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陰陽 黒と白 ⑬『惟喬親王、入定して紀仙法師となる?』 

平等院 門

平等院

陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神  よりつづきます~

①宇治茶

京阪宇治駅をおりて平等院のほうに向かって歩いていくと門前の店店からお茶の甘い香りが漂ってくる。

宇治と言えば宇治茶。この付近にはお茶を売る店がたくさんあるのだ。

中でも抹茶ソフトクリームを売る店が、ひときわ賑わっており、店の前のベンチで大勢の人がソフトクリームを食べている。
見ると、みな唇が緑色の粉をふいたようになっている。
一瞬、ぎょっとしたがよく見るとソフトクリームに粉末状にした抹茶がふりかけてあるのだ。

私も注文して食べてみた。友人が私の顔を見て笑ったが、友人の顔も唇が真みどりになっている。
それがおかしくて、私も笑った。

平安時代の空海が唐からお茶を持ち帰ったというが、それが真実でも、その量はわずかなものだっただろう。
同じく平安時代の空也が疫病を鎮めるために皇服茶(仏前に献じたお茶に結び昆布と梅干を入れたもの)を村上天皇や民衆に飲ませたというが、とかいうが、村上天皇はお茶を飲んだとしても、民衆にまでそれを飲ませたとは思えない。
当時、お茶は大変効果なものだったからだ。

六波羅蜜寺 皇服茶

六波羅蜜寺 皇服茶

日本に喫茶の習慣を広めたのは鎌倉時代初期の栄西と言われる。
栄西は宋から茶種を持ち帰り、明恵がそれを栂ノ尾高山寺近くに植え、その後宇治にも植えた。

13世紀半ば、平等院に小松茶園・西浦茶園が造られて宇治での茶の栽培が始まった。
南北朝時代には栂ノ尾のお茶は本茶、醍醐や宇治のお茶は非茶と呼ばれていたが、しだいに宇治は一流のお茶の生産地として発展していった。

平等院 鳳凰堂2

平等院

②喜撰とお茶


お茶といえば、「泰平の 眠りを覚ます 上喜撰 たった四杯で 夜も眠れず」という狂歌を思い出す人も多いのではないだろうか。

1853年のペリー来航を詠んだ歌である。
宇治茶に喜撰という銘柄があり、上等なお茶であることから上喜撰といっているのだろう。
その上喜撰に蒸気船をかけてあるのだ。
さらにお茶の成分であるカフェインには眠気をさます効果があって眠れないことと
蒸気船が四隻(実際には2隻だともいう。)やってきただけで、不安で眠れないことをかけてあるのだ。
ペリー来航後、日本は長年の鎖国をやめ、開国へと進んでいくことになる。

宇治茶の銘柄を喜撰というのは、喜撰法師の次の歌にちなむものである。

わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世を宇治山と 人はいふなり
(私の庵は都の辰巳にあってこうやって住んでいる。世を憂しとして山に入った。宇治山であると人入っているそうだ。)


またお茶のことを隠語で喜撰という。

どうやらお茶と喜撰は関係が深そうである。

霊山寺 初福茶 

霊山寺(奈良) 初福茶


③紀貫之の嘘

古今和歌集仮名序は喜撰法師について次のように記している。

ことばかすかにしてはじめをはりたしかならず。いはば秋の月を見るに、暁の雲にあへるがごとし。詠める歌、多くきこえねば、かれこれをかよはしてよく知らず。

(ことばがわずかで初め終わりがはっきりしない。いわば秋の月を見ているうちに暁の雲にあうようなものだ。詠んだ歌が多くないので、いろいろ文をかよわして調べてみたがよくわからない。)

古今和歌集仮名序を書いたのは紀貫之だといわれている。

紀貫之は土佐日記でも「男もすなる日記というものを、女もしてみむとてするなり。」と嘘をついているが
古今集仮名序でも嘘をついている。いや、とぼけたというべきか。

喜撰法師は紀仙法師で紀名虎または紀有常のことではないかとする説があるのだ。
同じ紀氏なんだから紀貫之が知らないはずはない。まったく貫之は一筋縄ではいかない男だ。

近江神宮 かるた祭2

近江神宮 かるた祭

④宇治は都の辰巳

高田祟史さんが「宇治は都の辰巳ではない、都の辰だ」とおっしゃっていたように記憶している。
当時の平安京は二条城付近にあった。

そして宇治の喜撰山に喜撰洞があり、洞内に喜撰法師像が祀られている。
ここが喜撰法師の棲んだ庵のあとではないかと思う。

二条城から宇治の喜撰洞の方角を確認してみると、申し訳ないが都の辰というのは厳しいのではないか。
やはり都の辰巳というのが正しいように思える。


喜撰洞の北西方向に二条城があります。

干支 方角

⑤「もののな」の高度なテクニック

さらに高田祟史さんは「わが庵は都の辰」できれ、「巳(み)しかぞ住む」→「みろく※鹿はろくとよむ)ぞ住む」という意味が隠されているともおっしゃっていた。
④で述べたように「わが庵は都の辰」とはいいがたいが、「わが庵は都の辰巳 しかぞ住む』の中に、「みろく」という言葉をよみとられたのは、高田祟史さんの素晴らしい発見だ。

この歌の中から「みろく」という言葉を読み取るのがむつかしいのは、ひとつは「わが庵は/都の辰巳/しかぞ住む」と「巳」と「しか」の間で文節が切れていることがある。
さらに、「しか」を漢字に変換して「鹿」とし、「鹿」を「ろく」と読むという発想はなかなか思い浮かばない。

和歌のテクニックのひとつに『もののな』がある。
もののなとは、ある事物の名称を、意味に関係なく歌の中に詠み込むものである。

たとえば「あしひきの 山たちはなれ ゆく雲の 宿り定めぬ 世にこそありけれ」という歌があるが、この歌の中に「たちばな」という言葉が読み取れる。

上の詩は「山たちはなれ」と五七五七七で構成されるひとつの文節の中に「たちばな」とあり、ひらがななので言葉を発見するのは比較的たやすい。
しかし「わが庵は都の辰巳 鹿ぞ住む』の中に「みろく」を発見するのは難しい。
高度な「もののな」のテクニックだといえるだろう。

奈良公園 鹿の親子

⑥ばれないように詠むのが大事

高田祟史さんは和歌は文学ではなく呪術だとおっしゃっているが、私は高田祟史さんのおっしゃる通りだと思う。

和歌ではないが、言葉を呪術として用いた例として
1610年、徳川家康が方広寺の鐘名「国」「君臣豊楽」に激怒したというエピソードがある。

方広寺 鐘銘 

方広寺鐘銘

「国だと?私(家康)の名前を切っているじゃないか!
「君臣豊楽子孫殷昌だと?豊臣を君として子孫の殷昌を楽しむ、という意味ではないか!
けしからんーーーー!」

こう家康は怒り、豊臣家を滅亡させてしまったのだ。

現代人はこれを家康のいちゃもんだと考えがちである。
しかし私は豊臣秀頼が本当に家康が指摘したような呪術を用いて鐘銘を刻んだ可能性があると思う。

言霊信仰という言葉を聞いたことがあることだろう。
言霊信仰とは口に出した言葉は実現する力があるとする信仰のことである。

ポジティブなことを言葉にすればポジティブなことがおき、ネガティブなことを言葉にすればネガティブなことがおきるとすれば
憎い相手を言葉の力によって貶めたいと考えるのは当然のことだと思う。

この事件は言葉に呪術をこめる伝統があったことを物語ってはいないだろうか。
「国」「君臣豊楽」とはなかなかうまい呪術を考えたものだ。
しかし相手にばれてしまうと、怒りをかって豊臣家のように滅ぼされてしまう。
呪術は慎重にかけなければならないのだ。

喜撰法師の「もののな」のテクニックはすごい。
この歌に『巳鹿→みろく」と言う言葉が隠されていることに気付いた人は、1000年近い長い年月の中でも高田祟史さん以外いないのではないか。

喜撰法師の和歌は一級の呪術だといえると思う。

⑦喜撰法師は入定した?


宇治には萬福寺という寺があり、天王殿に黄金に輝く布袋像が祀られている。
布袋は弥勒菩薩の化身とされている。

萬福寺 布袋  

萬福寺 布袋像

萬福寺は1661年に創建された寺だが、宇治に弥勒菩薩というイメージがあったため、ここに弥勒菩薩の化身である布袋像が置かれているのかもしれない。

弥勒菩薩とは56億7000万年後に現れるというみほとけである。
そして、かつて即身仏を志した人の目的は56億7000万年後の弥勒菩薩の聖業に参加するためだと聞いたことがある。

ここで④で述べた喜撰洞を思い出してほしい。
喜撰法師は即身仏となるべく、喜撰洞に入定したのではないだろうか?

⑧六歌仙は藤原氏と敵対していた?

③で喜撰法師は紀仙法師で紀名虎または紀有常のことではないかとする説があると書いた。
しかし私はしだいに喜撰法師(紀仙法師)とは惟喬親王のことではないかと考えるようになった。
惟喬親王の母親は紀静子で、惟喬親王は紀氏の血の濃い親王であった。
なので、惟喬親王を紀仙法師と呼ぶことはおかしいことではない。

六歌仙(遍照・在原業平・文屋康秀・小野小町・喜撰法師・大友黒主)は全員、藤原氏と敵対関係にあった人物である。

大友黒主は大伴黒主と記されることもあり、また大友家持とほとんど同じ歌を詠んでいることなどから、大伴家持のことだと思われる。
大伴家持は藤原種次暗殺事件に関与したとして、当時すでに亡くなって埋葬されていたのだが、死体を掘り出されて流罪とされている。
陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? 

小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王のことだと私は考えている。
陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 
つまり喜撰法師も小野小町も惟喬親王のことだということである。

遍照・在原業平・紀有常(惟喬親王の叔父)は惟喬親王の歌会のメンバーである。

惟喬親王は文徳天皇の第一皇子で母親は紀静子だった。
文徳天皇は惟喬親王を皇太子にしたいと考えていたのだが、当時の権力者・藤原良房を憚った源信にいさめられ、藤原良房の娘・明子との間にできた惟仁親王(のちの清和天皇)が皇太子となった。

世継ぎ争いに敗れた惟喬親王は頻繁に歌会を開いているが、この歌会のメンバー・遍照・在原業平・紀有常らは歌会と称して惟喬親王を担ぎ上げてのクーデターを計画していたのではないかとする説がある。

文屋康秀は小野小町を「三河に行きませんか」と誘っている。
小野小町=惟喬親王だと考えられるので、文屋康秀もまたクーデター計画にかかわっていた可能性がある。

惟喬親王像 

惟喬親王像 木地師の里


⑨惟喬親王と漆の関係

六歌仙の説明が終わったところで、私がなぜ喜撰法師=惟喬親王だと考えているのかについて説明しよう。

惟喬親王は京都嵐山の法輪寺に籠った際、虚空蔵菩薩から漆の製法を授かったという伝説がある。

法輪寺 ライトアップ

法輪寺

 そして、私は先ほど次のようなことを述べた。

・喜撰法師の歌に「みろく(弥勒)」が読み込まれていること、
・即身仏になるべく入定した人の目的は56億7000万年後に現れるとされる弥勒菩薩の聖業に参加することだったこと、
・喜撰洞は喜撰法師が即身仏となるべく入定した洞窟なのではないか

即身仏になる際には、まず木食といって五穀をたち、木の実や皮を食べる修行をする。
こうすることによって体の脂肪が減る。
さらに入定する前に漆を飲む。
漆を飲むことで、胃の中に残った食物を吐いてしまう。
また漆には防腐作用があるため、死後腐りにくい体になるというのだ。

惟喬親王が法輪寺に籠った際、虚空蔵菩薩から漆の製法を授かったという伝説は、彼が入定して即身仏になったところから創作されたのではないか?

また陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 
上の記事で、私は小野小町とは小野宮と呼ばれた惟喬親王のことではないかと考察したが
小野小町は老衰し骨と皮だけの姿で現されることが多い。
私は京都の補陀落寺で小町老衰像を拝んだことがあるが、痩せて骨と皮ばかりの状態ではあるが骨が曲がっているということはない。
むしろ背筋がのび、骨格もしっかりしていて骨太な印象だった。
垂れ下がった乳房もあるようには見えなかった。(着物で隠れているだけかもしれないが。)
友人もこれは女には見えないと言っていた。

小町百歳像は惟喬親王が入定して即身仏となった姿ではないだろうか。

補陀落寺(小町寺) 紅葉

補陀落寺

⑩惟喬親王と轆轤の関係

惟喬親王は巻物が転がるのを見て轆轤を発明したという伝説もあり、轆轤がろくろ首に見えるところから、惟喬親王は髑髏本尊になったのではないかとも考えた。
髑髏本尊は身分の高い人のドクロを用いて作るほど霊力があるとされ、ドクロに和合水と漆を塗り重ねてつくる。
さきほども述べたように惟喬親王が虚空蔵菩薩から漆の製法を授かったという伝説もある。

しかし小町老衰像を見ると、即身仏のように見えるので、惟喬親王は即身仏になったと考えたほうがいいかもしれない。
その場合、伝説が生じた経緯は次のようなものであると考えられるかもしれない。

木地師資料館 惟喬親王像  

木地師資料館の惟喬親王像
下の女性と男性が轆轤を使って器を作っている。


惟喬親王は漆を飲んで入定した。
  ↓
惟喬親王が虚空蔵菩薩より漆の製法を授かったという伝説が創作される。
  ↓
漆は木地師が用いる茶碗に塗る。
  ↓
惟喬親王、木地師の祖とされる。
  ↓
惟喬親王、轆轤を発明したという伝説が創作される。

即身仏になるため入定する際、漆を飲むのだが、「漆のお茶を飲む」と記されたサイトもあった。
漆の木に傷をつけると樹液がでてくる。これに顔料を加えて色をつけ、漆器などに塗り重ねるのだが
もともとの漆の樹液は乳白色である。
しかし、すぐに酸化して茶色くなる。その色はほうじ茶のような色である。

戦国武将たちは茶の湯をたしなんだが、それは茶の湯に入定する際に飲む漆のイメージがあったからかもしれない。
 
前回、前々回の記事で、私は大友黒主は黒い神、小野小町は白い神と書いた。
陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 
陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 

陰陽道では黒は陰で、白は陽である。
また陰陽道で生死を表すと、死が陰で、生が陽である。

大友黒主は死後藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、死体が掘り返されて流罪となった。
大友黒主の死体は腐っていたことだろう。

そして小野小町=小野宮=惟喬親王が喜撰洞に入定したのならば、腐らない体の即身仏となっていた可能性が高い。

つまり大友黒主は死んで腐った神、小野小町=小野宮=惟喬親王は即身仏となって腐らない神ということではないだろうか。
そして腐らない即身仏は永遠の命を持つ神、生きている神として信仰されたのではないかと思う。

小野小町像 
髄心院 小野小町像


次回へつづく~
トップページはこちらです→
陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2018/10/16 20:56] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 

祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山 ご神体(大友黒主)

陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる?  よりつづきます~

①大友黒主は黒い神、小野小町は白い神。

「六歌仙の一、大友黒主は大伴家持ではないか」
「大伴家持主は白い神から黒い神に転じて大友黒主となったのではないか」
前回私はそう書いた。
陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 

そして六歌仙の中には白い神もいる。
小野小町だ。

小野小町像 
髄心院 小野小町像

②百引く1は白

なぜ小野小町は白い神だといえるのか。

それは、紀貫之が書いたと言われる伊勢物語にこんな話があるからだ。

昔、色気づいた女が三人の子に「思いやりのある男にお会いしたい」と話した。
三男は「よい男が現れるでしょう」と夢判断をし、在五中将(在原業平)に頼み込んだ。
在五中将は女をかわいそうに思ってやってきて寝た。
しかしその後、在五中将は女のもとへやってこなくなり、女は男の家に行って中を伺った。
男は女をちらっとみて歌を詠んだ。
ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百年に1年たりない九十九歳の白髪の女が、私を恋い慕っているのが 面影に見える。)

その後、男がでかけようとしたので、女は家に戻って横になった。
在五中将が女の家の前で中を伺うと、女は次のように歌を詠んだ。

さむしろに 衣かたしき こよひもや こひしき人に あはでのみねむ
(狭いむしろに衣を一枚だけ敷き、今宵も恋しい人に会えずに寝るのだろうか。)

在五中将は女がかわいそうになり、その夜は女と寝た。

伊勢物語には単に「色気づいた女」とあるが、伊勢物語の注釈書『知顕集』には次のように記されている。
「このをんなは、をののこまちなり。小野小町とふ、こまちには子ありともきかぬに、三人ありといへり。いかなる人の子をうみけるぞや、おぼつかなし。」
(この女は小野小町である。小野小町に子供があったとは聞いたことがないが、三人の子がいるとしている。どんな人の子を産んだのかはっきりしない。)

業平が詠んだ歌に注目してほしい。

ももとせに ひととせ足らぬ つくも髪 我を恋ふらし おもかげに見ゆ
(百年に1年たりない九十九歳の白髪の女が、私を恋い慕っているのが 面影に見える。)

つくも髪は九十九髪と記し、白髪のことである。
そのココロは、「100-1=99」であり、「百引く一は白」だからである。うまい、座布団2枚!



白峯神宮 小町踊

白峯神宮 小町踊り

③小野小町は男だった?

私は小野小町とは男だと考えている。

こちら ↓ のシリーズにその理由を詳しく書いたのだが、簡単にまとめておこう。
http://arhrnrhr.blog.fc2.com/blog-category-15.html

①古今和歌集には男が女の身になって詠んだ歌がたくさんある。

②六歌仙とは古今和歌集仮名序で名前を挙げられた6人の歌人のことを言うが、古今和歌集仮名序は紀貫之が書いたと言われている。
この紀貫之は「土佐日記」で「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と自分は男であるが、女であると偽って日記を書くような一筋縄ではいかない人物だった。

③古今和歌集仮名序には次のようにある。
「小野小町は いにしへの衣通姫の流なり あはれなるやうにて強からず いはばよき女の悩めるところあるに似たり
強からぬは 女の歌なればなるべし」
やけに小町が女であることを強調しすぎてはいないだろうか。

④小野小町は穴がない体だったという伝説がある。
穴がない体とは男であるということではないのか。

⑤六歌仙とは歌のうまい歌人というのは現代人の誤解だと思う。
高田祟史さんは六歌仙は全員藤原氏と敵対していた人物であると指摘し「六歌仙は怨霊である」とおっしゃっている。

⑥六歌仙のうち、遍照・在原業平は惟喬親王の歌会のメンバーである。
また惟喬親王の歌会には紀有常(惟喬親王の叔父)も参加しているが、六歌仙の一・喜撰法師は紀有常だとする説がある。

惟喬親王は文徳天皇の第一皇子母親は紀有常の妹の紀静子だった。
文徳天皇より立太子が望まれていたが、世継ぎ争いに敗れ、藤原良房の娘・明子を母親にもつ惟仁親王(のちの清和天皇)が立太子している。

遍照・在原業平・紀有常らは歌会と称して惟喬親王を担ぎ上げてのクーデターを計画していたのではないかといわれている。

⑦惟喬親王は小野宮という広大な邸宅に住み、自身も小野宮と呼ばれていた。
小野小町とは小野宮=惟喬親王のことではないのか?

⑧三国町は一般には三国氏出身の女性だと考えられているが、『古今和歌集目録』は三国町を紀名虎の娘で仁明天皇の更衣(紀種子・・・紀静子の姉)としている。
また三条町は惟喬親王の母親・紀静子のことである。どうやら紀氏の女性を「町」と呼んでいるようである。
惟喬親王は三国町の甥であり、三条町の息子なので、三国町・三条町とは一代世代が若くなる。
そのため惟喬親王が女の身になって詠んだ歌の作者を小野小町としたのではないか。

⑨小野小町の歌「花のいろは うつりにけりな いたづらに わがみよにふる ながめせしまに」は
「花の色は 移りにけりな いたづらに わが御代に下(ふ)る 長雨せしまに」ではないか。
「御代」とは「天皇の治世」で「わが御代」とは「私が天皇となって治める世の中」となる。
「長雨」は「長天」にかかり、「下長天」で漢字を入れ替えると「長天下(長い天下)」となる。
「わが御代が長い天下となるだろう」と堂々と歌い上げることができる人物として、惟喬親王はふさわしい。

髄心院 薬医門 桜2

小野小町の邸宅跡とつたわる髄心院

惟喬親王には兼覧王という男子と三条町(叔母と同じ名前だが?)がいたらしいが、兼覧王は仁明天皇の第六皇子・国康親王の子ともされ、出自がはっきりしない。
ただ紀貫之は兼覧王に面会して感激したということが古今和歌集に記されている。
いうまでもなく紀貫之は紀氏の出身であり、紀氏の血をひく惟喬親王のことは敬愛していたことと思われる。
なので彼が、兼覧王の面会に感激したというのは、兼覧王が惟喬親王の子だからではないかと思ったりもする。

惟喬親王像 

惟喬親王像 木地師の里


また、小町が惟喬親王だとすれば、業平が惟喬親王と寝たというのは、男色である。
しかし日本において男色はふつうのこと、というより衆道と呼ばれるたしなみであった。
戦国武将の男色は有名だが、平安時代の藤原頼長の日記「台記」には頼長が稚児・舞人・武士・貴族たちとの男色が記されている。

大友家持=大友黒主は、はじめは白い神だったが、のちに黒い神に転じたと思われる。
ところが、小野小町には黒のイメージはなく、ずっと白い神であったようである。
両者の違いはどこにあるのか。

次回はそれを考えてみようと思う。


髄心院 小野小町

ライトペインティングのジミー西村さんと織物会社が共同制作したタペストリー(髄心院)


陰陽 黒と白 ⑬『惟喬親王、入定して紀仙法師となる?』 へつづく~
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[2018/10/06 22:27] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? 



陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? よりつづきます~。


祇園祭 黒主山 御神体

祇園祭 黒主山 ご神体(大友黒主)


①大友黒主の正体は大伴家持だった?

前回の記事、陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? で、大友黒主とは大伴家持のことではないかと書いた。

その理由を簡単にまとめておこう。

a.古今和歌集真名書に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』とあるが、百人一首で猿丸太夫は5番で、その次の6番は大伴家持である。(百人一首のそれぞれの歌には1~100までの番号がふられている。)

b.大友黒主と大伴家持はよく似た歌を詠んでいる。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)

白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


c.大伴家持は藤原種継暗殺事件に連座したとして、死後、墓から死体が掘り出されて子孫とともに流罪となっている。
大伴家持の死体は腐敗し、蛆がたかったような状態であったのではないだろうか。

真名序に『(大友黒主は)頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるが、逸興とは「死体が掘り出されたこと」、『鄙し』は『死体が腐って卑しい」という意味ではないか。

d.http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
骨が露出

鬼という漢字は死者の魂をあらわすものだとされる。
大伴黒主という名前は、家持の死体が黒鬼のような状態になっていたところからつけられたのではないか。

e.小野小町と大伴黒主が宮中で歌合をすることになった。
歌合せの前日、大伴黒主は小町の邸に忍び込み、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きした。

蒔かなくに 何を種とて 浮き草の 波のうねうね 生ひ茂るらん
(種を蒔いたわけでもないのに何を種にして浮草が波のようにうねうねと生い茂るのでしょうか。)

当日、紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが列席して歌合が始まった。
小町の歌は天皇から絶賛されるが、黒主が小町の歌は『万葉集』にある古歌である、と訴えて、万葉集の草紙を見せた。
ところが小町が草紙に水をかけると、その歌は水に流れて消えてしまった。
黒主は昨日盗み聞いた小町の歌を万葉集の草紙に書き込んでいたのだった。
策略がばれた黒主は自害を謀るが、小町がそれをとりなして和解を祝う舞を舞う。(草紙洗い)


大伴家持は優れた歌人であり、万葉集を編纂した人物でもあった。
そして謡曲・草紙洗に登場する家持以外の歌人、小野小町・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らは古今和歌集の歌人である。
『草紙洗い』において、大友黒主=大伴家持は万葉集の中に小町の歌を書き入れているが、
『書き入れる』というのは『編纂する』という意味で、誰にでもできることではない。
万葉集を編纂した大伴家持(大友黒主)だからこそ小町の歌を万葉集に書き入れることができたというのが『草紙洗い』のテーマではないか。
小野小町は「私は『古今和歌集』の時代の歌人なので、私の歌を『万葉集』に書き入れることはできませんよ」と大伴家持を諭したということ話なのではないか。

f.今上天皇に仕える臣下が桜を見ようと江州志賀の山桜を見ようと山道を急いでいたところ、薪に花を添え花の陰に休む老人と男に出会った。
この老人が大友黒主で、和歌の徳を語って消え去るが、臣下の夢の中に現れて舞を舞う。(志賀) 


黒主は和歌の徳を説いているが、これなども万葉集を編纂した大伴家持にふさわしい行為だといえるのではないか。

一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭に登場した赤鬼・青鬼・黒鬼

②かささぎの 渡せる橋に 置く霜の

猿丸太夫(5番)の次に大伴家持(6番)の歌をもってきた藤原定家は、古今集真名書の『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』の意味をわかっていたのだろう。

