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陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? 

陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 ※一部書き直しました。  よりつづく~


住𠮷祭 神輿3 
8月1日 住吉祭 神輿渡御
  
住𠮷祭 神輿2  

住吉大社 住𠮷祭 武者 
武者行列 

住𠮷祭  

 住吉祭 猿田彦

猿田彦

住𠮷大社 住吉祭 大和川を渡る神輿 
大和川を越えて

住吉祭 船 
行列は紀州街道を南へ、堺の頓宮をめざす。

①住吉大社はみたらし星の神? 


住吉大社は海の神として信仰されているが、もともとは「みたらし星」の神だったのではないかという説がある。

みたらし星とはオリオン座の三つ星のことである。
三つ星のそばにもうひとつ小さい星があって、本当は三つ星ではなく四つ星なのだが。

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る第一本宮、
中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る第二本宮、
表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る第三本宮、
第三本宮の東が神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る第四本宮

となっている。

その社の配置がみたらし星の配置に似ているというのだ。 

住吉大社 

②『筒」 は星の神をあらわしている?

また底筒男命・中筒男命 ・表筒男命の神名にある『筒』は星の神であることを示すものだという説もある。
どういうわけか、記紀神話には星の神はたった一柱・天津甕星しか登場しない。

ところが『上記(うえつふみ)』という文書の中には多くの星の神が登場する。
そして星の神は、トムツツ(北極星)、アカユツツ(ペテルギウス)、イユキツツ(スピカ)などのように、ツツという音がついている。

③海の神は星の神の二次的な神格?

現在、住吉大明神には星の神という神格はなく、海の神として信仰されている。
オリオン座の三つ星は真東から昇って真西に沈むので航海の指標とされていた。
海(航海)の神というのは星の神の二次的な神格なのではないだろうか。

④みたらし星の神はタラシ王朝の神?

京都に三室戸寺という寺があるが、もともとは御室戸寺と称していたのを、光仁、花山、白河三帝の離宮になったために【御】の字を【三】に替えたと伝わる。

みたらし星は漢字では御手洗星と書くが、もともとは三足星であったなどというようなことはないだろうか。

和風諡号に足(たらし)という字のつく天皇や皇后がおり、タラシ王朝と呼ばれている。

12代景行天皇・・・大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇・・・稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・・・足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

どうやら足と書いて「たらし」と読むようである。

神功皇后は住吉大社の第四本宮の御祭神であったことを思い出してほしい。

第一本宮・・・底筒男命
第二本宮・・・中筒男命
第三本宮・・・表筒男命
第四本宮・・・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)

底筒男命・中筒男命・表筒男命とは景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・成務天皇(わかたらしひこのみこと)・仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)の3人のタラシ王朝の天皇のことではないだろうか。
(ただし、どの天皇が底筒男命・中筒男命・表筒男命のいずれに対応するのかわからない。)

そして三人のタラシ=三足(ミタラシ)なので、みたらし星の神として祀られているのではないだろうか?

住吉祭 茅の輪  


堺の頓宮では荒和大祓神事が行われ、巫女さんたちが茅の輪くぐりをしていた。


次回へつづく~

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[2018/08/01 09:36] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 ※一部書き直しました。 

下鴨神社 十二的神事

下鴨神社 追儺弓神事


陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  よりつづく~。

※読み直してみるとわかりにくい文章だったので、一部書き直しました。すいません~。

①節分とは何か

節分とは何か。

それを説明するためには、まず旧暦(太陽太陰暦)と二十四節気の話をしなければならない。

旧暦(太陽太陰暦)は月の周期を一か月とする。
月の周期は29.5日なので、1年=29.5×12か月=354日。
地球が太陽の周囲を一周する周期=365日とは11日もずれてしまう。
3年では約1か月ものずれになる。
これを解消するため、3年に1度閏月を設けて調整していた。

太陽太陰暦は月齢がカレンダーがわかりになるので、紙が貴重品だった時代には大変便利な暦だった。
しかし実際の暦とはずれるので農耕作業などに支障がでる。
そこで、日本では江戸時代まで太陽太陰暦と二十四節気というふたつの暦を併用していた。

二十四節気とは一太陽年(地球が太陽の周囲を一周する期間。約365日)を24等分し、その分割点を含む日に冬至・立春・春分などの名前をつけた暦である。

節分とは本来は二十四節気の季節の変わり目ともいえる立春・立夏・立秋・立冬の前日を刺す言葉だった。
しかし、節分は、しだいに1年の変わり目でもある立春の前日を意味する言葉へと変化していった。

つまり節分とは暦法二十四節気における大晦日なのだ。

②追儺式は大晦日の行事だった。

延暦寺のお坊様が「もともと追儺式とは旧暦(太陽太陰暦)の大晦日に行う行事であった」と話しておられた。

牛は干支の丑で12月、虎は干支の寅で1月をあらわす。
鬼は牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいており、牛=丑、虎=虎なので、鬼は丑寅=1年の変わり目をあらわすとする説がある。

鬼に豆を投げつけて退散させることは、丑寅=1年の変わり目を退散させていることを意味し、目には見えない1年の移り変わりを視覚化したものだといえるだろう。

旧暦の大晦日と節分は年によってことなるものの、ほぼ同時期である。
そういった理由から、追儺式は大晦日の行事から節分の行事へと変化したのではないだろうか。

③追儺弓神事

下鴨神社の節分祭では追儺式は行わず、かわりに追儺弓神事を行っている。
追儺弓神事は12人の射手たちが次々に的を射るというもので、的は長方形で、赤地に黒の丸が描かれていた。
12の的は過ぎ去った過去の1年12か月をあらわし、これを射ることで去年を葬り去り、新しい年を迎えるという意図があるのではないだろうか。

以前、テレビで同様の神事を見たことがある。
その神事ではいったん的に『鬼』という文字を書き、その文字を塗りつぶすようにして黒丸を描いていた。

私は矢があたってくだける的を見て、下鴨神社の的の黒丸の下にも鬼という文字が隠されているかもしれないと思った。

下鴨神社 追儺弓神事2

下鴨神社 追儺弓神事

②ヤタガラスを射る。

関東地方などで同様の神事がさかんに行われていて、鬼射 (おびしゃ)・備射(びしゃ)・飛射(むしゃ)・奉射(ほうしゃ)などと呼ばれている

中にはヤタガラスを描いた的もあるそうである。

おびしゃの的は陰陽になっていると書いてある記事もあったが、具体的に的が陰陽になっているとはどういうことなのか、よくわからない。
表にウサギ、裏にヤタガラスが描かれているということなのだろうか?(詳しい方、教えてください~!)

ヤタガラスとは記紀神話に登場する三本足の大きなカラスで、初代神武天皇を熊野から大和へ道案内したとされる。
そしてヤタガラスはここ下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされている。


下鴨神社 追儺弓神事 

下鴨神社 追儺弓神事


ヤタガラスが下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命の化身だということに注意してほしい。
神の化身であるヤタガラスを矢で射るとは、なんと罰当たりな!

③ヤタガラスは鬼だった?

 ①で的の黒丸は鬼をあらわすのではないかと書いた。
そして同様の神事であるおびしゃでは的にヤタガラスを描いたものもあるとのことだが、的に描かれたヤタガラスも鬼なのか?
すると、ヤタガラスを化身とする賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)も鬼だということにならないだろうか?
下鴨神社は鬼を祀る神社なのだろうか?

④昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えた?

古事記には死んだヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという記述があり
鳥たちがアメノワカヒコの葬儀を執り行うという記述もあって、鳥は死のイメージが強い。

またササキという鳥がいるが、これに御をつけるとミササギ(陵)となる。 

仁徳天皇陵のような巨大な前方後円墳は人間が地上から見てもその形が認識できないが、空飛ぶ鳥の目線からであれば容易にその形を認識することができるだろう。

昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えたのではないだろうか。
すると三本脚のヤタガラスも死んだ人の魂なのか?

⑥数字の8は復活を意味している?

