB(0) | CM(0)

私流 トンデモ百人一首 6番 …『大伴家持、白い神から黒い神に転じる?』


鵲の 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける/大伴家持
(鵲が渡す橋に霜がおりて白く輝いているところを見ると、夜がすっかり更けてしまったようだ。)


祇園祭 山鉾巡幸 黒主山2

祇園祭 黒主山

①草紙洗い

7月17日、祇園祭山鉾巡行。(写真は過去のもので、現在、黒主山は 7月24日の後祭で巡行)
祇園囃子の音色とともに山鉾が、大路をがゆっくりと進んでいく。
豪華な装飾品で飾り立てられた山鉾のようすから、山鉾巡幸は『動く美術館』とも称される。
そんな山鉾の中に、桜を見上げるひとりの老人をご神体とする山がある。
黒主山である。

祇園祭 黒主山 御神体 

黒主山 御神体

謡曲に志賀という演目がある。黒主山はその謡曲・志賀をモチーフとした山である。

今上天皇に仕える臣下が江州志賀の山桜を見ようと山道を急いでいたところ、薪に花を添え花の陰に休む老人と男に出会った。
この老人が大友黒主で、和歌の徳を語って消え去るが、臣下の夢の中に現れて舞を舞う。(志賀)


桜を見上げる老人は六歌仙の一人、大伴黒主だったのである。

大友黒主が登場する謡曲には『志賀』の他にも『草紙洗い』という演目がある。

小野小町と大伴黒主が宮中で歌合をすることになった。
歌合せの前日、大伴黒主は小町の邸に忍び込み、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きした。
「蒔かなくに 何を種とて 浮き草の 波のうねうね 生ひ茂るらん 」
(種を蒔いたわけでもないのに何を種にして浮草が波のようにうねうねと生い茂るのでしょうか。)
当日、紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが列席して歌合が始まった。
小町の歌は天皇から絶賛されるが、黒主が小町の歌は『万葉集』にある古歌である、と訴えて、万葉集の草紙を見せた。
ところが小町が草紙に水をかけると、その歌は水に流れて消えてしまった。
黒主は昨日盗み聞いた小町の歌を万葉集の草紙に書き込んでいたのだった。
策略がばれた黒主は自害を謀るが、小町がそれをとりなして和解を祝う舞を舞う。(草紙洗い)


志賀では和歌の徳を説く神として登場し、草紙洗いでは小野小町の邸に忍び込む卑怯な男として登場する大友黒主。
いったい、彼はどのような人物だったのか。

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山

祇園祭 黒主山

②大友黒主は大伴家持だった?

大伴黒主は遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町らとともに六歌仙の一である。
六歌仙とは「古今和歌集仮名書」において、名前をあげられた6人の歌人のことをいう。
古今和歌集仮名書とは仮名で記された古今和歌集の序文で、紀貫之が記したと考えられている。
ただし、仮名序やには六歌仙という言葉は使われていない。
後の世になって真名序及び 仮名序に名前をあげられた六人の歌人のことを六歌仙というようになったと考えられている。

古今集仮名書は大友黒主について次のように記している。

大友黒主は そのさまいやし
いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし

(大友黒主はその様子が賎しい。
薪を背負う山人が花の影に休んでいるかのようだ。)

『志賀』では大友黒主は花(桜)の影に休む老人として登場するが、それはこの古今和歌集仮名書の文章を受けたものだと考えられる。

大友黒主は大伴黒主とも記され、小説家の井沢元彦氏は政治的に不幸だった大伴一族の霊のことではないかと言っておられる。

大伴家持は藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、すでに死亡していたのだが、死体が掘り返されて流罪となった。
子の永主や大伴継人も隠岐へ流罪となった。
その後、応天門の変によって伴善男らが失脚するなどして、大伴氏は歴史の表舞台から姿をけした。
(※淳和天皇の名前が大伴親王だったので、これに憚って大伴氏は伴と氏を改めていた。)