その藤原定家は百人一首に大伴家持の次の歌を採用している。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持
(年に一度、天の川に鵲が橋をかけ、その橋を渡って牽牛と織姫が逢瀬を楽しむという。その橋のようにみえる宮中の階段に白い霜がおりているところを見ると、もうすっかり夜がふけてしまった。)


「宮中の階段に霜がおりているのを天の川にかかる橋に見立てた」ととるのは、
『大和物語』百二十五段の壬生忠岑の歌で御殿の御階(みはし)()を「かささぎのわたせるはし」によって喩えていることによるもので、賀茂真淵が唱えた。

「霜の白き」は天上に輝く星が白いのを霜に喩えたとする説もある。

観音山公園 牽牛 七夕飾り

中山観音寺跡 牽牛と七夕飾

③男女双体は荒魂を御霊に転じさせる呪術

まずポイントとして押さえておきたいのは、この歌が天の川伝説、すなわち牽牛と織姫が年に一度の逢瀬を楽しむとされる七夕に関する歌だということである。

牽牛と織姫が逢瀬を楽しむというのは、男女が和合するということだ。

仏教の神・歓喜天は男女が和合したおすがたをしておられ、次のような伝説がある。

鬼王ビナヤキャは祟りをもたらす神であった。
そこへ十一面観音の化身であるビナヤキャ女神があらわれ、鬼王ビナヤキャに「仏法守護を誓うならあなたのものになろう」と言った。
鬼王ビナヤキャは仏法守護を誓い、ビナヤキャ女神を抱いた。




動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

↑ 相手の足を踏みつけている方がビナヤキャ女神である。

この物語は、御霊・荒魂・和魂という概念をうまく表していると思う。

神はその現れ方で、御霊(神の本質)・荒魂(神の荒々しい側面)・和魂(神の和やかな側面)の3つに分けられるといわれる。
そして荒魂は男神を、和魂は女神を表すとする説があるのだ。
すると神の本質である御霊とは男女双体と言うことになると思う。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・女神

男女和合は荒魂を御霊に転じさせる呪術だったのではないだろうか。

そして鬼王ビナヤキャを牽牛、ビナヤキャ女神を織姫に置き換えてもいいだろう。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神


つまり、牽牛と織姫の逢瀬は、荒魂を御霊に転じさせる呪術であったのではないか、ということである。

④白黒コントラストの鳥・鵲

次に注意したいのは、鵲という鳥についてである。



動画お借りしました。動画主さん、ありがとうございます。

上の動画を見ればわかるとおり、鵲はくっきりした白黒のコントラストを持つ鳥であり、太極図を思わせる。

File:Yin and Yang.svg

太極図

ウィキペディア(https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。

太極図とは「陰が極まれば陽となり、陽が極まれば陰となる」という道鏡の考え方をあらわすもので
白は陽、黒は陰とされる。

男は陽、女は陰とされるので、男が白=荒魂で、女が黒=和魂だろう。
そう考えると、太極図は歓喜天を図案化したものだと言っていいかもしれない。

さきほど、男神は荒魂で女神は和魂とする説があるといったが、荒霊を白、和魂を黒であらわすこともあったのではないだろうか。

御霊・・・神の本質・・・・・・・歓喜天・・・・・・・・・・・・男女双体
荒魂・・・神の荒々しい側面・・・鬼王ビナヤキャ・・・牽牛・・・男神・・・・陽?・・・白?
和魂・・・神の和やかな側面・・・ビナヤキャ女神・・・織姫・・・女神・・・・陰?・・・黒?


機物神社 七夕飾り

機物神社 七夕祭

⑤霜は死体に振られた塩をあらわす?

さらに「置く霜の」という語にも注意したい。
日本書紀に「トガノの鹿」という物語がある。

仁徳天皇が皇后と涼をとっているとトガノの方から鹿の鳴き声が聞こえてきた。
天皇はその鹿の鳴き声をしみじみと聞いていたが、あるとき急に鳴き声がしなくなった。
翌日、佐伯部が天皇に鹿を献上したが、その鹿は天皇が夜な夜な鳴き声を聴くのを楽しみにしていた鹿だった。
気分を悪くした天皇は佐伯部を安芸の渟田に左遷した。

雄鹿が雌鹿に全身に霜が降る夢を見た、と言った。
雌鹿は夢占いをして、
『それはあなたが殺されることを意味しています。霜が降っていると思ったのは、あなたが殺されて塩が降られているのです。』
と答えた。
翌朝、雄鹿は雌鹿の占どおり、猟師に殺された。

鹿の夏毛には白い斑点がある。この斑点を霜や塩に喩えたのだろう。

そして、謀反の罪で死んだ人には塩が振られることがあり、鹿は謀反人を比喩したものではないかとする説がある。
藤原種次暗殺事件の首謀者として死体が掘り出され、流罪となった大伴家持はまさしく謀反人である。

大仏殿 鹿

東大寺大仏殿 鹿

⑤白い神だったはずなのに黒い神になってしまった大伴家持

家持の歌を私流に現代語訳してみよう。

かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける/大伴家持

まるで太極図のように見える鵲。
また鵲は白い神(荒霊)と黒い神(和霊)が和合しているかのようにも見える。
その鵲が天の川に橋をかけ、年に一度牽牛と織姫が逢瀬を楽しむ。

鬼王ビナヤキャは祟るのをやめて仏法守護を誓いビナヤキャ女神を抱いた。
歓喜天は鬼王ビナヤキャとビナヤキャ女神の男女双体の神で、歓喜天は鬼王ビナヤキャがビナヤキャ女神の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまったの図なのだ。
この歓喜天と同じく、牽牛は織姫の性的魅力によって骨抜きにされ、祟る力を失ってしまう。
それが七夕なのだ。
(牽牛は牛をひく童子である。牛=丑、また童子は八卦で艮/丑寅の符である。丑寅は方角では鬼がやってくる方角、鬼門である。よって牽牛は祟りをもたらす鬼と考えられる。)

その天の川に鵲がかける橋のように見える宮中の階段に霜が白く輝いている。

霜は日本書紀のトガノの鹿を思わせる。
鹿は全身に霜が振る夢を見るが、霜だと思ったのは実は塩で、鹿は殺されて塩漬けにされているのだった。
謀反の罪で殺された人は塩を振られることがあった。
鹿は謀反人の喩えである。
藤原種継暗殺事件の首謀者だと疑われている私(大伴家持)もまた謀反人である。

宮中に降りた霜がこんなにも白く見えているということは、私はすでに死んで夜の世界にいるということなのだろう。
そして私は鵲に似た太極図があらわすように、陽が極まって陰となり、白い神(荒魂)から黒い神(和魂)へと変わっていくのだ。


わずか31文字の中に、太極図、天の川伝説、トガノの鹿の伝説なども想像させ、実に味わい深い歌である。

白峯神宮 小町踊2

白峯神宮 小町踊(七夕に小町踊を踊る風習があった。)

⑥著作権がなかった古の和歌


秋の田の  仮庵の庵の 苫をあら み わが衣手は 露にぬれつつ
(秋の田の小屋のとまがたいそう粗いので、私の着物は露でびっしょり濡れてしまいました。)


天智天皇が詠んだこの歌はもともとは万葉集の詠み人知らずの歌であるが、天智天皇が詠むにふさわしい歌だということで
天智天皇御作とされている。

同様に、「かささぎの 渡せる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞふけにける」も、家持が詠んだ歌ではないが家持が詠むにふさわしい歌ということで家持が詠んだ歌とされたのかもしれない。

この歌が家持自身が詠んだものでまちがいなければ、家持の発する言葉にはとんでもない言霊があって、言葉が実現してしまったということになるかもしれない。

穂谷 稲穂

枚方市穂谷

⑦大友黒主はなぜ黒い神なのか?

⑤に記した現代語訳で、「白い神」とは大伴家持、「黒い神」とは大伴黒主のことである。

大伴家持はすでに死んで埋葬されていたにもかかわらず、藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、死体が掘り出され、その死体は流罪となった。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
骨が露出

掘り出された家持の死体は黒鬼となっていたため、家持は大友黒主とよばれたのではないかと私は推理しているのだ。

しかし、つじつまの合わない点がある。
性別天体光度天気生死
女(和魂?)
男(荒魂?)太陽

大伴家持は男なので陽、白い神といってもいいが、同一人物だと考えられる大友黒主は、黒い神である。
黒は陰をあらわし、性別では女性を表す。

これはいったいどういうわけだろうか?

法輪寺 針供養

虚空蔵法輪寺 針供養 織姫

陰陽 黒と白⑫ 小野小町は白い神 へつづく~
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[2018/09/26 20:18] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? 

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山2


祇園祭 黒主山

陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊?  よりつづきます~

①草紙洗い

7月17日、祇園祭山鉾巡行。(写真は過去のもので、現在、黒主山は 7月24日の後祭で巡行)
祇園囃子の音色とともに山鉾が、大路をがゆっくりと進んでいく。
豪華な装飾品で飾り立てられた山鉾のようすから、山鉾巡幸は『動く美術館』とも称される。
そんな山鉾の中に、桜を見上げるひとりの老人をご神体とする山がある。
黒主山である。

祇園祭 黒主山 御神体

黒主山 御神体

謡曲に志賀という演目がある。黒主山はその謡曲・志賀をモチーフとした山である。

今上天皇に仕える臣下が桜を見ようと江州志賀の山桜を見ようと山道を急いでいたところ、薪に花を添え花の陰に休む老人と男に出会った。
この老人が大友黒主で、和歌の徳を語って消え去るが、臣下の夢の中に現れて舞を舞う。(志賀)


桜を見上げる老人は六歌仙の一人、大伴黒主だったのである。

大友黒主が登場する謡曲には『志賀』の他にも『草紙洗い』という演目がある。

小野小町と大伴黒主が宮中で歌合をすることになった。
歌合せの前日、大伴黒主は小町の邸に忍び込み、小町が和歌を詠じているのを盗み聞きした。

蒔かなくに 何を種とて 浮き草の 波のうねうね 生ひ茂るらん
(種を蒔いたわけでもないのに何を種にして浮草が波のようにうねうねと生い茂るのでしょうか。)

当日、紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らが列席して歌合が始まった。
小町の歌は天皇から絶賛されるが、黒主が小町の歌は『万葉集』にある古歌である、と訴えて、万葉集の草紙を見せた。
ところが小町が草紙に水をかけると、その歌は水に流れて消えてしまった。
黒主は昨日盗み聞いた小町の歌を万葉集の草紙に書き込んでいたのだった。
策略がばれた黒主は自害を謀るが、小町がそれをとりなして和解を祝う舞を舞う。(草紙洗い)


志賀では和歌の徳を説く神として登場し、草紙洗いでは小野小町の邸に忍び込む卑怯な男として登場する大伴黒主。
いったい、彼はどのような人物だったのか。

祇園祭 山鉾巡幸 黒主山

祇園祭 黒主山


②大友黒主は古の猿丸大夫の次なり

大伴黒主は遍照・在原業平・文屋康秀・喜撰法師・小野小町らとともに六歌仙の一である。
六歌仙とは「古今和歌集仮名書」において、名前をあげられた6人の歌人のことをいう。
古今和歌集仮名書とは仮名で記された古今和歌集の序文で、紀貫之が記したと考えられている。
ただし、仮名序やには六歌仙という言葉は使われていない。
後の世になって真名序及び 仮名序に名前をあげられた六人の歌人のことを六歌仙というようになったと考えられている。

古今集仮名書は大友黒主について次のように記している。

大友黒主は そのさまいやし
いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし

(大友黒主はその様子が賎しい。
薪を背負う山人が花の影に休んでいるかのようだ。)


『滋賀』では大友黒主は花(桜)の影に休む老人として登場するが、それはこの古今和歌集仮名書の文章を受けたものだと考えられる。

大友黒主は大伴黒主とも記され、小説家の井沢元彦氏は政治的に不幸だった大伴一族の霊のことではないかと言っておられる。

大伴家持は藤原種継暗殺事件の首謀者とされ、すでに死亡していたのだが、死体が掘り返されて流罪となった。
子の永主や大伴継人も隠岐へ流罪となった。
その後、応天門の変によって伴善男らが失脚するなどして、大伴氏は歴史の表舞台から姿をけした。
(※淳和天皇の名前が大伴親王だったので、これに憚って大伴氏は伴と氏を改めていた。)

古今集には仮名書のほかにもうひとつの序文「真名序」とよばれる漢文で記された序文がある。
仮名序は紀貫之が、真名序は紀淑望(きのよしもち)が書いたとされている。
仮名序と真名序の内容はほとんど同じだが、微妙に表現が違っている箇所もある。

たとえば、仮名書では

大友黒主は そのさまいやし。いはば薪負へる山びとの 花のかげに休めるがごとし。
となっているが、真名序は次のようになっている
大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり。頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。田夫の 花の前に息めるがごとし。(読み下し文)

真名序に『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』 とある。
これはどういう意味だろうか。

仮名序を書いた紀貫之は古今伝授の創始者であるという。
古今伝授とは紀貫之より代々伝えられた和歌の極意のことで、伝授する人物は和歌の第一人者に限られ、伝授の方法は主に口頭で行われた。
和歌の極意を文章に記さず口頭で伝えるのは、情報が漏洩しないようにするためだろう。

鎌倉時代には藤原定家が、父親であり師匠であった藤原俊家から古今伝授を受けている。
百人一首のそれぞれの歌には1から100までの番号が振られている。
もしかしたら定家は『大友の黒主が歌は、古の猿丸大夫の次なり』という仮名序の文章を受けて、百人一首において大友黒主の正体を明らかにしているのではないか、と思ったのだ。
つまり、猿丸大夫の次の歌人が、大友黒主ではないかと。

八坂神社 かるた始め 

八坂神社 かるた始め

私は百人一首を調べてみた。
百人一首では猿丸大夫は5番だった。
その次・・・6番は大伴家持だった!