八咫烏の正体について、もっと詳しく考察してみよう。

梅原猛さんは数字の8は復活を意味する数字だとしておられる。
八咫鏡は死んだ天照大神を復活させた鏡、
八角墳や八角堂は死んだ人の魂の復活を願って作られたものであるというのだ。

すると八咫烏もいったん死んで復活した人の魂を神格化したものなのか?

Horyu-ji36s3200

八角堂 (法隆寺 夢殿)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AHoryu-ji36s3200.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/39/Horyu-ji36s3200.jpg よりお借りしました。
作者 663highland (投稿者自身による作品) [GFDL (
http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html), CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/) または CC BY 2.5 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.5)], ウィキメディア・コモンズ経由で

⑦八咫烏は復活した天照大神?

八咫烏は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多く、復活した太陽神だと考えられる。

太陽神といえば天照大神だが、天照大神は天岩戸に籠ったのち、アメノウズメのストリップダンスを見た神々が笑うのを不思議に思って外に出てきている。

天岩戸とは古墳の石室のイメージである。
天照大神は死んで石室に埋葬されていたのだが、生き返って石室の外に出て来たという話なのではないだろうか。

天照大神は復活した太陽神である。そして八咫烏も復活した太陽神だと考えられる。
つまり八咫烏とは復活した天照大神?

下鴨神社 古神礼焼納式2

下鴨神社 古神符焼納神事


⑧本当の天照大神とは男神で物部氏の祖神のニギハヤヒだった?

初代神武天皇より早く、ニギハヤヒという神が天下っていたと記紀には記されている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、神武以前、畿内には物部王朝があったのではないかとする説がある。

そして先代旧事本紀ではニギハヤヒは天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説があって、私はこれを支持している。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船 (ニギハヤヒはこの船を操ってここに天下ったとさる。)

ニギハヤヒは男神である。
天照大神は女神とされているが、怪しい。

というのは、天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメという女神のストリップダンスに興味を持って天岩戸から出て来たのである。
女神のストリップに興味を持つのは男神だ、よって天照大神は男神だとする説がある。

⑨天皇家の祖神・天照大神はなぜ女神なのか。

天皇家の祖神の天照大神は女神とされているが、太陽神を女神とするのは世界的に見ても大変珍しい。
このことを持って、日本では男女差別はなかったとか、女性が尊重されていたと説く人もいる。
しかし、私の考えはこれとは違う。

神武が東征して畿内入りするよりも前に、畿内には物部氏の祖神であるニギハヤヒが天下っていて物部王朝があったのだと思う。
ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だったのだろう。

そこへあとから神武が東征してやってきた。
神武は畿内の人々を大量虐殺して大和の王になるのではなく、物部王朝をのっとって大和の王になることを選んだのだと思う。

記紀を読むと神武の東征軍は大軍であったとは思われないし、国が豊かに栄えるには多くの人民が必要なので、神武の判断は賢明であったといえる。

神武が物部王朝をのっとるにはどうしたらいいか。
物部王朝の王=天照大神を女性とし、自分がその女性と結婚して入り婿になればいいのだ。

記紀神話には入り婿になる話が多い。
天照大神の孫のニニギは葦原中国に天下ってオオヤマツミの娘のコノハナサクヤヒメと結婚しているし
ニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれたホオリ(山幸彦)は竜宮に行き、海神の娘・トヨタマヒメと結婚している。
これは神武が物部王朝に入り婿になったことを、神代に舞台をおきかえて創作したものではないだろうか。

こんなストーリーが思い浮かぶ。

物部王朝の王はだいだい天照大神としてあがめられる習慣があった。
九州から東征してやってきた神武は巧妙な手口で物部王朝の王を女性にした。
こうして天照大神は女神となった。
神武は天照大神とあがめられる物部王朝の女王と結婚し、入り婿となることで政権を物部氏より奪い取った。

天照大神が物部王朝の神で男神であるとすれば、男性の神武は同性の天照大神と結婚することができない。
当然、神武の子孫は天照大神の血をひいていないので、天照大神の子孫を名乗ることができない。
だが天照大神を女神とし、神武がその女性と結婚したとしよう。
神武の子孫の母親は天照大神なので、神武の子孫が天照大神の子孫と称してもウソではないということになる。

⑩邪馬台国は物部王朝?

邪馬台国を思い出す。
邪馬台国の女王・卑弥呼には男弟があり、本来ならばこの男弟が王となるべきだったのだろうが、卑弥呼が王となっている。
魏志倭人伝は女王は独身だと伝えるが、その一方で卑弥呼には宗女・トヨがいるとしている。
宗女・トヨがいるということは女王は結婚して子供があり、それがトヨなのではないか。
そして女王卑弥呼の夫が神武なのではないかと思う。

つまり邪馬台国とは物部王朝であったのではないかということである。

籠神社で発見された日本最古の系図では始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』と記されていた。

籠神社では始祖の彦火明命の別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも伝えている。

先代旧事本紀は天火明命とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと/ニギハヤヒ)と同一神としている。

つまり籠神社の系図は物部王朝の系図なのだ。
そして卑弥呼とは9代目の孫の日女命(ひめのみこと)に漢字を当てたものではないかと言われている。

日女命の別名は倭迹迹日百襲姫命とあるが、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓は魏志倭人伝に記された卑弥呼の墓と大きさが一致し、卑弥呼の墓ではないかともいわれている。

魏志倭人伝では卑弥呼の墓は円墳と記すが、箸墓は前方後円墳である。
しかし、箸墓と同時期の古墳で、あとから前方部を付け足したと思われるあとが見つかっており、箸墓も同様にあとから前方部を付け足した可能性が浮上している。

⑪復活した天照大神が八咫烏(黒鳥)、死んだヤマトタケルが白鳥?逆では?

話をもとにもどそう。

陰陽を表す対極図は陽を白、陰を黒であらわす。

File:Yin and Yang.svg

太極図

ウィキペディア(
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。



さて、前回私は死んだヤマトタケルが白鳥になったという話をしたが、陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  

白鳥と黒鳥(八咫烏)は陰陽で対になっているように思える。

白は陽なので白鳥が陽、黒は陰なので黒鳥が陰だろう。


白鳥・・・・・・・・陽・・・死んだヤマトタケル
黒鳥’(八咫烏)・・・陰・・・死んで復活した天照大神

しかしなぜ死ぬと白で、死んだものが復活すると黒なのか?

陰陽表で生死の項目を見ると、生が陽なので白、死が陰なので黒となっている。
死んで復活すると生=陽=白となるように思えるのだが、
なぜ復活した八咫烏が黒で、死んだヤマトタケルが白なのか。
逆のように思えるのだが。

うーん?
基本的性質遠心力求心力
傾向収縮膨張
特性融合、同化、集合、編成分裂、分離、分散、拡散
動き不活発、緩慢活発、敏速
振動短波、高周波長波、低周波
方向下降、水平上昇、垂直
位置外部、周辺内部、中心
重量軽い重い
高度暗い(晦冥、月光)明るい(光明、日光)
湿度湿潤乾燥
密度緻密希薄
外形小さい大きい
形状収縮性膨張性
感触柔軟堅硬
素粒子電子陽子
元素窒素、酸素、燐、カルシウム等水素、炭素、ナトリウム、砒素等
環境波動 ー 土 ーー 水 ー 空気
気候風土寒帯気候、湿潤気候熱帯気候、乾燥帯気候
生物特性植物的動物的
性別女性男性
呼吸吸気呼気
器官構造実質器官、凝縮性中空器官、膨張性
神経末梢神経、副交感神経中枢神経、交感神経
補瀉
態度、感性沈滞、消極的、防御的活発、積極的、攻撃的
仕事心理的、精神的物理的、社会的
文化精神的物質的
次元空間時間
内外外側内側
武術
戦闘防御攻撃
向き下、後、左上、前、右
夫婦
表裏
天体太陰(月)太陽(日)
天気
昼夜
天地
温度
偶数奇数
商売損害利益
状況
人間精神(心)肉体(体)
数学-(負)+(正)
春秋
夏冬
東西西
南北
背腹
感情的抑制興奮
内臓五臓(六臓)五腑(六腑)
人体組織皮膚、骨筋肉、内蔵
部分下部上部
高さ低い高い
音の高さ、声調
光闇
収穫凶荒豊穣