古今集には仮名書のほかにもうひとつの序文「真名序」とよばれる漢文で記された序文がある。
仮名序は紀貫之が、真名序は紀淑望(きのよしもち)が書いたとされている。
仮名序と真名序の内容はほとんど同じだが、微妙に表現が違っている箇所もある。

たとえば、仮名書では
大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。
となっているが、真名序は次のようになっている
大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。(読み下し文)

真名序に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』 とある。
これはどういう意味だろうか。

仮名序を書いた紀貫之は古今伝授の創始者であるという。
古今伝授とは紀貫之より代々伝えられた和歌の極意のことで、伝授する人物は和歌の第一人者に限られ、伝授の方法は主に口頭で行われた。
和歌の極意を文章に記さず口頭で伝えるのは、情報が漏洩しないようにするためだろう。

鎌倉時代には藤原定家が、父親であり師匠であった藤原俊家から古今伝授を受けている。
百人一首のそれぞれの歌には1から100までの番号が振られている。
もしかしたら定家は『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』という仮名序の文章を受けて、百人一首において大友黒主の正体を明らかにしているのではないか、と思ったのだ。
つまり、猿丸大夫の次の歌人が、大友黒主ではないかと。

八坂神社 かるた始め 

八坂神社 かるた始め

私は百人一首を調べてみた。
百人一首では猿丸大夫は5番だった。
その次・・・6番は大伴家持だった!

③大友黒主と大伴家持はほとんど同じ歌を詠んでいる。

大友黒主と大伴家持はよく似た、というよりもほとんど同じ歌を詠んでいるのだ。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)

白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法のことを『本歌取り』という。
本歌取りで大切なのは、古い歌をベースにしながら、あくまでもオリジナリティのある歌を詠むことである。
大友黒主の歌は大伴家持の歌とほとんど同じ意味なので、本歌取りではない。

ほとんど同じと思われるふたつの歌の、一方は大友黒主、一方は大伴家持の歌であるという。
このことからも、ふたりは同一人物ではないかと思われる。

大伴氏は武力で天皇家に仕える家柄だった。
仮名序にある『薪負へる山びと』とは、矢を負う姿を喩えたものではないだろうか。

また大伴家持は藤原種継暗殺事件に連座したとして、死後、墓から死体が掘り出されて子孫とともに流罪となっている。
大伴家持の死体は腐敗し、蛆がたかったような状態であったのではないだろうか。
仮名序の 『大友黒主は そのさまいやし』というのは墓から掘り出された死体の様子を言っているのではないだろうか。

真名序に『頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるが、逸興とは死体が掘り出されたことを言っているのだろう。
『鄙し』の『鄙』は①田舎 ② いなかっぽい。ひなびている。つまらなく卑しい、などの意味がある。
『体甚だ鄙し』とは掘り出された死体がひなびている(田舎っぽい)、または卑しいということか。 

またコメントを下さった方に教えていただいたのだが(ありがとうございました!)、大伴家持が飼っていた鷹は大黒という名前だった。

長いので原文は省くが、家持は次のような意味の長歌を詠んでいる。

家持は鷹狩や鵜飼が好きで、友人を誘って鷹狩を楽しんでいた。
鷹狩の際には大黒と名付けた鷹に狩をさせていた。
その鷹を翁が勝手に持ち出して、逃がしてしまった。
家持の夢の中で出会った少女が「鷹は葦鴨の多集(すだ)く舊(旧)江にいる」と告げた。

④青鬼・赤鬼・黒鬼

死体が掘り返された大伴家持の遺体はどのような状態だったのだろうか。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

a.腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
b.腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
c.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
d.骨が露出

そしてこの死体の変化が青鬼・赤鬼・黒鬼の正体ではないかというのだ。

鬼という漢字は死者の魂をあらわすものだとされるので、この説はなるほどもっともだと思わせる。

一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭に登場した鬼たち

大友黒主という名前は、家持の死体がcの段階まで進み、黒鬼のような状態になっていたところからつけられたのではないだろうか。

⑤万葉集を編纂した大伴家持 

大伴家持は優れた歌人であり、万葉集を編纂した人物でもあった。
そして草紙洗に登場する家持以外の歌人、小野小町・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らは古今和歌集の歌人である。