また大友黒主と大伴家持はよく似た、というよりもほとんど同じ歌を詠んでいるのだ。

白浪のよするいそまをこぐ舟のかぢとりあへぬ恋もするかな/大友黒主
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないように、自分を抑えることのできない恋をすることだよ。)

白浪の寄する磯廻を榜ぐ船の楫とる間なく思ほえし君/大伴家持
(白波の寄せる磯から磯へと漕ぐ船が楫をうまく操れないようにあなたのことを思っています。)


古歌の語句・発想・趣向などを取り入れて新しく作歌する手法のことを『本歌取り』という。
本歌取りで大切なのは、古い歌をベースにしながら、あくまでもオリジナリティのある歌を詠むことである。
大伴黒主の歌は大伴家持の歌とほとんど同じ意味なので、本歌取りではない。

ほとんど同じと思われるふたつの歌の、一方は大伴黒主、一方は大伴家持の歌であるという。
このことからも、ふたりは同一人物ではないかと思われる。

大伴氏は武力で天皇家に仕える家柄だった。
仮名序にある『薪負へる山びと』とは、矢を負う姿を喩えたものではないだろうか。

また大伴家持は藤原種継暗殺事件に連座したとして、死後、墓から死体が掘り出されて子孫とともに流罪となっている。
大伴家持の死体は腐敗し、蛆がたかったような状態であったのではないだろうか。
仮名序の 『大友黒主は そのさまいやし』というのは墓から掘り出された死体の様子を言っているのではないだろうか。

真名序に『頗る逸興ありて、体甚だ鄙し。』とあるが、逸興とは死体が掘り出されたことを言っているのだろう。
『鄙し』の『鄙』は①田舎 ② いなかっぽい。ひなびている。つまらなく卑しい、などの意味がある。
『体甚だ鄙し』とは掘り出された死体がひなびている(田舎っぽい)、または卑しいということか。 

 一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭の鬼の舞

③青鬼・赤鬼・黒鬼


死体が掘り返された大伴家持の遺体はどのような状態だったのだろうか。

http://www.sogi.co.jp/sub/kenkyu/itai.htm
上記サイトによれば、死体は次のように変化するという。

a.腹部が淡青藍色に変色(青鬼)
   ↓
b.腐敗ガスによって膨らみ巨人化。暗赤褐色に変色。(赤鬼)
   ↓
c.乾燥。黒色に変色。腐敗汁をだして融解。(黒鬼)
   ↓
d.骨が露出


そしてこの死体の変化が青鬼・赤鬼・黒鬼の正体ではないかというのだ。

鬼という漢字は死者の魂をあらわすものだとされるので、この説はなるほどもっともだと思わせる。

一言主神社 一陽来復祭

一言主神社 一陽来復祭に登場した鬼たち

大伴黒主という名前は、家持の死体がcの段階まで進み、黒鬼のような状態になっていたところからつけられたのではないだろうか。

●万葉集を編纂した大伴家持 

大伴家持は優れた歌人であり、万葉集を編纂した人物でもあった。
そして草紙洗に登場する家持以外の歌人、小野小町・紀貫之・河内躬恒・壬生忠岑らは古今和歌集の歌人である。

『草紙洗い』において、大友黒主=大伴家持は万葉集の中に小町の歌を書き入れているが、
『書き入れる』というのは『編纂する』という意味で、誰にでもできることではない。
万葉集を編纂した大伴家持(大友黒主)だからこそ小町の歌を万葉集に書き入れることができたというのが『草紙洗い』のテーマなのだと私は思う。

そして小野小町は「私は『古今和歌集』の時代の歌人なので、私の歌を『万葉集』に書き入れることはできませんよ」と大伴家持を諭したということだろう。

つまり、大伴家持はタイムスリップして後世に現れたという設定なのである。

また『志賀』において、黒主は和歌の徳を説いているが、これなども万葉集を編纂した大伴家持にふさわしい行為だといえるのではないだろうか。

祇園祭 黒主山 提灯

祇園祭 黒主山

 
陰陽 黒と白⑪大友家持、白い神から黒い神に転じる? へつづく~
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[2018/09/21 19:04] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊? 




陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? よりつづく~


住𠮷祭 神輿3

住吉大社

①住吉明神はみたらし星の神?

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

第一本宮・・・底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る
第二本宮・・・中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る
第三本宮・・・表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る
第四本宮・・・息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る

第一本宮・第二本宮・第三本宮は北から南に一直線に並んでいるが、第四本宮は第三本宮の東にある。
http://www.sumiyoshitaisha.net/cmn/pdf/map.pdf

その社の配置がみたらし星の配置に似ており、住吉明神はみたらし星の神ではないかとする説がある。 
みたらし星とはオリオン座の三ツ星の和名である。
 住吉大社
 
②底筒男命・中筒男命 ・表筒男命=景行天皇・成務天皇・仲哀天皇?

住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)をお祀りしている。

第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇(わかたらひこのみこと)
14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)のことなのではないかと私は考えた。

どの天皇がどの神に対応するのかはわからないが。

景行天皇・成務天皇・仲哀天皇・神功皇后は和風諡号に「たらし」とあるところから、「タラシ王朝」とよばれることもある。
住吉明神とはタラシ王朝の天皇と皇后を祀っているのではないかという推理だ。

住吉大社 第四本宮14代仲哀天皇の皇后/神功皇后=息長姫命 (おきながたらしひめのみこと)
住吉大社 第一本宮
     第二本宮
     第三本宮

底筒男命 12代景行天皇=大彦忍代別天皇・(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)?
中筒男命  13代成務天皇=稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
表筒男命 14代仲哀天皇=仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)?
※ただし、どの天皇がどの神に対応するのかわからない。

①で、住吉明神とはみたらし星の神とする説があることを書いた。
つまり、住吉明神=みたらし星=タラシ王朝の天皇と皇后
ということになる。

住𠮷祭 神輿2

住吉祭

③下鴨神社の御手洗祭は三足祭?

みたらし星から連想するのは、京都・下鴨神社で土用の丑の行事として行われている御手洗(みたらし)祭である。

下鴨神社の御手洗祭では神前にみたらし団子と素麺をお供えする。

下鴨神社 みたらし祭-お供え

このみたらし団子はみたらし星(オリオン座の三ツ星/実際には小さい星があって四個の星で構成されている。)を模したものだと思う。
「みたらし星は四個の星から構成される、だけど、みたらし団子は5個櫛に刺さっているじゃないか」といわれるかもしれない。
しかし、よくみるとみたらし団子は4個の団子がくっついており、1個は隙間があいている。
1個だけ離れている団子が何を意味しているのかわからないが、くっついた4個の団子はみたらし星のを構成する星の数と同じである。

みたらし団子がみたらし星を模したものだと考える理由は他にもある。
それは御手洗祭が土用の丑の行事だからである。

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられた。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

そして土用の丑とは、冬の水性で夏の火性を緩和する行事だと考えられる。
本来鰻の旬は冬である。
その鰻を夏の土用の丑の日に食べるのは、冬の水性(鰻)で夏の火性を緩和するという意味があるのではないだろうか。

さきほども述べたように、みたらし星とはオリオン座の三つ星(実際には四つ星)のことであるが、オリオン座は冬の星座である。
すなわち、神前に冬(水性)の星・みたらし星をお供えすることで、夏の火性を緩和するのが御手洗祭の意味ではないかと思うのだ。

また御手洗祭では露店でみたらし団子も売られていたので、鰻のようにみたらし団子を食して、夏の火性を緩和するという習慣もあったのではないだろうか。
もちろん神前にお供えしたみたらし団子は撤饌として、ありがたく食べるのだろう。

下鴨神社 みたらし祭3

下鴨神社の御手洗祭は、御手洗というが、手ではなく足を水につけて身を浄める。
足と書いて『たらし』とよむ。
御手洗祭と書くが、本当は三足祭なのではないだろうか。

三足祭だとするのが正しいとすると、御手洗祭とは、みたらし星の神である住吉明神のうち、三柱の男神、底筒男命・中筒男命・表筒男命=三人のタラシの祭なのではないか。

三人のタラシとはもちろんタラシ王朝の天皇、すなわち
12代景行天皇=大彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇=稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
14代仲哀天皇=仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
のことである。


下鴨神社 みたらし祭 足形


④三本脚の八咫烏は三人のタラシを表している?

御手洗祭が行われる下鴨神社の御祭神は賀茂健角身命で、八咫烏は賀茂健角身命の神使とされる。
賀茂健角身命=八咫烏と考えても差し支えないだろう。
八咫烏とは三本足のカラスである。

上賀茂神社 八咫烏

この賀茂健角身命=八咫烏を祀る下鴨神社で御手洗祭(三足祭?)を行っているのはなぜか?
賀茂健角身命=八咫烏とは三人のタラシ、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)が合体した神なのではないだろうか?
それで、八咫烏は三本足だとされているのではないだろうか?

下鴨神社 みたらし祭


⑤三人のタラシは死霊だった。


④までは前回の記事のまとめである。陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? 
これをふまえて次に進もう。

熊野三山では、カラスはミサキ神とされているそうである。
ミサキ神とは死霊が鎮められたもののことであるが、ミサキ神は死霊であるといってもいいだろう。
なぜなら鎮められてミサキ神となる前は死霊だったからである。

八咫烏は熊野大神(スサノオ)に仕える存在とされる。

スサノオは根の国(死の国)王である。
そのスサノオに仕える八咫烏もまた死霊だと考えらえるだろう。

陰陽道では万物は陰陽両面を持つと考える。
生死を陰陽で表すと、生が陽、死が陰である。
性別天体光度天気生死
太陽

また陽は白、陰は黒で表される。

Yin yang

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AYin_yang.svg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Yin_yang.svg よりお借りしました。
作者 Gregory Maxwell [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で

そういうわけで、黒いカラスは死霊、または死霊が鎮められたミサキ神であると考えられたのだと思う。

八咫烏=12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)とすれば、
12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・13代成務天皇(わかたらひこのみこと)・14代仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)は死霊または死霊が鎮められたミサキ神だということになる。

下鴨神社 みたらし祭4

⑥足島大神は死霊、生島大神は生霊?


次に、生國魂神社について述べた二つの記事を思い出してほしい。

陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? 
陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? 


生國魂神社の主祭神は生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神である。

足島大神とは、神名に「足」とあるので、

12代景行天皇・・・大彦忍代別天皇(オオタラヒコオシロワケノスメラミコト)
13代成務天皇・・・稚彦尊(ワカタラヒコノミコト)
14代仲哀天皇・・・仲彦天皇(タラナカツヒコノスメラミコト)

のことではないか。

また、14代仲哀天皇の皇后である神功皇后は、和風諡号を息長帯比売命(オキナガタラシヒメ)と言うが、この中にある「息」という漢字の読みは「生(いき)」と同音である。

息長帯比売命は生長帯比売命であり、生島大神なのではないかと考えた。

つまり、生國魂神社の神と住吉大社の神は同一神ではないかということである。

さらに、住吉大社の底筒男命・中筒男命・表筒男命 が景行・成務・仲哀の三人のタラシのことで、足島大神(足はタラシと読む)のことであり、八咫烏(黒鳥=死霊)のことであるとすれば、
白鳥とは、陽の鳥、生をあらわす鳥で息長帯比売命(息は生と同音)=神功皇后のことではないか。

島大神住吉大社 第四本宮神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・長帯比売命/気長姫尊(おきながたらしひめのみこと)?
               と同音
生霊白鳥
島大神住吉大社 第一本宮/底筒男命
     第二本宮/中筒男命
     第三本宮/表筒男命
12代景行天皇・・・・・・・・・大彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)?
13代成務天皇・・・・・・・・・稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
14代仲哀天皇・・・・・・・・・仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)?
死霊黒鳥
(八咫烏)

生玉夏祭 鳳輦

生國魂神社 生玉夏祭り

⑦生霊は生きていると信仰された神?

https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46316_25542.html
上は青空文庫の「折口信夫 盆踊りの話」である。

ここに次のように記されている。
「しかし、古代の日本には死霊・生魂の区別がなく、生き御霊の祭(生きた魂を扱う)と死にみたまの祭(死霊を扱う)の二つを行っていた。」
「民衆はお盆には鯖や塩鯖をもって親や親方のところへ行った。 この行事を生き盆・生きみたまと言う。」

折口信夫さんのいう『生魂』とは、今実際に生きている人の魂のことで、それを親や親方に差し上げることを「生き盆」「生きみたま」であるとを言っているようである。

しかし生島大神は大昔から祀られている神であるので、現在生きている人の魂のようには思われない。
生島大神は「生きている」と信仰された神である可能性はあるだろう。

生島大神は、「生きていると信仰されている神」であるが、しだい「に生きている霊」と混同され、その結果、お盆に生きている親や親方のところへ行く行事(生き盆・生きみたま)が生じたと考えるとつじつまがあうように思えるがどうだろう?