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD より引用

下鴨神社 古神礼焼納式

陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? へつづく~

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[2018/07/27 11:07] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  

大鳥大社 花菖蒲

陰陽 黒と白② 干ばつには黒馬、長雨には白馬 よりつづく~

①白鳥になって飛び立ったヤマトタケル

大鳥大社の御祭神・ヤマトタケルはもともとはヤマトヲグナという名前だった。
ヲグナは父・景行天皇に命じられて九州に趣き、女装してクマソタケル兄弟の宴会にしのびこんで兄弟を殺した。
死の間際、クマソタケルはヲグナの武勇をたたえて自分の名前をヲグナに献上した。
こうしてヤマトヲグナはヤマトタケルとなった。

その後、イズモタケルを騙して殺し、さらに東国の蛮族を平定した。

ヤマトタケルは次に伊吹山の神を倒しにいくが、神の化身の白い大猪に氷雨を降らされ病を患ってしまう。
病身のヤマトタケルは大和をめざすが、途中、能煩野(三重県亀山市〉で亡くなった。
遺体は能煩野に葬られたが、墓からヤマトタケルの魂が白鳥となって飛びたち、大和国琴引原、河内国古市を経て、最後に大鳥の地に舞い降りた。
そこでこの地にヤマトタケルを祀る神社を建てたといわれる。

大鳥大社 拝殿

②前方後円墳は鳥の目線を意識して作られた?

白鳥陵(ヤマトタケルのものと伝わる墓)は奈良県御所市富田、大阪府羽曳野市軽里(軽里大塚古墳)のほか、能煩野など各地にある。

軽里大塚古墳は古市古墳群の中で7番目に大きな前方後円墳である。
これら巨大な前方後円墳は地上から見たのではどんな形をしているのか、全くわからない。
大空高く飛ぶ鳥の目線からであれば、前方後円墳の形は容易に認識できるだろう。
巨大な前方後円墳は鳥の目線を意識して作られているのではないだろうか。

またササキという鳥がいまるが、これに御をつけるとミササギ(陵)となる。

ナガレ山古墳 
↑ 全長103メートルのナガレ山古墳。このくらいの大きさだったら、地上からでもなんとなく形がわかるが・・・

仁徳天皇陵

↑ 全長840メートルの仁徳天皇陵(木が生い茂って丘のように見える部分)は境市庁舎21階展望ロビーから見ても、ぜんぜん前方後円墳だとはわからない。

鳥が仁徳天皇陵の真上に飛び上がって見下ろしたとすると、前方後円墳の形がはっきりとわかるだろう。

NintokuTomb

仁徳天皇陵
https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3ANintokuTomb.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3f/NintokuTomb.jpg よりお借りしました。
Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省 [Attribution], ウィキメディア・コモンズ経由で


③死んだ人の霊は鳥になる?


ヤマトタケルの魂が白鳥になって飛び立ったとあるが
古の人々は死んだ人の霊は鳥になると考えていたのではないかと思う。

大鳥大社 神紋

大鳥大社のお賽銭箱には鳳の紋が。(鶏みたいにも見える~)


大鳥大社 子猫


陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 へつづく~

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[2018/07/19 10:23] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白② 干ばつには黒馬、長雨には白馬 

陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン   よりつづく~

貴船神社 貴船祭 お祓い

貴船神社 貴船祭

①絵馬のルーツ


絵馬とは小さな板に願い事などを書いて神社に奉納するもののことをいう。
そのルーツは、神事の際に本物の馬を献上する習慣にあるとされ、常陸国風土記や続日紀などにその記述がある。
本物の馬を奉納できない者が土や木で作った馬を奉納するようになり、さらに絵に書いた馬を奉納するようになったそうである。

なぜ馬なのかといえば、神様は馬に乗って現れると考えられていたためと説明される。
馬は神を乗せる乗り物だったのである。

貴船祭 神輿と川床

②干ばつには黒馬、長雨には白馬

古来朝廷は勅使を派遣して「貴船神社」や「丹生川上神社」に馬を奉納していた。
干ばつの際には雨が降ることをいのって黒馬が、長雨の際には雨が止むことを祈って白馬が奉納されたという。

なぜ長雨の際には白馬で、干ばつの際には黒馬が奉納されたのだろうか?

貴船祭 出雲神楽 八岐大蛇2

③陰陽思想

白と黒といえば、陰陽思想である。

陰陽思想とはこの世にあるすべてのものは陰と陽に分けられるとする中国由来の考え方のことである。
例えば性別では、男が陽で女が陰、天体では太陽が陽で月が陰、光度では明るいのが陽、暗いのが陰である。
そのため(明=陽、暗=陰)だと思うが、陰陽を表す対極図は陽を白、陰を黒であらわす。

獏は悪い夢を食べてくれるという俗信がある。
つまり獏は陰を陽に転じてくれる聖獣というわけである。

陰陽の象徴といえば太極図だ。

Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

そして天気を陰陽でいうと晴が陽で、雨が陰である。


性別天体光度天気
太陽


干ばつで雨が降ることを祈る際には、雨は陰なので黒馬を
長雨で雨が止むこと’を祈る際には、晴は陽なので白馬を奉納したと考えると筋が通るのではないだろうか。

貴船祭 出雲神楽 八岐大蛇

貴船神社 貴船祭 出雲神楽

貴船祭-出雲神楽 巻き付く二匹の八岐大蛇

黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  へつづく~

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[2018/07/11 22:16] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  

今日から新しいシリーズを始めます。よろしくお願いします。

山中渓駅付近  パンダ列車

①パンダ列車(パンダくろしお)

桜並木を駆け抜けるパンダ列車。(大阪府阪南市 山中渓駅付近)

JRW 381 pandaseats

電車の中はこんな感じなのだそう。

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AJRW_381_pandaseats.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/ab/JRW_381_pandaseats.jpg よりお借りしました。
作者 w0746203-1 (投稿者自身による作品) [GFDL (
http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html) または CC BY 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by/3.0)], ウィキメディア・コモンズ経由で

山中渓駅付近  桜

②獏とパンダは同一視されていた

獏とパンダは同一視されていたという。
獏とは夢を食べるといわれる、あの獏である。

中国の文献には次のようにある。

貘屏賛・・・鼻はゾウ、目はサイ、尾は牛、脚は虎に似ている。
爾雅 釈獣・・・白豹
説文解字・・・熊に似て黄黒色、蜀中(四川省)に住む。
爾雅 郭璞注・・・熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる。
説文解字注・・・・今も四川省にいる。


説文解字には黄黒色とあるが、虎のようにはっきりした黄色ではなく、淡いクリーム色のことを言っているようである。
そして四川省に住んで竹を食べる黒白まだらの動物といえばパンダ(ジャイアントパンダ)である。

貘屏賛には「獏は鼻はゾウ、目はサイ、尾は牛、脚は虎」とあって、パンダとは全然ちがうのだが。

山中渓駅 桜3

③パンダはなぜ獏と同一視されたのか?


獏は悪い夢を食べてくれるという俗信がある。
つまり獏は陰を陽に転じてくれる聖獣というわけである。

陰陽の象徴といえば太極図だ。

Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


太極図は白と黒の図で構成され、白は陽、黒は陰をあらわす。

パンダは黒白まだら模様の動物なので、陰陽をあらわす動物、または陰を陽に転じさせる動物だと考えられ、獏と同一視されたのではないだろうか。

山中渓駅 桜2 

④本当の獏の正体はマレーバク?

File:HokusaiBaku.jpg

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:HokusaiBaku.jpg?uselang=ja よりお借りしました。

上は葛飾北斎が描いた獏である。
貘屏賛によると獏は「鼻はゾウ、目はサイ、尾は牛、脚は虎に似ている。」ということなので、パンダよりも、北斎の描いた絵のほうがより獏っぽい。
ただし、北斎が描いた獏はくっきりした黒白まだら(爾雅 郭璞注)ではない点が、個人的には残念に思う。

古代中国にはマレーバクが生息していたが、絶滅したとされる。
このマレーバク、みごとな白黒モノトーンである。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます!