『草紙洗い』において、大友黒主=大伴家持は万葉集の中に小町の歌を書き入れているが、
『書き入れる』というのは『編纂する』という意味で、誰にでもできることではない。
万葉集を編纂した大伴家持(大友黒主)だからこそ小町の歌を万葉集に書き入れることができたというのが『草紙洗い』のテーマなのだと私は思う。

そして小野小町は「私は『古今和歌集』の時代の歌人なので、私の歌を『万葉集』に書き入れることはできませんよ」と大伴家持を諭したということだろう。

つまり、大伴家持はタイムスリップして後世に現れたという設定なのである。

また『志賀』において、黒主は和歌の徳を説いているが、これなども万葉集を編纂した大伴家持にふさわしい行為だといえるのではないだろうか。

祇園祭 黒主山 提灯

祇園祭 黒主山
②かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

猿丸太夫(5番)の次に大伴家持(6番)の歌をもってきた藤原定家は、古今集真名書の『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』の意味をわかっていたのだろう。

その藤原定家は百人一首に大伴家持の次の歌を採用している。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持
(年に一度、天の川に鵲が橋をかけ、その橋を渡って牽牛と織姫が逢瀬を楽しむという。その橋のようにみえる宮中の階段に白い霜がおりているところを見ると、もうすっかり夜がふけてしまった。)


「宮中の階段に霜がおりているのを天の川にかかる橋に見立てた」ととるのは、
『大和物語』百二十五段の壬生忠岑の歌で御殿の御階(みはし)
()を「かささぎのわたせるはし」によって喩えていることによるもので、賀茂真淵が唱えた。

「霜の白き」は天上に輝く星が白いのを霜に喩えたとする説もある。

観音山公園 牽牛 七夕飾り

中山観音寺跡 牽牛と七夕飾


③男女双体は荒魂を御霊に転じさせる呪術

まずポイントとして押さえておきたいのは、この「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」が天の川伝説、すなわち牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しむとされる七夕に関する歌だということである。

牽牛と織姫が逢瀬を楽しむというのは、男女が和合するということだ。

仏教の神・歓喜天は男女が和合したおすがたをしておられ、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。


↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。

この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神


男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術だったのではないだろうか。

そして鬼王ビナヤキャを牽牛、ビナヤキャ女神を織姫に置き換えてもいいだろう。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神

つまり、牽牛と織姫の逢瀬は、荒魂を御霊に転じさせる呪術であったのではないか、ということである。

④白黒コントラストの鳥・鵲

次に注意したいのは、鵲という鳥についてである。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

上の動画を見ればわかるとおり、鵲はくっきりした白黒のコントラストを持つ鳥であり、太極図を思わせる。

太極図

太極図(晴明神社)

太極図とは「陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる」という道鏡の考え方をあらわすもので
白は陽、黒は陰とされる。

男は陽、女は陰とされるので、男が白=荒魂で、女が黒=和魂だろう。
そう考えると、太極図は歓喜天を図案化したものだと言っていいかもしれない。

さきほど、男神は荒魂で女神は和魂とする説があるといったが、荒霊を白、和魂を黒であらわすこともあったのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神・・・・陽?・・・白?
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神・・・・陰?・・・黒?

機物神社 七夕飾り

機物神社 七夕祭

⑤霜は死体に振られた塩をあらわす?