生玉夏祭 獅子神楽

生國魂神社 生玉夏祭り

⑧生島大神は女神?

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしている。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用

子供を産んで、生命を栄えさせるのは女性である。よって、生島大神は女神で、神功皇后=長帯比売命(息は生にかかる)と考えるのはつじつまがあっているようにも思える。

生玉夏祭 太鼓2

⑨白杖代は生島大神の御杖代?

 実は生玉夏祭りで、生島大神を表しているのではないかと思われるものを見つけていた。

生玉夏祭 白杖代 
白杖代である。

神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者のことを御杖代(みつえしろ)という。白杖代も御杖代のひとつだと考えられるが、
陰陽道では生=陽=白、死=陰=黒なので
生國魂神社の御祭神・生島大神(神功皇后?白鳥?生霊)・足島大神(タラシ王朝の天皇?黒鳥?死霊?)のうち、白杖代は生島大神の御杖代だと考えられる。

⑩猿田彦は黒杖代?

それでは死霊と考えられる足島大神の御杖代もあるのか。
見落としている可能性もあるが、黒杖代は見かけなかった。

しかし、猿田彦が黒杖代だといえるかもしれない。

生玉夏祭 猿田彦


なぜなら、猿田彦と八咫烏はよく似ているからである。

猿田彦・・・天孫ニニギを高天原から葦原中國まで道案内した。
八咫烏・・・神武天皇を熊野から大和まで道案内した。

ニニギは神武天皇の曽祖父で、神武もニニギも天孫(ニニギは天照大神から3代目、神武は天照大神から6代目)という共通点がある。
ニニギ&猿田彦の話は、神武天皇&八咫烏の物語を神代に置き換えて創作したもののように思われるのだ。

もちろん、猿田彦は露払い役としてどこの神社の祭でも、行列を先導することが多い。

しかし、八咫烏=三人のタラシの象徴と考えたとき、ここ生國魂神社や住吉大社の行列を先導する猿田彦は、特別な意味を持っていそうにも思える。

住吉祭 猿田彦

住吉祭の行列を先導する猿田彦

⑪白杖代が少年なのは応神天皇をあらわしている?

私は白杖代とは生島大神=神功皇后の御杖代だと思うが、白杖代は少年である。
神功皇后は女性なのに、なぜ白杖代は少年なのだろうか。

神功皇后は仲哀天皇崩御後、三韓出兵した。
そして帰国後九州の宇美で応神天皇を御産みになられた。
その後、応神天皇は九州から畿内入りするのだが、そのルートが神武東征ルートと重なるので初代神武と15代応神は同一人物ではないかとする説がある。

応神天皇は仲哀天皇の子ではなく、武内宿祢の子ではないかともいわれている。
「武内宿祢」の「武」は「神武天皇」の「武」と同じで、武内宿祢と神武は同一人物であるようにも思われる。

また武内宿祢が応神天皇を角鹿につれていき、イザサワケ大神と応神天皇の名前を交換したという話もある。
この話は政権交代を比喩したもののように思える。

磐船神社 天の磐船

初代神武以前、ニギハヤヒが天下ったとされる大坂交野市の磐船神社

⑫王家の女性と結婚した者が王となる。


神武天皇以前に物部氏の祖神・ニギハヤヒが天下っていたという話もあり、神武天皇以前物部王朝があったとする説もある。

おそらく畿内には神武天皇以前に物部王朝があったのだろう。それが邪馬台国であり、大和朝廷の前身だと思う。
タラシ王朝は物部王朝だと思う。
神功皇后は物部王朝の女性であり、あとから畿内にやってきた天皇家の男性と結婚して子供を産んだのだろう。
そして、その天皇家の男の血をひく子供が、大和朝廷の王となったのではないか。
つまり、大和朝廷は物部王朝から天皇家の王朝になったのではないかということである。
これは政権交代である。日本は万世一系といわれるが、それは間違いだと思う。

神功皇后は天照大神のイメージとも重なる。
天照大神が女性であることについて、古代の日本は女性上位であったからだなどという意見も聞くが、そうではないだろう。
物部氏の祖神のニギハヤヒは別名を天照国照彦火明櫛玉饒速日命といい、この神が本当の天照大神だとする説がある。
物部王朝が大和朝廷であり、天照大神が物部王朝の神であり、天照大神の子孫が皇位につくべき、という掟があったとしたら
あとからやってきた天皇家の人物はどうすれば物部氏から政権を奪えるか。

天照大神を女神にして、自分が天照大神と結婚すれば、自分の血をひく子孫が皇位につくことができる。
古代エジプトでは王家の女性と結婚した者が王となることがあったと聞くが、同じようなことが日本でもあったのではないだろうか。

こうして物部氏より政権を奪った天皇家は、自分たちが物部氏の失敗をおかさないように、ずっと男系で皇位継承している。
女性天皇もいたが、もと天皇の皇后がほとんどで、我が子に皇位を継承させるための中継ぎとしての即位だった。

独身で即位した女性天皇(元正・孝謙・明正・後桜町)が結婚が許されず生涯独身だったのも、ほかの氏族に皇位を奪われないようにするための対策であったと思う。

神功皇后が産んだ応神天皇とは、父方は天皇家、母方は物部王朝の血をひく人物をモデルに創作されたものではないだろうか。


神功皇后は物部王朝から天皇家に政権をつないだ女性ということで生島大神とされ、白杖代が少年なのは神功皇后が産んだ応神天皇をあらわしているのかもしれない。


崇神天皇陵 夕日 『卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命、男弟は大物主、狗奴国の男王は崇神天皇?』 

大鳥大社 神紋

大鳥大社のお賽銭箱の鳳の紋。


⑬ヤマトタケルは男性なのになぜ白鳥なのか?

そう考えても、まだ疑問が残る。

ヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという伝説だ。
陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  

生霊=生きていると信仰された神=女神と考えたが、ヤマトタケルは男である。

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしているのだった。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。

https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用

女神は子供を産んで、いのちを活発に栄えさせる力がある。
ヤマトタケルは男なので子供は産めない。それなのに、なぜ彼は白鳥=生霊として信仰されたのか。

それとも、白鳥=生霊と結論づけるにいたった、積み重ねてきた思考のどこかに間違いがあったのか?


大鳥大社 花菖蒲

ヤマトタケルを祀る大鳥大社

陰陽 黒と白⑩ 大友黒主の正体は大伴家持だった? へつづく~
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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2018/09/12 20:42] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? 

陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? よりつづく~
 
下鴨神社 みたらし祭

①「土用の丑」とは何か?

陰陽五行説では世の中全てのものは、木火土金水の5つの組み合わせで成り立つと考える。
季節では、春=木、夏=火、秋=金、冬=水と考えられていた。
季節は4つなので、木火土金水のうち土が余る。。
土は季節の交代をスムーズにするものと考えられ、各季節の最後の18~19日間を『土用』として均等に割り振られた。
本来、土用は夏だけではなく、すべての季節にあるのである。

陰陽五行説には『相生説』と『相克説』がある。

『相生説』とは、五行が対立することなく、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を生じていくという説である。

『木生火』・・・・・・木は摩擦により火気を生ずる。
『火生土』・・・・・・火は燃焼して灰(土)を生ずる。
『土生金』・・・・・・土は金属を埋蔵している。
『金生水』・・・・・・金属は表面に水気を生ずる。
『水生木』・・・・・・水は植物(木)を育てる。

『相剋説』は五行同士が相互に反発し、木火土金水の順で、五元素が順送りに相手を剋していくとする説をいう。

『木剋土』・・・・・・木は土中の栄養を奪う。
『土剋水』・・・・・・土は水の流れをせきとめる。
『水剋火』・・・・・・水は火を消す。
『火剋金』・・・・・・金属は火に溶ける。
『金剋木』・・・・・・金(斧など)は木を切り倒す。

『土用の丑』の習慣については、諸説あるが『水剋火』、すなわち夏の火性を冬の水性で緩和しようとするのが『土用の丑』の習慣だと考えてまず間違いないと思う。
 
下鴨神社 みたらし祭

②冬の食べ物を食べることは、夏の火性を冬の水性で緩和すること?

『土用の丑』には鰻を食べる習慣がある。

ところが、丑年生まれと寅年生まれは鰻を食べてはいけないなどと言われる。
その理由は丑寅年生まれの守り本尊は虚空蔵菩薩で、その虚空蔵菩薩の神使が鰻だからというのだ。
えーーーっ、ちょっとまってくださいよ!私だって鰻食べたいよ!(寅年生まれ)

本題にもどる。

夏の『土用の丑』に鰻を食べる習慣があるが、本来、鰻の旬は冬である。
そのため経営不振に陥った鰻屋に、平賀源内が『本日、土用の丑』と書いた紙を店先に貼るようにアドバイスしたというエピソードは有名だ。
その結果、鰻は飛ぶように売れたという。

冬の食べ物である鰻を夏に食べるということは、夏の火性を冬の水性で緩和することだといえる。
平賀源内のキャッチコピーは当時の人々に陰陽五行説の『水剋火(水=冬は火=夏を消す)』を思い起こさせる効果があったということだと思う。 

下鴨神社 みたらし祭-お供え

③ 御手洗祭はみたらし星の祭?

土用の丑の行事として、下鴨神社の『御手洗祭』がある。

土用の丑のころ、下鴨神社を参拝してみると、神前には『素麺』とともに『みたらし団子』が供えられていた。
また境内の出店でも『みたらし団子』が売られていた。
どうやらこの『みたらし団子』と『御手洗(みたらし)祭』には関係があるらしい。

下鴨神社のみたらし団子について、次のようないわれがある。 

後醍醐天皇が、下鴨神社の境内の御手洗池で水をすくうと、泡が1つ浮き上がった。
その後、しばらくして4つの泡が浮き上がってきた。
みたらし団子はこの水玉を模したもので、 一番上の団子は人間の頭を、他の四つは体を現しているといわれる。


しかし、私は上記のみたらし団子のいわれよりも、オリオン座の三ツ星がかつての日本では『みたらし星』と呼ばれていたことが気になる。

オリオン座の三つ星は三つ星の傍に小さい星があって、本当は三つ星ではなく四つ星である。
みたらし団子の伝説の、あとで浮き上がってきた四つの泡はみたらし星をあらわしているのではないだろうか。

そしてこれが肝心なのだが、オリオン座は冬の星座で、陰陽五行説では水性になる。
冬の星座であるオリオン座の三つ星を模したみたらし団子を食べることで、夏の火性を緩和しようとするのが『みたらし祭』の意味なのではないだろうか。

素麺は天の川ではないだろうか。天の川というと夏のイメージがあるが、冬にも天の川はみることができる。

下鴨神社 みたらし祭 足形 

④住吉明神はみたらし星の神?

大阪の住吉大社は現在では海の神として信仰されているがもともとは『みたらし星』の神だったのではないかとする説がある。

みたらし星(オリオン座の三ツ星)は、真東からのぼって真西に沈むので航海の指標とされていた。
海の神とはみたらし星の二次的な神格なのではないかと思う。

住𠮷祭 神輿3

住吉大社

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る第一本宮、
中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る第二本宮、
表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る第三本宮、
第三本宮の東が神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る第四本宮

となっている。

その社の配置がみたらし星の配置に似ているというのだ。 
 住吉大社
 
⑮みたらし祭は三足祭?