マレーバクは「鼻はゾウ、目はサイ、尾は牛、脚は虎に似ている。」に近い。

先日テレビで、想像上の動物獏に似ているから、マレーバクという名前がついたと言っていたが
私は逆だと思う。

獏はマレーバクをモデルとして創作された動物、またはマレーバクそのものではないだろうか。
そう思う理由は見事な黒白モノトーンの毛である。



動画折しました。動画主さん、ありがとうございます。


古事記に次のように記されている。

昔、天地がまだ別れず、陰陽も分かれておらず、混沌として卵の中身のように固まっていなかったが、薄暗い中にきざしがあった。
やがて清らかな陽気がたなびいて天となり、重く濁った陰の気が滞って地となった。(天地開闢)


マレーバクは子供のころは黒白がまだらになっているのだが、成長すると白黒にくっきりわかれた柄になる。
この様子はまるで古事記に記された天地開闢のようではないか。

夢を食べる獏とはマレーバク、もしくはマレーバクをモデルとして想像されたものであり
マレーバクの白黒モノトーンの柄が太極図を思わせるため、「悪い夢(陰)を食べて、よいこと(陽)に転じさせる」と信仰されたのではないかと思う。

マレーバクは木の葉や果実を食べるが、竹をたべるとは聞かない。
爾雅 郭璞注に「熊に似て頭が小さく脚が短く、黒白のまだらで、銅鉄や竹骨を食べる。」とあるのはやっぱりパンダだと思う。

中国でマレーバクが絶滅してしまっため、マレーバク同様白黒模様のパンダが獏だと考えられたではないだろうか。

山中渓駅 桜 

山中渓駅 桜4

陰陽 黒と白② 干ばつには黒馬、長雨には白馬 へ続く~

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[2018/07/07 20:25] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

人形の涙 市比賣神社 最終回 『私たちは天照大神を呪わされていた?』 



人形の涙⑪ 加茂船屋 ひなまつり 『お雛様とお内裏さまは双子だった?』   よりつづく~

市比売神社 雛人形

●三人官女=宗像三女神、五人囃子=勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘?

市比賣神社の創建は795年で、多紀理比賣命(たぎりひめ) 市寸嶋比賣命(いちきしまひめ) 多岐都比賣命(たぎつひめ)神大市比賣命(かみおおいちひめ)下光比賣命(したてるひめ)を祭っている。

私は三人官女とは多紀理比賣命・ 市寸嶋比賣命・多岐都比賣命(宗像三女神)、そして五人囃子は勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(あめのおしほみみ)・天之菩卑能命(あめのほひ)・天津日子根命(あまつひこね) ・活津日子根命(いくつひこね)・熊野久須毘(くまのくすび)ではないかと考えている。

この八柱の神々は天照大神とスサノオのうけいの子産みで生まれた神々である。

●古代流・濡れ場シーンの描写

記紀には次のように記されている。

天照大神はスサノオの刀を噛み砕き、ふっと息を吹き、ここから多紀理比賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命の三柱の女神が生まれた。
次にスサノオは天照大神の『みすまるの珠』を噛み砕き、ふっと息を吹き、ここからの五柱の男神、勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘が生まれた。
三柱の女神はスサノオの刀から生まれたのでスサノオの子、五柱の男神は天照大神の『みすまるの珠』から生まれたので天照大神の子とされた。

私はこの記述は古代流の濡れ場シーンの描写ではないか、と考えている。
刀は男性、珠は女性をあらわしているのではないだろうか。

市比賣神社のホームページにある系譜にもはっきりと、天照大神とスサノオは夫婦であると示されている。
http://ichihime.net/yuisho.html


市比売神社 抹茶とお菓子

●お雛様=天照大神、お内裏様=スサノオ?

三人官女が宗像三女神、五人囃子が勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘で
彼らが天照大神とスサノオのうけいの子産みで生まれた神々であるとすれば、お雛様は母神の天照大神、お内裏様は父神のスサノオなのではないか。

宗像三女神=みたらし星、五柱の男神はすばる?

飛鳥昭夫さんも同じ指摘をされており、宗像三女神(多紀理比賣命・ 市寸嶋比賣命・多岐都比賣命)はみたらし星(オリオン座の三つ星)を神格化した神、勝吾勝勝速日天之忍穂耳命・天之菩卑能命・天津日子根命 ・活津日子根命・熊野久須毘はすばるを神格化した神ではないかとおしゃっている。

宗像三女神がみたらし星を神格化したものだとする説は昔からある。
宗像大社は宗像市にある辺津宮、大島の中津宮、沖ノ島の神津宮の三社から成るのだが、この配置がみたらし星の配置に似ているというのがその理由である。

すばるはプレアデス星団の和名である。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/2/2c/Map_of_the_Pleiades.jpg
上記ウィキペディアの図を見ると、プレアデス星団はたくさんの星々から形成されるが、特に大きな星が5つある。

●スサノオは星の神?

オリオン座の三ツ星とすばるが天照大神とスサノオの子供だとすると、天照大神とスサノオも星の神なのではないか。

船場俊昭さんは「スサノオ(素戔嗚尊)とは輝ける(素)ものを失い(戔う/そこなう)て嘆き悲しむ(鳴/ああ)神(尊)」という意味で、はもとは星の神であったとしておられる。

イザナギが禊をし、左目を洗ったところ天照大神が、右目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオがうまれたと記紀には記述がある。

私はこの記述は陰陽思想の宇宙観に基づくものだと思う。
陰陽道の宇宙観では東(左)が太陽の定位置、西(右)が月の定位置、中央が星とするそうである。
(※地図では右が東で左が西だとおっしゃられるかもしれないが、正しくは向かって右が東、向かって左が西であり、地図の側に立てば左が東で右が西となる。)

イザナギの顔は宇宙に喩えられているのである。
するとイザナギの顔の真ん中にある鼻から生まれたスサノオは星の神となる。

スサノオはアルタイル、天照大神はベガ?

天照大神は太陽の神のはずだが、うけいの子産みではスサノオと天照大神は天の安川を挟んで対峙している。
天の安川とは天の川ではないのか。

ということはスサノオは牽牛星(アルタイル)、天照大神は織女星(ベガ)ということになる。

市比売神社 ひいなまつり 人雛

●記紀は改竄されている?

なぜ太陽神である天照大神がベガという星の神なのか。

おそらく記紀は改竄されている。
そのため、このようにつじつまのあわないところがあるのだろう。
月の神である月読命が記紀の物語にほとんど登場しないのも改竄されているからだと思う。

陰陽思想で天体をみると太陽が陽、月が陰である。
性別では男性が陽、女性が陰なので、スサノオが太陽の神で天照大神が月の神であればつじつまがあう。
そして、太陽と月が結婚する(重なる)と日食で、日食になると昼なのに夜のように暗くなって星が見える。
太陽と月が結婚すると星の神になると考えられたのではないかと思う。
それで太陽神であるスサノオも、月神である天照大神もうけいの子産みをして(結婚をして)星の神(アルタイルとベガ)になったということではないだろうか。

金環日食

●神大市比賣命は大市に葬られた姫?

市比賣神社の御祭神は多紀理比賣命・市寸嶋比賣命・多岐都比賣命・神大市比賣命・下光比賣命で、市比賣神社という神社名は神大市比賣命からくるものと考えられる。

古事記によれば、神大市比賣命は素戔嗚尊の妻であると記されており、市比賣神社の系譜でもそうなっている。
この神大市比賣命の『大市』という言葉には聞き覚えがある。

日本書紀に次のように記されている。

倭迹迹日百襲姫命は大物主神の妻となったが、大物主神は昼は姿を見せず、夜になるとやって来た。
倭迹迹日百襲姫命は次のように言った。
『あなたは夜にしかいらっしゃらないので、お顔を見ることができません。今日はもうちょっと留まってお顔を見せて下さい。』
大物主神は『明日の朝はあなたの櫛函に入っていよう。しかし私の形を見て驚かないように。』といった。
朝になって、倭迹迹日百襲姫命は函を開けた。そこには麗しい小蛇がいた。
倭迹迹日百襲姫命は驚いて叫んだ。
大物主神は、『驚くなと言ったのに、私に恥をかかせたな。今度はお前に恥をかかしてやる。』と言って、大物主神は空を舞い三輪山を登っていった。
倭迹迹日百襲姫命は大物主神が去る姿を仰ぎ見て悔い、座り込んだ拍子に、箸で陰部をついて死んでしまった。
こうして倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られ、墓は箸墓と呼ばれている。

倭迹迹日百襲姫命は大市に葬られている。
神大市比賣命とは大市に葬らた神という意味ではないだろうか。
とすれば神大市比賣命とは倭迹迹日百襲姫命のことだということになる。

また、籠神社で発見された系図に、始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』、『またの名を神大市姫命』、『日神ともいう』と記されていた。
籠神社の系図も神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命となって整合性がとれる。

そして籠神社の系図に記されている、日女命・日神とは天照大神のことだと思われる。

神大市比賣命=倭迹迹日百襲姫命=日女命=天照大神

●初代神武以前、畿内には物部王朝があった?