さらに「置く霜の」という語にも注意したい。
日本書紀に「トガノの鹿」という物語がある。

仁徳天皇が皇后と涼をとっているとトガノの方から鹿の鳴き声が聞こえてきた。
天皇はその鹿の鳴き声をしみじみと聞いていたが、あるとき急に鳴き声がしなくなった。
翌日、佐伯部が天皇に鹿を献上したが、その鹿は天皇が夜な夜な鳴き声を聴くのを楽しみにしていた鹿だった。
気分を悪くした天皇は佐伯部を安芸の渟田に左遷した。

雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。


鹿の夏毛には白い斑点がある。この斑点を霜や塩に喩えたのだろう。

そして、謀反の罪で死んだ人には塩が振られることがあり、鹿は謀反人を比喩したものではないかとする説がある。
藤原種次暗殺事件の首謀者として死体が掘り出され、流罪となった大伴家持はまさしく謀反人である。

大仏殿 鹿

東大寺大仏殿 鹿

⑤白い神だったはずなのに黒い神になってしまった大伴家持

家持の歌を私流に現代語訳してみよう。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持

まるで太極図のように見える鵲。
また鵲は白い神(荒霊)と黒い神(和霊)が和合しているかのようにも見える。
その鵲が天の川に橋をかけ、年に一度牽牛と織姫が逢瀬を楽しむ。

鬼王ビナヤキャは祟るのをやめて仏法守護を誓いビナヤキャ女神を抱いた。
歓喜天は鬼王ビナヤキャとビナヤキャ女神の男女双体の神で、歓喜天は鬼王ビナヤキャがビナヤキャ女神の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまったの図なのだ。
この歓喜天と同じく、牽牛は織姫の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまう。
それが七夕なのだ。
(牽牛は牛をひく童子である。牛=丑、また童子は八卦で艮/丑寅の符である。丑寅は方角では鬼がやってくる方角、鬼門である。よって牽牛は祟りをもたらす鬼と考えられる。)

その天の川に鵲がかける橋のように見える宮中の階段に霜が白く輝いている。

霜は日本書紀のトガノの鹿を思わせる。
鹿は全身に霜が振る夢を見るが、霜だと思ったのは実は塩で、鹿は殺されて塩漬けにされているのだった。
謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあった。
鹿は謀反人の喩えである。
藤原種継暗殺事件の首謀者だと疑われている私(大伴家持)もまた謀反人である。

宮中に降りた霜がこんなにも白く見えているということは、私はすでに死んで夜の世界にいるということなのだろう。
そして私は鵲に似た太極図があらわすように、陽が極まって陰となり、白い神(荒魂)から黒い神(和魂)へと変わっていくのだ。


わずか31文字の中に、太極図、天の川伝説、トガノの鹿の伝説なども想像させ、実に味わい深い歌である。

白峯神宮 小町踊2

白峯神宮 小町踊(七夕に小町踊を踊る風習があった。)


⑦大友黒主はなぜ黒い神なのか?

⑤に記した現代語訳で、「白い神」とは大伴家持、「黒い神」とは大伴黒主のことである。

大伴家持はすでに死んで埋葬されていたにもかかわらず、藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、死体が掘り出され、その死体は流罪となった。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
骨が露出

掘り出された家持の死体は黒鬼となっていたため、家持は大友黒主とよばれたのではないかと私は推理しているのだ。

しかし、つじつまの合わない点がある。
性別天体光度天気生死
女(和魂?)
男(荒魂?)太陽

大伴家持は男なので陽、白い神といってもいいが、同一人物だと考えられる大友黒主は、黒い神である。
黒は陰をあらわし、性別では女性を表す。

これはいったいどういうわけだろうか?

法輪寺 針供養

虚空蔵法輪寺 針供養 織姫

⑧「古の猿丸大夫の次なり」と「田夫」の意味

このように考えてみると、古今和歌集真名序に「大友の黒主が歌は猿丸大夫の次なり」とある意味がわかるような気がする。

私は猿丸大夫とは志貴皇子・弓削道鏡・弓削浄人の総称ではないかと考えているのだが、
参照/私流 トンデモ百人一首 5番 奥山に…『猿丸大夫の正体は志貴皇子・道鏡・弓削浄人だった?』 

春日王(志貴皇子)・安貴王(道鏡)・浄人王(弓削浄人)ゆかりの奈良豆比古神社には翁舞という伝統行事が伝えられており(浄人王が始めたと伝わっている)