住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)をお祀りしている。
もしかして、第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わかたらひこのみこと)、仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)のことなのではないだろうか?(どの天皇がどの神に対応するのかはわからないが)

景行天皇・成務天皇・仲哀天皇は和風諡号に「たらし」とあるところから、「タラシ王朝」などともよばれる。


そういえば御手洗祭は、御手洗というが、水に足をつけて身を浄めるではないか。
足を水につけるのは、足と書いて『たらし』とよみ、『みたらし星』と音が通じるからではないだろうか。。
御手洗祭と書くが、本当は御足祭または三足祭なのではないだろうか。

実際、下鴨神社の御手洗祭では手ではなく足を御手洗池につけることで禊をするのだ。

また、京都の御室戸寺はもとは御室戸寺と称していたのを、光仁、花山、白河三帝の離宮になったために【御】の字を【三】に替えたと伝わる。

御手洗祭が三足祭だったのではないかと考えるのは、そのためである。

⑦底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神


私は底筒男命・中筒男命 ・表筒男命はみたらし星の神で、タラシ王朝の神だと思うが
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは黄泉の国から戻ったイザナギが禊をしたときに生まれた神である。
底筒男命・中筒男命 ・表筒男命は禊の神でもあるのだ。

そして下鴨神社のみたらし祭は、参拝者が境内の御手洗池に足をつけて禊をするという行事である。

下鴨神社で禊の行事「みたらし祭」が行われているのは、下鴨神社の神が底筒男命・中筒男命 ・表筒男命、もしくはタラシ王朝の天皇と関係がある神だからということはないだろうか。

下鴨神社 みたらし祭3

⑧三本脚の八咫烏はタラシ王朝の三人の天皇をあらわしている?

下鴨神社の御祭神・賀茂健角身命の神使は三本脚の八咫烏だとされる。
八咫烏は日向からやってきた神武天皇を熊野から大和に道案内した烏である。

神武の先祖に天照大神の孫・ニニギがいる。
ニニギは天照大神に命じられて葦原中国に天下ったが、このとき猿田彦という神に道案内されている。

ニニギ(天照大神の孫)・・・・・猿田彦に道案内される
神武(天照大神の5代目の孫)・・・八咫烏に道案内される。

ふたつの話はとてもよく似ている。ニニギの話は神武の話を神代に置き換えて創作されたものではないかと思ったりもする。

ニニギを道案内した猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記されている。
これにぴったりな神名を持つ神がいる。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)である。
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊というのは先代旧事本紀による記述で、記紀では単にニギハヤヒとなっている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神で、神武が東征して畿内入りするより早く、畿内に天下っていたとされる。
そのため、神武以前、畿内には物部王朝があったとする説があって、私はこれを支持している。

そして、猿田彦は「高天原から葦原中国までを照らす神」と記述があるが
高天原とは天、芦原中国とは国なので、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と同一神ではないかと思う。

そしてすでにのべたように、どちらも天孫を道案内しているので、猿田彦と八咫烏は同一神であるように思える。

ということは、八咫烏は物部氏の神だということになる。

八咫烏を神使とする賀茂健角身命を祀る下鴨神社は賀茂氏の神社だが、賀茂氏と物部氏は関係があるのではないだろうか。

八咫烏が三本脚なのは、三人のタラシ王朝の天皇、12代景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)、13代成務天皇(わかたらひこのみこと)、仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)の象徴だからだったりして?

つまり、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命 (禊の神)、ということで、
下鴨神社で御手洗祭を行っているのは、賀茂健角身命=景行・成務・仲哀=八咫烏=底筒男命・中筒男命 ・表筒男命の慰霊という目的があるのかもしれない。

下鴨神社 みたらし祭4 
 
陰陽 黒と白⑨ 白鳥は生霊、黒鳥(八咫烏)は死霊? へつづく~
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陰陽 黒と白① 獏は白黒モノトーン  


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[2018/09/05 13:34] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? 

陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? よりつづく~

生玉夏祭-神輿2

①生島大神は万物を産み育て生命力を与える神

前回の記事で、生國魂神社の2柱の御祭神・生島大神、足島大神のうち、足島大神について考察した。
陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? 

今回は生島大神についてである。

ウィキペディアの「生國魂神社」の項目には次のような内容が記されている。
「神武東征の際、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀った。 」

長野県上田市にはこの生島大神・足島大神を祀る生島足島神社があり、ウィキペディアの「生島足島神社」の項目には、次のように記されている。
「生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神。 」

生玉夏祭-神輿

②生魂神と生島大神は同一神?

ネットをぐぐっていると、『生魂』という言葉がヒットした。
『生魂』とは『いきたま』と読むのだろうか、生國魂神社の『生國魂』に似ている、と思ったが、
『生魂』と書いて『いくむすび』と読むようである。

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしている。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。
イクは活で生命力の盛んなさまをいう。
ムスは産で,苔ムスというように繁殖する意,ビはヒで霊力の意で太陽の日とも関係があろう。
ムスビとは,古く日本人がさまざまな霊威,威力(働き)を神聖なものと感得したことを示す。
〈生魂神〉は,御巫(みかんなぎ)によって神産日(かみむすび)神,高御産日(たかみむすび)神,足産日(たるむすび)神などとともに,神祇官の八神殿奉斎神としてまつられ,天皇の魂を鎮め,あるいは活力の促進を祈る鎮魂祭にあずかる神々の一神であった。

https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用

『生國魂(いくたま)』『生魂(いくむすび)』と読み方は異なるが、『生魂神』は足産日神(たるむすび)とともに八神殿奉斎神として祀られるとある。

足産日神という神名は生島大神とともに祀られる足島大神を思い起こさせる。

足産日神とは足島大神、生魂神とは生島大神と同一神なのではないだろうか。

そして生魂(いくむすび)を「いきたま」「いくたま」と読んだところから生國魂神社という社名になったのではないかと想像する。

生玉夏祭 子供獅子2

③「折口信夫 盆踊りの話」に登場する死霊・生魂

https://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/46316_25542.html
上は青空文庫の「折口信夫 盆踊りの話」である。

ここに次のような内容が記されている。(本題に関係のない内容は省いた。)

a.太古の日本では外来魂を年に一度切り替える必要があると考えていた。
それがしだいに年に2度(大晦日とお盆)切り替えるように変化した。

b.現在では、お盆とは死んだ聖霊を迎えて祭る行事である。
しかし、古代の日本には死霊・生魂の区別がなく、生き御霊の祭(生きた魂を扱う)と死にみたまの祭(死霊を扱う)の二つを行っていた。

c.お盆にはよい魂だけでなく、悪い魂である怨霊もやってくると考えられた。
念仏踊り雛流し、七夕流しは悪い魂を退散させるためのものである。

d.お盆にはよい魂を招き寄せて、人間の体の中へ入れ、悪い魂(怨霊)には、帰つて貰った。

e.よい魂を体の中にを体につけると不思議な偉力が生じると考えられていた。
例えば、ある地位にある人は、その外からくる魂を体につけなければその地位を保つことができないと考えられた。

f.暮と盆との二度の祭りに、子分・子方の者から、親方筋へ魂を奉る式「おめでたごと」が行われたのは、「おめでとう」といえば自分の魂が上の人の体につくと考えられていたからである。

g.正月には魂の象徴を餅にして、親方へ奉る。

h.天皇が上皇・皇太后の処へ、魂を上げに行く行事のことを朝覲行幸といった。

i.民衆はお盆には鯖や塩鯖をもって親や親方のところへ行った。
  いつから鯖が用いられるようになったのかわからないが、さば(産飯)のごろ合わせが縁起がいいということで鯖になった。
  この行事を生き盆・生きみたまと言う。


生玉夏祭 獅子神楽2

④生島大神・生魂神は生きていると信仰された神?


bに死霊、生魂という言葉が登場する。
そのあとに「生き御霊の祭(生きた魂を扱う)と死にみたまの祭(死霊を扱う)の二つを行っていた。」とあるので、
死霊とは「死にみたま」のことで、生魂とは「生き御霊」「生きた魂」のことなのだと思う。
さらにそのあと次のような行事の記述がある。

子分から親方に魂を奉る式(おめでたごと)
正月に魂の象徴を餅にして親方に奉る習慣
天皇が上皇・皇太后の処へ魂を上げに行く行事(朝覲行幸)
民衆がお盆に鯖や塩鯖をもって親や親方のところへ行く行事(生き盆・生きみたま)

ここから、折口信夫さんのいう『生魂』とは、今実際に生きている人の魂のことで、それを親や親方に差し上げることを「生き盆」「生きみたま」であるとを言っているように思える。

生魂という言葉は何と読むのだろうか。『いくたま』だろうか。それとも『いくむすび』だろうか。

いずれにしろ、折口信夫さんがいう「生魂」とは生國魂神社の御祭神である生島大神や生魂(いくむすび)と関係があるように思われる。

しかし生島大神や生魂(いくむすび)神は大昔から祀られている神であるので、現在生きている人の魂のようには思われない。

生島大神や生魂(いくむすび)神は「生きている」と信仰された神である可能性はあるだろう。

生島大神や生魂(いくむすび)神は、「生きている」と信仰されており、ここからお盆に生きている人が親や親方のところへ行く行事(生き盆・生きみたま)が生じたと考えるとつじつまがあうように思えるがどうだろう?

生玉夏祭 獅子神楽

生島大神は女神?

兵庫県尼崎市に生島神社があり、生國魂大神を祀っている。
明治以前は生島弁財天と呼ばれていたそうである。

弁財天は女神なので、もしかしたら生國魂大神とは女神なのかもしれない。

そして生國魂大神という神名は生國魂神社の社名と同じであり
生島神社という社名は生國魂神社の御祭神・生島大神と同じである。
ここから、生島神社の生國魂大神と、生國魂神社の生島大神は同一神だと考えられる。

女神である弁財天と習合されていた生島神社の生國魂大神は女神だと考えられるので、生國魂神社の生島大神も女神ではないか。

コトバンクは次のように生魂(いくむすび)の説明をしている。

生産日,生産霊とも書く。物を活発に産み出す霊力のこと。また,人間の生命を活発に栄えさせる霊力のこと。
https://kotobank.jp/word/%E7%94%9F%E9%AD%82-1145420 より引用生

子供を産んで、生命を栄えさせるのは女性である。

生玉夏祭 太鼓2

⑥息長帯比売命は生長帯比売命?

前回の記事で、生國魂神社の2柱の御祭神・生島大神、足島大神のうち、足島大神はタラシ王朝=物部王朝の神ではないかと書いた。
陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? 

足は「タラシ」とも読むが、和風諡号に足(タラシ)という字のつく天皇や皇后がおり、タラシ王朝と呼ばれている。

12代景行天皇・・・大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇・・・稚足彦尊(わかたらひこのみこと)
14代仲哀天皇・・・足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

神宮皇后の和風諡号にご注目!
和風諡号は、日本書紀では気長足姫尊だが、古事記では息長帯比売命となっている。(読み方は同じ)

息長帯比売命という諡号の中に「息」とあるが、「息(いき)」は「生(いき)」と同音である。

息長帯比売命は生長帯比売命なのではないか?

生玉夏祭 太鼓

⑦生島大神は神功皇后?

足島大神が3人のタラシ(足)だとすれば、女神の生島大神とは神功皇后なのではないだろうか。
島大神神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・長帯比売命/気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)?
               と同音
島大神12代景行天皇・・・・・・・・・大彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)?
13代成務天皇・・・・・・・・・稚彦尊(わかたらひこのみこと)?
14代仲哀天皇・・・・・・・・・仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)?

生玉夏祭 太鼓



陰陽 黒と白⑧ 八咫烏が三本脚なのは三人のタラシの象徴だから? へつづく~
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[2018/08/23 09:56] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? 

陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神?  よりつづく~

生玉夏祭 大阪城にて 獅子

生玉夏祭り


①足島大神は『満ち足らしめる神』


生國魂神社の主祭神は生島(いくしま)大神・足島(たるしま)大神である。
このうち、今回は足島大神について考えてみようと思う。
足島大神はどのような神様なのか。

ウィキペディアの「生國魂神社」の項目には次のような内容が記されている。
「神武東征の際、神武天皇が難波碕(現在の上町台地)の先端に日本列島そのものの神である生島大神・足島大神を祀った。 」

長野県上田市にはこの生島大神・足島大神を祀る生島足島神社があり、ウィキペディアの「生島足島神社」の項目には、次のように記されている。
「生島大神は万物を生み育て生命力を与える神、足島大神は国中を満ち足らしめる神。 」

なるほど、足島大神の『足』は『足りる』という意味だったのだ。

生玉夏祭 鳳輦2

②足島大神は葦原中國の神?

また、日本の国土のことを「葦原中国(あしはらのなかつくに)」という。

足島大神の足は葦にかかり、『満ち足りる神』であると同時に葦原中国の神なのかもしれない。

生玉夏祭 おかめとひょっとこの面
  
③足島大神は『足(タラシ)王朝の神』?