倭迹迹日百襲姫命は大物主命の妻であるが、大物主神は昼は姿を見せず、夜になるとやって来る神だった。
ということは大物主神は星の神なのだろう。

一方、船場俊昭氏は「スサノオ(素戔嗚尊)とは輝ける(素)ものを失い(戔う/そこなう)て嘆き悲しむ(鳴/ああ)神(尊)」という意味で、はもとは星の神であったとしておられる。
スサノオとは大物主神のことなのではないだろうか。

大物主神の正式名称は倭大物主命という。
物部氏の祖神はニギハヤヒというが、この神名は『古事記』『日本書紀』によるもので、『先代旧事本書紀』天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊」(あまてる くにてるひこ あまの ほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)となっている。
櫛と魂(玉)が共通するところから、二神は同一神だとする説もがある。
天照國照彦天火明櫛饒速日尊=ニギハヤヒこそが本当の天照大神であるともいう。

初代神武は東征して畿内入りするにあたり「東にはニギハヤヒが既に天下っている。」と発言している。
ニギハヤヒとナガスネヒコの妹の間に生まれたウマシマジノミコトが物部氏の祖神だとされている。
ここから初代神武以前に物部王朝があったとする説がある。
神武が畿内入りしたのち、ニギハヤヒは神武に服している。

市比売神社 雛人形2


スサノオ=大物主神=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)
なのでスサノオとは物部氏の神だと考えられるが、天照大神もまた物部氏の神であると私は考えている。

●天照大神は天皇家ではなく物部氏の神だった?

籠神社の系図にある始祖の彦火明命は『先代旧事本紀』では、天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神であるとしている。
彦火明命≒天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)

とすれば、彦火明命(=天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊=ニギハヤヒ)の9代目の孫にあたる日女命(=天照大神=倭迹迹日百襲姫命=神大市比賣命)は物部氏の神だといえる。

第11 代垂仁天皇の第4皇女である倭姫命は天照大神を祀るのにふさわしい土地を求めて各地を転々としたが、伊勢についたとき天照大神が『この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)の帰(よ)する国なり、かた国の【うまし国】なり、この国に居(お)らむとおもう』と託宣している。

【うまし国】という表現は、物部氏の祖神である『ウマシマジノミコト』を思わせる。

※便宜上、スサノオ=大物主神=ニギハヤヒ(物部氏の祖神)と記したが、スサノオは日女命の弟なので、正しくはニギハヤヒの子孫で大物主神と同一神だということになる。

市比売神社 天児人形2

●神武の物部王朝乗っ取り計画と女性の太陽神

天皇家の祖神・天照大神は女神だが、太陽神が女神というのは珍しい。

しかし日本でも本来の太陽神は男神の天照國照彦天火明櫛饒速日尊=ニギハヤヒで男神だったのだろう。
そして代々ニギハヤヒの子孫が天照大神として皇位につく習わしだったのだと思う。

そこへ、日向から初代天皇の神武がやってきたが、皇位につくことができるのは天照大神=ニギハヤヒの血を引くものだけだというルールがあったのではないだろうか。

神武はひらめいたのだろう。「女性を天照大神にすればいいのだ。そして私が天照大神と結婚し、今後は私のy遺伝子をひきつぐ男子のみに皇位継承させればいい。こうして私は物部王朝を乗っ取ることができるのだ!」

●私たちは天照大神を呪わされていた?

もともと雛祭りとは息を吹きかけて穢れを移し、人形を川や海に流すものだった。
その身代りとしての役割を担うのに、物部王朝の姉弟はぴったりではないか。

私たちは夏越の祓や雛流しにおいて、みながそうするのにならって、人形に息を吹きかけて川や海に流す。
しかし、その人形とは実は物部王朝の姉弟である天照大神とスサノオなのではないか。

私たちは人形流しをすることで、スサノオだけでなく天照大神を呪わされていたのではないだろうか?

市比売神社 天児人形



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[2018/06/04 21:35] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)

人形の涙⑪ 加茂船屋 ひなまつり 『お雛様とお内裏さまは双子だった?』  

人形の涙⑩ 貴船神社 夏越の祓 『夏越の祓とユダヤの過越祭』  よりつづく~


加茂船屋の雛祭 着物と雛人形 



加茂船屋の民家 

雛祭りに男女の市松人形を飾ることがある。

 加茂船屋の雛祭

加茂船屋の雛祭でも、男女ペアの市松人形が何組か飾られていたが、男の子も女の子も同じ顔をしていた。

ネットを検索しても男女が同じ顔をした人形のペアの写真がたくさんでてくる。

https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2&ei=UTF-8&gdr=1&p=%E5%B8%82%E6%9D%BE%E4%BA%BA%E5%BD%A2+2%E4%BD%93+%E5%90%8C%E3%81%98%E9%A1%94

大和な雛祭 菊屋さんの雛人形

↑ こちらは大和郡山市の和菓子店・菊屋さんに置かれてあった市松人形である。

なぜ男女ペアの人形は同じ顔をしているのだろう?
男女ペアの人形は双子なのだろうか?

加茂船屋の雛祭 御殿飾り 
男女の双子は二卵性双生児で、一卵性双生児は同性のみだと思っていたが
ごくごくまれに、男女の一卵性双生児が生まれるそうである。

もともとはともにXY染色体をもつ男性だったのが、片方がY染色体を欠損し、その結果XOとなって女性となってしまうのだという。

染色体がXOというのはターナー症候群(ターナー女性)ではないかと思う。
ターナー症候群はまれに男女の一卵性双生児として生まれるケースがあるという。

ターナー症候群は身長が低かったり、第二次性徴がみられなかったり遅れたりすることがあるということだが、みなさん、ふつうに社会生活をおくっておられるそうである。



または性染色体がXXYで、XまたはY染色体がそれぞれ別に落とされて、性別が異なる一卵性多胎児が生まれるというケースも考えられるという。

しかし二卵性双生児でも兄妹または姉弟なので、よく似ているということはありそうだ。

私の知人のお嬢さんと息子さんの姉弟は年は5歳ほど離れているが、一卵性双生児かと思うくらい顔がよくにている。


加茂船屋の雛祭 三人官女 
なぜ雛祭りに同じ顔をした男女ペアの市松人形を飾るのだろうか。

市松人形の男性はお内裏様、女性はお雛様ということではないかと思う。

すると、お内裏様とお雛様は双子の兄妹または姉弟でなおかつ、夫婦なのか?