そしてこの翁舞に白式尉と黒式尉が登場するのだ。

奈良豆比古神社 翁舞

奈良豆比古神社 翁舞 白式尉

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉

奈良豆比古神社 翁舞 黒式尉


白式尉は白い神、黒式尉は黒い神だといえるだろう。

白は日に角(ノ)がついている。
白は日の神であり、角があるのは鬼である。白い神は日の神の荒魂ではないだろうか。

黒は分解すると田+土+、、、、となる。
「、、、、」は種まきではないだろうか。

黒式尉は三番叟と呼ばれるが、田植えの所作を行う。

つまり白=日の荒魂は、陽が極まって陰に転じると黒=田の神になるということではないだろうか。

そして大伴家持は猿丸大夫の次に白い神から黒い神に転じた神という意味で「大友の黒主が歌は猿丸大夫の次なり」と記されているのではないかと思える。

また古今和歌集仮名序に「頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。」とある意味もなんとなく分かるような気がする。






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ミジャグジ様の謎③ 『ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?』

ミシャグジ様の謎② 太陽と月が結婚すると星の神になる? よりつづきます~
トップページはこちらです→ミシャクジ様の謎① 昔の人は岩を落ちてきた星だと考えた? 


①ニギハヤヒは太陽神?それとも星の神?

前回私は、次のように述べた。

物部氏は製鉄・鋳造の技術に長けており、そのため物部氏の神は星の神だとする説がある。
また雲陽誌という書物には次のような内容が記されている。
島根県松江市の松崎神社では延宝7年に石が 掘り出され、古語『星隕って石となる』から神・ニギハヤヒの石として宝物にした。
ニギハヤヒは星の神。」


これに対して、こんな反論があるかもしれない。

ニギハヤヒは先代旧事本記では天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表記されている。

一方、天照大神は男神とする説がある。
天照大神は女神であるアメノウズメのストリップダンスに興味を持って天岩戸からでてきた。
女神のストリップに興味を持つのは男だ。よって天照大神は男だとする説がある。
そして天照国照彦火明櫛玉饒速日命が本当の天照大神ではないかともいわれている。

するとニギハヤヒは太陽神だ。星の神ではない。


岩戸山ご神体 天照大神

祇園祭 岩戸山 ご神体の天照大神は男神だった。

いったいニギハヤヒは太陽神なのか、星の神なのか。

私はニギハヤヒは太陽神、アメノウズメは月神、ニギハヤヒとアメノウズメの男女双体の神が星の神だと私は考えている。

②伏義は太陽神、女媧は月の神?

中国伏義と女媧という兄妹で夫婦でもある神がいる。

五盔墓4号墳の壁画は、伏義が持ち上げている円の中に八咫烏が、女媧が持ち上げている円の中にはヒキガエルが描かれている。
八咫烏は太陽の中に、ヒキガエルまたはウサギは月に住むと考えられてた。

五盔墓4号墳の壁画を見ると、伏義は太陽の神、女媧は月の神のように思われる。

ファイル:Anonymous-Fuxi and Nüwa3.jpg

伏義と女媧
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Anonymous-Fuxi_and_N%C3%BCwa3.jpg
よりお借りしました。


伏義は地の神、女媧は天の神?

ところがウィキペディアの伏義と女媧の図には太陽を表す八咫烏や月をあらわすヒキガエルは描かれていない。
その代わり絵の上部に菊のようなものが、下部にクロワッサンのようなものが描かれている。
菊のようなものは太陽、クロワッサンのようなものは月だと思う。

そして伏義と女媧は蛇身の下半身を絡ませている。
五盔墓4号墳の壁画にあるように伏義=太陽神、女媧=月神であり、上の図は太陽神・伏義と月神・女媧の和合(結婚)を表しているのではないだろうか。

月が太陽の上に重なれば日食である。(蛇足/太陽が月の上に重なるということはない。月のほうが地球に近いからだ。月食は月に地球の影が映る現象で月と太陽の和合ではない。)