前回の記事、陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? で、足は「たらし」とも読み、和風諡号に足(タラシ)という字のつく天皇や皇后がおり、タラシ王朝と呼ばれているということをお話しした。

12代景行天皇・・・大足彦忍代別天皇(オオタラヒコオシロワケノスメラミコト)
13代成務天皇・・・稚足彦尊(ワカタラヒコノミコト)
14代仲哀天皇・・・足仲彦天皇(タラナカツヒコノスメラミコト)
神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・気長足姫尊(オキナガタラヒメノミコト)

生玉夏祭 


また住吉大社は海の神として信仰されているが、四つの社の配置がみたらし星(オリオン座の三ツ星)の配置に似ており(三ツ星というが、そばに小さな星があって厳密には星は4つある。)
もともとは「みたらし星」の神だったのではないかという説についてもご紹介した。

住吉大社 

住吉大社の第四本宮は14代仲哀天皇の皇后・神功皇后=息長足姫命 (オキナガタラシヒメノミコト)をお祀りしている。
もしかして、第一本宮、第二本宮、第三本宮に祀られている底筒男命・中筒男命 ・表筒男命とは、12代景行天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)、13代成務天皇(ワカタラシヒコノミコト)、14代仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)のことなのではないかと私は考えた。

みたらし星は御手洗星と記されるが、本当は御足星(足とかいてタラシと読む)もしくは三足星という意味で、タラシ王朝を象徴する星だったのではないだろうか?
そういえば下鴨神社の御手洗(みたらし)祭では、御手洗というが、水に足をつけて身を浄める。

生國魂神社の御祭神・足島大神とはタラシ王朝の神で、景行天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)、代成務天皇(ワカタラシヒコノミコト)、仲哀(タラシナカツヒコノスメラミコト)の総称だったりしないだろうか?

生玉夏祭 猿田彦

④神武、東征して浪速の渡を超えて河内湖に入る。

生國魂神社は初代神武天皇が創建したと伝わる。

初代神武天皇はもともとは日向に住んでいたのだが、あまりに国の端だということで、東征の旅に出た。
そして浪速の渡を超えて湾に入り、日下の楯津(東大阪市日下) に上陸した。
そこではニギハヤヒを奉じる長髄彦が神武を待ち構えていた。

神武軍vs長髄彦軍の戦いとなったが、神武は敗れ、南に迂回して熊野を越え大和にいたる作戦をとる。
そして神武は再び長髄彦と戦って勝利し、初代天皇として即位したのである。

浪速とは現在の大阪市あたりの古名だが、現在とはかなり地形が違っていた。
内陸にまで湾が入り組み河内湖と呼ばれていたのだ。
河内湖の北限は現在の枚方市付近、東限は現在の東大阪市付近だったとされる。
現在の大阪市はほとんど湖だったようだが、上町台地あたりは陸だった。
上町台地とは大坂城・天満橋~上本町~阿倍野~住吉大社~清水丘と南北に続く約12kmの台地である。
生國魂神社はかつては現在の大阪城のあたり、上町台地にあった。

生玉夏祭 白杖代 
神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者のことを御杖代(みつえしろ)という。白杖代も御杖代のひとつだと考えられる。

⑤足島大神は長いスネ(下腿)を持った神?

畿内入りした神武と闘った相手が、長髄彦という名前であることに注目してほしい。
長髄彦とは長いスネ(下腿)をもった男子という意味ではないだろうか?
すると、足島大神とは長髄彦のことではないのかとも思えてくる。

つまり足島大神とは③に書いたようにタラシ王朝の神であり、長髄彦のことでもあるのではないかということである。
足島大神=タラシ王朝の神=長髄彦

長髄彦はニギハヤヒという神を奉じていたが、ニギハヤヒとは物部氏の祖神で、神武より早く畿内に天下っていたと記紀に記述がある。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、初代神武以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。
ニギハヤヒを奉じる長髄彦もまた物部氏と関係の深い人物だと考えられる。
足島大神=タラシ王朝の神=長髄彦=物部氏の神

⑥初代神武天皇と15代応神天皇は同一人物?

諡号に「神」の字がつく三人の天皇、初代神武天皇と10代崇神天皇、15代応神天皇は同一人物ではないかという説がある。

応神天皇は14代仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた御子だが、仲哀天皇が崩御したのち神功皇后が朝鮮半島に出兵したときに生まれそうになった。
そこで神功皇后はお腹に石を置き、冷やして出産を遅らせた。
そして九州の宇美に戻って出産したとされる。

応神天皇は九州の宇美から畿内に向かうのだが、そのルートが神武天皇の東征ルートと重なる。
ここから初代神武と15代応神は同一人物ではないかといわれている。

そしてさきほども述べたように、初代神武天皇が東征して畿内入りするよりもはやく、畿内にはニギハヤヒという物部氏の祖神が天下っていたとされ、
ここから初代神武天皇以前、畿内には物部王朝があったとする説がある。

15代応神天皇=初代神武天皇とすると、12代景行天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)、13代成務天皇(ワカタラシヒコノミコト)、14代仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)の3人のタラシ王朝の王は、初代神武以前に畿内に存在していた物部王朝の王ではないかと思われる。


生玉夏祭 鳳輦 

⑦即位することができたのは生島神・足島神のおかげ

生國魂神社の主祭神・生島神・足島神は、平安時代に宮中でも奉斎されている。
また新天皇の即位儀礼の1つ、八十島祭においても主神として祀られていた。
「八十島」とは日本の国土(大八洲)を指すとされる。

古代の河内湖には淀川、大和川、武庫川などによって運ばれた土砂が堆積してできたたくさんの島があり、難波八十島と呼ばれていた。

八十島祭の八十島はこの浪速八十島の神を祀る祭であったとも考えられる。

八十島を祀る八十島祭の主神・生島神・足島神は浪速八十島の神ではないかと考えると、やはり神武天皇以前よりこの地を支配していた長髄彦は生島神・足島神にぴったりな存在のように思える。

長髄彦は河内付近にあった物部王朝の王のひとりであったのではないだろうか。
つまり、12代景行天皇(オオタラシヒコオシロワケノスメラミコト)、13代成務天皇(ワカタラシヒコノミコト)、14代仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)のうちのいずれかが長髄彦ではないかということである。

それをあとからやってきた神武が国を横取りしたのだろう。
神武は国を横取りしたものの、長髄彦の怨霊の祟りが怖くてしかたなく、神として祀ったのではないだろうか。

また怨霊は十分に慰霊すれば、ご利益を与えてくれる和魂に転じると考えられていた。
つまり天皇に即位することができたのは、長髄彦のおかげ、ということで即位儀礼の八十島祭で長髄彦を生島神・足島神として祀ったのではないかと想像する。

いくたまじんじゃ みこし にゅうじょう 
⑤大阪と長野の深い関係


すでにお話ししたように、生島神・足島神は長野県の生島足島神社の御祭神でもある。

生島足島神社の摂社に諏訪神社があるが、諏訪大社本宮は拝殿後背の守屋山をご神体としている。
守屋山には物部守屋を祀る守屋神社があるが、この物部守屋と長髄彦は関係がありそうである。

長髄彦はニギハヤヒという神を奉じており、妹をニギハヤヒの妻としていた。
ニギハヤヒは物部氏の祖神である。
また物部守屋は大阪府八尾市付近を本拠地としており、大阪市天王寺区にある四天王寺は守屋の土地と奴婢を用いて聖徳太子が建てたとされる。
大阪市中央区の森ノ宮という地名は守屋の宮がなまったものだという説もあり、大阪と長野は深い関係がありそうである。


陰陽 黒と白⑦ 足島大神はタラシ王朝の王で、生島大神はオキナガタラシヒメ(神功皇后)? へつづく~
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[2018/08/15 23:37] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? 

陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 ※一部書き直しました。  よりつづく~


住𠮷祭 神輿3 
8月1日 住吉祭 神輿渡御
  
住𠮷祭 神輿2  

住吉大社 住𠮷祭 武者 
武者行列 

住𠮷祭  

 住吉祭 猿田彦

猿田彦

住𠮷大社 住吉祭 大和川を渡る神輿 
大和川を越えて

住吉祭 船 
行列は紀州街道を南へ、堺の頓宮をめざす。

①住吉大社はみたらし星の神? 


住吉大社は海の神として信仰されているが、もともとは「みたらし星」の神だったのではないかという説がある。

みたらし星とはオリオン座の三つ星のことである。
三つ星のそばにもうひとつ小さい星があって、本当は三つ星ではなく四つ星なのだが。

住吉大社の境内には同じ大きさ、同じ作りの社が四つあり、そのいずれもが本宮とされている。
奥から、

底筒男命 (そこつつのをのみこと)を祀る第一本宮、
中筒男命 (なかつつのをのみこと)を祀る第二本宮、
表筒男命 (うわつつのをのみこと)を祀る第三本宮、
第三本宮の東が神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)を祀る第四本宮

となっている。

その社の配置がみたらし星の配置に似ているというのだ。 

住吉大社 

②『筒」 は星の神をあらわしている?

また底筒男命・中筒男命 ・表筒男命の神名にある『筒』は星の神であることを示すものだという説もある。
どういうわけか、記紀神話には星の神はたった一柱・天津甕星しか登場しない。

ところが『上記(うえつふみ)』という文書の中には多くの星の神が登場する。
そして星の神は、トムツツ(北極星)、アカユツツ(ペテルギウス)、イユキツツ(スピカ)などのように、ツツという音がついている。

③海の神は星の神の二次的な神格?

現在、住吉大明神には星の神という神格はなく、海の神として信仰されている。
オリオン座の三つ星は真東から昇って真西に沈むので航海の指標とされていた。
海(航海)の神というのは星の神の二次的な神格なのではないだろうか。

④みたらし星の神はタラシ王朝の神?

京都に三室戸寺という寺があるが、もともとは御室戸寺と称していたのを、光仁、花山、白河三帝の離宮になったために【御】の字を【三】に替えたと伝わる。

みたらし星は漢字では御手洗星と書くが、もともとは三足星であったなどというようなことはないだろうか。

和風諡号に足(たらし)という字のつく天皇や皇后がおり、タラシ王朝と呼ばれている。

12代景行天皇・・・大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
13代成務天皇・・・稚足彦尊(わかたらしひこのみこと)
14代仲哀天皇・・・足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
神功皇后(仲哀天皇皇后)・・・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

どうやら足と書いて「たらし」と読むようである。

神功皇后は住吉大社の第四本宮の御祭神であったことを思い出してほしい。

第一本宮・・・底筒男命
第二本宮・・・中筒男命
第三本宮・・・表筒男命
第四本宮・・・神功皇后=息長足姫命 (おきながたらしひめのみこと)

底筒男命・中筒男命・表筒男命とは景行天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)・成務天皇(わかたらしひこのみこと)・仲哀天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)の3人のタラシ王朝の天皇のことではないだろうか。
(ただし、どの天皇が底筒男命・中筒男命・表筒男命のいずれに対応するのかわからない。)

そして三人のタラシ=三足(ミタラシ)なので、みたらし星の神として祀られているのではないだろうか?

住吉祭 茅の輪  


堺の頓宮では荒和大祓神事が行われ、巫女さんたちが茅の輪くぐりをしていた。


陰陽 黒と白⑥ 足島大神はタラシ王朝の神=物部王朝の神? へつづく~

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[2018/08/01 09:36] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)

陰陽 黒と白④ 下賀茂神社 『ヤタガラスを射る』 ※一部書き直しました。 

下鴨神社 十二的神事

下鴨神社 追儺弓神事


陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  よりつづく~。

※読み直してみるとわかりにくい文章だったので、一部書き直しました。すいません~。

①節分とは何か

節分とは何か。

それを説明するためには、まず旧暦(太陽太陰暦)と二十四節気の話をしなければならない。

旧暦(太陽太陰暦)は月の周期を一か月とする。
月の周期は29.5日なので、1年=29.5×12か月=354日。
地球が太陽の周囲を一周する周期=365日とは11日もずれてしまう。
3年では約1か月ものずれになる。
これを解消するため、3年に1度閏月を設けて調整していた。

太陽太陰暦は月齢がカレンダーがわかりになるので、紙が貴重品だった時代には大変便利な暦だった。
しかし実際の暦とはずれるので農耕作業などに支障がでる。
そこで、日本では江戸時代まで太陽太陰暦と二十四節気というふたつの暦を併用していた。

二十四節気とは一太陽年(地球が太陽の周囲を一周する期間。約365日)を24等分し、その分割点を含む日に冬至・立春・春分などの名前をつけた暦である。

節分とは本来は二十四節気の季節の変わり目ともいえる立春・立夏・立秋・立冬の前日を刺す言葉だった。
しかし、節分は、しだいに1年の変わり目でもある立春の前日を意味する言葉へと変化していった。

つまり節分とは暦法二十四節気における大晦日なのだ。

②追儺式は大晦日の行事だった。

延暦寺のお坊様が「もともと追儺式とは旧暦(太陽太陰暦)の大晦日に行う行事であった」と話しておられた。

牛は干支の丑で12月、虎は干支の寅で1月をあらわす。
鬼は牛の角を生やし、虎皮のパンツをはいており、牛=丑、虎=虎なので、鬼は丑寅=1年の変わり目をあらわすとする説がある。

鬼に豆を投げつけて退散させることは、丑寅=1年の変わり目を退散させていることを意味し、目には見えない1年の移り変わりを視覚化したものだといえるだろう。

旧暦の大晦日と節分は年によってことなるものの、ほぼ同時期である。
そういった理由から、追儺式は大晦日の行事から節分の行事へと変化したのではないだろうか。

③追儺弓神事

下鴨神社の節分祭では追儺式は行わず、かわりに追儺弓神事を行っている。
追儺弓神事は12人の射手たちが次々に的を射るというもので、的は長方形で、赤地に黒の丸が描かれていた。
12の的は過ぎ去った過去の1年12か月をあらわし、これを射ることで去年を葬り去り、新しい年を迎えるという意図があるのではないだろうか。

以前、テレビで同様の神事を見たことがある。
その神事ではいったん的に『鬼』という文字を書き、その文字を塗りつぶすようにして黒丸を描いていた。

私は矢があたってくだける的を見て、下鴨神社の的の黒丸の下にも鬼という文字が隠されているかもしれないと思った。

下鴨神社 追儺弓神事2

下鴨神社 追儺弓神事

②ヤタガラスを射る。

関東地方などで同様の神事がさかんに行われていて、鬼射 (おびしゃ)・備射(びしゃ)・飛射(むしゃ)・奉射(ほうしゃ)などと呼ばれている

中にはヤタガラスを描いた的もあるそうである。

おびしゃの的は陰陽になっていると書いてある記事もあったが、具体的に的が陰陽になっているとはどういうことなのか、よくわからない。
表にウサギ、裏にヤタガラスが描かれているということなのだろうか?(詳しい方、教えてください~!)