加茂船屋の雛祭 五人囃子


古には血の純潔を守るため同じ父親・同じ母親を持つ兄妹または姉弟の結婚はふつうにあったともいわれている。

細川智栄子さんの漫画「王家の紋章」に登場する古代エジプトの王女アイシスも同母弟のメンフィスを異性として愛しているという設定になっている。
メンフィスは21世紀からタイムスリップしてやってきたキャロルを愛しているので、アイシスの片思いなのだが。

加茂船屋の雛祭 ショーウィンドウに飾られた雛人形  

古代エジプトだけでなく、古代の日本でも兄妹または姉弟の近親婚はふつうにあったのではないかと思う。
記紀を読むと兄妹または姉弟の夫婦が何組か登場するからである。

例えば、イザナギ&イザナミ、アシナヅチ&テナヅチなどが兄妹の夫婦である。

加茂船屋の雛祭 六歌仙の屏風と雛人形 

そして私たちがよく知っている、あの神々も姉弟でかつ夫婦である。
天照大神とスサノオである。

黄泉の国から戻ったイザナギが禊をし、左目を洗ったところ天照大神が、右目を洗ったところ月読命が、鼻を洗ったところスサノオが生まれたという。

天照大神・月読命・スサノオは三つ子として生まれたのだ。

その後、なぜか月読命は記紀にはほとんど登場しなくなってしまうのだが。

そして天照大神とスサノオが天の安川をはさんでうけいの子産みをするという話がある。
子産みをしたということは、天照大神とスサノオは夫婦だということである。

加茂船屋の雛祭 呉服屋さんの雛人形 

引眉をして殿上眉を描き、お歯黒をした三人官女。


加茂船屋の民家2 



人形の涙 市比賣神社 最終回 『私たちは天照大神を呪わされていた?』  へつづく~
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[2018/05/29 10:15] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)

人形の涙⑩ 貴船神社 夏越の祓 『夏越の祓とユダヤの過越祭』 

貴船神社 夏越の祓 お祓い

人形の涙⑨ 吉田神社 追やらい神事 『弓で射られる方相氏』 よりつづく~


水無月の晦日(6月30日)、各地の神社で名越神事が行われる。
ここ京都の貴船神社でも夏越神事が行われており、神事に参加するために大勢の参拝者が神社にやってくる。
貴船神社の本殿前には大きな茅の輪が置かれており、神職さんの後に続いて一般の参拝者たちも歌を唱和しながら茅の輪を潜った。

水無月の 夏越の祓ひ する人は、千歳の命 延ぶといふなり (1回目/左回り)
思ふこと みなつきねとて 麻の葉を 切りに切りても 祓ひつるかな(2回目/右回り)
蘇民将来 蘇民将来(3回目/左回り)


きぶねじんじゃ ちのわくぐり_edited-1

茅輪潜りをするのは次の故事に基づくものである。

神代の昔、蘇民将来と巨旦将来という二人の兄弟があった。
蘇民将来は貧乏で巨旦将来は金持ちだった。
しかし貧乏ではあったが蘇民将来は武塔神(素戔嗚尊)に宿をかし、巨旦将来はこれを断った。
後に疫病が流行ったとき、武塔神は蘇民将来の子孫には茅の輪をつけて疫病から守ったが、茅の輪をつけない者はすべて死んだ。(備後国風土記)


私の友人はこんなことを言っていた。
「苗字が将来で、名前が蘇民と巨旦ということは、彼らは日本人ではないのではないか。
朝鮮や中国も苗字のあとに名前がくる。
名前のあとに苗字がくるのは西洋人である。
彼らは西洋人なのではないか。」
と。

貴船神社 夏越の祓2 
↑ 布を裂く神事。布を裂く音で悪霊を退散させるとかなんとか言ってたような?(曖昧ですいません)

確かに友人の言うことには一理あるかもしれない。
日本はシルクロードの東の到達点だった。遣隋使、遣唐使が大陸に送られ、また大陸から渡来人も多くやってきた。
東大寺の大仏の開眼導師を務めたのはインド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)だったというし、古代の日本は国際色が豊かであったと思われる。

実は夏越神事のルーツははるか西方にあるのではないか、とする説がある。

琉球地方には『シマクサラシ(疫祓いの意)』という風習がある。
牛を屠り、その血にススキの穂や桑の葉を浸し、家の門口や四隅に塗っておく。
こうしておくと、悪霊が入ってこないと言い伝えられ、旧暦の2月に行われることが多い。

同じような話が旧約聖書の『出エジプト記』の『過ぎ越しの物語』にある。

モーゼはすべての長老を呼び次のように言った。
『羊を過越の犠牲として屠りなさい。そしてその血にヒソプ(ハッカ科の植物)を浸し、鴨居と入り口の二本の柱に血を塗りなさい。そして夜があけるまで外に出ず、家の中に籠もっておくように。』と。
神ヤーベはエジプト人の家で生まれた初子を全て殺した。
その際、戸口に羊の血が塗られたユダヤ人の家には立ち寄らなかった。


それにちなんでユダヤでは毎年、太陽暦の3月末から4月初めころ、過越祭が行われている。

貴船神社 夏越の祓

それにしてもヤーベとは何とも身びいきで残酷な神だなあ、と思う。

琉球の『シマクサラシ』とユダヤの『過越祭』は日本の蘇民将来伝説に似ている。
血と茅は音が同じであるところから、日本では血のかわりに茅を使うのだろうか、などと思ったりする。

スサノオを祭る神社では『蘇民将来子孫也』と書いた護符を授与しており、人々はそれを求めて玄関に貼って魔よけにする。
同じ様にユダヤ人はメズサという神の言葉を書いた護符を家の門口につける。

蘇民将来は『将来蘇る民』と読める。
聖書には『終末にメシヤが到来し、死者は墓から蘇る』とある。
身びいきのメシヤが蘇させるのはユダヤ人であって、エジプト人ではないだろう。
蘇民将来はユダヤ人、巨旦将来はエジプト人のイメージと重なる。

蘇民将来がもてなした武塔神とはスサノオのことである。
スサノオは日本では牛頭天王と習合されている。
牛頭天王に対する信仰が日本に伝わってスサノオになったという説もある。
牛頭天王像は牛を頭に載せた姿のものもあるが、角の生えた姿で作られているものもある。

画像はこちら ↓

https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%8E%8B&ei=UTF-8&rkf=1&oq=%E7%89%9B%E9%A0%AD%E5%A4%A9%E7%9A%87

ミケランジェロが刻んだモーゼにもまた角がある。
ヘブライ語で光のことをkornと記す。
角もまたkornであり、ミケランジェロは光と角を間違えたのだろうとされている。
スサノオはモーゼをモデルとして作られた日本の神様なのかもしれない。

貴船の神は『丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻』に貴船山に降臨したとされているのも気にかかる。
丑は牛で貴船の神はスサノオと同一神なのではないだろうか。

佐伯好郎氏によれば、中国ではローマを『大秦』、景教(ネストリウス派キリスト教)の寺院のことを『大秦寺』と言った。
渡来人であった秦氏は京都市右京区の太秦を本拠地としていたが『太秦』と『大秦』は点ひとつの違いである。
そして広隆寺は別名『太秦寺』とも呼ばれていた。
さらに広隆寺の弥勒菩薩半迦思惟像の手の印は、壁画に描かれた景教徒の手の印と全く同じだと言っておられる。

Maitreya Koryuji

https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Maitreya_Koryuji.JPG
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/62/Maitreya_Koryuji.JPG よりお借りしました。
作者 日本語: 小川晴暘 上野直昭English: OGAWA SEIYOU and UENO NAOAKI [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で


こちら ↓ に正教のイコンの画像があるが、これも広隆寺弥勒菩薩の手の印によく似ている。
https://twitter.com/zam_zeed/status/602444256192532481

秦氏は『秦の始皇帝の子孫である』と称しており、日本書紀は秦氏は百済より渡来したと記している。
しかし、秦氏が住んでいた地域から発掘される瓦のほとんどは新羅系であり、また新羅地方で広隆寺の弥勒菩薩像とそっくりな像が見つかっており、新羅系であるという説が有力である。
また朝鮮半島の南に伽耶という国があり、国力が弱く新羅や百済の影響を受けやすかった。
この伽耶が秦氏の故郷だとする説もある。

日本書紀には応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ/秦氏の先祖とされる。新撰姓氏録では融通王となっている。)が民を率いて日本にやってきたと記されている。
ここから佐伯好郎氏は秦氏のルーツを中央アジアのバルバシ湖の南にあった『弓月王国』というキリスト教国であるとされた。