上の伏義と女媧の図は日食を表していると思う。
というのは二神の周囲に星が描かれているからだ。

皆既日食がおこると皆既日食では日没後20分から30分くらいたった程度に暗くなり、明るい星であれば観測されるそうである。

太陽神と月神が重なると星の神になるのだ。




④女神が男神の足を踏みつける大聖歓喜天

大聖歓喜天という仏教の神がある。
大聖歓喜天はもともとはヒンズー教の神であったのが、のちの仏教にとりいれられて仏法守護の神とされた。
大聖歓喜天のお姿は道祖神や伏羲&女媧と同じく男女の神が抱きあう姿で表され、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャの祟りで国中に不幸な出来事がおこった。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。
 

双身歓喜天像の相手の足を踏みつけているほうが、十一面観音菩薩の化身ビナヤキャ女紳とされる。

Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で




伏義&女媧と大聖歓喜天はよく似ている。
伏義&女媧の腕がつながっている点に注意してほしい。
大聖歓喜天は女神が男神の脚を踏みつけることで、女神と男神の脚はつながっているとみることもできる。
大聖歓喜天は脚がつながっているが、伏義&女媧は腕がつながっているというわけである。

伏義&女媧の影響を受けて大聖歓喜天が創作されたか、大聖歓喜天の影響を受けて伏義&女媧が創作されたのではないかと思う。

⑤道祖神

さらに日本の道祖神も伏義&女媧に似ている。
道祖神はもともとは中国の道教の神なのだが、日本では猿田彦神と天鈿女の男女双体の神として信仰されている。

下の道祖神の写真を見てほしい。
道祖神はこの写真のように男女の神像が手をつなぎあう姿で表される。

それは手のつながった伏義と女媧を思わせるお姿である。


多気山不動尊 道祖神

多気山不動尊 道祖神

④道祖神は猿田彦がアメノウズメのセックスにおぼれ死んでいるの図

道祖神は日本では猿田彦神と天鈿女の男女双体の神だとされているということはすでに述べたとおりだが、猿田彦神と天鈿女は記紀神話の天孫降臨のシーンに登場する。

天孫ニニギの葦原中国降臨の際、天上の道が八衢に分かれている場所に立ち、高天原から葦原中国までを照らす神があった。
天照大神と高木神は天鈿女に命じて、神の名前を尋ねさせた。
天鈿女は神の前にたち、胸をあらわにし、腰ひもをずらし、神に名を訪ねた。
すると『私は国津神で猿田彦神と申します。ニニギを葦原中国まで道案内しようと思い参りました』と答えた。
ニニギは猿田彦神に道案内されて葦原中国の日向の宮へと天下った。
その後、ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じた。
ここから天鈿女は猿女君と呼ばれるようになった。
のちに猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。現松阪市)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれて溺れ死んだ。(古事記)


ニニギは天鈿女に『猿田彦神をもともと彼が住んでいた伊勢へと送り届け、猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ』と命じている。

「仕える」というのは「性的に仕える」という意味で、
「猿田彦神の名前を伝えて仕え祭れ」というのは、天鈿女に猿田彦神と結婚せよ、と命じたということではないだろうか。

天鈿女は天の岩戸の前でストリップダンスをした神、性の神なのである。

「サルタヒコは比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んだ」とあるが、貝は女陰の比喩だと思う。
つまり猿田彦神は天鈿女のセックスにおぼれて死んだということだと思う。

そこでもう一度道祖神の写真を見てほしい。
男女の神像が手をつなぎ合っているように見えるが、これは手をつないでいるのではなく、大聖歓喜天のビナヤキャ女神が鬼王ビナヤキャの足を踏みつけているのと同じで、和合を表すサインなのだと思う。