ヤタガラスとは記紀神話に登場する三本足の大きなカラスで、初代神武天皇を熊野から大和へ道案内したとされる。
そしてヤタガラスはここ下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の化身だとされている。

上賀茂神社 八咫烏

ヤタガラスが描かれた提灯

ヤタガラスが下鴨神社の御祭神、賀茂建角身命の化身だということに注意してほしい。
神の化身であるヤタガラスを矢で射るとは、なんと罰当たりな!

③ヤタガラスは鬼だった?

 ①で的の黒丸は鬼をあらわすのではないかと書いた。
そして同様の神事であるおびしゃでは的にヤタガラスを描いたものもあるとのことだが、的に描かれたヤタガラスも鬼なのか?
すると、ヤタガラスを化身とする賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)も鬼だということにならないだろうか?
下鴨神社は鬼を祀る神社なのだろうか?

下鴨神社 追儺弓神事


下鴨神社 追儺弓神事

④昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えた?

古事記には死んだヤマトタケルが白鳥となって飛び立ったという記述があり
鳥たちがアメノワカヒコの葬儀を執り行うという記述もあって、鳥は死のイメージが強い。

またササキという鳥がいるが、これに御をつけるとミササギ(陵)となる。 

仁徳天皇陵のような巨大な前方後円墳は人間が地上から見てもその形が認識できないが、空飛ぶ鳥の目線からであれば容易にその形を認識することができるだろう。

昔の人は死んだ人の魂は鳥になって天に向かうと考えたのではないだろうか。
すると三本脚のヤタガラスも死んだ人の魂なのか?

⑥数字の8は復活を意味している?

八咫烏の正体について、もっと詳しく考察してみよう。

梅原猛さんは数字の8は復活を意味する数字だとしておられる。
八咫鏡は死んだ天照大神を復活させた鏡、
八角墳や八角堂は死んだ人の魂の復活を願って作られたものであるというのだ。

すると八咫烏もいったん死んで復活した人の魂を神格化したものなのか?

Horyu-ji36s3200

八角堂 (法隆寺 夢殿)

https://commons.wikimedia.org/wiki/File%3AHoryu-ji36s3200.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/39/Horyu-ji36s3200.jpg よりお借りしました。
作者 663highland (投稿者自身による作品) [GFDL (
http://www.gnu.org/copyleft/fdl.html), CC-BY-SA-3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/) または CC BY 2.5 (http://creativecommons.org/licenses/by/2.5)], ウィキメディア・コモンズ経由で

⑦八咫烏は復活した天照大神?

八咫烏は中国や朝鮮では太陽の中に描かれることが多く、復活した太陽神だと考えられる。

太陽神といえば天照大神だが、天照大神は天岩戸に籠ったのち、アメノウズメのストリップダンスを見た神々が笑うのを不思議に思って外に出てきている。

天岩戸とは古墳の石室のイメージである。
天照大神は死んで石室に埋葬されていたのだが、生き返って石室の外に出て来たという話なのではないだろうか。

天照大神は復活した太陽神である。そして八咫烏も復活した太陽神だと考えられる。
つまり八咫烏とは復活した天照大神?

下鴨神社 古神礼焼納式2

下鴨神社 古神符焼納神事


⑧本当の天照大神とは男神で物部氏の祖神のニギハヤヒだった?

初代神武天皇より早く、ニギハヤヒという神が天下っていたと記紀には記されている。
ニギハヤヒは物部氏の祖神なので、神武以前、畿内には物部王朝があったのではないかとする説がある。

そして先代旧事本紀ではニギハヤヒは天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だとする説があって、私はこれを支持している。

磐船神社 天の磐船 

磐船神社 ご神体 天の磐船 (ニギハヤヒはこの船を操ってここに天下ったとさる。)

ニギハヤヒは男神である。
天照大神は女神とされているが、怪しい。

というのは、天岩戸に籠った天照大神はアメノウズメという女神のストリップダンスに興味を持って天岩戸から出て来たのである。
女神のストリップに興味を持つのは男神だ、よって天照大神は男神だとする説がある。

⑨天皇家の祖神・天照大神はなぜ女神なのか。

天皇家の祖神の天照大神は女神とされているが、太陽神を女神とするのは世界的に見ても大変珍しい。
このことを持って、日本では男女差別はなかったとか、女性が尊重されていたと説く人もいる。
しかし、私の考えはこれとは違う。

神武が東征して畿内入りするよりも前に、畿内には物部氏の祖神であるニギハヤヒが天下っていて物部王朝があったのだと思う。
ニギハヤヒは先代旧事本紀では天照國照彦天火明櫛饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと)といい、ニギハヤヒが本当の天照大神だったのだろう。

そこへあとから神武が東征してやってきた。
神武は畿内の人々を大量虐殺して大和の王になるのではなく、物部王朝をのっとって大和の王になることを選んだのだと思う。

記紀を読むと神武の東征軍は大軍であったとは思われないし、国が豊かに栄えるには多くの人民が必要なので、神武の判断は賢明であったといえる。

神武が物部王朝をのっとるにはどうしたらいいか。
物部王朝の王=天照大神を女性とし、自分がその女性と結婚して入り婿になればいいのだ。

記紀神話には入り婿になる話が多い。
天照大神の孫のニニギは葦原中国に天下ってオオヤマツミの娘のコノハナサクヤヒメと結婚しているし
ニニギとコノハナサクヤヒメの間に生まれたホオリ(山幸彦)は竜宮に行き、海神の娘・トヨタマヒメと結婚している。
これは神武が物部王朝に入り婿になったことを、神代に舞台をおきかえて創作したものではないだろうか。

こんなストーリーが思い浮かぶ。

物部王朝の王はだいだい天照大神としてあがめられる習慣があった。
九州から東征してやってきた神武は巧妙な手口で物部王朝の王を女性にした。
こうして天照大神は女神となった。
神武は天照大神とあがめられる物部王朝の女王と結婚し、入り婿となることで政権を物部氏より奪い取った。

天照大神が物部王朝の神で男神であるとすれば、男性の神武は同性の天照大神と結婚することができない。
当然、神武の子孫は天照大神の血をひいていないので、天照大神の子孫を名乗ることができない。
だが天照大神を女神とし、神武がその女性と結婚したとしよう。
神武の子孫の母親は天照大神なので、神武の子孫が天照大神の子孫と称してもウソではないということになる。

⑩邪馬台国は物部王朝?

邪馬台国を思い出す。
邪馬台国の女王・卑弥呼には男弟があり、本来ならばこの男弟が王となるべきだったのだろうが、卑弥呼が王となっている。
魏志倭人伝は女王は独身だと伝えるが、その一方で卑弥呼には宗女・トヨがいるとしている。
宗女・トヨがいるということは女王は結婚して子供があり、それがトヨなのではないか。
そして女王卑弥呼の夫が神武なのではないかと思う。

つまり邪馬台国とは物部王朝であったのではないかということである。

籠神社で発見された日本最古の系図では始祖の彦火明命(ひこほあかりのみこと)の9代目の孫に日女命(ひめのみこと)とあり、脇に、『またの名を倭迹迹日百襲姫命』と記されていた。

籠神社では始祖の彦火明命の別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも伝えている。

先代旧事本紀は天火明命とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてるひこ あまのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと/ニギハヤヒ)と同一神としている。

つまり籠神社の系図は物部王朝の系図なのだ。
そして卑弥呼とは9代目の孫の日女命(ひめのみこと)に漢字を当てたものではないかと言われている。

日女命の別名は倭迹迹日百襲姫命とあるが、倭迹迹日百襲姫命の墓とされる箸墓は魏志倭人伝に記された卑弥呼の墓と大きさが一致し、卑弥呼の墓ではないかともいわれている。

魏志倭人伝では卑弥呼の墓は円墳と記すが、箸墓は前方後円墳である。
しかし、箸墓と同時期の古墳で、あとから前方部を付け足したと思われるあとが見つかっており、箸墓も同様にあとから前方部を付け足した可能性が浮上している。

⑪復活した天照大神が八咫烏(黒鳥)、死んだヤマトタケルが白鳥?逆では?

話をもとにもどそう。

陰陽を表す対極図は陽を白、陰を黒であらわす。

File:Yin and Yang.svg

太極図

ウィキペディア(
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Yin_and_Yang.svg?uselang=ja) よりお借りしました。
ありがとうございます。



さて、前回私は死んだヤマトタケルが白鳥になったという話をしたが、陰陽 黒と白③ 大鳥大社 白鳥になって飛び立ったヤマトタケル  

白鳥と黒鳥(八咫烏)は陰陽で対になっているように思える。

白は陽なので白鳥が陽、黒は陰なので黒鳥が陰だろう。


白鳥・・・・・・・・陽・・・死んだヤマトタケル
黒鳥’(八咫烏)・・・陰・・・死んで復活した天照大神

しかしなぜ死ぬと白で、死んだものが復活すると黒なのか?

陰陽表で生死の項目を見ると、生が陽なので白、死が陰なので黒となっている。
死んで復活すると生=陽=白となるように思えるのだが、
なぜ復活した八咫烏が黒で、死んだヤマトタケルが白なのか。
逆のように思えるのだが。

うーん?
基本的性質遠心力求心力
傾向収縮膨張
特性融合、同化、集合、編成分裂、分離、分散、拡散
動き不活発、緩慢活発、敏速
振動短波、高周波長波、低周波
方向下降、水平上昇、垂直
位置外部、周辺内部、中心
重量軽い重い
高度暗い(晦冥、月光)明るい(光明、日光)
湿度湿潤乾燥
密度緻密希薄
外形小さい大きい
形状収縮性膨張性
感触柔軟堅硬
素粒子電子陽子
元素窒素、酸素、燐、カルシウム等水素、炭素、ナトリウム、砒素等
環境波動 ー 土 ーー 水 ー 空気
気候風土寒帯気候、湿潤気候熱帯気候、乾燥帯気候
生物特性植物的動物的
性別女性男性
呼吸吸気呼気
器官構造実質器官、凝縮性中空器官、膨張性
神経末梢神経、副交感神経中枢神経、交感神経
補瀉
態度、感性沈滞、消極的、防御的活発、積極的、攻撃的
仕事心理的、精神的物理的、社会的
文化精神的物質的
次元空間時間
内外外側内側
武術
戦闘防御攻撃
向き下、後、左上、前、右
夫婦
表裏
天体太陰(月)太陽(日)
天気
昼夜
天地
温度
偶数奇数
商売損害利益
状況
人間精神(心)肉体(体)
数学-(負)+(正)
春秋
夏冬
東西西
南北
背腹
感情的抑制興奮
内臓五臓(六臓)五腑(六腑)
人体組織皮膚、骨筋肉、内蔵
部分下部上部
高さ低い高い
音の高さ、声調
光闇
収穫凶荒豊穣

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD より引用

下鴨神社 古神礼焼納式

陰陽 黒と白⑤ 住吉明神はタラシ王朝の神? へつづく~

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[2018/07/27 11:07] 陰陽 黒と白 | トラックバック(-) | コメント(-)