貴船神社 夏越の祓3

本殿前で茅輪くぐりをした後、参拝者に人形(ひとがた)が配られ、めいめい人形に息を吹きかけた。
人形に息を吹きかけて穢れを移すというおまじないである。

人形は仏像や神像と同じく神様である。
私は神様を自分のみがわりにするのは嫌なので、やらなかった。

神職さんたちは参拝者が息を吹きかけた人形を回収して木箱に納め、それから貴船川の下流にある禊ぎ場まで練り歩いていった。
そして神職さんたちは川べりに並んで貴船川に人形を流した。
無数の人形が花びらのように宙を舞い、清流を流れていった。
その人形の形はどこか十字架に磔になったキリストに似ているような気がした。

貴船神社 夏越祓





人形の涙⑪ 加茂船屋 ひなまつり 『お雛様とお内裏さまは双子だった?』  へつづく~
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[2018/05/26 09:59] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)

人形の涙⑨ 吉田神社 追やらい神事 『弓で射られる方相氏』 

人形の涙⑧ 手向山八幡宮 お田植祭 『御田植祭は追儺式を陽に転じた神事だった?』 よりつづく~

東一条通の北側は京都大学メインキャンパス、南側は吉田南キャンパスであり、東一条通は京都大学を分断する形で東西に伸びているが、それはそのまま吉田神社への参道となっている。

参道には露天商がずらりと並び、節分詣の参拝者で賑わっていた。
中には節分の縁起物である鰯を焼く店もあり、生臭い煙がたちこめていた。

京大志望の受験生は吉田神社に合格祈願に行くと必ず落ちる、という都市伝説がある。
一般には、吉田の神様は隣にある京大の学生の日ごろの行いをいつも見ていて、京大生にいい印象を持っていないからだなどと言われている。

しかし私はこのような都市伝説が生じたのは、吉田神社が藤原氏の神社であるからではないかと思う。
吉田神社は859年に藤原山蔭が藤原氏の氏神である奈良の春日大社の神を勧請して創祀した。
一方、学問の神とされるのは菅原道真である。
菅原道真は左大臣・藤原時平の讒言を受けて大宰府に左遷となり、失意のうちに死亡している。
道真は藤原氏を憎んでいるにちがいない。
それで藤原氏の神を祀る吉田神社を参拝する受験生は,道真公のご利益が受けられないと考えられたのではないだろうか。

吉田神社 方相氏 と しん子

冬の短い日が沈み、吉田神社の境内が闇に包まれると鬼やらい神事が始まった。
隣にいた少年が「鬼が来た!」と叫んだ。

赤い顔、金色に輝く四つの目、頭頂にはえた一本の角。赤い袍に高下駄を履き、右手には三叉に分かれた鉾を、左手には大きな楯を持っている。

しかしやってきたのは鬼ではない。
これは方相氏と呼ばれるものである。鬼に似ているが、方相氏は鬼を祓う正義の味方である。
そのあとに10人の童子(シン子と呼ばれる。シンの字は人偏に辰。)が続く。

吉田神社 節分祭 赤鬼

吉田神社 節分祭 青鬼

吉田神社 節分祭 黄鬼

次に赤鬼・青鬼・黄鬼が現れ、参拝者たちをおどす。
そして方相氏vs鬼の戦いとなる。
3匹の鬼はこん棒を持って方相似氏に向かっていくが、方相氏が鉾を振り下ろすと腰砕け状態となり、あたふたと山へと逃げ帰って行った。

吉田神社 節分祭 鬼と方相氏

方相氏は中国の天神、蚩蚘(シュウ)ではないかという説がある。
蚩蚘は炎帝神農氏の子孫であり、兵器を発明し、霧をあやつる力を持つ神である。

『帰蔵』という書物にには、『蚩蚘は八肱(八つの膝)、八趾(八つの足)、疏首(別れた首)を持つ』とある。
『疏首』というのは、首が二つあるということだろう。
私は蚩蚘とは二頭の獣が合体した神なのだと思う。
そう考えると蚩蚘が『八肱(八つの膝)、八趾(八つの足)』をもっていることの説明もつく。
獣は四趾(四つ足)である。四趾×2頭=八趾。
一本の脚に一肱(ひとつの膝)がある。獣は四足(四趾)なので四肱(四つの膝)がある。四肱(四つの膝)×2頭=八肱となる。

また『述異記』には『銅の頭に鉄の額、鉄石を食し、人の身体、牛の蹄、四つの目、六つの手を持つ』とある。
『四つの目』とあるのも二頭が合体しているからだろう。
二頭を合わせると足は8本だが、人の身体をしているとあるので、8本の足のうち2本が脚で、残りの6本が手(腕)ということだろう。

吉田神社 方相氏 と しん子

枕草子や源氏物語などに追儺式に登場する方相氏の記述がある。
それらの記述から平安時代の追儺式は次のようなものだったと考えられている。

追儺式は戌の刻(午後八時頃)に始まる。
天皇は紫辰殿に出御し、陰陽師が祭文を読みあげる。
次に方相氏が二十人ほどのシン子を従えて登場する。
方相氏は四つ目の黄金の面を着け、真っ赤な衣装(或いは上が黒、下が赤とも)を纏う。
方相氏は大舎人の中から体格のいいものが選ばれた。
方相氏は矛と盾を持ち、矛を地面に打ち鳴らして『鬼やらい、鬼やらい』と唱えて宮中を歩き回る。
その後に殿上人たちが桃の弓と葦の矢を持って続いた。


桃の弓と葦の矢を持つのは、桃や葦に邪気を祓う力があるとされていたためである。

平安時代の追儺式と、吉田神社の追儺式には大きな違いがある。
もう一度、平安時代の追儺式についての記述を読んでほしい。
そう、平安時代の追儺式には方相氏は登場するが、鬼は登場しないのだ。
平安時代には鬼は目に見えないものとして追儺式が行われていたのだろう。
吉田神社のように、追儺式に鬼が登場するようになるのは、もう少し後の時代のことだと考えられる。

吉田神社 節分祭 赤鬼

平安時代後期の人物、大江匡房の『江家次第』には『殿上人長橋の内に於いて方相を射る』とある。
なんと鬼を祓う正義のヒーロー、方相氏を射るというのである。

さらには室町時代の『公事根源』には、『鬼といふは方相氏の事なり。四目ありておそろしげなる面をきて、手に盾・鉾を持つ。』とある。

方相氏は怖そうな顔をしているので鬼と間違えられたのだろうか。
そういえばさきほど方相氏をみて「鬼が来た」と言った少年がいたではないか。
しかし私は、『江家次第』や『公事根源』が方相氏と鬼を混同したのではないと思う。

前回の記事の中で私は次のように書いた。
平安時代の延喜式には
『大寒の日に宮中の12の門にそれぞれ土牛を引くの童子を象った人形を立てる。これを立春の日の前夜(節分の夜)に撤去する』
とあると。

牛は丑、童子は八卦では艮(丑寅)を表す。
干支で12か月を表現すれば、丑は12月、寅は1月である。
牛は丑で12月を、童子は丑寅で12月と1月のあいだ、つまり1年の変わり目を表すものだと考えられる。
その像をなぜ大寒の日に門にたて、節分の夜に撤去するのだろうか。
それは『土牛を引く童子の像』が『身代わり人形』で、その像の中に冬の気を吸い込むことで、冬の気が宮中に入るのを阻止すると考えられたためではないだろうか。

ここから発展したのが方相氏による追儺式なのではないだろうか。
動かない人形よりも動く方相氏によって、もっと積極的かつ徹底的に冬の気を吸い込ませようというのだろう。
そして方相氏が冬の気を体内いっぱいに吸ったところで弓を射て、冬の気を一気に退治するという意図があったのではないだろうか。

息を吹きかけて穢れを移され、川や海に流されて葬られる人形と、方相氏は同じ役割を担わされているのだ。

下鴨神社 流し雛

下鴨神社 雛流し


貴船神社 夏越祓

貴船神社 名越の祓

方相氏の正体は2頭の牛が合体したものだと考えられる。
そしてシン子は『童子』である。
つまり、シン子を引き連れた方相氏とは『牛を引く童子の像』と同じ意味を持つものだと考えられる。
方相氏は牛なので、干支の丑、12月をあらわしている。
シン子は童子で、童子は八卦では艮(丑寅)をあらわしている。
丑は12月で寅は1月なので、童子=シン子は1年の変わり目をあらわすもの、ということになる。
つまり、方相氏とシン子は目に見えない冬の気を視覚化したものだとも考えられる。