道祖神の中にはストレートに和合したお姿のものもあるそうだが、我々の先祖はストレートな表現を好まず、わかる人にはわかる的なサインを用いたのだろう。

つまり、道祖神とは猿田彦神が比良夫貝に手を挟まれて溺れ死んでいるの図(猿田彦神が天鈿女のセックスに溺れしんでいるの図)だといえるのではないかと思う。

河治温泉 道祖神

川治温泉 道祖神

⑤道祖神は星の神


道祖神について、ウィキペディアは次のように記している。

道祖神(どうそじん、どうそしん)は、路傍の神である。集落の境や村の中心、村内と村外の境界や道の辻、三叉路などに主に石碑や石像の形態で祀られる神で、村の守り神、子孫繁栄、近世では旅や交通安全の神として信仰されている。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%A5%9Eより引用

ウィキペディアは、道祖神が旅や交通安全の神として信仰されるようになったのは近世としている。

これについては詳しく調べてみる必要があるが、道祖神はもとから道案内の神、旅の神として信仰されていたのではないかと私は思う。

そういえば、道祖神は猿田彦神と天鈿女の男女双体の神とされるが、猿田彦はニニギを道案内しているではないか。

③⑤でみたように、道祖神と伏義&女媧はよく似ている。
道祖神と伏義&女媧は習合されているといってもいいだろう。

伏義は太陽の神、女媧は月の神。太陽と月が和合することは日食である。
日食がおきると夜のように暗くなって星がみえる。なので伏義&女媧は星の神だと考えられる。

すると道祖神も星の神だと考えられるが、星は方角を知るのにかかせないものだった。
太陽や月は毎日位置をずらしていくので、これらから方角を正確に知ることはむつかしい。
しかし星は地平線から出入りする時刻はずれるが、地平線から出入りする方角は常に一定である。
特に天の中心にあって動かない北極星や真東からでて真西に沈むオリオン座の三つ星などは航海の指標とされていた。

飛鳥坐神社 むすひの神石

飛鳥坐神社 むすびの神石

飛鳥坐神社には上の写真のような陰陽石がたくさん置かれている。
「むすびの神石」と呼ばれているが、これは道祖神と言ってもいいだろう。
関西にはどういうわけか男女の神像で表した道祖神はあまり見かけない。


⑥猿田彦神とニギハヤヒは同一神?

④に記した古事記の伝説をもう一度読んでみてほしい。
「猿田彦神は高天原から葦原中国までを照らす神」と記述されている。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)である。

高天原を天、葦原中国を国とすれば、「高天原から葦原中国までを照らす神」とは「天照国照彦」となる。

天照国照彦火明櫛玉饒速日命とは①で記した星の神・ニギハヤヒのことである。

さらに④の伝説によると猿田彦神の故郷は伊勢だとある。
伊勢には天照大神を祀る伊勢神宮がある。
猿田彦神は天照大神と同一神なのではないか。
さらに猿田彦神とニギハヤヒ(天照国照彦火明櫛玉饒速日命)は同一神なので、ニギハヤヒが天照大神だということになる。

もともとニギハヤヒは太陽神・天照大神だった。
そしてニギハヤヒ=猿田彦神が天鈿女と和合した結果、星の神になったということではないか。

そういえば、ニギハヤヒを祀る磐船神社(大阪府交野市)のそばを流れる川は天の川といい、川をはさんで星田妙見宮の織女石と天田神社、中山観音寺跡の牽牛石と機物神社が対面している。
星田妙見宮の織女石や機物神社はベガ(織女星)に、天田神社や中山観音寺跡の牽牛石はアルタイル(牽牛星)になぞらえられ、
このあたりは天の川伝説発祥の地ともいわれている。

牽牛はニギハヤヒ=猿田彦神、織女は天鈿女であり、ニギハヤヒ=猿田彦神と天鈿女を和合させる呪術として、これらの神社や石は置かれているのかもしれない。

磐船神社 天の磐船

磐船神社(大阪府交野市) 
写真は御神体の天の磐船。
ニギハヤヒはこの天の磐船を操ってここに天下ったと伝わる。




ミシャグジ様の謎④ 『何度作っても神殿が焼けてしまう神社』 につづきます~



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[ 2019/08/20 ] ミシャグジ様の謎 | TB(0) | CM(0)













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