大寒の日、諸門にたてられた牛と童子の像は節分の日に撤去される。
撤去されたのち、どうされたのかは記述にないのでわからないが、流し雛のように川や海に流されたのかもしれない。
あるいは炮烙(ほうらく)のように割られるか。

壬生寺や千本閻魔堂では節分の日に炮烙を奉納し壬生寺は4月に、千本閻魔堂では5月の狂言の舞台で割る。

千本閻魔堂 炮烙割り 
千本閻魔堂 炮烙割り

方相氏とシン子も土牛や童子の像と同じ性質のもの、身代り人形だったと考えられる。
すなわち、その体内に冬の気を吸い込んだのち、弓で射られて殺される必要があったのではないだろうか。
それで、『江家次第』に『方相を射る』と記されているのだと思う。
『江家次第』を表した大江匡房は鬼と方相氏を混同したわけではないと思う。

『公事根源』に、『鬼といふは方相氏の事なり。』とあるのも、間違いだとは言い切れないと私は思う。

すでに見たとおり、方相氏は二頭の牛が合体した神だと思われる。
なぜ二頭の牛が合体しているのか。

密教の神・大聖歓喜天にこんな話がある。

インドのマラケラレツ王は大根と牛肉が大好物であった。
牛を食べつくすと死人の肉を食べるようになり、死人の肉を食べつくすと生きた人間を食べるようになった。 
群臣や人民は王に反旗を翻した。
すると王は鬼王ビナヤキャとなって飛び去ってしまった。 
その後国中に不幸なできごとが蔓延し、それらはビナヤキャの祟りであるとされた。
そこで十一面観音はビナヤキャの女神に姿を変え、ビナヤキャの前に現われた。
ビナヤキャはビナヤキャ女神に一目ぼれし、『自分のものになれ』と命令した。
女神は『仏法を守護することを誓うならおまえのものになろう』と言い、ビナヤキャは仏法守護を誓った。 


Icon of Shoten

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AIcon_of_Shoten.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/c7/Icon_of_Shoten.jpg よりお借りしました。
作者 不明 (平安時代の図像集『別尊雑記』(心覚 撰)巻 42より) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

神はその表れ方によって御霊(神の本質)・和魂(神の和やかな側面)・荒魂〈神の荒々しい側面)の3つに分けられ、女神は和魂、男神は荒魂だとする説がある。
とすれば、御霊とは男女双体ということになると思う。

大聖歓喜天の話は、この御霊・和魂・荒魂という概念にぴたりとあてはまる。

御霊・・・神の本質・・・・・・・男女双体・・・大聖歓喜天・・・・・方相氏(二頭の牛が合体している。)
和魂・・・神の和やかな側面・・・女神・・・・・ビナヤキャ女神・・・雌牛
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・男神・・・・・ビナヤキャ・・・・・雄牛

大聖歓喜天の話から、男女を和合させるというのは、荒ぶる神を仏法守護の神に転じさせる呪術であったと考えられる。

牛の男神は1柱では鬼であるが、牛女神をあわせて男女双体にすれば、仏法守護の神に転じる。
それが方相氏の正体だと私は思う。



人形の涙⑩ 貴船神社 夏越の祓 『夏越の祓とユダヤの過越祭』 へつづく~
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[2018/05/11 09:23] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)

人形の涙⑧ 手向山八幡宮 お田植祭 『御田植祭は追儺式を陽に転じた神事だった?』 

人形の涙⑦ 人麿神社 『首が抜ける人麻呂像』 よりつづく~


今日は2月3日、1年でもっとも寒い季節である。
ちらちらと雪の降る中、田向山八幡宮で御田植祭が行われた。

田向山八幡宮 御田植祭5  
舞殿に翁が登場して鍬で田おこしをする。

田向山八幡宮 御田植祭4

牛の面を被った少年が隙を引き回す。

田向山八幡宮 御田植祭


田向山八幡宮 御田植祭2

翁が種籾を撒く翁が種籾を撒く。

神殿前の舞殿に翁面を被った人が現れ、鋤で他を耕す所作をしたのち、牛の面を被った少年がモーモーと鳴きながら鋤を引き回した。
そのあと翁は「福の種を蒔こうよ」と言いながら種籾を撒いた。
最後に巫女・童子・田主・地謡の人々らが拝殿より豆を撒き、参拝者たちは競いあって豆を掴もうとしていた。

手向山八幡宮 御田植祭

私はこれを見て気がついた。
節分の追儺式を陰の行事とすると御田植祭とは追儺式を陽に転じた神事であることに。

お田植祭は各地の神社で行われている。

大和神社のお田植祭は2月10日。
廣瀬神社の砂掛け祭は2月11日。 (牛が鋤を引き回し、早乙女が田植えをするのでお田植祭だといっていいだろう。)

広瀬神社 砂掛け祭 牛をひく田人

広瀬神社 砂掛け祭 田人2

広瀬神社 砂掛け祭 早乙女

廣瀬神社 砂掛け祭


飛鳥坐神社 おんだ祭 狂言 田おこし

飛鳥坐神社 おんだ祭 狂言 早苗をまく

飛鳥坐神社のおんだ祭

飛鳥坐神社のおんだ祭は2月の第1日曜日。

村屋坐弥冨都比売神社(むらやにますみふつひめじんじゃ)の御田祭は2月11日。
葛木倭文坐天羽雷命神社のは4月15日である。

私はそれまでこれらの御田植祭を見に行ったことがあるにもかかわらず、御田植祭が節分行事であるということに気がつかなかった。

これらの行事は節分ではない日に行われている。
しかし、祭礼の日は変更されることもある。
もともとの御田植祭とは手向山八幡宮のように、節分の日に行われていたのではないだろうか。

御田植祭の神事は節分の追儺式にとてもよく似ている。

追儺式に登場する鬼は牛の角を生やし、虎のパンツを履いている
石清水八幡宮 鬼やらい神事-豆まき

石清水八幡宮 鬼やらい神事

牛は干支の丑を、虎は干支の寅をあらわしているとする説がある。
確かにそのとおりだろう。
丑は12月、寅は1月である。
なので、牛の角を生やし虎のパンツを履いている鬼は丑寅、すなわち1年の変わり目をあらわすものと考えられる。
そして、それを追払うことで、目には見えない1年の移り変わりを視覚化したのが追儺式だといえるだろう。

江戸時代までの日本では太陽太陰暦と二十四節気を併用しており、節分とは二十四節気の立春(正月)の前日、すなわち大晦日のことである。
そのため江戸時代までは、正月が二回あったのである。

これを表す歌が古今和歌集にある。

年の内に 春はきにけり ひととせを 去年とや言はむ 今年とや言はむ/在原元方
(太陽太陰暦ではまだ新年はやってきていないのに、二十四節気の立春がやってきてしまった。昨日までは去年と言うべきか、それとも今年というべきなのか。)


そしてお田植祭では丑役の童子が登場するが、八卦では童子は丑寅を表している。
つまり、牛は丑で12月、童子は丑寅で1年の変わり目を現すもので、節分の鬼と御田植祭の丑役の童子はどちらも1年の移り変わりをあらわすものだと考えられる。

また追儺式では鬼を祓うが、御田植祭では丑寅をあらわす牛童を使って田おこしをする。
また、追儺式では豆を撒いて鬼を追払うが、お田植祭では籾をまいて発芽させる。

どうだろう、お田植祭は追儺式を福に転じたものだといえるのではないだろうか。


お田植祭では丑役の童子が登場するが、平安時代の延喜式には『大寒の日に宮中の12の門に12組の童子が土牛を引くのを象った人形を立てる。これを立春の日の前夜(節分の夜)に撤去する』とある。

大寒の日に門にたてられた童子は艮、土牛は丑で1年の変わり目を表しているのだろう。
なぜ節分の夜に撤去されるのだろうか。

田向山八幡宮 御田植祭3




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[2018/05/07 13:44] 人形の涙 | トラックバック(-) | コメント(-)